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第129話:老いた天才剣士は重要人物 敵陣攻略(2)







 翌朝、一つ目の陣に五十、二つ目の陣にも五十の兵士を残して、三つ目の陣に歩兵とフィナスン組、ナフティ組が集まった。荷車をひいてきた二十を超える馬と一緒に。


 騎馬隊はアイラの指揮とノイハの指揮に分かれて、二つ目の陣から東と西へ、敵陣を大きく回り込むように移動している。馬には乗らず、できるだけ背の高い草の間を抜けて。


「騎馬隊、行ったわね」


「ああ、そうだな」


「ジッドもがんばって」


「クレアは治療を頼むぞ」


「任せておいて。フィナスン組とは長い付き合いなのよ」


 クレアとおれはこつんと拳を合わせて分かれた。クレアはこの三つ目の陣の中に残り、後退した負傷兵に薬師として治療を行う。フィナスン組と協力して、だ。フィナスン組からは「姉御」なんて呼ばれている。


 おれたちが敵陣を包囲して攻めようとしているように、あっちからは見えていることだろう。


 馬に気づいたとしても、それが何かを知る者もいない。スレイン王国にはもともと馬がいないのだ。荷車を馬にひかせるのも、オーバは大森林から辺境都市までに制限させていた。今回、このリィブン平原まで荷車を馬にひかせてきたのは、スレイン王国内で初めてのことだった。


 こうして考えると、はなっから辺境伯軍の方が優位なのだ。


 軍の内容という意味では、だ。数では圧倒的に不利。


 そもそも影響下にある町の数がちがう。辺境伯領は十の町をその支配下に置いている。シャンザ公の檄によって、その他のスレイン王国の町は全て敵だと考えると、支配下にある町の数では絶対に勝てない差がある。当然、集められる兵士の数も段違いだ。


 ただ、敵兵の方が圧倒的に多いとしても、それをこういう感じで、ツァイホンの町の攻城戦、リィブン平原の会戦、リィブン平原の陣攻め、というように相手が小出しにしてくれているうちはその差は小さくて済む。


 まあ、敵は、内部分裂しているのがその実態だ。こっちが内部分裂しないようにオーバがうまく調整してきたこともあって、戦う前からその差が大きく見える。


 しかも、これまでの戦いで、勝てる、ということを辺境伯軍はずっと感じてきた。


 兵士一人ひとりの士気の差はあまりにも大きい。


 援軍の王都周辺の人々はもちろん、士気が低い。


 それだけでなく、カイエン候の兵士たちも、士気が高いとはいえない。


 カイエン候の南下はシャンザ公の檄に応じて行われたカイエン候の侵略だ。自領である北方地帯から辺境伯領までの間にあるいくつもの町を手中におさめて、さらには辺境伯領も、と企んでいた。それが辺境伯領に手を伸ばした途端、ツァイホンで敗れ、この平原でも負けた。


 カイエン候の軍師はシャンザ公の檄に否定的で、カイエン候には辺境伯領に手を出さないよう何度も助言したらしい。それでもカイエン候を止められず、カイエン候の指示で別働隊を指揮していくつかの町を攻略し、その途中で軍師はオーバに会って、攻略した町からある程度の物を分捕ると別働隊を北方へと引上げた。


 今、カイエン候とともにいる兵士たちは、軍師と反対の立場、つまり南下して辺境伯領を攻め取ろうという意見を持った者たちの兵士が中心で、大敗したこの前の会戦によって、戦う意欲が激減しているらしい。もういくつかの町を攻め落とし、奪える物は奪ったのだ。これ以上、辺境伯軍という手強い相手と戦って苦労しなくても、という感じになっているようだ。


 カイエン候とすれば、どいつもこいつも勝手なことを言いおって、という感じで、現状に苛立ちを隠せない。奪い取って本当にうまい汁が吸えるのは、スレイン王国の内乱に巻き込まれた北部や中央部の町ではない。これまで内戦から一歩引いて、平和の中でうまくやってきた辺境伯領の町に、食糧から何から、豊かな物がそろっているのだ。ここから先が、一番、落としたい町、手に入れたい町なのだ。そうでなければ、シャンザ公のように王都を支配して権力を握った方がいい。


