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黒沢杏奈、アイドルデビュー(5)

「それでは本番入ります!」

 ディレクターの大声とともに、スタジオ内は静まりかえった。

 いよいよ人前でダンスを披露することになる、杏奈は足が震えた。しかしここまで来たら腹をくくるしかない。とにかく早く時間が過ぎることだけを祈った。

 時刻ぴったりに軽快な音楽とともに放送が始まった。アラセブのメンバーは両袖に分かれて階段を下りての登場となる。須崎多香美がその列を一人抜け出して、前方で待つ男性アナウンサーと合流した。

「みなさん、こんばんは。アラセブ生放送へようこそ!」

 リーダーがカメラに向かって挨拶すると、セットの外にいるディレクターが大きく手を振る合図を出した。

 そのタイミングに合わせて、メンバー全員も笑顔を作って手を振った。この辺りはリハーサル通りである。

 本当にこれが今、全国に向けて放送されているのだろうか、杏奈は不思議な感覚にとらわれた。スタジオとお茶の間を繋いでいるのは、唯一カメラの四角いレンズだけなのである。

 もしこの生放送中に何か事が起きたら、果たして的確な行動が取れるだろうか、杏奈は自問自答した。いや、考えている暇などない。たとえテレビに映っていようとも、誰かの命を救うためなら直ちに動かなければならない。

 アナウンサーの話が続いている。

「今夜は待望の新曲がテレビ初登場ということで、全国のアラセブファン、そしてこの私も正直ワクワクしております」

 彼の背中はちょっと手を伸ばせば届く距離にある。よってマイクを通さずとも、直接生の声が耳に入ってくる。なぜか演劇の舞台を連想させた。

「ありがとうございます。新曲はこれまで以上に激しいダンスが求められますが、メンバー一丸となって一生懸命歌って踊りますので、応援よろしくお願いします」

 多香美が丁寧に頭を下げると、そのタイミングでディレクターが拍手の仕草をして見せた。それに合わせてメンバーも手を叩く。

「それでは、新曲の発表は後ほどにして、まずはこちらのコーナーから行きましょうか」

「そうですね。では、今週のアラセブニュース、どうぞご覧ください!」

 多香美の声と同時に、ディレクターが調整室の方を指さした。ここからはあらかじめ用意したVTRが流れる。スタジオの音声が切られたのか、

ビデオが2分45秒回ります!」

 ストップウォッチを首から下げたスタッフが声を上げた。それによって関係者の緊張が一気に緩んだようだった。

 スタイリストが舞台に遠慮なく上がってきて、アナウンサーのタキシードの襟や裾を直し始めた。

 後列からメンバー数人が前に出て、アナウンサーと台本の打ち合わせも行われている。

「須崎さんだけ、ワイプ入ります! 音声なしでいきます」

 カメラマンが彼女の正面から撮影を開始した。

 杏奈が慌ただしく動くスタッフを興味深く眺めていると、

 舞台の袖から別のスタッフが顔を出した。

「みなさん、下がっていいですよ」

「黒アン、こっちよ、こっち」

 立ちすくんでいると、唯に手を引っ張られた。

「しばらく休憩していいのよ」

 十数人のメンバーが舞台裏に引っ込むと、スタッフの一人がその真ん中に立って、

「次の出番はCM明けです。またこの場所からスタートします。今から6分30秒後です」

 と教えてくれた。

 その間にスタイリストが髪型を直したり、衣装をチェックしたりと忙しく動き回っている。

「黒沢杏奈さんは居ますか?」

 どこからかスタッフの声。

「はい」

 手を挙げて返事をした。

「新人の自己紹介のV撮りますんで、準備お願いします」

「何ですか、それは?」

「生でやる予定が、急遽、外山さんに事前に撮ったVをスタッフロール(番組最後)で流せと言われまして」

「そうなんですか」

 とは言ったものの、まるで意味が分からない。

「尺(時間)は20秒。すぐ終わりますので」

 杏奈は他のメンバーと別れて、緑色のスクリーンの前に立たされた。

「カメラに向かって、なるべく目を動かさずにこれを読んでください」

 女性スタッフが中腰になって、スケッチブックを上下に開いている。

「では、行きますよ。緊張せずに、笑顔を忘れずお願いします!」

「は、はい」

「初めまして。今回新たにアラセブに加入した、黒沢杏奈です。東京都出身の高校1年生です。ダンスはこれから一生懸命練習して、さらに磨きをかけたいと思っています。みなさん、どうぞよろしくお願いします」

