運命を左右する、一枚のヒレカツ(2)
「おーい」
ちょうどその時、背後から声がした。小柴内正幸である。
「そういえば、アラセブにやたらと詳しい人物が身近にいたんだったな」
龍哉がつぶやいた。
「ねえねえ、アラセブについて詳しく知りたいんだけど」
合流したばかりの小柴内に彩那が迫った。
「どうしたんだよ。急にアイドルに目覚めたりして」
「いいから、教えなさいよ」
「俺にアラセブを語らせたら止まらないぜ。軽く一時間の講義になるけど、それでもいいのか?」
「そこは、5分でお願い」
彩那は両手を合わせた。
「たった5分かよ。アラセブの魅力をそんな短時間で伝えるのは難しいな」
「だって、もうすぐ学校に着いちゃうじゃない」
「分かったよ」
小柴内は渋々承知してくれた。
「そもそもアラウンド・セブンティーンってどういったグループなんだ?」
横から龍哉が訊いた。
「その名の通り、メンバーは17人前後、年齢も17歳前後で結成されたユニットさ」
「どんな子たちで構成されているの?」
「全員、ダンスの上手い女子高校生だ。全国各地のオーディションで選ばれた連中だから、レベルは相当高い」
「ねえねえ、もしその中にダンスの苦手な子が入ってきたらどうなると思う?」
小柴内は顔をしかめて、
「間違っても、そんな奴が入り込む余地はない」
「万が一、入ったらどうなるかって聞いているのよ」
彩那は食い下がった。
「そんなこと言われてもなあ。まあ、17人もいるんだから、一番後ろの隅っこで隠れるように踊っていれば目立たないかもな。って、何でそんな変な質問をするんだ、お前は」
熱狂的なファンは語気を荒らげたが、
「いや待てよ。意外性を売りにしているグループだから、そういう企画があってもいいかもしれんな。メンバーはそいつの心と体を鍛え上げ、共に成長していくんだ」
「うん、ぜひそうして頂戴」
彩那はきっぱりと言った。
「ただし、その子がめちゃくちゃ美少女という条件つきだぞ」
「それは一番の難問だな……」
龍哉は空を仰いだ。
妹はみんなから見えないところで兄の背中をつねって、
「ところで、メンバーの入れ替えはどうなってるの?」
気を取り直して訊いた。
「それはファンの人気投票で決まるんだ。得票数が低いと新しいメンバーと交代させられる。だから全員が必死なんだ。それに舞台での立ち位置もファン投票が反映される」
なるほど、その仕組みを利用して、おとり捜査員を密かに紛れ込ませるのかもしれない。
「リーダーも投票で決まるのか?」
龍哉が訊いた。
「ああ、得票数の一番多かった子が務めることになる。現在のリーダーは須崎多香美。可愛い子なんだが、思ったことは何でもはっきりと言うタイプだな。まあ、その芯の強さゆえ、メンバーをまとめることができるのだが」
「彼女たちの仕事ってどんな風なの?」
「みんな現役の女子高生だからな。毎日テレビに出ているけど、大抵は金曜から日曜に収録したものなんだよ。握手会やミニコンサートも土日に行われる」
「お前も参加しているのか?」
「当たり前だろ。これまでに発売されたCDは全て揃えてるし、イベントも極力全部参加している。中途半端なことは嫌いな俺なのさ」
「ねえ、小柴内くん」
珍しく奏絵が積極的に声を掛けた。
「最近、アラセブに何か変わったことは起きてないですか?」
「おっ、筑間もすっかりアラセブの虜ってわけか?」
ファンは満足そうな顔を向けた。
「ええ、まあ」
「そういえば、メンバーの一人が交通事故に遭ってさ」
「その子の名前は?」
「麻村真理恵だよ」
「どんな事故だったのですか?」
「何でもロケ中に自動車と接触事故を起こしたらしい」
「事故の原因は?」
「さすがの俺もそこまでは知らないよ」
小柴内は頭を掻いた。
「それで麻村さんは今、どうしているのですか?」
「休養中だ。一時的にメンバーから外れている」
「他には?」
「そうだな。猪野島朱音が最近出てないことかな」
その名を聞いて、彩那は驚いた。
朱音とは、以前担当した事件で知り合っていたからである。彼女の愛らしい顔が思い出された。
「その理由は分かりますか?」
「いや、公式に発表されてないからな。ファンの間では、体調不良じゃないかって言われている」
「麻村真理恵と猪野島朱音か……」
奏絵は腕を組んで、しばらく何かを考えていた。
その日の放課後、奏絵が早速会いに来てくれた。誰もいなくなった教室に、今や二人きりである。おかげで気兼ねなく話ができる。
「何だか私まで緊張してきちゃった」
白い手が胸元を押さえた。そんな仕草は同性の目から見ても可愛らしい。
「本当に、私にアイドルなんて務まるのかしら?」
それは、朝からずっと頭の中を行ったり来たりしている疑問である。
「彩那なら大丈夫よ。それに、これはとても名誉なことなのよ。芸能界の歴史に名を残すことになるんだから」
「でもねえ、やっぱり、こういうのは奏絵の方が向いていると思うのよ」
「あら、そんなことないわ。彩那は背はすらりと高いし、痩せてるし、アイドルに相応しいと思うな。ショートヘアがよく似合う、期待の新人!」
「本当?」
彩那は弾んだ声を上げた。
「大人しくしていれば、内に秘めた凶暴性は誰にも分からないんだから」
「だから、そうやって、高く持ち上げてから突き落とすのは止めてくれない?」
時間が来たので、二人は教室を出た。
「今日は部活を休むから、部長にはそう伝えて」
「うん、分かってる。龍哉さんのことも言っておくね」
下駄箱まで来ると、すでに龍哉が待っていた。3人はこっそりと校舎を出た。
別れ際、奏絵が言った。
「頑張ってね。たとえ何が起きようとも、私は彩那のファンで居続けるから」
「どういう意味よ、それ?」
そこへ突然二階から素っ頓狂な声が降ってきた。
「あれ、お前たち。今日は部活出ないの?」
見上げると、小柴内の顔がそこにあった。今、最も出会ってはならない人物である。いつもとは違う雰囲気を察したのか、一目散に階段を駆け下りてきた。
「部長の許可も取れたことだし、心置きなく練習してらっしゃい」
小柴内の耳に届くタイミングを見計らって、奏絵は大きな声で送り出した。さすがは将来有望な演劇部員、アドリブが上手い。
「お前たち、どこへ行くんだよ。特に彩那、お前はダンスの練習が必要だろう?」
「分かってるわよ」
「だから、これから二人で特訓しに行くところなんだよ」
龍哉も話を合わせた。
「どこへ?」
「ダンススタジオ。こいつの踊りがあまりにも酷いから、一度専門家に見てもらおうって話になってな」
「へえ、そいつは面白そうだな。俺も部活サボって見に行こうかな」
小柴内はハエのように両手を擦り合わせた。
「いや、あんたはついて来なくていいから。これは秘密の特訓だから、他人には見せたくないのよ」
彩那は彼の正面に立ちはだかった。
警察の仕事には守秘義務がある。この件は関係者以外に話すことはできない。
「ふうん、そうか。それじゃあ、特訓の成果が出るのを待つとするか。まあ、せいぜい頑張れよ。楽しみにしてるからな」
小柴内が意外にもあっさり引き下がったので、3人は胸を撫で下ろした。




