第二十二部 参章 魔人の因子
ゲンブが座学を教えて次の仕事を探しにアリアの執務室に入ると、アリアは小さなハガキを持って呆れたような顔を浮かべている。
「よう、なんか仕事ないか?暇になっちまったんだけど」
「思いにふけっている人に対しての言葉だとは思えないね。仕事の合間にこんなのが届いていたら、それに目を通すのも悪くないとは思わない?」
そう言って飛ばされたハガキをキャッチして見るとそこには笑顔の男性老人と中年の夫婦、その息子だろうか十代後半の男が仲良さそうに写っている絵があった。それに写真もあって、それは絵を写したものだと分かる。そのどちらも笑顔を浮かべていて何とも微笑ましいものだった。しかし、それに2人は苦い顔をしてしまう。
「…変わらない、か」
「あれから数年…人間ならいつ死んでもおかしくないほどの年齢、それでもこんな笑顔を浮かべられる程生きている。それくらい後遺症が残っているという事、これはいいのか悪いのか。断言できないのは私たちが、まだその気持ちを理解するには若すぎるっていうのかしら」
その僅かに震える声を出したアリアの肩に手を当てて抱き寄せるように手を回す。
そう、あれは魔界の紫炎雲の事件から数か月後の出来事だった。ゲンブ達がシャリア王国を離れアリアが身ごもっていたのが発覚する直前だった頃。ロストレガリアの存在を知ってそれを集めている最中にギルド本部から緊急の依頼があった。それはある村で起きた異変の対処をするというものだった。
その時、運が良くその村の近くにいた冒険者がゲンブ達であったのもあり、移動に時間は長くかからなかった。しかし、依頼の中に対処の手段は任せるという文がわざわざ記載されていた。今までの依頼でも手段は任せるという記載は無かった。というのも依頼を出した時点で手段含めて引き受けた自分たちに一任されている。なのに何故その様な言葉を書いてあるのか、想像は出来るが確定ではない。ただ、稀なケースで悪い意味が込められている事が確かであるという事だった。
~約7年7か月前~
「この平原をもう少し歩くと大きな山脈が見えるから、その近くの村だね。えっと…うん、特によそ者を敵視する人はいないらしい」
「そうか、だが過度の期待もないだろう。村の人が全員歓迎するものじゃない。緊急の依頼が出たというだけで疑心暗鬼に陥った人もいる可能性がある。話しかけるのは最低限必要な人とだけだ。無理矢理引っ掴まえて情報を聞き出すのは帰って逆に印象が悪くなるだけだ」
「分かってるてば、何年一緒に旅してきたと思ってるのさ」
「数か月前まで猪突猛進で引っ掴めては用済みと判断して倒したり、絡まれて機嫌が少しでも曲がるとワンパンで壁まで吹っ飛ばしたりしてたお前にどんなイメージを持てと?」
「そ、それは昔の話しでしょ、それに今はそんなに乱暴にしないようにしているし、キチンと出さないようにしているから、ゲンブもそれは知ってるでしょ!」
そう話している時も周囲の安全確認は怠らずどこから魔物が襲い掛かってきてもいいようにすぐに武器を取り出せるように両手はフリーにしている。
そしてそれからしばらくして、目的の村に辿り着いた。そして2人の顔は真剣そのもの、それだけでなくまるでこれからとんでもない事が起こると思わせそうな顔だった。村の入り口にいる見張りの男もその表情に驚愕の顔を浮かべるが、冒険者のエンブレムを見ると警戒はしたまま村の中に通してくれた。
アリアは村の簡単な地図を見ながら、村長の家を捜す。村は大きくもないが小さくもない為、すぐに村長の家らしきものに気づいた。他の家よりはやや広いくらいの大きさで家というよりは集会所に近い外見をしている。もしかしたら、最初は集会所として利用していたものを居住所として簡単な改修工事をしたのかもしれない。
木造の扉を指の関節を使い鳴り響きやすく器用にノックをする。カンカンと金属を弾くような音が家の中に鳴り響く。すると中から若い女性が扉の隙間から顔を覗かせる。歳は今のアリアと同じか少し下の年齢だろうか、女性は2人の表情を見て見張りの男と同じ様に動揺するが、その前に2人は軽く自己紹介をする。
「今回の依頼をさせて頂く冒険者のゲンブというものだ。こちらはパートナーの……」
「アリアです。よろしくお願いしますね」
少し表情を和らげて話すと女性は少し取り乱して驚いたことを小さく「ごめんなさい」と謝罪するとそのまま2人を中に招く。そのまま中央の部屋に通す。その部屋は大きな机を挟んで四方の対面式になっていることから外見通りの集会所の雰囲気を更に高める。
