TOKYOかけた少女(1)
龍哉から連絡が入った。次の交差点にタクシーを待機させているという。
彩那は派手な衣装を気にしながらも先を急いだ。これだけ目立つ格好では、歩いても走っても街の風景からは浮いてしまう。
一台のタクシーが停車しているのが見えた。周りから痛いほどの視線を感じながら、それを振り払うように素早く乗り込んだ。
「あー、恥ずかしかった」
「お前ねえ、街の真ん中で一体何やってるんだ」
マネージャーは顔を見るなり叱りつけた。
「そんなに怒らなくてもいいでしょ。私だって必死だったんだから」
龍哉は運転手にテレビ局へ向かうように伝えてから、
「それで、連中はアラセブを狙っている犯人だったのか?」
小声で訊いた。
「いや、そうじゃないみたい。ただの不良グループよ。私たちが追い求めているのは、あんな雑魚じゃないわ」
「よく言うよ、まったく」
龍哉は特殊眼鏡を手渡した。
「ありがと」
「お前、装備品はいつも身につけておけよ」
「だって、奏絵が大変な目に遭ったと聞いて、慌てて飛び出してきたんだもの」
そこまで言ってから、
「あっ、そうだ。奏絵はどうなった?」
それにはフィオナが、
「念のため、近くの病院で検査しましたが、特に怪我はないようです。突然のことでパニックになったのだと思われます」
のんびりとした龍哉の顔を見て、
「ペンダントが盗られて、あんたの誕生日ケーキも台無しにされたんだから、気が動転するのも無理ないわ」
「瀬知も一緒だったんだろ。あいつは大丈夫だったのか?」
龍哉は心配そうに訊いた。
「あの子は、私が見たところ、無傷だったわよ」
「瀬知さんも一緒に病院で診てもらおうと思ったのですが、どこかへ行ってしまって、所在が掴めません」
「私が、きついこと言ったからかな」
その一言を龍哉は聞き逃さなかった。
「何て言ったんだ?」
横から食って掛かってきた。
「不良少女であるあなたが、どうして奏絵を守ってやれなかったのか、って」
それを聞いて、龍哉は怒りを露わにした。
「どうしてそういうことを言うんだよ。瀬知は本当の不良じゃないだろう。父親を亡くした悲しみから逃れるために、不良の真似事をしてるだけなんだぞ」
「そりゃ、そうかもしれないけど……」
彩那は言い淀んだ。
「あいつは心も体も強い訳じゃない。お前と一緒にするな」
「何よ、そこまで言わなくたっていいじゃない。私だってあんな連中と向き合えば、怖くもなるわよ」
「嘘言え」
「何よ、私の苦労も知らないくせに」
アイドルとマネージャーはいよいよ大喧嘩を始めた。
「あのー、テレビ局に着きましたが」
運転手は恐る恐る後ろを振り返った。
彩那は一人先に降りて、さっさと通用門に向かった。
今日はアラセブの衣装を着ているからか、守衛はすんなり通してくれた。
「大体、お前が不良どもと遊んでいたせいで、時間ぎりぎりなんだよ。今日はCM撮影があるって言ってただろ」
背後からしつこく声を掛けてきた。
「分かっているわよ。だから、こうして急いでいるんじゃない」
黒沢杏奈は早足でマネージャーを引き離すと、スタジオを目指した。
「杏奈、ちょっとは落ち着いたらどうです」
フィオナが我慢ならずに声を掛けた。
「もう、このマネージャー解雇してほしいわ」
思わず大きな声が出てしまって、廊下を行き交うスタッフたちが一斉に立ち止まった。誰もが二人に強い視線を投げ掛けている。
奏絵が回線に入ってきた。
「杏奈、さっきはありがとう。とっても嬉しかった。私はもう大丈夫。明日香ちゃんも無事にマンションに戻ってきたよ」
それを聞いて平静を取り戻した。明日香がどこかへ消えてしまったら、それは他ならぬ自分のせいである。彼女と仲違いするのは本意ではない。彼女に掛けた言葉が悔やまれた。それで自己嫌悪に陥って、龍哉に向かって知らず牙を剥いていたのかもしれない。
スタジオに入ると、ちょうどアラセブのメンバーたちが緑のスクリーンを背に、立ち位置を決めているところであった。
チャールズ中西が、二人の気配に気づいて振り返った。
「杏奈さん、遅かったですね。早く中に入って」
と手招きした。
「中西さん、その子は撮影に参加させないでください」
厳しい声が飛んだ。
リーダー須崎多香美であった。
他のメンバーたちも怪訝な目で杏奈を見つめている。
「時間を守らず、打ち合わせもできないような人に仕事をする資格はありません。それにアラセブの品位をおとしめる人がCMに出れば、企業イメージも悪くなります」
多香美は口を真一文字に結んだ。それは意志の強さを表していた。
中西はしばらく多香美と杏奈の二人を交互に見ていたが、リーダーの勢いに圧倒されたのか、それ以上は何も言わなかった。
