ホップ・ステップ・ジャンプ(3)
会場の門が一斉に開かれて、待ち構えていたファンが続々と入ってきた。この頃には舞台の準備もほとんど終わっていて、アラセブのメンバーはバックステージで最終確認の真っ最中だった。
チャールズ中西がダンス指導を行う。
杏奈は、以前よりもダンスと曲が合ってきたように思えたのだが、リーダーからは何度も檄が飛ばされた。
それでも休憩時にはメンバーが集まってきて、
「黒アンも随分上手くなったよね」
という羽島唯の言葉に賛同してくれた。それは正直嬉しかった。
開演時間ぎりぎりまで練習が続けられたが、最後はメンバー全員が一緒に写真を撮って和やかな雰囲気となった。
いよいよミニコンサートの始まりである。
幕が上がると、彩那の心臓は一気に高鳴った。しかし周りの子たちはこの緊張感さえも楽しんでいる様子である。
音楽とともに鮮やかなレーザー光線が舞台上を飛び回る。そんな中、メンバーは堂々たる足の運びで登場した。それに応えて会場のペンライトの明かりが左右に揺れた。
「みなさん、今日はアラセブのミニコンサートに、ようこそお越しくださいました。これから目一杯、一緒に楽しみましょう!」
須崎多香美が笑顔で客席に向けて両手を振った。
それに応えるように会場全体が大きく揺れた。観客一人ひとりの表情は見えないが、杏奈にとっては、彼らの声援が自分を叱りつけているように感じられた。
あやうく自分の仕事を忘れそうになる。何が起きても対応できるよう、心の準備をしておかなればならない。その意味で、怖じ気づいてはいられないのだ。
一番後ろの列からは、本物のアイドルたちの背中が見える。彼女たちの動きは実に正確で、見事に楽曲と一体化していた。
いよいよ会場は興奮のるつぼと化して、パフォーマンスと声援がまるで競い合っているかのようだった。
そこへ突然、フィオナの声が入ってきた。
しかし会場のざわめきと大型スピーカーの重低音で、その声もはっきり聞きとれない。これまでパフォーマンス中に指示が出たことは一度もなかった。これは重要な知らせに違いない。
「フィオ、何ですって。もう一度言って」
杏奈は右のイヤーモニターを外した。
「正面、左斜め15度を見なさい!」
今度はしっかり聞こえた。
しかし身体を左右に激しく揺らしているので、正面が向けない。
「難しい注文ね」
すると特殊眼鏡内に、縦方向の白いグリッド線が現れた。その内の一本が赤く色付けされて点滅している。
フィオナがツールを駆使してくれたおかげで方角が分かった。
杏奈はあえて隊列を乱して、立ち位置を変えた。そこには、児島華琳の小さな背中が跳ねていた。まさか彼女の身に、何か危険が迫っているというのか。緊張が高まる。
見えた、光線である。緑色の光線が客席から発射されているのだ。それは華琳の顔目がけて飛んでくる。果たして彼女はこの事態に気づいているのだろうか。
まさか!
