こぼれるお嬢様
勇ましく拳を入れた体勢の蝶湖様と、私と有朋さんの三人、この状況にわけもわからず固まってしまいました。
「え……うらら、どうして?」
「蝶湖……さん……?」
「つ、月詠さんっ?ん?ーんっ?」
練習初日に、ダンススタジオで会って以来、久しぶりに蝶湖様の姿を拝見しました。
先日会った時と同じ様に、シンプルなシャツとパンツ姿の蝶湖様は、やはりとても素敵です。
普段ならば、思いがけず出会ったとしたなら、喜んで駆け寄って話かけるところなのですが、どうしましょうか。
この状況ではこれ以上言葉をかけることに躊躇して、ただ、立ちつくすことしかできません。
その戸惑いの中、真っ先に動いたというか、呻いたのが、蝶湖様からのパンチをいただいた望月さんでした。床にうずくまるようにして、手でバンバンと床を叩かれたところで、三人の意識がようやくそちらへと動いたのです。
「大丈夫ですか?」
そうして駆け寄りハンカチを手渡すと、ごほっげほっ!と大きく咳き込まれました。
「いいのよ、うらら。そんなの放っておいて」
いえいえいえ、ダメでしょう。
苦々しく望月さんを見下す蝶湖様を無視して、望月さんの様子をみます。
「ちょっ、月詠さん。これはひどくない?」
「手加減はしたもの」
あっさりと、事も無げに言い放たれた蝶湖様ですが、流石にこれはやりすぎです。
「蝶湖さん……」
理由も知らないのに口出しする権利はないのもわかっていますが、一方的な暴力はやはり良くないと思います。
それをどうやって伝えようかと、ジッと蝶湖様の目を見つめていると、なんだか狼狽えたように目をきょろきょろとさせ、上を向いて何かを呟いています。そうして軽く口を尖らせて、望月さんに向かい、悪かった……わよ。と謝られました。
「謝るなら……ごほっ。最初、から殴るなっ」
なんとか喋る事が出来るまで落ち着かれた望月さんですが、まだ少しふらついているようですからと、サロンの中で休ませることにしました。
私たちではとても支えることが出来ないからと、サロンの内線で下弦さんを呼ぼうとしたのですが、蝶湖様があっさりと肩をかして中へ運んでしまいます。
「蝶湖さん……本当に力がおありなのですね」
そういえば、以前有朋さんもそう言ってましたね、と感心していると、そうでもないわと謙遜なされます。
そうして、少し乱暴にソファーに横にさせて、蝶湖様自身で呼び出しのために内線に手をかけられました。
「うらら、これ。これっ!」
内緒話でもするように、声を潜めて有朋さんが私を呼ぶ声に振り向くと、そこには素晴らしく美しい、真っ白なドレスが飾られています。
手の込んだ薔薇の刺繍に、細かく繊細なレースが嫌みなく重ねられたそれは、この見るからに高級店といった中でも取り分け素晴らしい一品なのだとわかりました。
けれども、私が驚いたのはそれだけではないのです。
「ただ、これってさあ……なんかアレっぽくない?」
「ええ……」
裾を大きく引きずるような、巧緻かつ美麗なレースで飾られたロングトレーンドレスは、決してダンス用などではありません。
これは、これでは……
「これじゃ、まるでウエディングドレスよねえ」
まるで、ウエディングドレス……その有朋さんの言葉に、胸がギリギリと掻き毟られるような気がしました。
そうです。ここに飾られているのは間違いなくウエディングドレスなのです。
そして、この部屋に通されたのは……蝶湖様と望月さんの二人。
その事実は、美しいそのドレスの主が、誰かということを悠然と物語っています。
呆然と、ただそのドレスを見つめていましたが、後ろから蝶湖様の涼やかな声がかかり、はっと我に返りました。
「直ぐに朧と熊が来るから。そしたら、さっさと帰り……うらら?」
…………泣いているの?
心配そうな蝶湖様のその声に、はじめて自分が泣いているのに気がつきました。
あれ?……え、どうして……?
私自身、驚き、慌てて目を瞬かせると、下瞼に溜まった涙がぽろぽろとこぼれ落ちたのです。
「うらら!ああ、これを」
蝶湖様が、パンツのポケットから急いでハンカチを出し手渡して下さいます。
けれども、シミ一つない真っ白なそれが、まるであのウエディングドレスの一片のように思えて、衝動的に叩き落としてしまいました。
「え?」
蝶湖様も、それを見ていた有朋さんも、そして叩き落とした私自身ですら驚きました。
どうして?何故?……こんなことを!?
不意にこみ上げてきた感情が、自分でも止めることができません。
私は、私は…………
「勘弁してよー、蝶湖。折角時間合わせてあげたのに、うぉっと……」
ガチャリと、ドアを開ける音がした瞬間、弾かれるようにしてそちらへと急ぎ向かいました。
そうして、声の主である下弦さんを押しのけて、外へと走り出したのです。
後ろの方で、誰かの呼び止める声が聞こえましたが、とてもではありませんが、今あの場所に留まることなど無理です。
こんな、こんな疎ましい思いのまま、蝶湖様と合わせる顔がないのです。
お店をすり抜けるように出て、急いで自宅方面へと走ります。早く、ここより遠くへ行きたいと、出来るだけ早く足を動かしますが、やはり私の足は遅かったらしく、少し息を継いだ時、バッと右手を取られました。
「っは、ちょっと、もー……何なのよ、あんたは?一体どうしたっていうのよ?!」
はーはーと、息を切らしながら、有朋さんが私に追いつき声をかけてくれます。
相変わらず飾らない有朋さんの言葉ですが、心配してくれているのは表情でわかりました。
その優しさに、思わずまた涙が込み上げてきてしまいます。
有朋さんが渡してくれたハンカチを、今回はしっかりと受け取り、ギュッと目に押し当てました。
これ以上、私の気持ちがこぼれ落ちてこないようにと、強く。強く。