「先ほどは失礼いたしました。私はこの村の村長の娘であり、責任者の代理と補佐を兼任しております。チカという者です。このたびはお忙しい中お越しいただきありがとうございます」
チカと名乗った女性は深々とお辞儀をするが、その顔色は優れてなく焦りが見て取れる。何かを言いたくてすぐにでもこの事態を解決して欲しいと思っているのを2人は察した。
「ご挨拶はこれくらいにして、早速ではありますが今回の事態について少々ご説明させてもらってもよろしいでしょうか。それについてのご質問があったら、それにお答えさせて貰ってもよろしいでしょうか」
少し、言葉を早口にして問い掛ける。それは聞き取れない程の早口ではなかった為、チカはそれに承諾して話し始める。
「あれは今から丁度一ヶ月前でした。この村の近くの山、あそこには様々な鉱物が取れる鉱山でした。しかし、ある日その洞窟から悪魔が出てきたのです。最初こそ驚いたのですが、その悪魔と共に鉱夫が行動を共にしていたのです。話を聞いてみるとその悪魔は鉱夫だったと言ったんです。信じられないと何人か言ってその悪魔を縛りあげたんです。悪魔は抵抗するわけでもなく、ただ疼く身体を…その…鎮めるようにしながら、縛りあげられました。しかし、今まで悪魔など見たことがない私たちはこの部屋で話し合いました。中でもあの悪魔はすぐに殺すべきだなどという声もあり、それならば鉱夫の証言が本当なのか、と腕に自信がある若者や、行方不明と扱っている鉱夫の仲間が鶴嘴やスコップを持って鉱山に向かったんです。そしたら……向かった全員が悪魔の姿でこの村に、帰って来たんです。そして、その中にはこの村の村長の私の父までも…悪魔の姿に…これ以上は内々で解決できるものではないと判断して緊急の依頼として冒険者ギルドに依頼しました。…再び謝罪させて頂きます。村外の人々に頼むのは本当に信頼できるのか半信半疑で、後回しにされると思ってこんなにはやく動いて頂けるなんて思っていなかったんです」
「いいんですよ。冒険者は行動制限なんてなくって、フットワークの軽さが売りでして…そして、質問何ですが、先ほどから感じていた怪しい気配はその悪魔にされた方達のものですか?」
そう言われたチカは怯えたような顔をして同時に当時の事を思い出したのか目からポロポロと涙を流すが、それでも嗚咽を押し殺して小さく「はい」と言いながらこくこくと頷く。
「被害者達の様子を見ながら、質問に答えてもらいましょうか、その方が時短にもなるでしょう」
アリアは立ち上がって玄関の方へ向かう。玄関から見て右側の廊下を歩き、襖の部屋の前で「ここか」と小さく言って開けるとそこには多くの人影が映りこんだ。
それらの人影は全員が、倒れこんで時折、呻き声をあげたり、爪を床に立ててガリガリと音を立てている。部屋の近くの壁にある電気をつけるとその人影の姿がハッキリと分かる。
人にはない角や翼に特徴的な翼、そしておよそ人の肌とは呼べない色、水色の肌もあればピンク、緑、黒と異質な肌の色が目立つ、その色に目が行くがそれらを見せつけるような姿をしている。つまりほとんど衣服を纏っていないのだ。近くには男性物のコートや作業着が破けたような布があればズタズタに引き裂かれて着ることもままならない服が散乱している。
「へぇ…これは珍しい。淫魔…サキュバスね、下級だから強くはないけれど…一ヶ月も経っている」
アリアは倒れているサキュバスの角や尻尾を手に取ってブツブツと独り言を呟いている。その触った感触や触られている感触の反応を見て、顎に手を当てる。
「彼女ら…いや、彼らと言うべきですかな、一番最初の犠牲者は誰ですか」
アリアがサキュバスを観察している傍ら、ゲンブは質問を続けている。
「あれです。父の…中央の青色の肌の隣の人が最初の被害者です」
チカが指差したサキュバスはぐったりとしてまるで、悪夢を見ているように苦しそうな表情で額には汗をかいている。一通りのサキュバスを見た後、アリアはチカに近づき、険しい顔をする。
「なんで、あんなになるまでにしておいた…っ!」
その顔は怒りが混じっていたが、それと同時に悔しそうな顔をしていた。
「その様子…眷属化の中でもたちが悪いやつか、よりにもよって最悪なパターンかよ…めんどくせぇな…」
アリアはチカの胸元を掴むがすぐに話して、先ほどの部屋に戻る。
「すいません。急にあんなことをされて、驚いたでしょう。でもあなたも事情を知っていれば同じ事をしていたでしょう。説明したいのは山々何ですが、時間がありません。先程のあなたの話しから大体事態の把握はしました。とりあえず、ここは任せてください」
