TOKYOかける少女(1)
金曜日を迎えていた。
彩那にとっては2度目の生放送出演である。今日はリハーサル前にCM撮影が予定されている。
テレビ局に入る前に、ダンススタジオへ寄った。振付師チャールズ中西の時間が空いたので、1時間ほど特訓の成果を見てもらうことになっていた。同時に、先週破れた衣装の直しが終わったので、それを受け取るためでもある。実際に着てみると、スカートのどこが破れていたのか分からないほど修繕の完成度は高かった。
中西は曲に合わせて手拍子を打ちながら一緒に踊ってくれた。
「杏奈さんも最初に比べると、少しはダンスらしくなってきましたね」
と最後に褒めてくれた。
たとえそれがお世辞であっても、彩那は嬉しかった。今夜の生放送では、先週よりも上手く身体が動かせるような気がした。要するにこれは気持ちの問題である。中西はそんな精神的な効果を期待して、新人アイドルを呼び出したのかもしれない。
練習が終わって更衣室に入ったところ、専用回線の呼び出し音が鳴っているのに気がついた。ダンス練習の際、捜査班の装備品は全て外していた。そのため、今の今まで呼び出しに気づかなかったのだ。
慌てて回線をつないだ。
「奏絵、落ち着いて報告しなさい」
フィオナの苛立つ声が飛び込んできた。
何やら、ただならぬ雰囲気だった。
しかし奏絵の声は小さくてよく聞き取れない。代わりに男たち数人の笑い声が入ってきた。
「奏絵、大丈夫? どうかしたの?」
彩那も呼び掛けた。
すると機械が何かにぶつかる音がして、回線が遮断されてしまった。
「もしもし?」
悪い予感がした。矢口邦明のこともある。まさか自分の身代わりに襲われたのではないだろうか。
フィオナが何度も呼び掛けた。しかし返答はない。
「一体、何があったの?」
「分かりません。奏絵の身に何か異変が起きたことは確かです」
「あの子、今どこに居るの?」
「明日香さんと一緒にあなたのマンションへ向かっているところでした」
二人は今夜、夕食の用意をしてくれる手筈になっている。
彩那は専用端末を握りしめて、すぐさま更衣室を飛び出した。
「フィオ、奏絵の居場所は分かった?」
建物を出て、指令長に叫んだ。
「回線が切れる直前のロケーションは判明しました。今そちらに送ります」
マンション近くの地図が表示された。ここからさほど遠くはない。
「まさか、犯人に襲われたんじゃないでしょうね」
「それはまだ分かりません」
「せっちんも一緒なんでしょ? あの子も大丈夫かしら」
「彼女の電源は入っていませんから、所在が分かりません」
ダンススタジオの広い駐車場を斜めに横切って大通りに出た。車の往来は激しく、タクシーを捕まえるのは困難だった。
考える間もなく、現場に向かって走り始めた。
「すみません、道を空けてください」
舗道を行き交う人々は一様に驚いた顔を向けた。何故だか好奇の視線を感じる。
しまった。よくよく見れば、アラセブの衣装を着たまま、大都会の真ん中を走っているではないか。とは言え、着替えをしている暇はない。これは緊急事態なのである。今は二人の安否の方が心配だった。
舗道は人の往来が激しく、思うように進めない。仕方なく、車道に出て一気に速度を上げた。
都内でも交通量の多い幹線道路を、一人のアイドルが派手な衣装を身にまとい、猛然と駆け抜ける姿はまさに異様であった。
全力疾走すること10分、歓楽街の一角に辿り着いた。競ってネオンが光を放ち、人々の喧噪に負けじとBGMが鳴り響く、そんな場所である。
母親、梨穂子の声で、
「アヤちゃん、今巡回中のパトカーがそちらに向かってます。まもなく到着します」
現場はゲームセンターの真ん前だった。店員が野次馬たちを押し返している。通行人をかき分けるようにして中へ進んだ。
すぐに奏絵の姿を捉えることができた。彼女は店の入口付近で足を投げ出して座り込んでいた。少し離れたところに明日香の姿も見える。二人は無事だったのだ。彩那は神に感謝した。
「二人とも、大丈夫?」
息を切らしながら訊いた。
友人の顔を見て安心したのか、奏絵は急に泣き出した。よく見ると、ピンクのワンピースに付けられたリボンがひん曲がっていた。ボタンもちぎれている。
「ごめんなさい。龍哉さんのケーキが」
彼女は気が動転しているのか、意味不明のことを口走った。
「ケーキ?」
彩那は辺りを見渡した。電柱の陰に白い小箱が潰れて落ちていた。店員が拾って持ってきてくれた。
そう言えば、今日は龍哉の誕生日だった。
「一体、何があったの?」
彩那は友人の身体を抱きかかえた。
「いきなり不良連中が襲ってきたの。明日香ちゃんを見て生意気だって」
反射的に明日香の方を見た。制服を掴まれ、激しく揺さぶられたのか、いつも以上にだらしない格好だった。
奏絵に目を戻すと、首の周りに赤い筋ができていた。出掛ける際にいつも身につけているペンダントがないことに気がついた。
「奏絵、ペンダントは?」
「引っ張られた時、ちぎれたんだと思う」
彩那は辺りを見回してみたが、ペンダントは見当たらなかった。
状況から察するに、奏絵はさぞ怖い思いをしたであろう。その証拠に、興奮のあまり、今もなお小さな肩が小刻みに震えている。
次に明日香の方へ向かった。
「せっちん、あなたは大丈夫だった?」
明日香は、ぷいと横を向いた。
彩那はそのふてくされた態度が気に入らなかった。
「ねえ、こんな時ぐらい何とか言ったらどうなのよ。本当に心配したんだからね。第一、不良少女を自認するあんたがついていながら、どうして奏絵を危険な目に遭わせたのよ?」
思わず強い口調になった。
明日香は何も言わずに立ち上がった。それから振り返ることなく駆け出した。その背中はすぐに人混みにかき消されてしまった。
「明日香ちゃんのこと、そんなに責めないで」
奏絵が涙を拭いて抗議した。
「いいのよ、あれくらい。同じ仲間でありながら自分勝手で、まるで協力しないんだもの」
ふと気づくと、二人は大勢の人に囲まれていた。そのほとんどがスマホを向けて撮影している。
「ちょっと、勝手に撮らないでよ」
地面に横たわった美少女がその被写体だとばかり思っていたのだが、
「ねえ、その格好、マズいんじゃないの?」
奏絵が冷静になって指摘した。
視線を自分に向けると、そこには派手な衣装を着たアイドルがいた。
「あっ、ホントだ」
撮影されていたのは、黒沢杏奈だったのである。
直ちにこの場を去らなければならない。彩那は襲ってきた連中の特徴を訊いた。
「どうするつもり?」
「もちろんペンダントを取り戻すのよ。それにケーキも弁償させてやるわ」
「そんなのいいよ。今度は彩那が危なくなるもの」
「いや、絶対に許さないんだから」
そこへパトカーのサイレン。梨穂子が手配した車両が到着した。
「私はもう行くけど、警官にしっかり事情を説明するのよ」
奏絵は黙って頷いた。もうすっかり落ち着きを取り戻しているようだった。
「あいつら、どっちへ行ったの?」
彩那は友人の指さす方角へ駆け出した。野次馬たちが身体をのけぞらせて道を空けてくれる。と同時に、どよめきが起こった。アイドルの足の速さに、誰もが驚いたのである。
黒沢杏奈は繁華街を一直線に駆け抜けた。
(まだそんなに遠くへは行ってないはず)




