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妖精の宿る木、大いに苦悩する

 放課後の体育館。

 初秋を迎えたとはいえ、差し込む日差しは真夏の頃と変わりない。窓という窓は揃って大きく口を開いているが、気温を下げる効果はなさそうだ。時折思い出したように吹く風も、館内の熱気を押し出すほどの勢いがないからである。

 そんなまるで火に掛けられた鍋の中、茹でられているのは何を隠そう、演劇部である。来月の学園祭、さらにその先幼稚園での特別公演が待っている。

 壇上では主役の掛け声を合図に、出演者全員によるダンスパフォーマンスが始まった。今回の演目はミュージカルなのである。

 音楽に合わせて、役者はそれぞれの衣装でステージを舞う。一人ひとりが次々に折り重なって、最後は中央の主役を引き立てるように整列した。

「ストップ、ストップ!」

 部長、神城かみじょうみゆきの苛立つ声が館内に響き渡った。

 時間を止められた役者たちの額からは汗がしたたり落ちている。

 意味もなく音楽だけが先に進んでいた。それも担当者によって止められると、いよいよ館内は静寂に包まれた。

「そこ、妖精の宿る木!」

 みゆきに指をさされて全身を硬直させたのは、倉沢彩那(あやな)である。この後部長から繰り出される台詞は、すっかり予想がついていた。

「倉沢さん、あなただけ他の人と全然動きが合ってない。客席から見ていると、悪い意味で主役を喰っているほどよ」

 役者たちの視線が自然と彩那に集まる。

「曲に合わせて、もっとしなやかに動いて頂戴」

「はい、すみません」

「それでは、十分間休憩!」

 その声を合図に、舞台上の時間が再び動き始めた。役者たちは散開した。

 当の彩那はその場でへなへなと尻餅をついた。

 そこへ一人の老人が迫ってきた。顔面しわまみれで、立派なあごひげをたくわえている。それにしても、彼の移動速度は明らかに年寄りのものではなかった。

「おい、彩那。お前のせいで、先に進まないだろ」

 目の前に立ちはだかったのは、村の長老、小柴内こしばうち正幸である。

「そんなこと言ったって、しょうがないでしょ」

「お前は頭を使うことはともかく、身体を使うことは得意の筈だろ。それなのに、どうしてダンスとなると、からっきしダメなんだよ?」

「もう、いちいちうるさいわね」

 人は正論を突きつけられると、感情的にしか言い返せない。

 二人がいつまでも言い争っているところに、背後からゆっくりと近づく者があった。

 みすぼらしい服を身にまとい、長い髪を後ろで束ねた女性――こちらは村の娘A、筑間ちくま奏絵かなえである。

「ねえ、彩那。後ろから見ていても、見事なぐらい誰とも合ってないんだけど」

 眼鏡の奥の大きな瞳は、いつも好奇心で満ち溢れている。

「ひょっとして、みんなとは違った音楽が聞こえてるの? それとも神から何かお告げでもあったとか?」

「あのねえ、そんな訳ないでしょ」

 友人の怒声に奏絵は肩をすくめると、小さく舌を出した。そんな仕草も美少女がすると嫌味にならない。

「さっきから聞いていれば、二人とも誰に向かって口利いてるの。この舞台では、私、妖精役なんですけど」

 彩那は胸を張って、反撃に転じた。

「お前は妖精そのものじゃなくて、妖精の成る木だろ」

「正しくは、成る木ではなく、宿る木ですけどね」

「そういう細かいところはどうでもいいのよ」

 そこに勇者が通り掛かった。

 ひときわ大きな剣を携え、堂々たる足の運びは、まさにこの舞台の主役に相応しい。白い衣装が、背の高い彼に見事に似合っていた。

 彼こそが、彩那の兄、龍哉たつやである。

「お前、運動は何でもできると思っていたが、ダンスだけは壊滅的なんだな」

「ふん、何よ。みんなで寄ってたかって」

 彩那はついにいじけて、床の上を指でこすった。

 老人は容赦なく、木の根っこ辺りを踏みつけて、

「落ち込んだ振りしてもダメだぞ。お前のへっぽこダンスのせいで、ちっとも練習が終わらないんだからな。俺はこの後大事な用事があるんだよ」

「でも、彩那はもともと運動神経はいいのだから、コツさえ掴めばすぐに上達すると思うけどな」

 村の娘Aは優しくて涙が出る。

「CDを借りて、家で特訓するしかないな」

 一方、勇者は身内に厳しい。

 龍哉は妹の返事を待たず、身軽に舞台から飛び降りると、部長、神城みゆきの元へと向かった。何やら言葉を交わした後、みゆきの渋い表情が一転、満面の笑みへと変わった。そして最後には、二人は大袈裟に握手を交わした。どうやら交渉は成立したと見える。

