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伊豆のおとり子(5)

 さっきからずっと頭の中を甲高い音が渦巻いていた。それは金属同士が激しくぶつかり合う音である。もっと眠らせてくれ、と心が叫ぶ。

 杏奈は突然目が覚めた。闇の中、車のクラクションが鳴り響いているのだ。矢口の胸部がハンドルを押しつけている。

 杏奈は頭に痛みを覚えつつ、ゆっくりと上半身を起こした。

「矢口さん、大丈夫ですか?」

 肩を軽く揺すってみたものの反応はない。それでも彼の身体をゆっくりとハンドルから引き剥がした。嘘のようにクラクションが鳴り止んだ。それでもまだ耳鳴りがする。

 どのくらい気絶していたのだろうか。

「杏奈、聞こえますか?」

 ようやく捜査班の回線が帰ってきた。これまで雑音に邪魔されて聞こえていなかったのだ。

 母親、梨穂子が何度も呼びかけていた。それに応えようとするのだが、ショックで身体の震えが止まらず、言葉が喉に張り付いたまま出てくれない。それでも何とか言葉をひねり出した。

「はい、聞こえてます」

「ああ、よかった」

 梨穂子の安堵の声。

「龍哉と矢口さんは大丈夫ですか?」

 矢口には息がある。後ろにいる龍哉は確認のしようがない。座席が変形して、シートベルトが身体に巻き付いて姿勢が変えられないからである。

「こちらは大丈夫です」

 龍哉の声が聞こえた。目視はできないが、その声から無事が確認できた。

「一体、何があったの?」

 梨穂子が訊く。

 まだ頭が混乱していて、うまく説明できる自信がない。

「横からトラックがぶつかってきて、谷底に落とされたのよ」

「車はどうなっているの?」

「木と木の間に挟まってる」

「外に出られそう?」

「何とかやってみる」

「今、そこへ救急車を向かわせています。もう20分で到着するわ」

 梨穂子はGPSで位置を特定し、すでに手を打っていた。

 ようやく杏奈の意識がはっきり戻った。今、自分の置かれた状況を全て思い出した。

 こうしてはいられない。早く別荘に向かって、瀬知明日香をはじめアラセブのメンバーの無事を確認しなければならない。

 杏奈は身体を何度もひねってシートベルトの呪縛を解いた。

「ねえ、龍哉。矢口さんの救助を頼める?」

「こちらは任せておけ。お前は早く別荘へ行け。俺も後から行く」

「それじゃあ、お願いね」

 杏奈はそう言うと、割れたフロントガラスを蹴飛ばし、ボンネットを這いつくばって外へ出た。周りは闇に包まれて最初は何も見えなかったが、それでも目が慣れると月明かりのおかげで、物の輪郭が分かるようになってきた。

 竹藪に覆われた斜面を登って振り返ると、車は見るも無残な姿になっていた。トラックが運転席側にぶつかったので、そちらの変形が激しかった。矢口の救助には時間が掛かるかもしれない。しかし龍哉なら何とかしてくれるだろう。

 杏奈は道路に出ると自然と駆け出した。周りを見回したが、事故を起こしたトラックの姿はない。やはり故意にぶつかってきたのだ。誰かが捜査班を別荘に近づけまいとして、進路妨害をしたに違いない。

 その人物は、楠木かえでとしか考えられないが、果たして彼女がこんな乱暴なことをするだろうか。にわかに信じられなかった。

 細い道路は坂道になっている。その先には、木々の間から別荘の屋根が顔を出している。目指すべき場所は分かっている。杏奈は朦朧とした頭で、坂道を一気に駆け上がった。

 時計を見ると、まだ7時前である。気を失っていた時間はそれほど長くはないようだ。この程度のロスで本当によかったと思う。もし8時を過ぎていたら、どうなっていたか分かったものではない。生放送までにはまだ時間はある。とにかく何かが起こる前に放送を阻止しなければならない。