 その豊かさの差が、今の戦況の差になっていることはカイエン候には読めていない。まあ、相手から奪うことが考え方の中心にある限り、オーバには到底かなわない。カイエン候の軍師というのは、そのあたりがカイエン候とは少しだけちがうようだ。


 はたしてこんな状態でまともな戦いになるのか。


 陣を次々と出て行く歩兵たちに合わせて、三つ目の陣が忙しく動き始める。











 三つ目の陣と敵陣は互いにはっきり見える距離にある。


 もちろん、こちらが攻め寄せるようすは丸見えだ。


 辺境伯軍は、大盾を持った兵士たちを先頭に、敵陣へと寄せていく。歩いて、並んで、できるだけ列を整えて。スィフトゥ男爵の軍勢だけでなく、フェイタン男爵の軍勢もいるので、この前の会戦のようには足並みはそろっていない。それでも、この前の敵軍のように、てんでばらばらに突っ込むようなこともない。


 敵陣の守備兵は、あまりやる気はないにしても、弓矢を構えて準備はしている。


 前回の戦いでは温存していた弓兵だ。陣を守るために使うつもりだから、攻め寄せた前回は温存したのだろう。


 まだ距離があるということも含め、射かけてくるようすはない。


 そして、敵兵は、そのやる気のなさで、重大な失策を犯している。


 自陣に加えられたおかしな物の存在に気づかないのだ。大盾を持つ兵士に注目しているというところも大きい。視線をそっちに誘導しているからな。それも含めておれたちの作戦はうまくいっている。


 当然のことだが、隠蔽はしている。見えにくくなるように、土をかけて埋めている。フィナスン組の細工は上々だ。


 大盾を持つ歩兵に矢を射かけても無駄だと考えている敵陣の兵士は、おれたちが近づいていくとざわめきが起こり、それは次第に大きくなる。盾兵の後ろに、馬がいるからだろう。


 敵陣の兵士たち、彼らにとっては、馬は未知の動物だ。フィナスン組とナフティ組が馬をひいて歩く前を守るように大盾を持った盾兵が進む。


 敵陣のざわつきが大きくなっていく。


 馬に射かけるべきかどうか、判断が難しいのだろう。馬が何のためにここにいるのか、理解できないのだから。


 この馬たちの役割は、突進ではない。突進なら、もうとっくに駆けさせている。この馬たちの役割は、昨日の夜のうちにフィナスン組が敵陣の木柵に結んで地面に埋めたロープを引っ張り、敵陣の木柵を引き倒して破壊することだ。


 盾兵が大盾を見せびらかすように歩き、馬もその姿を見せて進むが、敵兵の足元、敵陣の木柵のところどころに結ばれ、埋められた結び目には一切目を向けさせない。


 敵陣から射程距離に入ると、一斉に矢が飛んでくる。


 おれたちがやっているような、交代での連射などはない。ただの一斉射だ。


 盾兵があっさりと矢を受け止め、さらに前進する。


 敵陣と距離、およそ八メートル。


 最前列の盾兵は馬を守るように矢を防ぎ続けた。


 フィナスン組とナフティ組は、地面に埋められたネアコンイモのロープの端を、馬と荷車をつなげる道具に結びつけていく。急所に当たらなければ、スレイン王国の矢で即死することはない。フィナスン組も、ナフティ組も、度胸は兵士たちよりも上だ。


 盾兵、フィナスン組とナフティ組と馬、それに続いてフェイタン男爵のいる左翼は小盾と銅剣の一団が、スィフトゥ男爵のいる右翼は小盾と槍の一団がいる。さらに後ろから、どちらの軍勢にも弓兵が詰めている。


