伊豆のおとり子(3)
矢口の運転する小型車は、専用道路を抜けて伊豆市内に入った。自然の緑が驚くほど間近に迫っていた。聞けば、別荘は県道を分け入った海の近くにあり、まだ1時間ほど掛かるという。
まもなく日没の時刻を迎えようとしていた。うっそうとした森林は辺りを一層暗くしている。それでも時折現れる夕陽に、杏奈は自然と目を細めた。
「矢口さんに別荘の様子を訊いておきなさい」
梨穂子から指示があった。
「現地は今どんな風になっているのですか?」
と尋ねた。
「別荘は女優、楠木かえでさんのものなのです」
「ええ、それについては伺っています。かえでさんはアラセブの番組に、これまでご自身の車や水上バイクなど色々と提供しているそうですね」
「そうなんですよ。今回、別荘も快く貸してくれました」
矢口はハンドルを大きく切った。道路は狭い上に急なカーブが連続する。
「僕たちスタッフは昨日現地入りして準備をしてきたのですが、とても広い屋敷で海が見える絶好のロケーションでしたよ」
「へえ、それは楽しみです」
杏奈はわざと嬉しそうに言ったが、今は明日香を無事に救出する任務のことしか頭になかった。
梨穂子は資料を確認しながら言う。
「丘に建つ一軒家です。周りに民家はありません。立面図と平面図を今見ていますが、土地面積300坪、建坪90坪の三階建てで、中はかなり広いですね」
隣では矢口の話も続いていた。
「今回はサバイバルゲームという企画ですので、別荘の窓や扉には板で目張りをして、明かりが一切入ってこないよう改造しました。それから部屋や階段に固定カメラを設置して、メンバーがどこにいても監視できるようにしてあります」
「スタッフのみなさんはどこに?」
「地下室がありますので、そこに放送機材を持ち込んでいます。さらにそこから駐車場に停めた中継車にケーブルを接続しました」
スタッフとしてはかなり大変な作業だったのであろう。矢口は話しながらも、自らの達成感を噛みしめているのが分かった。
「今回のサバイバルゲームは誰の発案なのか、訊いて頂戴」
再び梨穂子から指示が飛んだ。
「今日の生放送は随分と大がかりなものですが、これは誰が立てた企画なのですか?」
「さあ、僕たちスタッフも詳しいことは知らされていませんので」
と矢口は口を濁した。
「やはりプロデューサーの外山さんが、ご自身で考えているのですかね?」
「ここだけの話ですが、実はそうでもなさそうですよ」
「と、言いますと?」
「これは僕の勘ですが、外山さんには秘密にしている放送作家がいるのではないかと思っています」
杏奈はその話に興味を持った。
「どうしてそう思うのですか?」
「番組制作というのは当然高視聴率を取ることが最優先課題なのですが、それと同時に予算の節約も求められます。今は不景気でテレビ局の売り上げも落ちていますからね。ですので、ある企画が持ち上がると、予想される視聴率と予算は天秤にかけられる訳です。現場サイドはなるべく効率の上がるやり方を採用しなければならない。ところが外山さんの企画は、そういった予算に関する配慮がまるでない。というか、効率のことがまったく考慮されずに、毎回思いつきの感が強いのです」
「でもそれはプロデューサーとして予算にとらわれず、自分のやりたいことを真っ直ぐに追求しているからじゃないのですか?」
「ええ、表向きには確かにそう見えます。従って彼もその手腕を評価されているのですが、私には業界に携わってない素人の手による企画に思えて仕方ないんですよ」
杏奈には今ひとつピンとこない話だった。
矢口もそんな新人アイドルの様子を知ってか、
「例えばですね、アラセブが水着姿を披露する企画があったとします。どうせ水着を撮るのなら、他の似た企画も同時並行で制作すべきなのにそれをせず、一つ、二つ違う企画をやった後でまた水着が必要となる企画が上がってくる。こんなのは最初に調整しておくべきことなのです」
「つまり時間や予算がないがしろにされているってことですか?」
矢口は大きく頷いた。
「だから、私個人の意見ですが、外山さんは自分で企画を立てていないと思うのです」
突然奏絵が入ってきた。
「だったらそれをしているのは、楠木かえでじゃないかしら?」
「えっ」
杏奈は小さく声を出してしまった。
「だって自分の別荘を提供するぐらいだもの、自由に企画が作れるでしょ?」
「でも、彼女は業界の人だから、効率のよい番組制作ができるような気がするな。だからもっと業界に疎い人物が、外山に企画を持ち込んでいるんじゃない?」
矢口は捜査員の回線に気づくこともなく、
「でも、そういった素人っぽい企画が視聴者にはウケているのだから、結果オーライなんですけどね」
と笑った。
「まもなく別荘に到着します」
先行する菅原から連絡が入った。
「外山の身柄確保をお願いします」
梨穂子が言う。
「了解」
そんなやり取りが行われる中、奏絵はしばらく一人で考えていた。
その素人やらが自分の書いた企画書をプロデューサーに渡し、それを外山はあたかも自分の手柄にしているとしたら、それはいつから行われていたのだろうか。もしアラセブの誕生から今日までずっと続けられているとしたら、相当な時間があったことになる。すなわちゆっくり時間をかけて、アラセブのメンバーたちの性格を思いのまま変えていくことができたということだ。
リーダー須崎多香美も最初はあれほど厳しい性格ではなかったという。すなわち彼女も見えない誰かが書いた脚本で、本来と違うキャラクターを演じているうちに、性格が変わってしまったのだ。
アラセブは明らかに誰かによって裏でコントロールされている。これまでのメンバーに起こった事件も、実はそのシナリオに過ぎないのではないだろうか。
奏絵は慌てた口調で、
「梨穂子さん、楠木かえでには家族はいないのですか?」
「女優名鑑では独身となっていますが、それが本当かどうかは分かりません」
「根拠はありませんが、楠木かえでには注意が必要だと思われます」
奏絵がきっぱりと言った。
杏奈は友人のただならぬ雰囲気を察して、
「彼女も別荘に来ているんじゃないかしら?」
「菅原さん、外山を拘束した後で、楠木かえでも念のため確保してもらえますか?」
梨穂子が呼び掛けた。
しかし返事がない。
「もしもし、菅原さん。聞こえますか?」
回線は沈黙したままである。
「菅原さん?」
指令長代理の声がむなしく響いた。
現地に入ったベテラン刑事の身に何が起きたというのか。
捜査班の誰もが不安を隠せなかった。




