ダンススタジオへようこそ(2)
突然、無遠慮に手を叩きながら、スタジオに一人の男が入ってきた。
恰幅がよく、その堂々とした歩き方には自信がみなぎっている。いかにも芸能界に君臨する大物と見受けられた。
「プロデューサーの外山荘二朗です。よろしく」
大声で名乗った。
杏奈は息も絶え絶えに頭を下げた。
「あれ? デビューするのはどっち?」
外山は杏奈と明日香を見比べて、当惑した表情を浮かべた。
「私です」
「そうだよね。当然アラセブのウェアを着ている方だよね」
その無礼な物言いには少々腹が立ったが、今の杏奈には反論できる筈もない。
続いて、菅原刑事が入ってきた。どうやら一仕事終えたらしい。
外山を見つけると挨拶をして、練習の邪魔にならないよう、スタジオの隅に引っ張っていった。
その間にもダンスのレッスンは続けられた。中西が手拍子を打って、それに合わせて延々と踊る。
菅原と外山の会話は回線を通して聞こえていたが、身体を動かすことに精一杯で、その内容までは頭に入ってこなかった。今は他事を気にしている余裕などない。
「相手にちょっと心理的な圧力を掛けてみなさい」
フィオナが菅原刑事に指示を出した。
「プロデューサーとして、もう少し早く警察に連絡して頂きたかったですね」
「いや、私も忙しい身でね」
外山に、悪びれる様子は微塵もない。
「しかしひと月も前に脅迫状を受け取っていたのですから、麻村真理恵さんの交通事故が発生した段階で、すみやかに連絡すべきでしょう」
菅原はやや強い調子で迫った。
「もうひと言、二言、厳しく言って揺さぶりなさい」
フィオナからの指示。
「アラセブは未成年のグループですよ。もしこれが殺人事件にでも発展したら、大変な社会問題になることでしょう。あなただって、プロデューサーとして大いに責任が問われる案件です」
「だから、刑事さん。私は事の重大さに気づいてすぐに連絡をしたんだよ。これ以上犠牲者が出ないようにね」
大柄な男は次第に苛立ちを見せ始めた。
「今後は警察に包み隠さず、最大限のご協力を願いたいものですね」
「そんなことは分かっている」
「それで、犯人からの脅迫状はどうされたんですか?」
「前にも話した通り、処分してしまったんだ。受け取った時は、ただのイタズラと考えていたからね」
「では、犯人の手掛かりになるものは、何も残ってないということですか?」
菅原が嫌味を込めて言うと、
「ああ、そうだ」
と面倒臭い調子で返した。
「脅迫状の内容を正確に言わせなさい」
「そこには何と書いてありましたか? できるだけ正確に教えてください」
「前に言った通りだ。マイティー・ファイターシリーズを初代の第一話から放送しろ。それを無視すれば、アラセブのメンバーを五十音順に襲うから、そのつもりでいろ」
「他には?」
「何もない。それだけだ」
「では、マイティー・ファイターについてですが、それはアラセブと何か関係のある番組なのですか?」
「いや、現在も新シリーズが放映中だが、彼女たちが出演したということはない」
「初代マイティー・ファイターに絞って訊きなさい」
とフィオナ。
「今から30年前に放送が開始された初代についてですが、メンバーたちの関係者、たとえば祖父母や両親などといったご家族が関わっていた事実はありませんか?」
「いや、アラセブは全国のオーディションを勝ち抜いた子たちで構成されているからね。いわゆる世襲制ではないのだ。すなわち芸能人の娘や孫という子は、私の知る限り一人もいない」
「では、外山さん、あなたはどうなんですか?」
「私?」
「ええ、マイティー・ファイターの制作に関わったことはありませんか?」
「いや、まったくないね」
外山はきっぱりと否定した。
「分かりました。では、何か思い出したら、すぐに警察にお知らせください」
「ああ、了解した」
小太りの男は憮然と言った。
「それからもう一つ、こちらからお願いがあります」
菅原は相手の顔を真正面から見つめた。
「今回、警視庁の刑事部から派遣されて、アラセブのメンバーとして警護に当たるのは、黒沢杏奈です」
「ああ、そう」
外山は遠くで踊っている杏奈の背中に目を遣って、
「あの不器用そうな子が、本当にアラセブを守れるのかい?」
