表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/59

黒沢杏奈がデビューするまで(2)

 明日香は3人の高校生に囲まれて歩き始めた。どうやら嫌々ながらも捜査班の仕事を引き受けてくれるようだ。彩那は嬉しくなった。

 下校する中学生らがそんな一団に訝しげな視線を投げかけてくる。そんな時、明日香がひとたび睨みを利かせると、誰もが蜘蛛の子を散らすように逃げていった。やはり彼女は学校で怖がられている存在らしい。

 3人の誰もが彼女にどんな言葉を掛けたらよいのか分からず、しばらくは無言のままだった。

 そんな重苦しい空気を一掃したのは、龍哉だった。

「ひとつ瀬知に訊きたいのだが、黒沢杏奈のダンスはアラセブで通用するかな?」

 あまりにもストレートな質問に、彩那は面食らった。

「それは無理です」

 明日香も正直に答える。

「やっぱりな」

 彩那は何か言おうとしたが、言葉を飲み込んだ。それは当然の評価に思えたからである。何を言ったところで事実は変わらない。

 後輩はそんな先輩の落ち込んだ様子を察してか、

「時間が足りなさすぎます」

 と言った。

「明日香ちゃんはそれだけ踊れるようになるまで、どのくらい掛かったの?」

 奏絵が興味深げに尋ねた。

「6、7年です」

「こいつの場合、たったの数日だからな。無理もないか」

 龍哉は諦め切った口調で言った。

 なおも彩那が黙っていると、

「でも、前よりはよくなったと思います」

 明日香はぼそっと言った。

 デビューを目の前にして、ますます気が重くなってきた。こんな状態で、果たしてアラセブのメンバーとうまくやっていけるのだろうか。

 一団が辿り着いたのは官舎内にある小さな公園である。中学生の明日香にとって、ここは自宅と目と鼻の先なので都合がよい。

 龍哉がバッグからCDラジカセを取り出して、ベンチの上に置いた。

 彩那は制服の上着を脱いだ。明日香もセーラー服を脱いで体操服姿になった。二人の準備が整ったところで、龍哉はアラセブの新曲を流した。

 曲に合わせて二人が踊り出す。龍哉と奏絵がそれを見守る。曲が終わる度に、明日香が熱心にアドバイスを与えてくれた。

 練習を続けていると、どこからか子どもたちが集まってきた。近所の小学生である。中には学校帰りの子もいて、ランドセルがずらりとベンチに並んだ。

 彼らは彩那のぎこちないダンスを見て容赦なく笑ったが、ひとたび明日香が踊り始めると水を打ったように静まり返って、自然と手拍子を打ち始めた。

 不良娘は踊っているうちに、心が軽くなってくるのか、時折女の子らしい表情を見せるようになった。父親と死に別れ、不安定だった心が少しずつ落ち着きを取り戻してきたようだった。

 彩那はそんな様子を目にして、彼女をダンスのコーチにしたのは案外正解だったかもしれないと思った。


 いよいよデビュー前日。

 夕方は練習を早目に切り上げ、捜査班のメンバー3人は明日香とともに、バスと地下鉄を乗り継いで都内のある場所へと向かった。警察の官給品であるスマートフォンの道案内を頼りに、迷うことなく到着することができた。

 7階建てのマンションである。

 周りは高層ビルが競い合って建っていて、それらと比べると古めかしい感じは否めなかった。

「黒沢杏奈とマネージャーには、しばらくここに住んでもらいます」

 フィオナが事務的に言った。

「ちょっと待ってよ。もしかして龍哉と二人だけで暮らすの?」

 新人アイドルは慌てて専用回線に向かって声を張り上げた。

「はい、そうですが」

 指令長は平然と言ってのける。

「学校はどうするのよ?」

「毎日、そこから通うことになります」

「ええっ」

「随分と遠くなっちゃったね」

 隣で奏絵がつぶやいた。

「どうして、こんな隠れ家みたいな所に住むわけ?」

「デビュー後は、何が起こるか分かりません。もし犯人に尾行でもされて、本当の自宅を知られる訳にはいかないからです」

「ふうん」

「それに、そこはテレビ局から近いので、何かと便利なのです。ちなみに警視庁本庁舎の近くでもあります」

「ああ、そう」

 フィオナに指示されて、4人はエレベーターに乗った。

 3階で降りて、廊下を突き当たりまで進むと、ドアの前で菅原刑事が待っていた。

「みなさん、お部屋はこちらですよ」

 そう言って鍵を開けてくれた。

 高校生3人は我先にと部屋へ雪崩れ込んだ。

 2LDKの間取りである。

 カーテンを開くと、小さなバルコニーがあった。すぐ隣には高層ビルが建っているので、日当たりはあまりよくない。

「結構、綺麗なところじゃない?」

 奏絵がはしゃいだ声を上げた。

「そうねえ、部屋は別々だし、お風呂もちゃんとついてるしね」

 彩那は間取りを確認した上で応えた。

「こんな都心で暮らせるなんて、やっぱり芸能人って素敵だわ」

 友人は興奮を隠せない様子である。

「フィオ、荷物はどうするの?」

 彩那が訊くと、

「明日の昼までに、私が運んでおきますよ」

 すぐ目の前で、菅原刑事が答えた。

「二人とも、家に帰ったら必要なものをまとめておきなさい」

 とフィオナからの指示。

「炊事や洗濯は?」

「それは、私たちの担当よ」

 奏絵が明日香と肩を並べて答えた。

「お母さんも、できるだけ顔を出すから」

 梨穂子が回線の向こうで言ってくれた。

 家族、友人、そして明日香がサポートしてくれることが嬉しかった。明日からアイドルになるのは荷が重いが、心がほんの少し軽くなった気がした。

「ありがとう、みんな。私、頑張る」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