 フィナスン組から、トゥリムに合図がくる。


 トゥリムが手を挙げて応える。


 そして、馬が敵陣から離れるように動き出した。


 ぐっと後ろ足をふんばり、前足を伸ばす。そして二、三歩進むと、埋めていた土が飛んで、馬と敵陣の木柵の間に結ばれたロープがはっきりと見えた。


 敵陣で矢を放っていた弓兵が手を止めて、陣の内側に向かって何かを叫んでいる。


 しかし、まあ、もう遅い。


 辺境都市と大草原での輸送に活躍してきた馬たちだ。力がちがう。


 馬に引っ張られて、敵陣の南側の木柵の一部が崩れていく。


 中には途中で木柵が折れて、崩れるとまではいかなかったところもあったが、少なくとも八カ所、人が三人くらいは通れる幅で敵陣の木柵が崩れた。


 大騒ぎとなった敵陣では、内側にいた兵士たちが慌てて木柵の近くに出てきた。


 もちろん、それを逃すわけがない。


 スィフトゥ男爵の指示で一斉射、右翼から矢が放たれると、フェイタン男爵もわずかに遅れて一斉射の指示を出す。


 まだ突撃はしない。二人の男爵は盾兵と弓兵に指示を出し、突撃用の小盾の兵士たちは待機させている。


 矢を受けた敵兵が倒れる中、フィナスン組とナフティ組は結んでいたロープをほどいて、馬を敵陣近くへ再び誘導する。そして、次のロープを結びはじめた。


 そのことに気づいた敵兵が伝えようと叫んでいるようだが、木柵を崩された敵陣の騒ぎは大きく、状況の理解は進まないようだ。


 大盾で盾兵が馬を守る中、二度目の馬による木柵崩しが進む。


 馬をしとめようと飛び出した敵兵は、弓兵の餌食になるか、大盾にはばまれて届かない。大盾にはばまれた時点でフィナスン組やナフティ組に切りつけられ、倒れていく。


 さらに五カ所、敵陣の木柵が崩れ、もはや陣とは呼べない姿がそこにはあった。


 フィナスン組とナフティ組は、やることはやった、あとは兵士の仕事だと、堂々と三つ目の陣へ馬と一緒に後退していく。あざやかな働きぶりだ。もう、馬のところに敵の矢は届かない。


 大盾を持った盾兵がゆっくりと前進し、敵兵の矢を防ぐ。こちらからはお返しとばかりに矢を放ち、盾兵の前進を援護する。弓兵たちも、小盾の兵士たちも、盾兵に続いて進む。


 武器を捨て、膝をつけば、殺さない。


 盾兵と小盾の兵士が男爵の合図に合わせて大きな声でそのように叫ぶ。繰り返し、繰り返し叫び続ける。


 混乱している大騒ぎの敵陣にも十分に聞こえる、歩兵たちのそろえられた叫び。


 歩兵たちは、叫んでは一歩、叫んでは一歩と、敵陣へ寄せていく。


 寄れば寄るほどに増えるはずの敵からの矢が、はっきりとその数を減らしていた。


 矢の数が減る理由として思い当たることは二つくらいだろう。


 弓矢を捨てて逃げたか、弓矢を捨てて膝をついたか。


 どちらにせよ、オーバの言う通り、陣攻めなのにまともに相手にならない。


 おれたちがやろうとすることが理解できないから。


 知らないことには対処できない。


 臨機応変に対応できる、そういう厳しい訓練を積んだ軍ではない。カイエン候の軍勢は個の力に頼った荒くれ者の、王都周辺からの援軍はそのへんに住んでいる農夫たちの、まさに寄せ集めでしかない。


 盾兵が敵陣の木柵のところに並んだとき、敵兵は弓や剣を捨てて膝をついているか、背中を向けて走って逃げているかのどちらかだった。


 三つ目の陣から敵陣のようすを確認していた副官のカリフからの伝令が、敵陣の北側からどんどん敵兵が走り出して逃げていることが伝えられたとき、スィフトゥ男爵とフェイタン男爵は競うように捕虜を捕縛するよう命じていた。


 戦わずして勝つ。


 オーバがそう言っていたな、とトゥリムに話すと、トゥリムは神妙にうなずいた。


 あとは、スィフトゥ男爵の目を覚まさせて、追撃だ。
















 捕虜の確保に夢中になっていたスィフトゥ男爵だが、トゥリムが直接話をしたことで、作戦を思い出したようだ。自分で敵兵を捕らえなくても、捕虜は等分すると取り決めてある。捕らえるのは兵数の多いフェイタン男爵に任せるべきなのだ。


