第二十二部 肆章 取り出す遺物
「…………」
「…………」
坑道の中に静かな呼吸の音が空気に溶けている。しかし、ゲンブとアリアはその音にさえ反応する。その呼吸音に少しでも乱れがあれば即座に反応して武器を取り出して敵の存在を感知する。
「明らかに魔物の統率が取れるようになっている、間違いない」
ゲンブが刀を2つの分かれ道になっている中心に投げる、刀は坑道の壁に刺さらずに弾かれる。
「グブッ…」
弾かれた刀は死角に忍んでいたインキュバスの喉に突き刺さり、刺されたインキュバスは一瞬の出来事に苦悶の声を上げて倒れた。
「そろそろお目当ての区域に入るってことね」
魔人は魔族を束ねる事が出来る。それは魔物の本能的なものなのだろう弱者は自身と同じ弱者を引き入れ群れとなる。それに対して魔人は圧倒的な力を見せつけて弱者を服従させる。
弱者が生き残るためには束となって誤魔化すか、大木にしがみつき自身を大きく見せるかのどちらかだろう。今回は後者だ。
しかし、サキュバスとインキュバスの2体は淫魔と言われる存在で知性はほとんど存在しない。いわゆるバカというやつだ。
ただ人間を誘惑して体液を啜るしか能がない魔物だ。それがここまでの統率力があるとは思えない。奴らは牙や爪があるにも関わらずそれを武器として使わず人を傷つける行為は滅多にしない。
それが今まで襲ってきた連中は全くの逆、尻尾を鞭のように振り回して、鋭い爪を突き刺そうとして、槍のように尖った牙で肉を抉ろうとする。ただの淫魔にこのような知性ある行動は有り得ない。
そもそも、魔物に統率が取れること自体に違和感を感じることはあるが、これは全くの別物だ。普段なら魔人が従える魔物は言われたことを学習する事はない、ただ言われたことだけを遂行する。難しい指示を理解できないのだ。
例えば、犬に目の前にリンゴを置いて食べろと命令すればそれに従う。もちろん待ても聞くのが当たり前だ。しかし、リンゴを食べながら戻ってこいと言っても犬はどちらか1つの方法しか取らない。それは別々の指示だと捉えられないからだ。それほどの複雑な指示は程よい解釈をして行動するのが魔物、つまりこれらの魔物は知性があり、複雑な命令を理解しながら自身を使い命令を遂行する、極めて珍しい現象という事だ。
「まさか、魔物に知性を与える存在がいるというの?」
魔物が知性を得るのはそう多くいる者じゃない、たとえ眷属化を駆使したにしても知性が残るのは精々数日程度、すぐに魔物の本能が知性を蝕んでいき、言葉の意味さえ忘れてしまうだろう。
様々な仮説を頭の中でいくつも立てるが、それを確証に出来る証拠が見つからない。コードが天井に貼り付けられている土の臭いからキチンと整備されてタイル張りの休憩所が見えてきた。そこには多くの鶴嘴や鉱石が積まれているトロッコが倒れていたり、この辺りで働いていた鉱夫はとても重労働が重なっていたのだろうと思う。
ここから先は採掘場所以外はコンクリートブロックで補強されたりトロッコが脱線しないように整備が行き届いている所が増えてきた。
ピタリと2人は足を止めて互いを見つめ合う。ジッと何も言わずに目を見開いて顔を近づけている。
「……」
「……」
2人は何も言わなかったが、それは互いの安全確認、魔物の因子が知らずのうちに入り込んでいないか、それを確認したのだ。
異変があればその時に指摘するが、今回は互いに安全なようだ。予め坑道に入る時に自身の魔力で身体を膜で覆っていたのが良かったのか、まだ因子がある所までたどり着いていないのか、まだ身体に異常は無いようだ。
