第二十五部 肆章 ギルドの柱
~冒険者ギルド 訓練場~
「…よし、今日はこれくらいでいいだろう。そろそろ昼飯をしっかり食って午後の予定を確認しておくように、解散!」
『お…おっす……』
疲労困憊で床に倒れている冒険者を放ってゲンブはギルドの中に戻っていく。それと入れ替わりにギルドスタッフの何人かが冷えた水やスポーツドリンクや疲労に効果がある握り飯を持ってくる。
冒険者ギルドのフロントではさっきまでゲンブの訓練を受けていた冒険者達が昼食を多く注文してガツガツとやけ食いにも思えるようにラーメンに半ライス餃子セットを食べている。
「おいおい、大食いを攻めるわけじゃねぇが、早食いはやめろって健康に悪いぞ」
「うっせ!あと少しで届くはずだったのによ…!」
やけ食いをしている冒険者はゲンブとの模擬戦であと一歩の所で負けてしまった。しかし、ゲンブはハンデとして片手片足立ちという事をしていた。それなのに多くの人は投げられて中には武器を構える暇すら与えられずに投げられてしまったという人もいる。
「師匠はあれでも手加減しているし、もしかしたらわざと隙を見せて攻撃を誘ったんじゃないか?はたから見るとあんな隙だらけの剣術をするはずないぜ?フェイントをかけられてそれにまんまとかかったんだよお前は」
「くっそ…本当に最終試練をクリアした奴なんているのかよ…」
「いるんじゃないか?それこそギルドマスターぐらいだろうけど、剣術では勝てないが手数ではギルドマスターに敵わないんじゃないか?師匠は」
ゲンブは多くの冒険者に師匠と呼ばれ、その門下生と言える冒険者は多くいる。ゲンブはその全員に模擬戦や技を教えたりする。一通りの技を使いこなすようになった門下生はゲンブから最終試練として1対1の10本勝負で1本でも取ればクリアとなる。
クリアすれば何かいい事があるというわけでもないが、シャリア王国で最強の男を倒したという話は冒険者のみならず、国の外までその名を轟かせるだろう。その憧れを胸に抱いて毎日のようにゲンブとの10本勝負を挑む冒険者は後を絶たない。
しかし、最近はマンネリ気味なのか、わざとハンデを自分でつけて来るようになった。しかしそれでも未だにクリアした人物は聞いたことがない。妻であるギルドマスターは「軽く身体を動かすだけで十分だし、熱くなって怪我でもしたら娘たちも心配するからやめとく」と言ってゲンブとの模擬戦をやりたがらない。
一応、ギルドマスターの言い分も分かる。というのもギルドマスター、アリアさんとゲンブさんとの出会いと交流の話はよく知っている。だからこそ互いのコンビがどれだけ強く、互いが全力で戦ったら周りにどれだけの被害が出るのか想像つかない。
それは、あの二人が緊急のクエストや戦いを見た事がある冒険者なら、誰もがそう思う事だろう。
「すまない、ここ、空いているかい?相席をしてもいいかな?」
話に割り込むように話しかけてきた声に少し驚きながらも、座り直して少し端による。
「はい、空いてますよ、どうぞこちらに」
そう言うとトレイにカレーを載せた男性は席に着く、氷をたっぷりと積んであるコップには炭酸飲料のジュースが注いであり、一口カレーを口にすると辛口なのか飲み物を飲んで氷を口の中含み二口目、三口目とカレーを次々と口の中に運ぶ、そして気付く。
彼の腕のエンブレム、それはキラキラと輝く金色、つまり、彼はゴールドランクの冒険者だと分かる。
「ゴールドエンブレム…」
つい、口に出して呟いてしまった事に気づいた時にはその言葉に彼は反応する。
「む、そうだが、君たちは…あぁ、アイアンか…だとするとさっきまで師匠、ゲンブの訓練を受けていたのではないか?ゲンブはアイアンランクの訓練を気合い入れて指導するからな、俺も当時はよくしごかれた事を今でも夢に見るほどだ」
「はい、つい先程まで…まぁ、すぐに投げ飛ばされて戦いどころか、師匠にとっては暇つぶしにもならないようでしたが」
