ホップ・ステップ・ジャンプ(4)
コンサートが終了しても、興奮冷めやらぬ観客はしばらく会場に留まっていた。ファンたちがお目当てのメンバーの名前をいつまでも大声で叫んでいた。
アラセブのメンバーたちは、ロッカールームで軽くシャワーを浴びてから私服に着替えた。
明日は握手会が控えている。その段取りを確認してから解散となった。
「黒沢さん、ちょっと待って頂戴」
須崎多香美に呼び止められた。
「はい」
杏奈は自然と身構えた。
「みんなの前で叱りつけて、悪かったわね」
神妙な顔つきで、口をついて出たのは意外な台詞だった。
「あなたは自分の身を犠牲にして、私たちを守ってくれたのね。どうやらあなたのことを誤解していたみたいだわ。でも、ダンスはもっと練習してください」
それだけ言うと踵を返した。
「あれだけリーダーに恐縮されると、何だかやりづらいわね」
「メンバーたちがみんなお前に感謝している以上、自分もその中に入らざるを得なかった。まあそんなところだろう」
龍哉が横から言った。
「ところで、フィオ。結局さっきの男はどうなったの?」
周りに人がいなくなるのを見計らって訊いた。それは今、最も知りたい情報である。これで一件落着なら、もうアイドルは廃業してもよい。
「どうやら今回の脅迫事件とは関係なさそうですね」
「えっ、そうなの?」
期待していただけに、落胆は激しかった。
「報告によると、男は児島華琳の大ファンで、彼女の困る顔が見たくて、レーザー光を当てたと言っています」
当の菅原刑事が回線に入ってきた。彼は今、その児島華琳の護衛に戻っている。
「あの男は傷害罪の現行犯で所轄に引き渡しました。証拠品のレーザーポインターも押収してあります」
「しかしあの状況で、フィオもよく気がついたわね。まさかメンバーが鉄砲で狙われているなんて想像もしなかったわ。阻止できてよかったわよね」
それを最後に、誰もが無言になった。
「あれ、もしもし?」
「あの、念のために杏奈にひとつ訊いておきたいことがあります」
ようやくフィオナが口を開いてくれた。
「はい?」
「鉄砲って何のことです?」
指令長は間の抜けたことを言う。
「だから、あれって鉄砲の狙いを定める光線でしょ?」
またしばしの沈黙。
「ほら、この前テレビでやっていたわよ。確かスパイ映画で、光線で狙いを定めて、犯人を撃つんでしょ、ねえ龍哉?」
「なるほど、そういうことでしたか」
指令長から安堵の声が漏れた。ようやく全てを悟ったと見える。
「では、さらに訊きますが、その映画とやらに出てきた光線は何色でしたか?」
「赤色だった、かな」
「それで、今日のは何色でしたか?」
「緑に決まっているじゃない。フィオも見てたでしょ?」
「ということは、映画の色とは違いますね」
「それは日によってというか、鉄砲の種類によって違うからじゃないの?」
フィオナは一度咳払いをした。
「あのですね、赤色はレーザー照準というもので、確かに銃の狙いを定めるためのものです。しかし今回のは緑色でレーザーポインターの光です。会議などで講演者がスクリーン上を指すためのものです」
「えっ、嘘でしょ?」
「杏奈さん、これが容疑者から押収した物です」
菅原刑事が写真を送ってくれた。
そこにはペン型をした道具が映っている。
「なあんだ、鉄砲じゃなかったの」
「はい。しかし改造して出力が上げてあると、目に障害が残るほどの殺傷能力があります。それは今鑑識で調べてもらってますが」
「結局、杏奈の早とちりだったということですね」
フィオナはため息をついた。
「いずれにせよ、勘違いした杏奈さんに怪我がなくて何よりです」
菅原刑事がフォローしてくれた。
知らぬ間に観客は全て帰っていた。
つい先程の光景がまるで嘘のように、会場は静まりかえっていた。後片付けの指示を出すスタッフの声が驚くほど明瞭に聞こえてくる。大勢のアルバイトが手際よく椅子を片付けていく光景が広がっていた。
杏奈はコンサート前に知り合った矢口邦明と話をするため、そのまま会場に残った。
大型トレーラーが中まで入って、音響設備が積み込まれていくところだった。
そんな中、杏奈と龍哉は矢口の姿を見つけた。舞台付近でケーブルをドラムに巻きつけながら横に移動している。
二人は静かに近づいた。
「矢口さん」
青年は振り返ると、驚いた顔を見せた。額からは汗がしたたり落ちている。
「黒沢さん、さっきはビックリしましたよ。怪我はしませんでしたか?」
「はい、大丈夫です」
「一体、何があったのです?」
「ええ、まあ色々と」
そこは言葉を濁した。
「それより、お仕事大変ですね。お手伝いしましょうか?」
「いえいえ、このくらいどうってことないです。第一、アイドルのあなたに重労働させる訳にはいきません」
と笑った。
「ご心配なく。仕事をするのは、こっちのマネージャーの方ですから」
そう言って、龍哉を紹介した。
「僕はこうやって、いつもこの人に振り回されっぱなしなのですよ」
両手を広げて、外国人風のジェスチャーをした。
「おーい、矢口。そっちが終わったら、手を貸してくれ」
遠くで呼ぶ声がした。矢口は直ぐさま返事をした。
「それでは、また」
そう言い残して舞台の奥へと消えていった。
「フィオ、矢口さんは忙しそうだから、また今度でいい?」
「そうですね。特に緊急な要件があるようには見えませんね。では、二人とも帰ってきなさい」
帰りの電車の中で、彩那は何度も右足を揉みほぐした。どうやら飛び込んだ際に、椅子にぶつけたらしく、打ち身になったようである。
そんな妹の様子を見て、
「お前ね、どうしてそんなにそそっかしいんだよ」
「だって、人の命が懸かってるんだもん。一刻を争うかと思って」
「しかしレーザーポインターを銃の照準と間違うなんて」
「だって普通の女子高生がそんな違いを知る訳ないでしょ」
「そうそう、今日の彩那の得点を発表しておきます」
フィオナが割り込んできた。
「あっ、分かった。悪い得点だから発表するのね」
「わくわく」
何故か奏絵が茶々を入れてきた。
「今日の得点は、20点です」
「低っ」
「フィオナさん、その内訳を教えてもらえますか?」
奏絵の声。
「指示を無視して客席に飛び込んだので、30点の減点。さらに今後の捜査活動をやりにくくしたので50点の減点となります」
「ねえ、フィオ。昨日は満点だったから、少し融通してもらえない。つまり60点ずつにするのはどう?」
「あのですね、これはローンではありませんから、均等払いにはできません」
「そりゃ、そうでしょうね」
彩那は諦め気味に言った。
「それと、今後の捜査活動がやりにくいってどういうことよ?」
「今回の騒ぎが真犯人の目にどう映ったかを考えてみなさい。あなたが児島華琳を守ったことがバレれば、犯人は警戒して、他のメンバーを狙うかもしれません。メンバーがランダムに狙われたら、守り切れなくなってしまいます」
「そっか」
「ですので、今回の件は、外山プロデューサーに言って次のように公式発表をしてもらいます」
彩那は固唾をのんだ。
「黒沢杏奈は自分にレーザー光が当てられて、目がくらんで舞台から落ちた」
「えええ」
一同から笑いが起きた。
「フィオ、それ本気で言っているの? それじゃ、間抜けすぎるわよ」
「仕方ありません」
「何もそんなダイナミックに嘘つかなくてもいいでしょう」
彩那には、もはや絶望しか残されていなかった。




