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別荘3階、頂上決戦(2)

 廊下に出ると、天井の照明がついていた。何だか不思議な感覚である。別荘内を手探りでここまで上がってきたことが嘘のようだった。

 杏奈は反対側の部屋の扉を開いた。

「せっちん!」

 部屋の中央に二人の人物が背中合わせで腰掛けていた。顔をこちらに向けて座っているのが瀬知明日香だった。痩せ細った身体に必要以上のロープが食い込んでいた。

 そして反対側にいるのは、外山荘二朗だった。彼の巨体も同じように固定されている。芸能界を仕切る重鎮の哀れな姿がそこにあった。

「やっと来たわね。待っていたのよ」

 声の方を向くと、そこには楠木かえでが立っていた。老いているとはいえ、さすがは往年の大女優である。背筋をぴんと張り、何事にも動じないといった堂々たる雰囲気だった。

「せっちん、大丈夫?」

 駆け寄って声を掛けたが返事がない。目はつぶったままである。

「この子に何をしたの?」

「何もしていないわ。数日間その格好でいてもらっただけよ」

「まさか」

「そう、水や食事は与えてない」

「どうしてそんな酷いことを?」

「人は飲まず食わずでいると、いつしか野生に返って凶暴化する。アラセブのメンバーと戦うためにはそれが必要だったの」

 手足はぐったりとして、顔から血の気が引いていた。一刻も早く病院に収容しなければならない。

「先程廊下に逃れた斉藤琉児に注意。背後に気をつけなさい」

 フィオナからの指示。

「とにかくこの子は返してもらうわ。これ以上あなたの好きにはさせない」

「ダメよ。そんなの台本にないもの」

 かえでは、手を振る演技をした。

「どうしてこんな酷いことを。あなたのことは好きだったのに」

 それは杏奈の本音だった。名もなきスタッフに感謝を忘れず、実際に矢口邦明を事故から救った。そんな心優しき女優と何故ここで対峙しているのか、未だに信じられないのだ。

「実は私もあなたのことを気に入っていた。芸能界に居ながら、周りに迎合せず、正しいと思ったことをやり通す。何だかそれは昔の私を見ているようだった。でも私には決められた仕事があるの。これを止める訳にはいかない」

「杏奈、今2階の灯油缶に取り付けられた発火装置を解体中です。もう少し時間を稼ぎなさい」

 フィオナの声が耳に届いた。

「さっきの推理は本当に正しいの? 私にはどうしても信じられない」

「私の復讐劇を全て見破るなんて、どうやら警察にも優秀な人材がいるってことね。訂正があるとすれば、齋木道春を死に至らしめたのは外山荘二朗であることは、芸能界に入る前から知っていたということ。亡くなった恋人から撮影のことは散々聞かされていたから。

 彼は本当にマイティー・ファイターに情熱を注いでいた。駆け出しのスタントマンだったけれど、誇りをもって撮影に臨んでいた。それをこの男は利用するだけ利用して、いとも簡単に捨てたのよ。

 私は外山に匿名の台本を送りつけ、彼に代わってアラセブをプロデュースした。彼女たちがこれほど人気者になったのは、福原渚の書いた台本のおかげ。決して外山の手腕ではない。能力以上の結果が出たことに、彼は疑うどころか自分の手柄と決めつけた。どこまでも脳天気な奴よね」

「この脅迫事件そのものも台本通りって言うの?」

「もちろん。麻村真理恵や猪野島いのしま朱音が襲われたのもシナリオ通り。あれは外山承知の上で行われたのよ」

 杏奈に言葉はなかった。

「台本ではメンバーが襲われることで世間の同情を集める演出だった。しかし外山は脅迫状のマイティー・ファイターの再放送については理解できなかった。てっきり私は若きスタントマンの死を思い出し、これまでの台本の真意に気づくのではないかと期待していた。しかしそれは私の独り相撲だった。この男は裏方が一人亡くなったところで、何の痛みも感じない人間ということがよく分かったわ。

 外山はついに警察に助けを求めた。実はそれも台本に書かれた通りだった。しかしこれまでの経緯について、彼はひた隠しにすることは先刻承知していた。何故ならそれは自分の力ではなく他人の力で今の地位を勝ち得たと認めることになるのだから。

 あろうことか、その脅迫状について外山は私に相談を持ち掛けてきた。何も知らずに私を頼る姿は滑稽だった。そんなことお構いなしにこちらはメンバーを襲い続けた。私の意図に気づかせるため、そして齋木道春の死を思い出させるためにね」