 そんな勇者のおかげで、ダンスパートを飛ばして練習は続けられることになった。すると特に問題もなく、部活動は時間通りに終了した。


 同級生4人は、西日で顔を真っ赤に染めながら帰路についていた。

「おい、彩那。みんなお前に振り回されてんだから、前みたいにフィレオフィッシュバーガーを奢る気にはならんのか?」

 先を行く小柴内が振り返った。

「自己嫌悪に陥っていて、それどころじゃないわよ」

「まあ、おかげで、しばらくは大きな顔ができない訳だな」

 小柴内は、ほくほく顔で言ってから、突然手を叩いた。

「そうだ、忘れてた。ちょっとCD買ってくるから、先に帰ってくれ」

「どうぞ、ご自由に」

「今日は、待ちに待ったアラセブの新曲の発売日なんだよ」

「何、それ?」

「お前、知らないのか?」

 小柴内は、珍種の動物に遭遇したかのような表情を浮かべた。

「筑間は、もちろん知っているだろ?」

「ええ、一応。今人気のダンスユニットですよね」

「そう。アラウンド・セブンティーン。略してアラセブ」

「ふーん」

 芸能界に興味のない彩那は、そんなふうに鼻を鳴らすしかない。

「まあ、お前には一生縁のないグループだけどな。激しいダンスパフォーマンスが売りなんだ」

「そんな心配、しなくて結構よ。アイドルになりたいなんて、これっぽっちも考えてないから」

「それもそうだな。じゃあな」

 小柴内は一人笑いながら、商店街の奥へと消えていった。

「俺たちもスーパーに寄っていくぞ。晩飯が何もないんだ」

 今度は龍哉が振り返った。

 二人の両親は警察官である。夜勤があるため、週に何度か家に帰ってこない日がある。そんな時は、兄妹が交代で夕飯を作ることになっていた。今夜の当番は龍哉である。

「カップ焼きそばでいいだろ?」

「ええ、いいけど」

 彩那は適当に頷いてから、

「それより、二人に聞きたいことがあるのよ」

 倉沢兄妹と奏絵の3人は一列になって歩き出した。

「ねえ、踊る時って、曲が耳に到達してから動き出すの? それとも曲より少し前に動き出して、結果的に合わせてるの?」

「質問の意味がよく分からないんだけど」

 友人の怪訝そうな声。

「いかにもダンスができないやつの屁理屈だな」

 龍哉も呆れた調子で言った。

「私は真面目に訊いているのよ。どうやって音楽とシンクロさせるか、これは極めて重要な問題でしょ?」

「つまり、曲に遅れないように、早めに身体を動かす作戦か」

「そう。それなら曲に置いていかれるような、みっともないことにはならないでしょ?」

「ダメよ。そんなこと考えていたら、余計ぎこちなくなってしまうもの」

「筑間の言う通り。曲と振り付けは同時じゃなきゃダメなんだよ」

「それができないから苦労してるんじゃない」

 彩那は鼻から息を吐いた。

「お前に基本的な質問がある」

「何よ?」

「ラジオ体操は、まともにできるのか?」

「ええ、問題ないと思う」

「それじゃあ、盆踊りは?」

「まあ、何とかついて行けると思う。だって、あれはそもそもカクカクした動きだから、少々ぎこちなくてもバレないでしょ」

「では、フォークダンスは?」

「中学の時、体育祭でやったわね。あれはテンポが遅いから、曲と合ってなくてもバレなかった気がするのよね」

「さっきからバレるとかバレないとか、それって結局できてないってことじゃない?」

 さすがに奏絵は鋭い。

「今夜はできるようになるまで、飯抜きだな」

「妖精の宿る木、餓死確定」

「あのねえ」

 彩那は友人を睨みつけてから、

「兄妹二人だけで練習するのって、正直気が進まないのよ」

「そんなこと言ったって仕方ないだろう。お前が下手なんだから」

「ほら、すぐにそうやって見下すでしょ? それが嫌だっていうの」

 それには奏絵が小さく手を挙げた。

「もし私でよかったら、その練習に付き合ってあげようか?」

「そりゃあ、大歓迎よ」

 彩那は友人の手をとった。

「ついでに夕飯のお手伝いもさせて」

「ぜひ、そうしてくれ。筑間の作る飯は旨いからな」

 今度は彩那を押しのけて、龍哉が握手を求めた。

 それは珍しく兄妹の利害が一致した瞬間であった。

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