4話 マザー(前半)
一方蓮が壁を越えていた頃、塔の車の後ろに乗り込み壁に向けて街を走る山那と写日は物虚げに流れる街並みを眺めながら話す。
「あいつ…目的は何なんだ?」
「近衛くんのこと?」
そうだ。と写日は答え、山那は少し考える。
「目的…AIを止めることって言ってなかった?」
「それは自分の意思じゃないだろ。それだけじゃ意思が弱すぎる。お前と戦ってた時…あの戦い方はそんな意思の弱い奴の戦い方じゃない。」
蓮の言葉を思い出した山那はそう答えたが、写日は言葉ではない部分を読み解いていた。
写日は山那との戦いを見て戦い慣れている、そう感じたのだ。
暫く手を顎に当てて考えていた山那はバベルでの戦いを思い出す。
「確かに…そうかもしれないね。でも…違和感を感じた。戦い方はしっかりと芯が通ってるのに慣れていない…とでも言うのかな…。」
しっかりと背後を取る事や身のかわし方、攻撃の正確性、相手の動きを読むこと、そういった部分では蓮は完璧だった。
しかし蓮は一つ一つの攻撃を読んで躱すことは出来ても、次に相手が何を繋げてくるかは直前までわからない。
山那の違和感はあれ程の力を持つ者は相手の次の動きはある程度予測して対策を打つはずだ、という事だった。
「慣れていない?あいつはずっと戦って来た奴の動きだろ?」
遠くから眺めていた写日にとって蓮が戦いに慣れていないということはありえない、そう感じた。
街並みを眺めていた山那は突然写日の瞳を見て真剣な顔になる。
「調べてみたんだ。私達のアリアドネの義肢の名前の事。」
数日前、彼は塔の中の図書館にいた。趣味が読書である彼はしょっちゅう図書館に籠っていた。
「ああ、いたいた白くん。詳しくはまだ話せないけどね、新しくバベルに入ってくるかもしれない子がいるんだ。」
窓辺で陽に当たりながら本を読んでいた山那にハフリングは窓際に腰掛けてそう告げた。
バベルに入ってくるなんて人はまずそう居ない。以外な言葉を聞き、視線を本からハフリングに移す。
「君と、君たちと同じアリアドネの義肢の持ち主だ。まだ確定はしていないんだけどね。」
そうですか、と少しうれしそうに微笑んだ。窓の外を見て、一体どんな人が来るのかと思案する。
今日はそれだけ、と告げて図書館を後にするハフリングを見送り、もう一度書架へ向かう。
(そうだ。いい機会だからアリアドネの義肢について調べておこうかな。)
そう呟いてまずは神話についての本がある棚へ向かい、色々と手に取ってみる。
自分達のアリアドネの義肢の名前の由来は遠い国の神話や教えに出てくるものだと聞かされていた。
どんな神話や教えかは聞いていないので手当たり次第に読んでいく。
その中にニルバーナについて書かれたものもあった。ニルバーナ、この国の古い言葉では解脱、と言うらしい。
そこはどんな場所か、どうすれば到達できるのか等、事細かに書いてあった。
他は詳しくは覚えていないが一つの記述を思い出し、違和感の正体を説明する。
「伝承によると彼は無限の知能を持っているはずだ。」
アリアドネの義肢にはそれぞれ名前がついている。しかしそれは名前に合った能力や性質を持って造られるのではなく、出来上がったアリアドネの義肢の性質や能力に合った、もしくはそれに近い名前をつけられる。
蓮のニルバーナも例外ではない。
「無限の知能があるから戦った事がなくても戦える、って訳か。なるほどな。」
山那の説明を聞き、写日は腕を組みながら頷く。
「もちろん私達も彼のように能力がある訳だけど。」
付け加えるように写日に右手をひらひらと見せながら悪戯っぽく笑う。
写日はフッと微笑みながらチラリと視線だけ山那にやる。
「お前、手抜きしてただろ。」
突然の発言に山那は少し驚いた様な表情で写日を見たが、ため息を一つついて寂れ始めた街並みに視線を戻す。
「手なんて抜いてないよ。ただ《英傑投影》を少し弱めて使わざるを得なかっただけだ。物を壊すなって言われたしね。」
「どうだかな。」
山那の言い分を鼻で笑い飛ばし写日も寂れた街並みを眺める。
「それに、本来の力を使わなかったのは彼も同じだ。わざわざAIが盗むほどの代物だろう?ニルバーナは。まだまだ何かあるはずさ。」
補足するように山那は少しトーンを弱めて呟いた。
壁が目前まで迫って来たその瞬間、耳に付けていた2人の通信機からノイズが入り、ハフリングの声が聞こえた。
『蓮くんの動きが止まった。交戦前みたいだね。座標を送るからそちらに向かってくれ。一際反応が大きいのもまだ離れているけど近づいてる。恐らく…彼だろう。』
その声は切羽詰まった声だった。少し早口で、一気に話したが彼、とそういった時だけ言葉を詰まらせてゆっくりと、低いトーンでそう伝えた。
「ーッ!!!」
2人はそれを聞いて互いに目を合わせ緊迫した顔になった。
写日は目を見開いて拳を握りしめて下唇を噛む。その様子は誰が見ても悔しそうな表情で、壁の向こうを見るように送られてきた座標の方角を見る。
山那は目をつむって息を吐き出してから自分たちの場所と送られてきた座標から判断したことを伝える。
「こちらももうすぐ壁を越えます。数分で着くかと。」
『了解。無理はしないでね。』
ハフリングは心配するように声をかけるが、通信を切った写日はもう一度壁を見つめ、ため息をつく。
「無理しないでね、か。無理な話だ。」
普段から冷静な山那はその時も落ち着いていた。否、冷静なように見えた。しかしその心の中には闘志や怒り、その他冷静とはとても言い難い感情が渦巻いていた。
あくまで表情はあまり変わらないが、その声は震えていた。
(彼、か。2ヶ月ぶりくらいにやっと会えるよ。)
沢山の感情を込めてその名前を口にする。
「ザドキエル。」