戻ってきたアリアは持って来たマジックバックの一つをゲンブに投げ渡して、何も言わずに速足で玄関をでる。ゲンブはチカに小さく頭を下げて後を追う。
その後は2人とも全速で走り、坑道の前で止まり、バックの中からランタンを取り出して、灯す。
「この坑道、割と整備されているな…等間隔で灯がともされている…ランタンはなくてもよかったかもな」
「それでも、どこで弱弱しい光が消えるか分からないから、私はつけておくわよ。ゲンブ、あまり離れないでね」
「りょーかいっとおっ!」
ゲンブが返事と共に素早く刀を取り出して、数メートル先の暗闇に対して一閃、するとぼとぼとと音を立てて何かが落ちる音がした。アリアがすぐに追いつき、地面を照らすとそこにいたのは大きな蝙蝠。
「ジャイアントバッド…ケイブバッドじゃなかったか、少しそうじゃないかと思ったけど」
「気を付けろ、純潔のサキュバスやインキュバスがいる。被害者は村の中のやつらで全員だろう」
「そうね、行きましょう」
行動の中を慎重に歩きながら、周りを警戒する。しかし、アリアはどこか上の空で襲い掛かる魔物はゲンブがほとんど切り捨てる。普段なら互いに地面を蹴り魔物たちを倒すが、アリアは一瞬反応が遅れたり、急所を外したりする。
アリアが感じているのは、サキュバスに変えられた村人達の事で思うところがあったからだ。
人間を魔族に変えられる方法はただ一つ、眷属化だ。魔族は本能で動くものがいるが、中には魔人と言う理性や知能を持ったものがいる。それらも眷属化を誰もが使えるわけでもないが、使える奴は魔人の中でも一際強い力を持つ。
眷属化のやり方は大きく分けて2つ、そのうちの1つは精神や肉体の弱い人間に自らの因子を植え込み、徐々に馴らして今度は因子を徐々に多くしていき、眷属にするという方法だ。これは人間側が自分の体や精神に強いコンプレックスを抱いており、そこに魔人が付け入りそそのかして自らの意思で眷属になった。という者が多い。
しかし、今回のケースはもう1つの方法、それは半強制的な強引な方法だ。まず、自らのテリトリーにおびき寄せる。そのテリトリーに自らの因子が含まれた空気で充満させていく。知らず知らずのうちに因子は人体の全身に回り、人間の因子と魔人の因子が互いに拒否反応を起こして体に影響を及ぼす、そうすることで人体に変化が起こる。村の人々の男性がなぜ男性型のインキュバスではなく女性型のサキュバスになったのかはこの拒否反応で引き起こされた変化の影響だろう。使用者の眷属化によって起こる変化のケースは様々、今回はそれが性転換だったというわけだ。女が男に変わるかは知らないが、その可能性もある。
そして、このたちが悪いところは魔族に変わる段階では自覚症状が欠落してしまうという点だ。これの自覚する方法はシンプル、指摘される。ただそれだけだ。自分で自分を確認するには鏡を見たり自身の身体を見れば済む話だが、拒否反応で脳の回転が鈍く自身の体の変化に気付けない。
それだけではなく、指摘されるということはその時には体が眷属化されているという事だ。指摘されて自身の変化に気付いたとしても体の変化に精神がついていけずにその場で気絶したり、発狂してパニック状態になってしまうことが多い。
その状態は眷属化にするには絶好の状態だ。人間の精神に魔族の体、アンバランスな状態ではあるが精神が弱くなっている状態では徐々に肉体が精神を取り込んでしまう。睡眠や気絶しているとなれば更に眷属化の進みは早くなる。
眷属化は使用者が限られている以上、その実験が認められず、実際に被害にあった人間をサンプルとしている。
そう、あの依頼にあった一文の意味を理解してしまったのだ。もし、眷属化が止められない個体がいたらその場で始末するか、研究所に引き渡したりしろ。という事だ。
完全に肉体が精神に吞まれる前に使用者を殺害すれば、時間はかかるが人間に戻れる。後、肉体が精神を呑まれにくくするために身体を冷やしたり、血流を身体に行き渡りにくくするために身体を圧迫するという方法があるが、その措置を一切行われていなかったあの村人たちの症状を考えると次に目を覚ました時には完全に淫魔としての本能が暴走して村人に危害を加えてしまう。
アリアはその被害にあった村を目にしたことがある。ゲンブもその惨状を目にした。当時の光景を見て衝撃を強く受けたのがアリアだった。
ゲンブもそれを理解して、精神を少し削られているアリアを気遣い、神経をとがらせている。
因子を含んだ空気は、視覚では確認できない。嗅覚や微かに肌に触れる空気の僅かな流れを逃さずに経験というものだけを頼りに進んでいく
次回7月中旬予定