「黒沢さん、棒読み過ぎます。それと、なるべく目は横に動かさずにやってください」

 カメラマンの横に立つスタッフが注文をつけた。

「はい」

 ここでフィオナが入ってきた。

「こちらで読みますから、その通りに喋りなさい」

 おかげで今度はうまくできた。

「オッケーです」


 CMが開けると、メンバーは全員舞台に上がっていた。

「さあ、それでは今夜のメインステージ。アラセブの新曲、ついにテレビ初登場です!」

 アナウンサーが盛り上げる。

「みなさん、準備はいいですか? ではどうぞ!」

 身体に染み込んだイントロが流れ始めた。

 杏奈は今にも心臓が飛び出しそうな気分だった。

 リハーサル通りにカメラが縦横無尽に動き回っている。果たして自分のダンスはどの程度写っているのだろうか。そんなことばかりが頭をよぎる。

 曲に合わせて、精一杯身体を動かした。無我夢中だった。何かを考えている余裕などない。そんな中、いつしか音楽は終わりを迎えていた。出番は意外とあっけなく済んでしまった。

 その後の番組進行はよく覚えていない。自分のやるべきことがなくなって、放心状態だったからである。

「それでは、みなさん。また来週!」

 気がつくと、生放送は無事に終わっていた。

 しばらく余韻を残してから、誰かが「終了です」と叫んだ。

 スタッフはみな一斉に拍手をした。さっきまでの厳しい表情はまるでない。

「お疲れさまでしたー」

 リーダーをはじめ、最前列で踊っていたメンバーはもちろんのこと、最後列で小さくなっていた杏奈にも声が掛かった。

 放送前に抱いていた不安はどこかに消えていた。今は充足感だけが身体を支配していた。

 スタジオ内ではスタッフによる後片付けが始まったが、アラセブのメンバーたちはそのまま残って、セットの外で、明日の打ち合わせをした。

 ミニコンサートは、歌やトークを交えた1時間程度のものだという。

「黒沢さん、今日みたいにやれば大丈夫よ」

 児島華琳が隣で言った。

「でも、来週の放送までには、もっとダンスの精度を上げてもらいたいものだわ」

 須崎多香美は厳しい態度を崩さなかった。

 それには和んだ空気が一変した。誰もが一斉に口を閉じてしまった。

「さあて、それじゃあ、ここからは歓迎会の始まり始まり」

 羽島唯が暗い雰囲気を一掃するようにおどけて言った。

 スタッフの一人がメンバー全員にジュースを配ってくれた。

「さあ、黒沢さん、立って。自己紹介して頂戴」

 杏奈を中心に女の子たちが輪になった。中にはスマートフォンを構えて写真を撮る子もいる。

「えーっと、高校1年生のくら、いえ、黒沢杏奈と言います。東京都出身です」

 それだけ言って黙っていると、

「ねえ、得意なものは?」

「足には自信があります」

 一部で笑いが起きた。

「そういうチャームポイントじゃなくて、歌とか踊りとか演技とか、何が一番得意なの?」

「一応、演技は部活動で『妖精の宿る木』をやってます」

 全員が一瞬静まりかえって、次々と笑いが起きた。

「なんだか、面白い子ね」

 誰かが言った。

「あだ名は『黒アン』でいいでしょうか?」

 唯がいきなり手を挙げた。

 みんながぽかんとしていると、

「黒沢、杏奈で『黒、アン』」

 と解説した。

「いいわね」

 みんなは一斉に手を叩いた。

「それでは、どうぞよろしくお願いします」

 新人アイドルは何度も頭を下げた。


 午後10時を回って、黒沢杏奈とマネージャーは裏口の通用門からテレビ局を出た。外はすっかり夜のとばりに包まれていた。他のメンバーたちも待機している車に乗り込んでいく。