「はっはっはっ!それはそうだ。ゴールドランクになって有頂天になった俺を簡単にボコボコにしてプライドをへし折られた時は上には上がある事を理解しざるを得なかったからな」
そう笑う彼と師匠の話をしているとラーメンセットを食っている奴から不意にこんな話題を切り出された。
「そういや、ゲンブ師匠の魔法ってさ、自分の体積を変えたり、身体を変形させたり出来るんだよな。それなら、動物になったり魔物になったり、性別とかも変えられるんじゃないか?」
「おいおい、流石にそんなことはしないだろう」
「…いや、確かに今君が言ったようにその様な魔法が使えるのも事実だし、魔法の理論を考えると可能であるだろう」
「だとしたら、もし女性のゲンブさんと戦ったら、勝てるんじゃないか?魔物とか動物形態とかも十分あり得ると思うぜ?十分実践に近い経験となるし明日にでも頼んでみるか」
「いやいやいや、流石にそんな事を頼んでも却下されるだろ、それに女性になったことなんていくら師匠でもやった事…」
「あるぞ」
言いかけた所で背後の席にいつの間にかゲンブ師匠が座っていた。
「ヒィィィーーーーー!!」
「い、いつからそこに!?」
「俺の魔法の話題になった頃だ。自分の話題が聞えたから客観的にどんな印象になってるのか興味があってさり気なく後ろに席を取ったんだが…そんな魔人に出会ったような反応しなくてもいいじゃないか」
「は、はぁ…すみません…」
「ところで、さっき女性の姿になったって言ってましたよね?もしかして、その様な訓練をした事があるんですか?」
「いいや、訓練でその魔法を使ったことはないな。それに訓練で俺が女性に姿を変えたとしても勝てんぞ、身軽になった分、技量を繰り出す速さが上がり、攻撃をいなす手段を増やしてしまうだけだ。もしそんな訓練をしたいなら最終試練をクリアしろ、褒美としてそれをしてやってもいい」
そういう師匠は腕を組んで不貞腐れたような表情を浮かべる。それを見て少し互いの顔を見合わせて苦笑いを返すしかなかった。
「でも、意外ですね。師匠っていつもその姿で魔物を倒したから他の姿になったりするイメージがなかったんですが、女性の姿になるんですね。そういう機会ってなんか特別な用事でも?」
「まぁ、覚えているのは2回だな、記録も残っているから数え間違いはないはずだ。と言ってもそうしないといけない理由があったからやむ負えずその姿になるしかなかった」
そう言うと師匠は昔の話を軽くしてくれた。
「確か、俺がまだまだひよっこの頃で、アリアにもあってなければ、剣の腕も素人以上熟練者未満の時だから冒険者としても道端の石みたいな存在だったな。そこら辺は関係ないか、1回目に姿を変えた理由は女性を狙う吸血鬼がいると言う話で俺がその吸血鬼がいると言う使われなくなった石門の砦に行ってみたんだが、見当たらなくてな。まぁ、女しか狙わないって聞いていたからもしかしてと思って隅々まで探したが見つけられなかった。見つかったのは被害者女性の遺品だけでどれだけの被害者がいたのかって思って鳥肌が立ったよ」
そう言って具体的な詳細を光のない目でつらつらと語る師匠の話で聞いているこっちまで鳥肌が立ってくる。吸血鬼はその名前の通り血を吸う鬼ではあるが、鬼とは違い血を吸うことで力を増幅したり、傷を癒す事もできる。しかし、それにしてもおかしい。吸血鬼の吸血には獲物の種類や性別は特に関係ないはずだ。
この冒険者ギルドにも、吸血鬼の冒険者がいるし、薬でその吸血行動を抑えたり、代用の飲み物でしばらくの間、吸血衝動を抑えることもできると本人から聞いたことがある。他にも血を吸った相手をある程度操る事が出来るしお互い合意の上なら血を吸っても操られなかったりその生態は本人でさえも自覚していない能力もあるという。