「それはご安心ください。おとり捜査に関しては、経験豊富で実績もあります。暴漢3人までなら、十分一人で戦えます」
菅原は自信を持って答えた。
「へえ、そんな風にはちっとも見えないんだが」
外山は信じられないという顔をした。
「そこでお願いというのは、警護に関しては申し分ない彼女も、ご覧の通り、ダンスに関しては専門外です。よって仕事に集中できるよう、環境に配慮してもらいたいのです」
「と、言うと?」
「テレビ出演の際は、最後列に配置して、踊っているシーンはなるべく写さないようにして頂きたい。それとメディアの個人的な取材やインタビューなどは最小限にして頂きます」
「分かった。しかし彼女をエサとして、犯人に食いつかせるんだろう? それにはある程度メディアに露出させる必要があるんじゃないかね?」
「はい。次に狙われるかもしれない、児島華琳さんから狙いを逸らすため、メンバーに新規加入したことは大々的に宣伝してもらって結構です」
「メンバーにはどこまで公表するかね?」
「まだ彼女たちには脅迫状のことも、名前順に狙われていることも知らせてないのでしたね?」
「ああ、私としては余計な心配をさせて芸能活動が萎縮してもらっては困るからね。何も伝えていない」
「では、警察が介入したことも伏せておきましょう。脅迫犯がどこに潜んでいるか分からない以上、その方が無難です」
「刑事さんは、身内に犯人がいると?」
「その可能性はあるということです。実際、猪野島朱音さんはテレビ局内で襲われていますからね。内部の人間にも気をつけておく必要があります」
「承知した」
それから突然思い出したように、
「彼女のレッスンが終わったら、早速ホームページに載せる写真を撮らないとな」
外山は携帯電話を片手に指示を出しながら、慌ただしくスタジオを出て行った。
踊りのレッスンは、ほとんど休憩もなく夜の8時まで続けられた。チャールズ中西は、他のアイドルの指導があるからと、スタジオを後にした。
杏奈は、時間いっぱいまで辛抱強く練習に付き合ってくれたプロの振付師に深々と頭を下げた。
菅原刑事も、被害に遭った3人の関係者から事情を聞くため出掛けていった。レッスンが終わったら、学生たちを自宅まで送っていくことを約束してくれた。
中西によると、スタジオは貸し切ってあるので、そのまま練習を続けることができる。
大人がいなくなった今、スタジオに残されたのは黒沢杏奈とマネージャー、そして瀬知明日香の3人だけになった。
杏奈は誰の目を気にすることなく、スタジオの真ん中で大の字になって寝転んだ。
3時間もずっと身体を動かしていたせいで、腕や足がちぎれそうに思えた。人生の中で、これほど長時間身体を動かし続けたことはなかった。
耳にはアラセブの新曲がこびりついている。PVを止めて、スタジオ内は静まり返っているはずだが、それでも音楽が頭の中で延々とループしているのだ。
マネージャーが近所のコンビニで弁当を買ってきてくれた。四方を鏡で囲まれた不思議な空間でそれを食べることになった。
「アイドルって、みんなが知らない所で、こんなに苦労してるのね」
「確かに苦労はあるだろうが、芸能人はお前のように素質ゼロからスタートする訳じゃないからな。ここまではきつくないだろう」
「何よ、私だって一生懸命やっているのよ。そんな言い方はないでしょ」
兄妹喧嘩が始まった。
明日香は少し離れた所から、黙って二人のやり取りを見ている。
杏奈はお構いなしに、
「大体、あなたもマネージャーなんだから、私の肩を叩くとか、足を揉みほぐすとか、何か気配りしてくれてもいいじゃない?」
「そう考えない訳でもないんだが、俺に身体を触られたら、お前もいい気分はしないんじゃないかと思ってな」
龍哉の歯切れは悪かった。
杏奈はちょっと間を置いてから、
「変な遠慮しなくていいのよ。兄妹なんだから」
と言ってはみたものの、全身が汗でびっしょり濡れている状態で、異性にあまり傍に寄られては困る気がした。
それで慌てて明日香の方を向いて、
「せっちんの指導のおかげで、少しは踊れるようになった気がするわ。こんな夜遅くまで私に付き合ってくれて、本当にありがとう」
昔の友人はそれには応えず、ただ目を逸らすだけだった。