テレビ公開処刑(2)
杏奈は今、一階の玄関に立っている。
ここから、瀬知明日香がいると思われる三階まで、暗闇の中を手探りで進まなければならない。
途中、メンバーが襲ってくることは十分予測できた。しかも手錠で両手の自由が奪われている。この任務は前途多難に思えた。しかし自分一人でやり遂げなければならない。杏奈は両手で頬を叩いて気合いを入れた。
指令長の指示に従って歩み始めた。漆黒の空間で、障害物を避けるようにゆっくりと進む。
杏奈は明日香のことだけが心配だった。いち早く彼女の元へと行きたいが、この孤立無援の状態ではそういう訳にもいかない。焦燥感だけが募る。
そんな気持ちを見透かすように、
「慌てなくても大丈夫です。番組の演出上、そんなに早く目標である瀬知明日香には辿り着けないようにしてある筈です。ひょっとすると、彼女はまだ見えない場所にいるかもしれません。まずはメンバーが互いに傷つけ合うことで、人数を減らすといったシナリオでしょう」
フィオナが静かな声で言う。
「そうだと、いいんだけど」
「先程、メンバーに模造のナイフを渡したと言っていましたが、現物を確認したいのです」
「と言うと?」
「これは最早、番組の企画でないのは明らかです。つまりアラセブのメンバー同士で行う殺人ゲームですから、おそらくナイフは本物にすり替えてあると思うのです」
「なるほど」
「ですから、メンバーからそれを奪いとらなければなりません」
「そんなの任せておいて」
「あなたは手錠を掛けられている身ですから、相手が単なる女子高生だと油断してはいけません。上手く武器を取り上げないと、相手が怪我することになりますから」
「刃物を持った素人と戦うのは簡単なんだけど、真っ暗で何も見えないから、いつもと勝手が違うのよね」
「特殊眼鏡があれば、センサーで見えない人物の確認ができますが、それがない以上、杏奈の感覚だけが頼りです」
「はい」
「神経を研ぎ澄まして、ゆっくり進みなさい」
「それから、これは奏絵からですが、おそらくメンバーはグループになって襲ってくるでしょう。これまでの黒沢杏奈の乱暴な振る舞いを見て、一人では敵わないと悟っているからです」
「そりゃ、その通りだわ」
「絶対通らなければならない階段付近で待ち伏せしている可能性が高いです。左右から挟み込まれないように気をつけなさい」
「了解」
部屋の壁を手で伝って先へ進む。身体を動かす度に手錠が擦れて大きな音を出した。
「相手に居場所を伝えるようなものですね。その音は消しておく必要があります」
「どうやって?」
「廊下に出て右に折れると、突き当たりがトイレです。そこでタオルを手に入れて、手錠に巻き付けなさい」
「分かった」
フィオナは図面を見て、的確に案内をしてくれる。
「目の前のドアを開けると廊下です。開けた瞬間、左右に注意すること」
「はい」
ドアノブに手を掛けて、ゆっくりとノブを回した。
ドアが開いた瞬間、人の息遣いを感じ取った。誰かが待ち伏せていた。
突如、高い位置から棒状の物が振り下ろされた。風切り音を頼りに、身体を反らしてやり過ごした。棒は床に打ちつけられると恐ろしい音を立てた。
次なる攻撃にすかさず体勢を立て直す。しかし身構えるも、姿なき相手は廊下を走り去っていった。
「大丈夫でしたか?」
とフィオナ。
「ええ、何とか。でも、危なかったわ」
手を伸ばすと棒状の物に触れた。
「どうやらゴルフクラブみたい。これは使えそうね」
「耳を澄ましてみなさい。人の気配は感じられませんか?」
「もう誰もいないみたいよ」
そう言って、杏奈は奥のトイレを目指した。
「トイレに誰か隠れていたら、どうしよう?」
「おそらく誰もいないと思います。狭い行き止まりの場所で、自ら逃げ場をなくすようなものですから」
すると、そのトイレからかすかな音がした。
誰かが身を潜めているのだ。
しかしこちらが近づいてもそのドアが開かれる気配はない。フィオナの言う通り、逃げるに逃げられない状況に陥っているようだ。
杏奈はトイレの前に立った。
「ねえ、誰かいるの?」