それでも、魔物は立て続けに襲ってくるが、今まで多くの旅をしてきた2人にとってはなんてことはない。どんなに速い個体だろうと小さくて攻撃が当たりにくい敵だろうと、即座に対処する。
最初は、焦りを隠していたアリアも今では別の感情が勝ったのかその表情は平常心が戻っていた。
いくつもの分かれ道は看板でどこに続いているのか分かった。しかし、どこに元凶がいるのかはまだ見つかっていない。
(あの被害者たちは全員が眷属化にかかっていた、つまりこの坑道で元凶の下に一直線に向かえたという事だ。どうやって?どうして元凶がどこにいるか分かった?そもそも、これだけの淫魔が残っているのもおかしい。あの人は腕に自信がある男もここに来たと言っていた。それなのにここに来るまでの間、淫魔の死体が一体も無かったのは異常だ。あの村人たちも坑道に潜んでいる奴もグル?いや、それにしては大掛かり過ぎる。わざわざ冒険者を集ったら自分達が被害者だとアピールした時点で疑われるし、脅されていたとしたら、更におかしい。それならあの場に配下の淫魔を送り込んでいるはず、それに……あの顔に騙そうなんていう気は一切感じられなかった。)
今はどこかにいる淫魔たちの親玉を探すことに集中しなければいけない。そうすれば疑問が全部理解できるかもしれない。
坑道の中を歩いてどれくらいたったのだろう。歩を速めたのはどこからか敵の数が増えたのはどのあたりか、明るさに余裕を持てて見晴らしが良くなったのはどの程度の道だったのか、閉鎖した空間の中で感覚が失われそうになった時、2人の嗅覚がある違和感を捉えて足を止めて再び顔を見合わせる。
「…瞳に蛇のような縦線がある」
「…耳たぶが短くなって尖り始めている」
この先にいる。今回の元凶が、既に準備は出来ている。このままこの場で立ち止まっているわけにはいかない。2人はその先に歩を進めた。
2人が歩を数歩歩んだその時、辺りの風景が変わった。石壁は目を埋め込まれたような玉虫色の壁になり、崩れた壁のカケラはぶくぶくと膨らんでは弾ける気味の悪い不可思議な謎の物体、そして、その中央に白いローブを纏った女性と神父が着る修道服を羽織った男性が立っていた。
「おや、また人間がこんなところへ来るなんて、怖いもの知らずですね」
「ええ、もしかして、また肝試しやら腕試しなんて馬鹿げた事をしようとしてるんでしょうね」
振り返った男女は表情を変えることなく穏やかな声をしている。まるで自然に囲まれながらそよ風に包まれる感覚だ。
「…気持ち悪い」
「ああ、全く同感だ」
自覚した。ああ!気持ち悪い、気持ち悪い!気持ち悪い!!何回も体験したいことでもないのに、それを何回も体験してしまう。
「我々はこの場所を中心に浄化を行っているのです」
「安心して任せてください、あなた方はいち早くここから立ち去りなさい」
彼らが話す一言一言が気持ち悪い、穏やかな口調が気持ち悪い、気にかけてくれる言葉が気持ち悪い。身体がジクジクと突き刺される刺激が口を震わせる。
「断る」
「出ていくかどうかを決めるのは私たちだ」
口から出てきたのは何の意味も持たない言葉だった。
「…そうかい」
神父の格好をした男性は一言そういうと、ボコりとその身体を膨らませて着ていた服を突き破り、翼を広げて巨大な瞳と引き裂けそうな口をガバリと開ける。
「それじゃあ人の世から出て行ってもらおうか!!!!」
その言葉と共に女性の方も身体から翼を生やして鋭い牙を生やして正体をあらわにする。彼らの姿は何人もの魔人を組み合わせた存在、吸血鬼の牙を淫魔の翼と尻尾を植人の触手を魚人のエラを様々な魔人の特徴を兼ね備えた魔人、その姿はおぞましく悪趣味な存在。この世に存在したこと自体が汚らわしい。