 おれも知っている顔の歩兵たちがスィフトゥ男爵の指示で進軍を再開し、逃げ惑う敵兵をどんどん追い詰めていく。


 辺境伯軍が破壊したのは南側の木柵だけである。ここからは辺境伯軍が入ってくるので、カイエン候の軍は逃げられない。北、東、西の三つの門からカイエン候の軍は逃げ出していたが、辺境伯軍の前進により東と西の門からも逃げられないようになった。


 本来なら自分たちを守るはずの木柵が逃走の妨げとなってしまった敵兵は北の木柵の門へと集中している。降伏を呼びかけながら圧力をかけていく辺境伯軍に追い詰められ、武器を捨てて投降する敵兵は増えていく。


 作戦を思い出したスィフトゥ男爵は、捕虜の確保を兵数の多いフェイタン男爵の軍に任せ、敵兵へと圧力をかけるために盾兵、槍兵、弓兵の前進を続けた。もちろん、降伏を呼びかける叫びはぴったりそろって大きく響かせながらの前進である。


「どうやら、作戦通りにいきそうですね」


「身を守る木柵がかえって逃走の邪魔になるとはな。戦に負けるってのは怖いねえ」


「そうですね。では、われわれも行きますか?」


「ま、こっちはもういいだろう。ところで、トゥリム。おれについて来れるのか?」


「遅れても問題ないでしょう? なんとかしますよ」


 トゥリムが少しだけ不満そうな顔をした。


 おれたちの後ろには、フィナスン組が用意した馬が二頭、鼻息をふるるぅっと吐きながら待っていた。


 実はトゥリムは乗馬が苦手なのだ。馬に対する恐怖心がある。


 オーバによると、大草原で辺境伯の軍勢と戦った時に、辺境伯軍がアイラの騎馬隊に蹂躙されていく姿を見て、馬は怖ろしいものだとトゥリムの心に刻まれたらしい。おっかなびっくり馬に乗るので、馬の方もトゥリムが乗ると安心できないのだ。


 おれはトゥリムにネアコンイモからつくったあぶみ用のロープを投げ渡し、さっと自分用の馬の背にまたがった。


 あぶみ用のロープを受け取ったトゥリムも慌てて馬に飛び乗るが、嫌がった馬が少し動いてしまい、トゥリムが馬の背から落ちた。足から落ちて安全に着地できたので怪我はなさそうだ。


「じゃ、先に行くぞ」


 すぐに追いかけます、というトゥリムの声を背中で受け止めて、おれは馬上の人になった。











 馬を走らせながら、あぶみ用のロープの長さを調整し、あぶみにしっかりと足をかけて、下半身を安定させる。大草原で育った氏族の者たちは、もともとあぶみなどなしで馬には乗っていたのだ。馬に乗るということは大森林の者たちよりもおれの方が慣れている。そして、あぶみによって馬上での安定感が増したことで、馬が戦いに使えるようになった。オーバがこれを提案し、実際に大草原で騎馬隊として戦って、馬で戦うことの強さを知った。


 トゥリムを置き去りにしてしまったが、問題はないだろう。


 アイラとノイハに率いられた騎馬隊は作戦開始前から先に回り込んでいる。


 敵陣の北の門からは、少しずつ、少しずつ、逃走する敵兵が吐き出されている。守るためにせまくした門が逃げるためには役に立たないようだ。


 そのうち、木柵のどこかを破壊して、逃げ出す敵兵の数も増えるだろう。ま、その前に多くの敵兵が武器を捨てて捕虜になるとは思う。


 ただし、逃走する敵兵の先頭はもはや捨てた陣から千メートルは離れている。今のところ、ばらけた縦長な集団で数が四百から五百、といったところか。その数は陣から敵兵が逃げ出す度に少しずつ増えていく。縦長に走って逃げるので、兵の厚みは太いところでも四、五人程度。


