庶民生まれのお嬢様
わりと行き当たりばったり勢いで書いていきます。
アンネローザ・オルテガモ。伯爵家の長女として生を受けた私は、小さな頃から貴族としての教育を大変厳しく躾けられてまいりました。
お父様はラクロフィーネ王国のオルテガモ伯爵、お母様は同王国の伯爵家令嬢として育ち、貴族としての矜持を大変お強く持っていた方です。お父様の性格によく似た尊大な弟と母によく似た気質の妹が一人ずつ。血を繋ぐといった意味で言えば、母は貴族女性としての義務を全うしたといっていいのでしょう。
しかし残念ながらオルテガモ伯爵家は家格に見合うほどの財産がありませんでした。領地はやせ細り、これといった特産もなく、領地からの収入も先細りです。
それでもつつましくささやかに暮らしていけば良かったのですが、そこはやはり貴族なのでしょう。見栄に社交にお金を掛けられずにはいられないのです。
大ぶりのリボンが付いたピンクのドレスは私の好みではありませんでした。
あれは第二王子の好みです。
スカート裾に刺しゅうの施された意匠は最新のモードなのだと教えられましたけれども、あんなに大きく高価なビーズなど不要ではないかと申しましたが、お母様に一蹴されました。
あなたは第二王子妃になるのだから当然だと。
ありえない。と、いくら反論しても届きません。
無駄な夢をあきらめて堅実に生きたいと、わずかばかりの抵抗も意味をなさないのです。
そうして夜会用にまとめられた髪に手を当てて泣きたい気持ちをぐっと抑えることしかできませんでした。
そんな生活の中、私、アンネローザ・オルテガモはしみじみと思うようになってしまったのです。
ああ庶民になりたい!と……
「あ……もうこんな時間なのね」
早く支度をしなくてはと、鏡の前に立ちもう一度新しい制服がおかしくないか確認をします。
ベージュに茶色のラインが入ったジャケット、胸に切り替えの入ったワンピース型の制服はとても気に入ってます。
出来ればスカート丈はくるぶしまで欲しかったのだけれど、それじゃあスケバンだわとお母様に言われました。スケバンって何だかわからなかったけれども、くるぶし丈の制服はありえないということは理解できましたので厚手のタイツをはくことにしました。どうしても足を出すことは未だに抵抗があるのですが、いたしかたありません。
サイドの髪を三つ編みして後ろでまとめる。お気に入りのバレッタをつければ完成です。
「お姉ちゃん、おはー」
「おはよう、きららちゃん。今朝は早いのね」
「……っす」
「おはよう、はると君。今日はゆっくりね。朝練習はないの?」
「だってー、今日はお姉ちゃんの入学式じゃん!いっしょに写真撮ろうと思って頑張って起きた」
はる兄も待ってたんだからーと、からかうように笑う妹が可愛いすぎます。最近気難しくなってきたはると君は「うるさい」と、きららちゃんの頭を叩こうとするので、あわてて間に入りました。
「ありがとう。じゃあ一緒に写真撮ってくれるかしら?」
両手に花とばかりに腕を組むと、きららちゃんは私の胸にすりすりと頭を寄せて、はると君はなんだかもぞもぞと落ち着きがない。ああ、本当にうちの弟と妹が可愛いすぎます。
二人のスマホで写真を撮っていると、お父様がスーツにネクタイを巻き付けながらダイニングに顔を出しました。
「おはようございます。お父様」
「おはよう、うらら。今日は入学式だねー、おめでとう」
「ありがとうございます」
笑顔を返して紅茶を入れましょう。
「せっかくの晴れの日に新素材の勉強会で日帰り出張だなんてやだなあ。……やっぱり休んで入学式に出ようかな」
「あら、一人で大丈夫ですわよ。もう高校生なのですから」
「いや、でも。ねえ……」
「私のことよりも、明日のきららちゃんの中学の入学式のほうへ出席してください」
「……はい」
きっぱりとお断りをします。お母様もパートの都合で明日しか休めないのだから、きららちゃんの方を優先してほしいですわ。なんといってもまだ12歳なのです。大体可愛い妹の行事はきちんと記録してきてくださいな、お父様。
紅茶で喉を潤し、さてと腰を上げます。
「では、いってきますわ」
「いってらっしゃい。本当に気を付けてね、えっと、いろいろと」
「いってらっしゃーい!お姉ちゃん、ガンバ!」
「気いつけて」
玄関を開ければ、すっきりと晴れ渡る空が映えています。新しい事が始まるにはもってこいの天気だわ。さあ、行きましょう。
前世とは全く違う、15歳の春の一歩を踏み出しました。
私、天道うららは、庶民生まれの庶民育ち、まさしく生粋の庶民の中の庶民です。
お父様は中堅企業の資材課課長。お母様は特売が売りの激安スーパータチカワのパート店員で、たまにおかずが総菜になることもあります。そしてちょっと不愛想な弟とだいぶ生意気盛りな妹が一人ずつの、全くよくある五人家族なのです。
むしろ年頃の子供が三人いるおかげで生活費も若干切り詰め生活をしているといってもいいのですが。それでもなんだかんだと仲良くつつましく暮らしている、普通の、ごく普通の生活です。何せ庶民ですから。
けれども実は私は、庶民という名の範疇からは少しばかり外れていたのでした。
「ふぅ……」
入学式へ向かうバスの中で、ふいに声をもらしてしまいました。周囲に聞こえてしまわなかっただろうかと、軽く見回すと同世代の少年が慌ててそっぽをむいたのが見えます。
いけない、恥ずかしいわ。気をつけなくっちゃ。
そう、何もありませんでしたとごまかすようにバスの窓から外を見ることにしました。
久しぶりに夢をみて思い出した、前世での私。
あの頃は本当に若かったわね。つくづくそう思います。お金がないからといって、お金をかけないということは貴族としてありえない。そんなこともわからなかった、いえわかっていたのにわかりたくないと目を背けてしまっていたのです。
馬車の中から垣間見た、爵位とは関係のないところで生活をする人たちに憧れた。生き生きと話し、笑う、そんな生活がしたかった。
だからこそ思います。夢の叶った今の生活を。
庶民って、最高ーっです!
もちろん前に生きていた世界と今の世界は全く別物でしょう。そもそも歴史も地理もそこそこ詳しく勉強してもラクロフィーネなんて国は存在しませんでした。
今でいう中世ヨーロッパのような世界観でしたけれども、道具や動物、ありとあらゆるものがここより一回り大きいものでしたから、多分世界が違うのだと思います。
そして素晴らしいことにあの世界よりも色々なものが素晴らしく進化しているようです。
蛇口をひねれば水は出るし、火を焚かなくても明かりが点くのです。夏に氷が、冬には温風が、いとも簡単に手に入ります。
ああ、なんという夢のような生活。
王族だってこんな生活できなかったでしょう。
淑女たれと細かく厳しいマナーもない。
失敗したからと、扇で叩かれない。口を開けて笑うなと、蔑まれない。
何度でも言いましょう、庶民最高!
ふふ。思わずにやけてしまいます。前世なら社交界デビューをしてより高位の伴侶を目指すことを余儀なくされたこの歳に、学校へ進めることができるなんて。
嬉しすぎて昨夜はよく寝られなかったのだけれど、大丈夫。ああ、楽しみだわ。
バスが停車の知らせを告げました。
今世の期待に満ちた15歳の私が、いざバスのタラップを踏み降ります。
第一話と第二話を統合して、三人称部分を書き直しました。