「そして、一度は引き返して遺族に遺品を渡してから再び砦に向かったんだよ。今度は姿を変えてな。そしたら砦の入口の影に出迎えるようにして立っていたんだぜ?笑いを堪えるのに必死だったよ。そして、多少苦戦して何とか倒したんだけど、その後が結構辛かったな、吸血鬼を倒したと言う証拠の為に今とは違い、遺体かその一部を持って帰る必要があったけど、日に当たるとすぐに肌が焼け爛れて崩れるから、袋に入れて氷で冷やしながら持って帰ったよ。バッグの中身をほとんど出した後に入らなくなってしばらくバッグの蓋と格闘していた時間が体感として吸血鬼と戦った時間よりも永く感じたよ。まぁ、依頼者に別人だと思われたのもあれだったけど…」
その女性の姿を見ていないから何とも言えないが依頼者の立場として考えれば、依頼を受けた人が2回現場に向かい。それで帰って来て倒したと言う報告を遺体を引きずりながらしてくれたのが別人なんて何が何だか分からない。
「そして、2回目はそれから数週間だったか?ある田舎でその中の立派な家柄、貴族ではないが平民でもないから、貧乏貴族とでも言えばいいのかな?その娘さんの護衛としての募集があってな、その条件の中に女性であることが書かれて、依頼金もついでにほぼ無料で国を渡れるのも都合がよいから仕方なく引き受けたけど、あの時は驚いたな。まさか夫婦間に亀裂があって母親が娘を抹殺しようと刺客を送り込んでいたなんて、後で証拠を周囲に送り込んで一生まともな生活に戻れないようにしたけど…」
前者の話は随分と深刻な顔をしていたけれど後者の話は簡単に尚且つヘラヘラと笑い話を聞かせるように言った。確かにそういう話に出来なくもないが、仕返しをきっちりとやってその末路も自業自得と言えるが、まるで図ったように言う師匠の顔は少しゾッとする話でもあった。
「今でも女だから男だからって価値観を持っている人も少なからずいるけど、徐々に風化している古風な価値観になっているからね。今では俺のように姿を変えられる人もいないから夜に長い髪を解いていれば意外とバレずに騙せるもんだぞ?ローブで胴と腕の筋肉を隠せば完璧よ」
「なるほど…そんな時に長い髪の毛が役に立つのか、今まで無駄なことをしている奴もいると思っていた自分が申し訳ないよ」
「いいや、女ならまだしもそんな理由で髪を伸ばす男なんていないし、それならウィッグを被れば同じ事できるから、その理由は人それぞれじゃないか?似合っていると思ったり、イメチェンしたり特殊な趣向で女装をしている人もここの奴らにいるけど、人の好きなものにケチ着けるなんて虚しいだけだからそんな事する奴ほとんどいないけど」
「今考えるとこの国の冒険者達ってみんな優しいし暖かい心の持ち主なんですね…」
「そうだな…昔と体制が変わったというのもあるし自分で言うのもなんだが、ホワイト企業並みの柔らかさだと思うぞ」
「…話は戻りますが、女性姿のあなたを一度は見てみたいものですな」
「そうそう、それ!いつも同じような姿と一味違う姿もあるなら見てみたいです!写真とかないんですか?」
「流石に当時に取られたものもなければ、描かれた物もない。あるのは当時に言われた「お姉さん、ありがとう」っていう村の人々からの感謝の言葉だけだ。見たいんなら最終試練をクリアする事だな。そうすれば一度だけ見せてやるよ。もちろんその人限定だがな」
(…今まで色んな事で頭の中の感覚が麻痺していたのもあるけど、これって触れちゃいけない話題だったか?あっちから話に入ってきてはいたけど…)
(そうだな…冷静になって考えると異性にならざるを得ない状況って結構な状況だぜ?もし依頼を受けておきながらできませんでしたーって信用にも関わる問題だからな…もしかしたら、当時の師匠の中でも葛藤があったのかもしれない)
(気にはなるが、ここはこれ以上この話題を広げないのが吉っぽいな)
(おう、これ以上話題を広げたら他の人から変な噂が広まってしまうかもしれねぇ。恩人にそんな事させるわけにはいかないしな)
そう声を潜めて話し合う2人の小声を聞き流している2人はそれを見て、君たちもここで働いているうちに暖かい心の持ち主になっているよ。と思うのであった。
「あれ?今日はギルドマスターを見てないんですが、どうかしたんですか?」
ギルドマスターは必ず一日に一度は必ずフロントに来て冒険者達の様子を見に来る。だからクエストを受ける冒険者は必ず彼女を見ることがないのはほぼありえない。
