伊豆のおとり子(1)
金曜日を迎えていた。
夜8時からアラセブの生放送が予定されている。今回はスタジオを飛び出し、伊豆の別荘を貸し切ってのサバイバルゲームが告知されていた。
照明を落とした別荘内で、メンバーが互いに戦闘を繰り広げ、最後まで勝ち残った者が次期リーダーの資格を与えられるという企画である。
昼過ぎになると、アラセブのメンバーたちが続々とテレビ局に集まってきた。みんなは一台の大きなロケバスに乗って伊豆に向かうことになっていた。一方スタッフは数班に分かれ、先発隊はすでにトラックでテレビ局を後にしていた。
黒沢杏奈とマネージャーの龍哉がロケバスの昇降口に近づくと、リーダーの須崎多香美が二人の前に立ちはだかった。
彼女は腕を組んで、鋭い眼光を向けている。その威圧的な態度は、コンビニでの乱闘事件をいまだに許していないことを物語っていた。
「黒沢さん、あなたとは一緒に仕事をしたくないっていうのが、メンバーの総意なの。ここから先はご遠慮願いたいものね」
挨拶にも応えてもらえず、いきなりそんな言葉を浴びせられて、杏奈は面食らった。
「この前のことは謝ります。これからはみなさんとうまくやっていくつもりですので、どうかご一緒させてもらえませんか?」
丁寧に頭を下げた。
しかし多香美は表情を一切変えることはなかった。
「あなたは何か勘違いしているようね。この前の事件だけを問題にしているんじゃない。これまであなたがしてきたこと全てに腹を立てているのよ。あなたがアラセブに加入してからというもの、世間の見る目が変わってしまった。歌や踊りで勝負をせず、破天荒なことをしてファンの注目を集め人気を得る。これは一流のダンスユニットの目指すことではないでしょう」
杏奈には返す言葉もなかった。
代わりに横からマネージャーが、
「黒沢は何も狙ってやっている訳ではありません。ただがむしゃらになってやった結果なのです。そもそも、こいつがうまく立ち回れる人物に見えますか?」
「当人の気持ちなんてどうでもいいのよ。芸能界は結果がすべてなの。これ以上あなたたちが関わると、アラセブは崩壊してしまうのよ。分かるでしょ?」
「では、どうすればいいのですか?」
杏奈が静かに口を開いた。
「金輪際、私たちに関わらないでほしい。それだけよ」
「しかしプロデューサーの外山さんからは出演を認められている筈です」
「あの人の意見なんてどうでもいいのよ。とにかく一日も早くアラセブから脱退して頂戴」
「いいえ、私はアラセブを辞める気はありません。今夜の生放送にも参加させていただきます」
杏奈はきっぱりと言い放った。
「この頑固者の分からず屋!」
「おい、そんな言い方はないだろ!」
売り言葉に買い言葉で、龍哉が食いついた。
突然マネージャーに凄まれて、多香美の肩がピクリと動いた。
「二人とも落ち着きなさい」
指令長フィオナがたしなめた。
リーダーはこれ以上話をしても無駄とばかりに、さっさと背を向けた。大型バスは彼女を飲み込むと、乾いたエンジン音を残して駐車場から出ていった。
「フィオ、どうしよう?」
杏奈は指令長に呼び掛けた。
「困りましたね。菅原は覆面パトカーに児島華琳を乗せて、すでに出発していますからね」
その菅原から直ぐさま連絡が入った。
「引き返しましょうか?」
「今、どこにいるのですか?」
フィオナが訊く。
「首都高に乗っていますので、少々時間が掛かりますが」
「いいえ、そのまま行きなさい」
「了解」
杏奈とマネージャーがその場で思案していると、
「誰かがこちらに来ます」
とフィオナが教えてくれた。
顔を上げると、そこには音響スタッフ、矢口邦明の姿があった。
「もうお体は大丈夫なのですか?」
「本当はもう少し病院に居るべきところなのですが、これが最後の仕事なので無理をして出てきました」
彼はスタジオの照明が倒れてきて大怪我を負った。女優の楠木かえでが身を挺して助けなければ、命を落としていたかもしれない。今、こうして目の前に立っていられるのも、全ては彼女のおかげである。
そういえば、矢口は考えるところがあって、この業界を去ることを決意していたのだった。
「もしかして、お二人さんは置いてけぼりですか?」
「ええ、どうやらそのようです」
「杏奈さんらしいですね」
彼は遠慮なく笑った。
「よかったら、僕の車でお連れしましょうか?」
「えっ、いいのですか?」
「はい、スタッフの何人かは自分の車で移動しますので。乗せていってあげますよ」
「わあ、よかった。ありがとうございます」
杏奈は身体を弾ませた。
「では、打ち合わせをしてから出発しますので、ちょっと待っていてください」
矢口はそう言うと、小走りでスタッフの輪の中に戻っていった。
「フィオ、別にいいでしょ?」
「そうですね。彼と話せる機会ができて、願ったり叶ったりです」
待っている間にも、次々とスタッフの車が出ていった。そんな様子をしばらく見届けていると、ようやく矢口が自分の小型車を横付けした。
「お待たせしました。狭くて散らかってますけど、どうぞ乗ってください」
「ありがとうございます」
杏奈は助手席に、龍哉は後部座席に収まった。
こうして二人は伊豆の別荘に向けて出発することができた。
車窓から流れるビル群を眺めていると、奏絵が突然回線に飛び込んできた。
「フィオナさん、大変なことになりました」
友人は珍しく取り乱している。
「どうしました? 落ち着いて報告しなさい」
「瀬知明日香さんが行方不明です」
「ええっ」
杏奈は思わず声を出してしまった。隣でハンドルを握っている矢口もそれには驚いた様子だった。
「別に何でもありません」
と繕ってから、友人の報告に全神経を集中させた。
「連絡が取れなかったので、今彼女の自宅に寄ってみたところ、お母さんがいらして、昨夜から家に帰っていないというのです」
これには指令長も杏奈も絶句した。彼女に一体何があったというのだろうか。
「お母さんは私と一緒にいると思っていたらしく、安心していたそうです」
「何か心当たりはありますか?」
「最後に会ったのは日曜日で、今日は杏奈のマンションで炊事、洗濯を一緒にする約束だったのですが」
「誰か瀬知さんを見た者はいませんか?」
フィオナの呼び掛けに応える者はいなかった。
「昨日まで中学校に通っていたのは確認できていますか?」
「はい。お母さんによれば、毎朝きちんと登校していたとのことです。でも……」
「でも?」
「ここ数日、帰りが夜遅かったと言っています」
「それって、どういうこと? 今週は一度もダンスの練習はしてないわよ」
杏奈が直ぐさま言った。
フィオナは何か思いついたのか、
「直ちにアラセブのプロデューサー、外山と連絡を取ってみます」
と言って回線を切った。
(せっちん、無事でいて)
杏奈は胸の前で手を合わせると、神に祈った。