キメラ、その名が頭の中を巡った。人型でありながらその姿を一秒でも速く逸らしたい、しかし、その前に天井に潜んでいた多くの淫魔が2人に襲い掛かってきた。
しかし、その刹那、襲い掛かったはずの淫魔が消えて、一間置いて枯れ木のような乾燥した何かがザリザリと砂の音を立てて床に広がった。
「ふざけないでくれる?」
「こんな雑魚を倒すためにここに来たんじゃねぇんだよ」
「「冥府で芋虫みたいに這いつくばって永久に彷徨いまくってろ、このクソミミズが」」
ゲンブは果敢に斬りかかり剣をふるうが、キメラは避けようともせずに、防御の体制のつもりか、その剣の軌道に手をかざす、するとその剣の軌道は逸れてしまった。まるで剣の方から避けているような異様な光景だ。
しかし、その光景はゲンブには見覚えがあった。かつて目の前に現れた「剣聖」と呼ばれた男が使った銃弾の雨に両腕に握る刃を這わせ僅かに軌道を逸らせ一歩もその場を動かずに回避する神業。
(比べるまでもない、か)
そう、似てはいるが奴が使っているのは「剣聖」とは比べ物にならないくらい弱い、「剣聖」はただ剣を振るっていただけでは到達することの出来ない領域で修羅と戦い続ける事で得られる超人的な動体視力でその様な技を使えるのだ。
いつか、その様な人になりたいと憧れを抱いたと同時にあの事は幻覚ではないのかとも思ったがその光景は強く記憶に残った。それが、一番忌々しい存在が見様見真似で使ったことに、更に激怒した。
一方でアリアは女のキメラと対峙していた。キメラは向こうの方とは違い天井や壁を縦横無尽に飛び回り、自身の体から生やした触手を飛ばして攻撃してくる。
躱しても武器で受け止めてもその触手からギィギィと甲高い声を上げながら小さな異形の怪物が産まれる。強くはないが、それが数を増やすと厄介でそれを殺すと亡骸から因子が吹き出す。生かしても殺しても厄介極まりない。
この戦いが長引くと、2人とも因子が体中に浸食されて村の人と同じ目に遭うことは明白、どうにかして早々に決着をつけなくてはいけなかった。
(なるほど、奴らは戦う気なんてほとんどない、自身で戦うのではなく体力を消耗させるのが目的で、因子が回るのを待っているのか、村人たちもここまで来たはいいが、この空間の因子とこのチビが発する大量の因子が疲労の体にズブズブ入ったという事か)
魔力で身体を包んでいるとはいえ完全に因子を遮断できる訳ではない、空気に溶け込む因子は呼吸をするだけで体内に入ってしまう、それが因子100%の空気だと既に体に入った因子が結合して120%や150%と限界を越えたスピードで眷属化が成り立つ。
一瞬、ゲンブとアリアが目を合わせて力強く頷くと、お互いに亜空間に手を入れて「ある物」を取り出した。
それは、1つで大陸を動かせ2つで大地を割る災厄をもたらすと言われている魔王の地位を継ぐ秘宝
ロストレガリア
ゲンブが取り出したのは紋章が刻まれた水晶玉、それは薄く光を発しながら異様な雰囲気を漂わせている。
アリアが取り出したのは宝石が埋め込まれた拳銃、宝石の中には黒ずんだ淀みがあり、それが綺麗なはずの宝石にはとても目立つ。
それを取り出した後の勝負は一方的なものだった。ゲンブの剣はキメラの硬い肌をバターを切るように滑りながら切り刻み、アリアは跳弾で八方に弾を撃つと全弾1秒のズレもなくキメラの体に着弾した。
「この刀は虎號響輝と言う、かつて獣神と呼ばれた皇帝が致命傷を負った時、その命を虎に移し山々を越え、天空に響く声を上げると刀が天から降り虎はそれを命尽きるまで守り抜いたと言い伝えられていた。とても手に馴染む自慢の業物だ」
