伊豆のおとり子(2)
「駄目です。外山とは連絡がつきません」
すぐにフィオナが戻ってきた。その声には焦燥感が滲み出ている。
杏奈は運転中の矢口の方を向いて、
「外山さんは今、どこにいるのでしょうか?」
と尋ねた。
「恐らく伊豆の別荘にいると思いますよ。あの人は外でロケを行う際、いつも現場に出てきますんで。そこでいきなり思いついたアイデアを実践しようとして、スタッフを慌てさせるのです。視聴者を楽しませるサプライズは大歓迎ですが、それは僕らにとってもサプライズだったりする訳ですよ」
矢口はスタッフを代表してそんなことを言った。しかしそれは外山に対する批判ではなく、むしろ好意的なものに感じられた。ファンや視聴者が喜んでくれるなら、どんな苦労も水に流せるというのが、業界人の感性なのかもしれない。
龍哉が小声で指令長に問い掛けた。
「どうしてプロデューサーに連絡を?」
「彼が瀬知明日香の居場所を知っていると思ったのです」
フィオナは説明を続ける。
「先週、マンションが放火された時、彼女は怪しい人物を見つけ、外へ飛び出したものの、その人物を見失ったと証言しました」
「はい、暗くて顔が分からなかったと」
奏絵が補足した。
「おそらくその時、彼女は知った顔を見たのだと思います。当然犯人も明日香を知っていて、芸能界に入らないかと彼女に近づいたのです」
「それって、せっちんを芸能界に入れてやる代わりに見逃してくれるよう取引したっていうの?」
杏奈は疑問を口にした。それには奏絵が答えた。
「相手は中学生だからアイドルデビューという餌をちらつかせることで、味方につけようと思ったのじゃないかしら? しかし明日香ちゃんは相手を油断させるため、その誘いに乗った振りをした」
「だけど、犯人が誰か分かったのなら、せっちんは私たちに報告するでしょ?」
杏奈はそう自分で言っておいてから、
「もしかして私のせいじゃないかしら。ゲームセンターの一件で、どうして奏絵を守ってやれないのかって怒ってしまったから」
やはりあの時、彼女を追い込んでしまったのだ。誰の力も借りず、たった一人で犯人と対決する気なのかもしれない。杏奈は激しく後悔した。
「それは違うわ」
奏絵がすかさず言う。
「あの子と一緒に居て分かったの。明日香ちゃんは早く私たちの輪の中に入りたかったけど、そのきっかけがなかったのよ。彼女はずっとそれを探していた。早く私たちの役に立ちたいと考えていたのだと思う。手柄をあげることで、私たちに認めてもらいたかったのよ。だから私たちに内緒で単独行動をした。とりわけ杏奈に認められれば、昔の関係が戻ると信じているのよ」
杏奈の瞳には自然と涙が滲んだ。
「せっちんは馬鹿よ。そんなことしなくても、私はいつでも待っていたのに」
早く明日香に会いたい、今はそれだけを思った。
そこへ母、梨穂子が割り込んできた。
「フィオナさん、今マンションに来ていますが、明日香さんのスポーツバッグが残されていたので開けてみたところ、外山荘二朗とチャールズ中西の名刺が見つかりました」
「やはり外山は明日香に接触していたのですね」
振付師にはスカウトする権限がないため、やはり外山が明日香に声を掛けたのだろう。ということは、放火犯は外山ということになるのだろうか。杏奈は拳を握りしめた。
(あの古狸、絶対に許さない)
自分の携帯を取り出して、チャールズ中西に電話を掛けた。
「杏奈さん、どうかしましたか?」
のんびりした調子で応答する。
聞けば、例のダンススタジオで別の仕事をしているところだと言う。
「瀬知明日香さんは今どこにいますか?」
勢い込んで訊くと、
「あれ、今日は伊豆の別荘でアラセブと合流することになっていませんでしたか?」
と教えてくれた。
そうか、これが矢口の言ったサプライズなのか。外山は何を考えているかは分からないが、明日香を別荘でのサバイバルゲームに参加させるつもりなのだ。
杏奈は胸騒ぎを覚えた。明日香に何事もなければよいが。
続いて先行する菅原からの入電。
「フィオナさん、静岡県警に応援を頼みますか?」
「いや、明日香は外山と一緒にいる限り、安全に思えます。ここで事を公にすると、かえってアラセブ全員の命が危険に晒される恐れがあります。よって当面は捜査班だけで任務遂行します」
「了解」
「ただしそれは放送開始の8時までのことです。それまでに外山の身柄を確保し、明日香を救出したい」
フィオナはきっぱりと言った。
「では、現着(現場到着)次第、外山を拘束します」
「そうですね。放送前だから一筋縄ではいかないと思いますが、未成年者略取の容疑で押さえなさい」
「分かりました」
「生放送はどうなるの?」
杏奈が訊くと、
「もちろん放送を中止して、マイティー・ファイターの第5話と第7話の再放送をしてもらいます」
「本当にそんなことできるの?」
「以前、話をしたところ、あっさりと断られてしまいました。どうやら私一人ではテレビ局を動かせませんから、これから局長クラスと掛け合って要請します。よって今後の指令は梨穂子が引き継ぎなさい」
フィオナは本気だった。
「分かりました」
母親が返事をした。
「杏奈のお母さん、ちょっといいですか?」
奏絵の控え目な声が入ってきた。
「どうぞ、これからは梨穂子と呼んでください」
「はい、梨穂子さん」
と言い直してから、
「結局この事件の犯人は、プロデューサーの外山荘二朗ってことになるのでしょうか?」
それには誰もが口をつぐんでしまった。
杏奈が真っ先に口を開いた。
「そりゃ、そうでしょう。せっちんを誘拐した張本人なのだから」
「でも、よく考えてみてよ。外山は今売れに売れているアラセブを自らぶっ壊そうとしていることにならない? 一体何の得があるというのかしら。それにマイティー・ファイター撮影時に起きたと思われるスタントマンの死亡事故は一体どう関わってくるの?」
確かに奏絵の言う通りだった。
杏奈の頭は混乱したが、
「よく分からないけど、とにかく今は別荘に行って、外山を捕まえて全部吐かせればいいじゃない」
「いや、対応を誤ると何かとんでもないことになりそうな気がして」
「大丈夫だって。奏絵は心配しすぎるのよ」
杏奈は一笑に付したが、友人は慎重だった。