「それでは、3人目の笠郷かさごうローザに薬品を注射したのは?」

「俺だよ」

 背後から声がした。振り返ると、斉藤琉児だった。

「中佐古と共謀して襲ったんだ」

「どうしてあなたが?」

「まだ分からないのか? 俺は福原渚の息子、つまりスタントマン齋木道春の孫なんだよ」

 なるほど、この事件は親子3代に渡る復讐劇だったのか。杏奈はようやく全てを理解した。

「でも中佐古は赤の他人でしょう。復讐には関係ない筈よ。どうしてあなたたちに手を貸したの?」

「あいつも芸能界に恨みがあるからさ。前科持ちで芸能人やスタッフから疎まれる存在だった。そこで俺の境遇を話したら、芸能界への復讐に賛同してくれた」

「私のマンションに放火したのも、あなたたちなの?」

「そうさ。しかしその時、瀬知明日香に顔を見られてしまった。しかしそれ以前に外山が彼女を芸能界デビューさせるように声を掛けておいたのが幸いした。仕事の話で彼女を誘い出し、そのまま監禁したという訳さ」

 楠木かえでは言葉を継いで、

「警察が介入するのは予定通りだったけど、まさかメンバーの中にあなたみたいな子を投入してくるとは予想外だったわ。おかげで台本が狂い始めた」

 かえではため息をついて、

「でも私にとっては、外山荘二朗が死ねばそれでよかった。最早彼は昔のことなど忘れて、懺悔の言葉もない。そこで瀬知明日香にこの男を殺すように命じた。助けてほしければ、こいつを殺せってね。しかしこの子も意気地なしで何もできなかった」

「そんなの当たり前じゃない。せっちんは警察官の娘よ。そんな正義に反することをする筈がないわ」

「それじゃあ、あなたが殺してくれる? この子の命と引き換えに」

「自分でやったらどうなの? それぐらいこの男が憎いのでしょ?」

「そりゃダメよ。そんなの台本にないもの。あくまでプロデューサーは新人アイドルに殺されなければならない」

 斉藤琉児がナイフの刃先を光らせた。先程ゴルフクラブで殴打されて、額からは血が滲んでいる。憎しみに満ちた目が杏奈を捉えていた。

「おい、止めてくれよ。まさか本気じゃないだろうな」

 外山が遠くで情けない声を出した。

「私もこの子と同じ警察官の娘なの。犯罪に加担すると思う?」

「では仕方ないわね」

 かえでは目で合図をすると、斉藤はナイフの刃先を明日香の頬に当てた。

「ちょっと待ちなさいよ」

 杏奈はすぐさま斉藤に歩み寄った。

「俺に近寄るんじゃない!」

 突然、無防備な杏奈の顔を殴りつけた。

「さっきのお返しだ」

 両足で踏ん張ったものの、身体が吹き飛んだ。それからわざと明日香の足下に転がった。

「せっちん、よく頑張ったね。もう少しの辛抱よ」

 杏奈は明日香を優しく抱いた。

「手錠の鍵です」

 彼女はつぶやくように言って、握りしめていた拳を開いて鍵を落とした。

 斉藤に背を向けて、密かに拾い上げてから立ち上がった。

「外山がしたことは到底許されることではないわ。しかしアラセブのメンバーには何も関係ないでしょう」

 杏奈は振り返って言った。

「芸能界に身を置いている点では一緒よ。この世界では誰もが同じなの」

「では、あなただって同じじゃない?」

「何を言ってるの。私は違うわ。これまで外山に復讐しようとずっとこの機会を窺っていたのだから」

「いや、あなたも人気女優になって一時は芸能界に飲み込まれていた。しかし歳を取ってちやほやされなくなった今、昔の彼のことを持ち出して自分の恨みを晴らそうとしているだけよ」

「うるさい。あんたに何が分かるっていうの」

「ええ、私にはまったく分からないわ。まだ芸能界とやらには染まってないからね。でもそのおかげで、私は自分のしたいことを心置きなく精一杯しているの。あなたのように周りの評価や人気ばかりを気にして、自分に自信が持てない人間にはなりたくはない」

「黙れ!」

 かえでではなく、斉藤が叫んだ。

「おまえに何が分かる? お前に俺たちが味わった苦しみが理解できる筈がない」

 この男は自暴自棄になっている。このままでは明日香が危ない。

 密かに手錠の鍵を外した。両手が自由になった。

「分かったわよ。そこまで言うのなら、私の手で外山を殺してあげる。その代わり、瀬知さんは自由にすると約束して」

 杏奈は床に落ちていたナイフを拾い上げた。

 相変わらず、斉藤は明日香にナイフを向けている。隙はない。

 杏奈は外山の真正面に立った。手に握ったナイフが光を放った。

「おい、まさか本気じゃないだろうな」

 外山が情けない声を上げた。これまで見せてきた威厳はどこにもない。

「地獄で反省なさい!」

 杏奈はナイフを持ったまま外山に覆い被さった。

 男の悲鳴が室内に響いた。

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