「あぁ、アリアは…少し野暮用でな。少しギルドを空けて違う国へと行っている。一応帰ってくる日時の目安とか仕事をいくつか持って出掛けているから、業務が滞る事は無いと思うが…気にするな」
「…よく言いますけど、その野暮用の詳細を聞いた事ってないんですよね。踏み込むような事はしてないとか、聞いたところで自分に関係無いと思って今の今までずっと聞き流していたんですが…」
「…聞きたいか?」
「いや、やっぱいいですわ…と虫の知らせでは言っているんですが、それよりも好奇心の方が勝っちゃっているので、聞きたいです」
「そこまで言われちゃ仕方ないな。だが、俺もそこまで詳しく知っているわけじゃないぞ。あいつもこの話は墓場まで持っていくと決めているらしいからな…それで、どこから話せばいいかな」
それなりに長い話なのか、師匠はジョッキの中を半分以上の量を飲んでゆっくりと話し始める。
「あいつの生い立ちとかは聞いたことがあるやつもいるから、少し簡潔に言うのも含めよう。まず、あいつの出身の村は森の中にある小さな村でな。そこの一般家庭で生まれたのがアリアだ。その家庭は少し村でも有名でな、森の中では家畜も少なくて食事は大体農作物とか果物とかが主で、言い方が悪いが十分な食事が取れなかったけど、アリアの両親は村から離れて海に出ては魚を取りまくってそれを惜しげもなく村の全員に配っていたんだ。確かアリアが生まれるまでは両親で色々な物使ってたみたいだぞ。網はもちろん、生簀を作って簡易的な養殖場を作ったりして、アリアが生まれた後は父親だけ魚とって余ったら、村の外まで行って売ったりとかな、言わばその村が飢饉で無くならないのはその父親がいたからって事だな。そして、アリアがまだ幼少の頃に両親の訃報が届いた。アリアはそのショックで放心状態だったんだろうな。村の人々が色々話しかけたりしても何の反応もしなかったって自分でもその時の記憶はないって言ってた。その後は上手く記憶を留めていられなくて最初に簡潔に言うと言ったがここは本当に空白の期間になったから知らない。アリアと始めてあった時には既に記憶力はいいはずだったんだが…とりあえず、ここは小説でいう「読者の判断に委ねる」を使おう。まぁ、あの後は時間が解決してくれたんだろう。村の人々の助けもあったんだろうな。それでも両親を亡くした事実は消えないみたいで、唯一の稼ぎ頭が無くなったこともあって日に日に村は貧しく、飢餓状態になる日が近いことに気付いてアリアが村から金になりそうな物を無断で持っていったりして金や物資を村に送った後、その罪に対して戻るのが怖かったみたいで、そのまま冒険者になった後は報酬を村に寄付していたらしい。その村は今も当時のままらしいぞ。そこに行ったことはないが……」
「つまり、ギルドマスターが行った場所っていうのは…」
「…今まで連絡を自ら断っていたが、忘れたことは一日もなかったんだろうな。むしろ十数年もよく我慢していた方だと思う。もし気になったんなら帰った後に…いや、仕事を片付けた後に労いの宴を開いて聞いてみろ、もっと詳しく話してくれるだろうよ」
「それは構いませんが…どうして夫である師匠にもそこまで詳しく言ってないんですか?」
「本人が話したがらないっていうのと当時の記憶がおぼろげだったっていうのがある。俺は無理矢理記憶を掘り起こして辛い日々を思い出させる趣味はないし、覚えてないことを思い出させる趣味もない。本当に思い出したくないのは無意識に蓋をしてしまうか、自身の記憶を歪める事で自分を欺く事で守るんだ」
「……師匠、もしかしてあなたは知って―」
「言ったはずだ俺は本当に知らないし、知ろうともしない。知りたいなら本人に聞くのが一番だ」
師匠はその後にジョッキを飲み干した後一度も振り返る事もなく片付けて二階へ上がっていく。表情は最後まで変わることはなかったが、その体からは威圧感を感じてそれ以上話すことは出来なかった。
次回6月中旬予定