ペンダント、リターンズ(1)
彩那と龍哉は、軽自動車の後部座席に収まっていた。
ハンドルを握るのは母親、梨穂子である。マンションの風呂が何者かに放火されて使えなくなったため、警視庁にある当直用の浴場を貸してもらった、その帰りである。
「二人とも、お風呂どうだった?」
梨穂子は前を見据えながら訊いた。
「大浴場は結構混んでたよ」
龍哉が答える。
「えっ、そうなの?」
隣で彩那が驚きの声を上げた。
女子風呂は小さく、人影もまばらだったからである。
「婦警さんにジロジロ見られて恥ずかしかったわ。私に向かって敬礼する人もいるんだもの」
梨穂子は思わず笑って、
「あの人たちは、この後も仕事があるのよ」
「夜勤ってこと?」
「そう、各署に戻って朝まで待機するの」
「何のために?」
彩那は興味を持って訊いた。
「被害者や容疑者が女性の場合があるでしょ。そんな時、男性警官に代わって応対するのよ」
「ふうん」
梨穂子はウィンカーを出して、コンビニの駐車場に入った。
「私はここで待っているから、二人して明日の朝食を買ってきなさい」
ボヤ騒ぎで食事の準備ができない。そのための措置であった。
「それから、もう一人分の食事も買ってきて頂戴」
そう言うと、二人に紙幣を渡した。
兄妹は買い物を済ませると母親の元に戻った。
車は普通の外観をした軽自動車である。事件ではないので、パトカーの使用は許可されないらしい。確かにあの車は目立ちすぎて、こうやって気軽にコンビニに立ち寄ることはできないかもしれない。
ドアを開けると、制服姿の梨穂子が出迎えてくれた。
なるほど、その格好ではコンビニに入ることもできない。彩那はようやく彼女の立場を理解できた。
前に聞いた通り、警視庁からマンションまではほんの数分だった。夜間は道路が空いているので、あっという間の距離だった。
火災現場となったマンションは、ついさっきまで大勢の野次馬でごった返していたのだが、今はそれが嘘のようにひっそりとしている。
一階のエレベーター付近に菅原刑事が立っていた。驚いたことに、今夜はここで張り込むと言う。
放火事件では、犯人が現場に戻ってくる可能性が高いため、不審者確保のため現場を見張るのが定石なのだと説明してくれた。
梨穂子はコンビニのビニール袋を手渡した。先程買った食事である。なるほど、一晩ここで過ごす刑事への差し入れだったのだ。
菅原は一礼して受け取った。
「こんな寂しい所にずっとここに居るつもりですか?」
彩那が訊くと、
「はい、そうですよ」
平然と言ってのけた。
「私たちの部屋に来たらどうですか?」
そんな提案をしてみたが、
「それでは張り込みになりません」
と笑った。
「そうそう、外山から渡されていた例のイヤーモニターですが、やはりマイクは生きていまして、スクランブルを掛けてどこかに送信されていたようです」
「あのプロデューサー、騙したわね」
彩那は自然と拳を握りしめた。
「お前、余計なことをベラベラ喋ってたから、捜査状況は全てあいつに筒抜けだったことになるぞ」
龍哉が冷ややかな視線を向けた。
「今更そんなこと言ったって、どうしようもないでしょ」
菅原刑事はスーツの内ポケットからイヤーモニターを取り出した。スタッフに頼んで新たに貰ったものである。彩那が預けておいたのである。
「装備課に頼んで、音声が入らないよう加工してもらいました。今後はこちらを使ってください」
「はい、ありがとうございます」
そこで二人は刑事と別れた。母親も警視庁へと帰っていった。
部屋に入って鍵を掛けてから、
「ねえ、本当に一晩中外に居るつもりかしら?」
「あの人なら、やるだろうな」
龍哉が返した。
朝になって、恐る恐るドアを開くと、菅原刑事の姿はなかった。さすがに帰ったと思ったのだが、児島華琳の警護があることに気がついた。まさか、一睡もせず、彼女の自宅に向かったというのだろうか。
そう言えば、父、剛司ともしばらく顔を合わせてないが、こちらもマイティー・ファイター関係者への聞き込みで全国を駆け回っているのだろうか。彩那は刑事根性を垣間見た気がした。
龍哉が起きてきた。
「まだ浴室が焦げ臭いな」
と言って、キッチンに顔を出した。
「菅原さんにコーヒーでも出したらどうだ?」
「それが、もういないのよ」
それには龍哉も目を丸くして、
「では、俺たちも用意するぞ」
と言った。