「ご迷惑を掛けてすみませんでした」
杏奈は頭を下げると、スタジオの隅に引っ込んだ。
すぐ目の前で撮影のリハーサルが続けられた。中西が一人ひとりに腕や足の格好を指示している。大型カメラがレールの上を行ったり来たりした。
「杏奈、実はもうあなたの動画が至るところで拡散しているのよ」
「やっぱりね」
奏絵の言葉にそれほど驚きはなかった。諦めの境地だった。
「それも一本や二本じゃないのよ。もう何十種類もの動画が出回っているの」
「そんなに?」
それにはフィオナが、
「見つけ次第、警視庁の要請で削除依頼をしていますが、数が多くて対応しきれません。幸いなことに、近景で撮ったものがほとんどなく、顔の判別ができないのが救いです。これなら、何とか知らぬ存ぜぬで通せそうです」
奏絵がいくつか動画を送ってくれた。
車道を疾走するアイドル。コンビニの駐車場で不良連中に取り囲まれるアイドル。さらには格闘するアイドルと多種多様であった。
「しかし、いつも思うんだけど、杏奈って足速いね」
「褒めてる場合か」
フィオナが続ける。
「それに格闘シーンは、初めて見ましたが圧巻ですね。可愛い衣装を着たアイドルが、よくもまあこれほど乱暴をはたらくものだと感心します。これは映画のロケでしょうか? そうだとすれば、今年の日本アカデミー賞最有力候補ですね」
イギリス人は嫌味を言うのが上手い。
「あのねえ、これは作り物じゃないのよ、本物なの」
「現実だから、困るのです。おとり捜査員が誰よりも目立ってどうするのです。あなたにはそれが分からないのですか?」
指令長の小言が始まった。
「はい、すみません。これからは気をつけます」
この後ネチネチと続けられても困るので、素直に謝った。
「10分間、休憩入りまーす」
その声を合図にスタッフが散開した。スタイリストがアイドルたちの髪型や衣装を直し始める。
「黒沢さん」
リーダーから呼ばれた。その声に引き寄せられると、心配そうにマネージャーもついて来た。
多香美は無言でタブレットの画面を向けた。例の動画が映し出される。
「これって、もしかしてあなたなの?」
「はい」
「いいえ」
杏奈と龍哉が同時に答えた。
「どっちなのよ?」
多香美は二人を等分に睨んだ。
龍哉が何とか誤魔化そうと口を開きかけたところ、紛れもなく自分であると杏奈は暴露した。
それを聞いたメンバーたちは一様に顔を曇らせた。比較的仲のよかった羽島唯や児島華琳もしかめっ面を隠さなかった。
「足に自信があるって、こういうことだったのね」
誰かが呆れた声で言った。
「黒沢さん、わざと目立つ行為をして人気を取るのはやめてくれないかしら? みんなが迷惑するでしょ。それにあなたはアラセブの顔に泥を塗っているのよ。その自覚はあるの?」
リーダーはヒステリックに声を荒らげた。
みんなもじっと新人を睨んでいる。
「すみませんでした。今後はみなさんの足を引っ張らないよう努力します」
しかし誰も何も言ってはくれなかった。気まずい沈黙だけが流れた。
「それでは、本番入りまーす」
スタッフの掛け声に助けられた。みんなは杏奈を尻目に仕事に戻っていった。
「お前ねえ、もう少しうまく立ち回れないのか?」
「だって嘘はつきたくないでしょ」
二人は忍び足でスタジオの隅に戻った。
「でも、人気取りって、私そんなことしたっけ?」
マネージャーに向かって訊くと、別の方角から声がした。
「人気投票のことですよ」
そこには、中年男性が立っていた。暗がりで誰だか分からなかったが、よくよく見ると知った顔である。雑誌記者の真木貴弘だった。
「今ちょうど公式サイトでアラセブの人気投票が行われているのですが、何故かあなたが人気ナンバーワンになっているのです」
「えっ、まさか」
「どうやら、怖いもの見たさで、ファンがあなたに注目し始めたのでしょうな」
「怖いものって」
「アラセブに加入した新人でありながら、その全貌は決して明らかにされない。そのくせ色々と大事な局面に登場する。今回はと言えば、街の不良どもを退治して社会の治安を維持してくれた」
「そんな大袈裟な」
真木は嬉しそうに、
「黒沢さん、今話題になってる動画を見せてもらいましたよ」
暗いスタジオの隅で、男の白い歯が光った。
黙ったままでいると、
「あそこに写っているのは、全部あなたでしょ?」
と訊いた。
「いいえ、コスプレ好きな人がやってるって聞きましたけど」
記者にはとっさに嘘をついた。
「それにしても正義感に溢れていますな、あなたって人は」
「ですから別人ですって」
彩那がとぼけると、
「実はあなた、警察関係の方なんでしょ?」
真木はいきなり核心を突いてきた。