 龍哉から連絡が入った。

 矢口が意識を取り戻したという。しかし脇腹を動かすと酷く痛みを感じることから、ぶつかった勢いで骨折している可能性があると言った。

 命に別状がなければ、ひとまずは安心である。それに救急隊が駆けつけてくれるなら、その処置は問題ないだろう。

 闇に包まれた大自然の中に、杏奈の靴音だけが響いた。時折遠くでフクロウの鳴き声がする。気がつけば、潮の香りがした。

 道路が途中で分岐していた。右の一本が別荘に続く道らしかった。

「杏奈、そこでいったん止まりなさい」

 母親に代わってフィオナの声が戻ってきた。

「正面から行くと、見張りに見つかって、また妨害工作をされる恐れがあります。道路を使わずに、森の中を抜けられませんか?」

「分かった。やってみる」

 道路脇の草むらに分け入って、木立の間をゆっくりと進み始めた。

「杏奈、身体は大丈夫ですか? 怪我はありませんか?」

 指令長が訊く。

 頭部に鈍痛を感じるが、今はそんなことを言っている場合ではない。

「全然平気よ。それより、生放送は中止にできそう?」

「上層部からテレビ局に掛け合ってもらいましたが、現段階では、外部からの番組変更の要請には応じられないとのこと。しかし粘って交渉したところ、もし番組中に何か事件が起きたら、直ちに放送は中止してくれることになりました。事件を収束するためなら、マイティー・ファイターの再放送も認めるということです」

「さすが、フィオ。よくお偉いさんを説得できたわね」

「まだ決定した訳ではありません。とにかく今は別荘内の様子が知りたいです」

「菅原さんのことも心配ね」

「おそらく菅原だけが拘束されたとは考えられないので、スタッフがどこか一堂に集められて監禁されているのだと思います。スタッフが人質になっているので、菅原は思うように動けないのでしょう。間取りを確認したところ、地下室がありますので、そこに集められているのかもしれません」

「それなら、スタッフのみんなは無事ってことよね」

 杏奈は安心した。

「でも、スタッフを閉じ込めたら、生放送はどうするつもりかしら?」

「スタッフに準備だけさせておけば、後は楠木かえで一人でも何とかなるでしょう。なにしろ、これまで何度も現場に立ち会っているのですから、それほど難しいことではないと思います」

 残る問題は、明日香とアラセブのメンバーである。

 生い茂る木々を横切って敷地内に入った。

 ここからは砂利が敷いてあるので、歩くたびに音が鳴ってしまう。できるだけ一歩一歩丁寧に踏みしめるようにと、フィオナが指示をした。

 別荘と思しき建造物は黒い影となって立ちはだかっている。明かりが一つも見えない。

 そういえば、矢口が外から光が差し込まないよう、全ての窓と扉は外側から目張りをしたと言っていた。

「人の気配はないわ」

 杏奈は小声で報告した。

「こちらも対人センサーで見ていますが、屋敷の外には人はいないようです」

 特殊眼鏡には温度を見分ける機能が備わっている。指令長は遠隔操作でそれをモニターしていた。

 あれだけの大所帯でテレビ局を出発したのである。それが嘘のように忽然と消えてしまっていた。

「地下室へ行って、菅原を解放したいのですが、どうやら外からはアクセスできません」

 フィオナは悔しそうに言った。

「玄関のドアが見えるわ」

 月明かりの下、窓は板で打ち付けられているが、玄関はそのままになっている。

「どうしょう、フィオ。正面から突破してみる?」

「それしか方法はなさそうですね。ゆっくり近づきなさい。ドアの前でいったん止まって」

「分かった」

 杏奈はエントランスに足を踏み入れた。砂利の音がなくなって、辺りは静まりかえった。

 玄関のドアの真ん前に立った。特に変わった様子はない。

「ノブに手を掛けて、開くかどうか試してみなさい。一気に開けるのではなく、ゆっくりと動かしなさい。まだ中に入ってはいけません」

「了解」

 ノブに手を掛けて、少し力を入れて引いてみた。金属製のノブは意外にも自由に動かすことができた。

「鍵は掛かってない」

「そのまま姿勢を保持して、一度周りを見なさい」

 言われた通りにしたが、特に何もない。裏の竹林が海風を受けてささやいていた。

「ではドアを開けなさい。開けた後、すぐドアに背中をつけて、いつでも外に逃げられる体勢をとること。ドアは閉めずに、開けたままにして」

「了解」

 大きな洋風の扉は軋み音とともに全開した。しかし何も起きない。室内は外との温度差を感じる。眼鏡の対人センサーが突如反応した。

 誰かいる!

「後ろ!」

 フィオナの声と同時に、外に人の気配を感じた。しかし次の瞬間、強い力で体当たりを食らわされた。大袈裟な音を立てて無様にも室内へと押し倒された。

 すごい勢いでドアが閉まると、鍵の掛かる音がした。

 すぐに立ち上がってドアノブを握ったが、今度はびくともしなかった。不思議なことに、内錠が見当たらない。何と、内側と外側の取っ手が逆に改造されているのだ。中からドアを開くことができない。

 それは、別荘に閉じ込められたことを意味していた。

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