変わり果てた旧友との再会
校門を出たところに、白いセダンが停車していた。その車には見覚えがあった。警察の覆面パトカーである。
二人は慣れたやり方で後部座席に乗り込んだ。
「彩那さん、龍哉くん、今回もお世話になります」
ハンドルを握った男が身体を捻って挨拶をした。
彼の名前は菅原翔吾。二人の父親、剛司の部下である。
元は所轄の刑事だったが、おとり捜査班を立ち上げた際、そのサポート役に抜擢された。若いが、警視総監賞をはじめ、いくつもの表彰を受けているやり手である。普段は優しい物腰の紳士だが、ひとたび事件が発生すれば、眼光鋭いハンターと化す。倉沢家が実績を出しているのは、ひとえに彼のおかげと言っても過言ではない。
「ダンススタジオに行く前に、寄るところがあります」
菅原は、そう前置きしてから車を出した。
龍哉と彩那は捜査班専用のスマートフォンを準備した。出動中は常に回線が開かれており、警視庁本部からの指令を受けることになる。
すぐに女性の声が入ってきた。
指令長フィオナ・アシュフォードである。
彼女は生粋のイギリス人だが、今は日本に特別派遣され、おとり捜査班の指揮に当たっている。原則一家族を単位として行われるこの特殊捜査は、ロンドン警視庁が発祥のため、そこで指令長を務めていたフィオナはまさに適任なのであった。
「彩那、調子はいかがですか?」
外国人特有のイントネーションがたまに顔を出すものの、流ちょうな日本語に変わりはない。
「最悪よ」
「どうかしたのですか?」
「いきなり芸能人になれと言われて、冷静でいられる訳ないでしょ。おかげで一日中、心は落ち着かず、授業もずっと上の空だったのよ」
「でも、それっていつもの彩那じゃない?」
奏絵の声が被さる。
「あのねえ、余計なことは言わなくていいから」
この回線は、課長を務める父、剛司、母、梨穂子を含む捜査員全員がモニターしている。さらに警察庁長官、国家公安委員長、政府関係機関に提出する資料として、やり取りは全て記録されている。よって迂闊なことは言えないのだ。
「噂によると、彩那はダンスが下手だそうですね」
「さすがはイギリス人、随分と直球で来るわね。この際だから正直に言っておきますけど、下手なんてものじゃないのよ。音楽が鳴り出すと金縛りにあって、まったく身体が動かなくなるの」
自然と語気が強まった。
それでもフィオナはいつもの落ち着いた調子で、
「その点はどうかご安心を。今回は急遽、助っ人を用意しましたので」
「助っ人?」
思わずオウム返しになった。
「はい。実はこれから、その人を迎えに行くところなのです」
「ふうん、そうなの」
しかし、それはさほど有難い話でもなかった。恐らくダンスのインストラクターか何かだろうが、矢面に立つのが自分であることに変わりないからである。
できることなら、その助っ人とやらに仕事を代わってもらえないかと本気で考えた。
単調な景色が車窓を流れていく。
それもその筈、覆面パトカーは去年まで通っていた中学校の通学路を走っているからである。当時とまるで変わらない風景がそこにあった。
しばらくして車が停車したのは、学校の校門前であった。
兄妹は思わず顔を見合わせた。それは紛れもなく、二人の母校だったからである。
「すみません。ちょっとここで待っていてください」
菅原はそう言い残して、一人車を降りて校内へと姿を消した。
「ひょっとして、助っ人というのは中学校の先生なのかしら?」
静かな車内に彩那の声が響いた。
「ダンスの指導ができる先生なんていたか?」
龍哉も首を傾げている。
回線もしばらく沈黙していたので、フィオナを呼び出そうと思った瞬間、外が騒がしくなった。
リアウィンドウを覗くと、菅原刑事が一人の女子中学生の手を無理矢理引っ張っているところだった。
女子生徒はセーラー服の両腕をまくって、指定のスカーフさえ結んでいなかった。靴のかかとを踏みつけて、だらしない格好で引きずられてくる。ぼさぼさの長い髪が獅子舞のように大きな円を描いた。一見して、学校の不良娘といった風貌である。
一体何が起きたというのだろうか。二人は顔を並べて成り行きを見守った。
菅原は、そんな女子中学生と綱引きでもするかのように、苦労してようやく車の前に辿り着いた。それから二人は押し問答を始めた。
「痛いんだよ。いいから離せよ」
彼女は鋭い眼光を向けて悪態をついた。そして道路につばを吐いた。
「どうかご協力をお願いします」
菅原の方は、頭を下げるばかりである。
不良娘は車内で待つ二人の高校生に気づいたようだった。一瞬驚いた表情を浮かべたのを、彩那は見逃さなかった。
「ちぇ、分かったよ。行けばいいんだろ、行けば」
中学生は急に大人しくなって、助手席に乗り込んできた。
「あんたが力尽くで引っ張るから、制服がシワになっちゃったじゃないか」
彼女は後部座席の二人を無視して、ハンドルを握った運転手に抗議した。
彩那はその横顔にどこか見覚えがあった。
記憶をたぐり寄せるよりも先に、
「こちら、瀬知明日香さんです」
と菅原が紹介した。
そうだ、すっかり思い出した。
小学生の頃、官舎の公園でよく遊んだ一つ歳下の女の子である。二人とも父親が警察官をしている関係で、すっかり意気投合していた。しかし彩那は実の母親を亡くしてから、家に引き籠もるようになり、いつしか遊ばなくなってしまったのである。
随分と雰囲気が変わってしまったが、5年ぶりの再会は正直嬉しかった。
「せっちん、覚えてる? 私、倉沢彩那。ほら、昔一緒に遊んだじゃない?」
懐かしさのあまり背後から身を乗り出したが、明日香は無反応だった。わざと旧友を無視するかのように、ぷいと窓の外に顔を向けた。
菅原はそんな様子を横目で見ながら、
「明日香さんと彩那さんはお知り合いでしたか。そいつはよかった」
とわざと明るい調子で言った。
(助っ人って、まさか?)
菅原はスイッチを操作して、専用回線の音声をスピーカーで流した。
「瀬知明日香さん、初めまして。私はおとり捜査班の指令長、フィオナ・アシュフォードです。今回は倉沢班の仕事をサポートしてもらうため、ご協力をお願いしました」
「まだ、やるなんて一言も言ってないんだけど」
明日香は、ぼそっと言い返した。