小さな声で訊いた。
無言だった。しかし明らかに人の気配を感じる。
「私、黒沢杏奈。実は私、警視庁から派遣されてきた、おとり捜査員なの」
「……」
「アラセブのメンバーをアイウエオ順に襲うという脅迫状が外山さんに届いて、次に私が狙われるように黒沢杏奈として潜入したのよ」
「……」
「第一、考えてもみてよ。こんなにダンスが下手な人間がアラセブに入れる訳がないでしょ。お願い信じて」
杏奈は必死だった。
すると鍵が外されて、ゆっくりとドアが開いた。
小柄な人影がうっすらと見えた。
「あなたは、児島華琳さん?」
「黒アン、何もしないよね?」
「もちろんよ。あなたの味方に決まっているじゃない」
「私、怖くて。ここにずっと隠れていたの」
華琳は涙声だった。
「泣かないで。私がみんなを助けるから」
本来次に狙われる筈だったアイドルは杏奈に抱きついてきた。
それを優しく離してから、
「ねえ、念のため渡された武器を見せて」
華琳は震える手で、床に置いてあったナイフを渡してくれた。
「ちょっと貸してね」
杏奈は刃先を手錠の鎖に当てて音を確認して、さらに廊下の壁に向かって力任せに突き刺した。
ナイフは半分ほど壁にめり込んだ。間違いなく本物である。極めて殺傷能力の高い武器だった。
それを指令長に報告してから、
「これって、どうやって渡されたの?」
「番組が始まる前、リハーサルの時に小道具さんから貰ったのよ。スタッフさんが実演してくれたのを見たけど、プラスチックの模造刀だったわ」
誰かが本物にすり替えたのだ。別荘内の武器として使える備品も決して安全ではなく、凶器になり得るものだろう。メンバーにそれを伝えなければならない。
「ナイフは本物だし、私はさっき誰かにこのゴルフクラブで襲われたわ。こんなので殴られたら、大怪我どころの騒ぎじゃないわよ」
杏奈はクラブを華琳の手で握らせた。
「これは大変だわ」
彼女も事の重大さに気づいたようだ。
「今、インカム着けてる?」
「ええ」
「ちょっと貸して」
耳に当てたが、何も聞こえてこない。
マイクはなかった。こちらから話し掛けることはできない。
「これでどんな指示があったの?」
「特に杏奈に気をつけるように。みんなで協力してあなたを殺せって」
「さっきの放送だけど、あれって楠木かえでの声?」
「よく分からない」
音声に加工がされているのか、本人かどうかは断定できなかった。
「楠木さんがどうかしたの?」
華琳が不安げに訊いた。
「あの人、リハーサルの時にいた?」
「どうだったかしら。居たような居ないような」
彼女の記憶は曖昧だった。
「では、外山さんをはじめ、スタッフのみんなは?」
彼女の話によれば、外山は打ち合わせで放送前に撮った映像を編集して、生放送と偽って流すよう指示していたという。
華琳はスタッフが今どこにいるかは答えられなかった。しかしおそらく楠木かえでによって地下室に閉じ込められているのだろう。
さあ、もう行かなければならない。
「あなたは鍵を掛けてここにいて。何があっても開けちゃだめ。いいわね?」
「待って、黒アンはどうするの?」
「私はみんなを助けに行くから」
「私も一緒について行くわ。一人でいるのが怖いの」
「駄目よ。これから危険な任務があるから、あなたはここにいて」
華琳は杏奈の腕にしがみついてきた。手錠が大袈裟な音を立てた。
「そうだ、手錠の鍵なんて持ってないわよね?」
「ないけど。でも唯ちゃんに指示が出てたわ。杏奈に手錠を掛けろって。鍵はおそらく瀬知明日香って子が持っていると思う」
「分かった」
タオルを取って手錠に巻き付けた。腕を左右に振ってみたが、音は出なくなった。
「杏奈、トイレットペーパーをいくつか拝借しなさい」
「こんなもの何に使うの?」
「いいから、ゴルフクラブのヘッドを下にして、穴に通しておきなさい」
指示通りにトイレットペーパー二個をシャフトに通した。
「それじゃあ、また後で会いましょう」
「黒アン、気をつけてね」
華琳はいつしか涙ぐんでいた。
そんな彼女を残して先に進むと、背後から鍵を掛ける音が響いた。