 龍哉は周囲に目を配りながら、

「特に異状はないな」

 と言った。

 さすがにこれだけ大勢の目があれば、襲われることもないだろう。

 二人も待たせてあったタクシーに乗り込んだ。

「あー、疲れた」

 何とか無事に初日を終わることができて、やっと一息つくことができる。跳ね返されるほどの勢いで後部座席に身を投げた。

「二人とも、お疲れさまでした」

 フィオナの声が入ってきた。

「特に彩那は慣れないことばかりで、大変でしたね」

「本当にそうよ。常に人の目ばかり気にしなければならない芸能人って大変よね。あの子たちには同情するわ」

「ともかく、今日は黒沢杏奈という人物を印象づけることに成功したと思います」

「問題は、予告犯がこの餌に食いついてくれるかどうかですね」

 龍哉が横から言った。

「エサって言うな、エサって」

「それについては大丈夫だと思います」

 奏絵も入ってきた。

「こういった自己顕示欲の強い犯人は、他人に間違いを指摘されるのを最も嫌がるものです。そのため犯行にも正確を期す筈ですから、きっと新メンバーも含めた上で順番を守ると考えられます」

「ぜひ、そうあってほしいわね」

 専用回線での会話も、タクシー運転手は別段気にならない様子である。隣りのマネージャーと話しているように見えるからだろう。

「とにかく早く私に食いついてくれないかしら。明日にでも現われたら、返り討ちにしてやるんだから」

 さすがにその台詞には、運転手の肩がびくっと動いた。

「今回は思いっきり私怨が入っているわね、彩那」

 奏絵が言う。

「当ったり前じゃない。私を無理矢理アイドルデビューさせた奴が許せないわ。絶対にとっ捕まえてやるんだから」

「彩那、あまり張り切りすぎないように注意しなさい」

 フィオナがいさめた。

「どうして?」

「課長がいつも言ってるじゃないですか。あなたが張り切るとろくなことにならないって」

「ふん」

「ところで、今夜の二人の食事ですが、奏絵と瀬知さんが作ってくれましたよ」

「おおっ」

 それには龍哉が声を上げた。

「それを聞いて急にお腹が空いてきちゃったわ。今、マンションに居るの?」

「いいえ。今、明日香ちゃんと二人でバスに乗って帰るところ」

「ああ、そうなの。二人には今日の苦労話を色々と聞いてもらいたかったわ」

「ちゃんと二人してテレビを見てたから分かっているわよ。アラセブの中で、彩那が一番可愛く映ってたよ」

「本当?」

「一瞬、小さく映っただけなんだけど」

「それじゃあ、可愛いかどうかなんて分からないじゃない」

「まあ、確かに」

 二人は笑った。

 こうして友だちと話していると、徐々に疲れも取れていくような気がする。

 菅原刑事からの報告が入った。

「スタジオにいた3人についてですが、男性二人はベイビーアンドボーイズというアイドルグループのメンバーです。背の高い方が斉藤琉児(りゅうじ)。がっちりした方が中佐古翔汰(しょうた)です。何でも以前番組にゲスト出演したことがあって、それからちょくちょく収録スタジオに顔を出しているらしいです。あとこれは噂ですが、二人は新人アイドルを見ると誰にでも声を掛けているようですから、彩那さんは気をつけてください」

「こいつは大丈夫です」

 マネージャーが自信を持って言った。

「それ、どういう意味よ」

「須崎多香美との関係は?」

 フィオナが促した。

「二人とも彼女に言い寄っているらしいですが、彼女は全然相手にしていないみたいですね」

「ふうん」

 彩那は鼻を鳴らした。

「それから、中佐古翔汰に関しては、アマチュアボクシング経験者で逮捕歴があります。デビュー前に、飲食店の店主を殴って傷害罪で捕まっています。

 それから女性の方ですが、彼女は楠木かえでという女優です。若い頃に映画デビューを果たし、十数年前まではドラマにもよく出演していましたが、最近ではそのようなオファーもないそうです。彼女も番組にゲスト出演して以来、アラセブを見守る良きおばあさん役となっているようです」

「どちらも事件とは関係なさそうね」

 彩那はあくびをしながらそう言うと、そのまま眠りに落ちてしまった。

 新人アイドルを乗せたタクシーは夜の街を走り抜けていった。

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