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病室のお嬢様


 紫色の薄いベールの様な膜が幾重にも重なり波打つ空間に一人、私はどこへ行ったらいいのかと途方に暮れていました。その柔らかな膜を触り押しのけようとしても、ただ揺れては漂うばかりでどうにもなりません。そうしているうちにだんだんと、どうしてここにいるのかもわからなくなってきました。

 遠くなる意識の向こうで誰かが泣いているような、叫んでいるような、そんな悲痛な嘆きが微かに聞こえてきます。


 とても、とても、悲しそうなその声に、私は大丈夫ですからと、そう教えてあげたいのに声が届かない。



 どうか泣かないで。なかないで、ください。だれ か、か れに、ど う か ――――






 突然、スイッチが切り替わるようにして目が覚めました。まるで、先程の夢の中が現実で、今のこの状態がどこか夢の中のような感覚に頭が追い付いていけません。

 白い天井をぼんやりと見つめていれば、ひゅぅっ、と吸い込む息の音と同時に、目の前に映りこんできた、蝶湖様の大きく見開いた瞳。


「うらら……っ、よかっ……た」


 そうおっしゃって、綺麗な眉をくしゃりと歪め、私の頬へ躊躇いがちに手を添えます。


 いやだわ、そんな大げさです。覚めきらない頭で、そう言う代わりに蝶湖様の手に私の手を重ねようとすると、ビリッとした痛みが肩に響きました。


「つっ……」

「無理しないで……強く、捻られたから……」


 そうでした。新明さん相手に随分と無茶な意地を張ってしまったと、思い出します。

 痛む左腕の方に視線を向ければ、肩に貼られたシップの匂いが鼻につきました。そして手首にまで、とてもきっちりと包帯がまかれていて、なんだかいたたまれません。


「ちょっと、過剰包装ですね」


 そうおどけて、横の椅子に座っていた蝶湖様に手伝ってもらい、寝転んでいたベッドからゆっくりと体を持ち上げます。ヘッドボードに寄りかかるように座れば、ベッドからは少し離れたところに居たのでしょうか、十六夜さんの声で、そんなことはないと労わるような言葉がかかりました。


 そういえば、よく見ればここは学園の保健室ではないようです。学園の保健室も他の学校に比べればかなり立派なのですが、ここはもう、そんなレベルでは計れない程ゴージャスな個室です。確か、十六夜さんお宅が病院を経営していると聞いたことがありましたので、きっと、その病院なのでしょう。


「手首の傷もだけど、掴んだ痕がひどく残っています。肩も関節までいかなかったからよかったようなものの、これは明らかに傷害です」

「……傷害だなんて、大げさです」

「大げさなもんか。正直、朔太朗くんがどうしてこんなことをって、思うけれど……事実は変わらない」


 顔を曇らせ、そう十六夜さんが言いました。

 蝶湖様も、同意するように頷き、私に向かい合います。


「うらら、少なくとも私にとっては、あなたのそのケガはとてもおろそかにできないことだわ」


「僕もそう思います。訴えると言われれば、そのように……」


「っ、やめて下さい!」


 思いのほか大きな声を出してしまったことに、自分でも驚きます。けれども、私以上に驚いていたのは、蝶湖様と十六夜さんの方でした。


「傷といってもずっと残るものではないでしょう?でしたらこれ以上大事にはしないでください」

「でも、……っ」


 私の言葉に異を唱えようとした蝶湖様の唇に、そっと指を添え制止します。


「私は大丈夫です。ね、だから、」



 泣かないで――



 蝶湖様には涙は似合いませんからと、なだめる様に伝えれば、蝶湖様のその白い肌がいきなり紅を散らしたように真っ赤になって、はくはくと慌てたように息を継ぎ、拳に力を込め、


「泣いてませんっ!」


 とても大きな声で力いっぱい否定なされました。


 そうでしたか。誰かが泣いているような気がしたので……しかしそれは失礼なことを言ってしまいましたと本来なら反省するところですが、蝶湖様のあまりの子供っぽい仕草に、思わずクスッと笑いが漏れてしまいます。


「今日は、随分と蝶湖さんの意外な一面を見せていただけていますね」


 怒った顔に、慌てたような顔、まるで自分のケガのように痛ましそうな顔、そしてとても子供っぽい顔。


 いつもの優しい顔も素敵ですが、色々な表情を見せていただけると、なんだか素の蝶湖様を感じられるようで、とても嬉しいです。こんな時に不謹慎かもしれませんが、ついそんなことを口走ってしまいました。


 そんな私の言葉を聞いて、蝶湖様は両手で頭を抱えこんで動かなくなってしまいました。


 少し調子に乗りすぎてしまったでしょうか?



「……なんというか、蝶湖がここまで振り回される姿を見る日が来るとは思わなかったよ」


 呆れたような、どこか同情的なような声で、十六夜さんが蝶湖様に声をかけます。

 なんだかとても聞き取りにくい小さな声で二人、やりとりをした後、十六夜さんが私の方に向き直りました。


「本当に、朔太朗くんのことはいいの?」

「はい。大丈夫ですから」


 思うところが何もないとは言いません。けれども、新明さんのああいった行動の理由が、なんとなくですが理解できてしまう自分がいるのです。


「それに、あまり大事にしてしまうと」

「ん?」


「対決がなくなって、有朋さんに怒られてしまいます」


 ぐふっ。そう笑いを飲み込む音がしました。

 

 笑いごとではないです。もの凄く怖いんですよ、有朋さん。と正直な言葉を口にだしたら、何故か今度は病室のドア近くから大爆笑が起こりました。



「へぇー、うらら、あんた私のことそんなふうに思ってたわけだー?」


 あら。……あら?有朋さん、いらっしゃいませ……



 どういう訳か、一難去ってまた一難の模様です。



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