テレビ公開処刑(5)
「楠木かえでは、この時絶望の淵に立たされたことは想像に難くないでしょう。彼女はテレビの番組制作者たちに最愛の彼氏を殺された訳です。おそらく彼女は、恋人が死に至った経緯を知りたいと考えた筈です。しかし一般人には番組制作の内情など調べようがありません。齋木道春は一体誰の手によって殺されたのか、それを知りたくてたまらなかったに違いありません。
そこで彼女は、自らが憎き芸能界に飛び込んで、犯人を暴き出し、番組制作者たちに復讐することを思いついたのです。そしてその復讐は、最も効果的なやり方で行うことを亡き恋人に誓ったのです」
ドアを開けた先はどうやら遊戯室らしかった。広い部屋の中央には、ビリヤード台らしき物がうっすらと見える。その下にはぽっかりとした空間があるだけで、誰かが息を潜めている様子はなかった。
一歩、二歩と進んだところで、突然足元に違和感を覚えた。これは罠だと思った瞬間に、足の自由が奪われて床に転がされた。
迂闊だった。足にピアノ線のようなものが絡みついていた。
激しく音を立てて床に投げ出された瞬間、数人に取り囲まれた。
「黒アン、これ以上あなたの好きにさせないわ!」
一人が叫ぶ。
「アラセブから消えて頂戴」
また一人が叫んだ。
身の危険を感じてすかさずその場を離れた。手錠でまとめられた肘を軸に、コンパスの要領で声のした方へ脚を突き出した。相手の足を絡め取って、両足で挟むと一気に倒すことに成功した。
悲鳴とともに、ナイフが床を跳ねる音を確認。
すかさず体勢を変えて、もう一人の足もすくう。
こちらも床に倒した。
しかし今度はナイフの音がしなかった。まだ握りしめているのか。
敵は床を這って迫ってくる。
この瞬間、すでに杏奈は身体を翻して、刃物の到達圏内から脱していたが、もう一人別の人物がその中に入ってくることに気づいた。
このままでは二人が衝突してしまう。
「危ない!」
杏奈は声を出して、自らの身体を割り込ませようとしたが、時はすでに遅かった。
ナイフが誰かの身体をえぐる音がして、
「痛っ!」
と一人が倒れた。暗闇でよく見えないが、床の上を、もがき苦しんでいるようだ。
「全員、凶器を捨てなさい!」
杏奈の一声が闇を切り裂く。
遠くで一本、ナイフが床に落ちる音がした。
「そのまま動かないで!」
怒鳴り声が闇の中で全員を凍りつかせた。どこかで誰かがすすり泣く声がする。
床の上で足をばたつかせる人影に駆け寄った。
「しっかりして」
「黒アン、痛いよ」
「どこが痛いの?」
「足、右の足が」
見当をつけて足に触ると、糊のようなべったりとした感覚があった。
「フィオ、大変よ。怪我人が出たわ!」
「詳しく状況を説明しなさい」
「右足を負傷して、出血してる」
「他に怪我をした箇所はありますか?」
指令長は落ち着いている。
床に寝転んだ子の身体を順に触っていって、他に痛みを訴えないことを確認して、
「右足だけみたい」
「分かりました。トイレットペーパーはまだ持っていますか?」
「ええ、もう一つ残っているけど」
それをゴルフクラブのシャフトから外した。
「出血している所をそれでぐるぐる巻きにして、上からシャツできつく縛りなさい」
「了解」
杏奈はシャツを脱ごうとしたが、手錠が嵌まった両手のせいで脱げないことに気がついた。仕方なく丸首辺りに力を掛けて破り裂いた。
インナー一枚という姿になってしまったが、真っ暗では人の目も気にならない。
「誰か手を貸してくれない?」
みんなが集まってくる。
応急処置の方法を伝えてから、
「私はこれから3階へ向かうけど、みんなはここに居て。絶対に動いちゃ駄目よ。こういう時こそ、団結が大事よ。もうすぐ助けが来るから。いいわね?」
「分かった。黒アンの言う通りにする」
誰かが言った。
「みんなで力を合わせましょう」
他の誰かも声を上げた。
「そうよ、その調子よ」
杏奈はみんなの手をそれぞれ握って、
「村上蒼菜」
「野々垣未鞍」
「中河茉莉花」
「負傷者一名、八幡麻美子」
と報告を入れた。
それから、鍵を掛けて一カ所に固まるよう指示を出すと、遊戯室を後にした。
「怪我人が出たとなると、急ぐ必要がありますね」
フィオナが冷静な口調で言う。
「実はもう救急車は到着しています。ただ人質になっている瀬知明日香の状況が分からないので、外で待機させているのです」
確かに今突入すれば、楠木かえでがどう出るか分からなかった。まだ彼女の仲間の人数も不明なのである。迂闊なことはできない。
「出血は酷いようでしたか?」
「暗くてよく分からないんだけど、どくどく流れている感じではなかったわ。本人も意識はしっかりしていたし」
「そうですか。それなら30分は大丈夫と見ていいでしょう。では、あと20分で決着をつけなさい」
「随分と急な話ね」
「仕方ありません。怪我の状態が正確に分からない以上、安全なマージンを取る必要があります」
「了解。頑張るわ」
「では、台本の続きを」
フィオナがそこまで言ったとき、ふと思い出したことがあった。
「ちょっと待って。さっきの部屋のことだけどね、足を引っ掛けられて転んだ時、何だか変な臭いがしたのよ」
「変な臭い、ですか?」
「油の臭いみたいな」
「どうしてそういう大事なことを早く報告しないのですか」
「だって怪我人騒ぎで、それどころじゃなかったでしょ」
フィオナはしばし沈黙した後で、
「ひょっとすると、それは灯油かもしれません」
「灯油?」
「冬に使うファンヒーターの燃料なら特に問題ありませんが、臭いが漏れていたというのが気になります。それだけ大量に置いてあったということですから」
指令長は図面をめくる音を立てながら、
「遊戯室から出火すると厄介ですね。2階全体に延焼すれば、3階にいる人間は階下へ行けなくなってしまいます」
杏奈はその意味を考えた。
「どうしよう、フィオ。部屋に戻って、灯油の在処を確認して、どこか安全な場所に移動させようか?」
「いや、その暗がりでは時間が掛かり過ぎます。先を急ぎましょう」
指令長はそう決断した。