光線は華琳にぴたりと吸いついて離れなくなった。悪い予感が走る。
杏奈は踊るのを止めて、周りをかき分けるように前方に出た。もたもたしている暇はない。気づくと華琳を突き飛ばして舞台の先に飛び出していた。
「杏奈、待ちなさい」
フィオナの声は届かなかった。
次の瞬間、客席へ身を投げていた。
そんなアイドルの奇行に気づいた一部の観客から、どよめきが起きた。悲鳴や怒号が入り交じる。
杏奈の身体は観客によって受け止められた。パイプ椅子が次々となぎ倒される。
「菅原、D列25番付近に不審者がいます。直ちに確保しなさい」
フィオナの指示が飛ぶ。
新人アイドルの飛び込んだ付近は座席が散らばって、観客も騒然としていたが、舞台上ではそのままダンスパフォーマンスが続けられた。
メンバーの一人が飛び込んだのはコンサートを盛り上げる演出と思われたのか、会場はむしろ盛り上がりを見せることとなった。
そんな中、杏奈は光線を発射していたと思われる男を目で捉えていた。集まってくるファンたちを乗り越えて、逃げ出したその男に飛びかかった。しかし行く手を阻むかのようにファンの手が絡みつく。
男は一目散に会場の外へ逃げ出した。
「待ちなさいよ!」
杏奈は叫んだものの、その声は会場の喧噪に飲み込まれる。
コンサートが続行する中、会場の一部だけが異様な雰囲気に包まれていた。
「フィオ、今会場から出て行った男を押さえて」
ようやく観客の手をふりほどくと、出入口に向かって突進した。今ならまだ間に合う。
杏奈の飛び出し加速を目の当たりにした観客らは、舞台そっちのけで彼女の動きを追い続けた。
「足速えー」
「新人、すげー」
周りの声をよそに、新人アイドルは通路を駆け抜けた。
会場の外に出ると、容疑者の男はすでに菅原刑事によって身柄を拘束されていた。
誰もいない静まりかえった廊下で、杏奈の足音だけが妙に大きく響いた。
反対側から龍哉も走ってくる。
「杏奈さん、怪我はないですか?」
すぐ近くで菅原が声を掛けた。
「はい、大丈夫です」
息も絶え絶えに答えた。
マネージャーが到着して、今3人の目の前には一人の男が顔を晒け出していた。
「あなたね、この事件の犯人は?」
杏奈が激しい口調で問い詰めると、
「事件って何のことだい?」
と開き直った。
「杏奈、ここは二人に任せて、あなたは舞台に戻りなさい」
フィオナの声が明瞭に聞こえた。
「お前、あんなところから飛び降りて、怪我しなかったか?」
マネージャーが心配そうに訊いた。
「ちょっと足をぶつけたぐらいで、何ともないわよ」
痛みを我慢して言葉を返した。
容疑者の腕を後ろ回しにして、身体検査を始めた菅原刑事を横目に、杏奈はバックステージへと戻っていった。
菅原は男のポケットを探った。するとペンの形をした金属製の道具が見つかった。
「レーザーポインターを持っています」
刑事はフィオナに報告した。
舞台裏には、チャールズ中西が立っていた。その表情から、非常に苛ついているのが分かった。
「一体何があったのです?」
「ええっと」
喉がカラカラで言葉が出なかった。
「まあ、その話は後にしましょう。今すぐ裏から戻ってください」
「はい」
黒沢杏奈が袖から舞台に復帰すると、気づいた観客たちが一段と大きな拍手で出迎えた。最後列のメンバーは誰もが驚いた表情を浮かべた。リーダーだけは鬼の形相で睨んだ。
その後、コンサートは予定通りに進んだ。途中メンバーのトークが挟まれたが、先程の一件には誰も触れなかった。最後はアンコールに応えて、一曲ダンスを披露してから舞台の幕は下ろされた。
早速、須崎多香美が駆け寄ってきた。
「あなた、一体何をしているのか、分かっているの?」
黒沢杏奈の胸元辺りを何度か小突いた。
メンバーたちも黙ったまま、彼女の弁明を待っている。
「勝手な真似をして、みんなびっくりしたじゃない。ダンスが下手なのはともかく、奇抜な行動でファンの心を掴もうだなんて、そんな小細工は許さないわ」
ものすごい剣幕だった。
杏奈が何も言い返せずに立ち尽くしていると、龍哉が慌てて中に入ってきた。
「違うんです。うちの黒沢は客席からレーザーポインターがメンバーの顔に照射されているのを見て、それを止めさせるために客席へ飛び込んだのです」
「何ですって?」
多香美の怒りの矛先は、マネージャーへと向いた。
「しかし、いきなり飛び込むだなんて」
みんなは一様に顔を見合わせた。
「それはメンバーの安全を考えてのことです。どうかその点は理解してやってください」
龍哉は深々と頭を下げた。
「黒アンが私たちを救ってくれた訳? すごいじゃん」
羽島唯が大袈裟に言うと、女の子たちはみんな拍手をした。
「黒アン、ありがとう」
「頼りになるわね」
どうやらメンバーは納得してくれたようだった。