ゲンブが言い終わるとキメラの頭が真っ二つに割れて、上半身と下半身が別れた。キメラはその後ブスブスと煙のようなものを燻らせながら動かなくなった。
「私のこの子はスコルピオ、使用者の血液を弾丸として固めて出す面白い子だよ。火器に水はダメなのにね、でもその血の弾丸はサソリの2000匹分の毒が含まれているの。だから、着弾すると中の血液は液体に戻るから当然中の毒も噴き出す訳で…」
そこまでアリアが言うとキメラの身体がぶくぶくと膨れ上がり、肉が弾ける奇妙な音を上げながら倒れると最後にブチュンと泥を踏み潰した音と共に動かなくなった。
「ふぅ…ようやく耳障りな声を聞く事も無くなったな」
「んんっ……ふぅ、何も発する事なく死んでいく…うん、外道にふさわしい最期じゃない?」
2人はそういうが、死んだキメラの遺体から目を離さない。
「…キメラ、いや、サキュバスクイーンとインキュバスキングといったところか、ざっと6割ってところか」
「後は蟲とかの雑種ってところだねぇ、でも回収しなきゃいけないんだよね。これ、どんなロストレガリアになるのかな」
ゲンブとアリアはロストレガリアについては既にいくつかの知識は得ていた。ロストレガリアはそれ相応の力を持つか祝福や加護を受けた者の遺体から作れる贄の産物、もちろん、このキメラの2体も例外ではなくこれほどの力を持っていればロストレガリアの1つを作れる。
もし、このままここに放置していれば誰かが持ち出して自身の命と融合して生きた呪具として悪用する者もあらわれるかもしれない。そうなるよりかは自分達で厳重に保管した方がいいだろう。
アリアはバッグから瓢箪のようなものを取り出してキメラの遺体に口を向けると瓢箪はカタカタと震えるとキメラの遺体を吸い込む。
コンッと木を叩いた音がするとアリアはすぐに口に栓をして再び瓢箪をバッグにしまう。その場に残っているのは奇妙な空間と床に広がる血と毒のミックスが残ってその場にいる2体の半魔人だけだった。
「…随分、眷属化が進んでいるわね。元凶は無くなったけど、因子はまだあるから急いで出ないと私達も魔族になっちゃうわよ」
「それはいけないな、でもその前に…」
ゲンブは胸元から小さな水晶を落として、急いで坑道の道を引き返す。帰りは妨害などなく無事に外に出れた。坑道の入り口の方を振り返るが来た時と違い、何の嫌な雰囲気は感じられなかった。
村に戻るとチカさんが出迎えて村人たちが徐々にではあるが、人間の姿に戻りつつあるという事が分かった。自分たちも少し魔族の姿になっている事を謝罪されたが、それ以上にある事を告げた。
「今回はギリギリだった事もあるから、一応言っておく、既に一ヶ月経った今では遺伝子に魔族の細胞が定着している可能性がある。例えば老化が遅かったり人間にしては異常なほど魔力が高かったり、どの遺伝子が残るか分からないが、普通に生きていくには困らないだろう。これを伝えるかはお前たちに任せるがだからといって、見放したりはしないようにしろ。自分以外に一人も味方が居ない人間が起こすのは誰もが報われない事しか起こさないからな」
ただ、そう言って2人はその村を後にして旅を続けた。
~現在~
「懐かしいな、まだ俺たちの事を覚えていてくれたのか」
「そうね、でもあなたの予想通り、少し残っちゃったみたいね。杖もついてないじゃない」
「あのことを伝えたのか誤魔化したのかは分からないが…ふっ、なんだよ。いい笑顔じゃねぇか」
ゲンブは写真を見て微笑みその写真は家のアルバムに加えられる事になった。
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