 おれは逃げる敵兵とは距離をとって、どんどん敵兵の先頭へと進む。アイラとノイハの飛び出しに追いつけるかどうかは、難しそうだ。まあ、突撃におれが一頭だけ加えてもそれほどの差はない。


 東から、アイラの騎馬隊がノイハよりも先に仕掛けるのが見えた。


 逃げる敵兵を先に行かせて、その背中を襲うつもりだ。


 オーバの作戦計画に忠実な、アイラらしい騎兵突撃。


 兵士の背中には防具がない。胸当ては胸を守るが背中は何もない。後ろから馬に踏みつぶされたら運がよくて重傷、悪ければ即死だろう。


 逃げる敵兵の先頭からみて百五十人目くらいのところに、三角陣のままのアイラの騎馬隊が斜めから切り込み、そのまま五、六十人の逃走兵を飲み込むように踏み潰して西へと離脱する。


 運良く標的にされなかった、踏み潰された連中よりも後方の逃走兵の足が止まる。その表情は恐怖にあふれている。足を止めた逃走兵の後ろから新たな逃走兵がどんどん追加されていくが、目の前で起こった光景に呆然として、一度足を止めた逃走兵は動けない。


 逃走兵の一番前にいた先頭集団は何が起きたのか、理解できていなかったようだが、踏み潰されずに逃げ切れたぎりぎりの逃走兵はその走る速度を速め、前の集団と重なり、兵士の列の厚みを増した。


 アイラの騎馬隊が大きく弧を描いて、陣に近い後方に集まりつつある逃走兵へと狙いを定めると、今度はノイハの騎馬隊が西から飛び出してきた。


 ノイハの騎馬隊も同じく三角陣だが、一騎だけ別行動で動いている。ノイハだ。


 三角陣の騎馬隊が、さっきはぎりぎり生き残った逃走兵の最後方を食い破るように踏み潰して東へと抜けていく。集団が厚みを増していたからか、アイラの突撃のときよりも多くの逃走兵が三角陣に飲み込まれていった。聞こえてくる声は悲惨なもの過ぎて、言い表したくない。


 単騎で駆けていたノイハは、四度、逃走兵の先頭へと矢を射かけて、その先へと駆け抜けた。先頭にいた十数人の逃走兵が足を止めて倒れていく。


 普段の食いしん坊のノイハからは考えられないおそるべき武勇。


 大草原の氏族たちでも、馬上からの弓などまともに当てられないというのに。


 後方ではアイラの騎馬隊が動けなくなっていた逃走兵に西から襲いかかる。


 陣に近い後方の逃走兵は北ではなく、東へと逃げて、追い立てられながら次々に踏み潰されていく。


 全ての敵兵を追い越して、先頭の逃走兵よりも前方でゆっくりと円を描くように馬を操るノイハから、次々に矢が放たれて、敵兵の北へ逃走は止まる。


 もう、逃げることはできない。


 そこへ弧を描いて向きを変えたノイハの騎馬隊が東から襲いかかると、逃走兵は西へと逃げて、次々に踏み潰されていく。


 敵陣の中からは、スィフトゥ男爵の軍勢による降伏を呼びかけるかけ声が響いている。


 三度、弧を描いて折り返してきたアイラの騎馬隊を見て、一人の逃走兵が剣を捨てて両膝を大地についた。それに気づいた逃走兵が慌てて同じ行動をとる。


 降伏の合図だ。捕虜になって生き延びようという考えでの行動。


 ・・・しかし、残念ながら、騎馬隊は大草原の男たち。スレイン王国の領主である爵位もちにとっては財産となる捕虜など、大草原の者にとっては何の意味もない。それに、今さら高速移動中の馬を止めるつもりはない。


 指揮官であるアイラもその気はないらしい。陣を捨てて逃げ、騎兵に対する圧倒的な弱者となった時点で、捕虜になれる機会は失われたのだ。今、その命は馬に踏み潰されるためにその存在を短い時間だけ許されていた。


 抵抗をあきらめた数十人ほどの逃走兵が膝をついたまま、騎馬隊に踏み潰されていく。


 同じことは、ノイハの方の騎馬隊でも起きている。


 男爵たちには悪いが、騎馬隊は速度が命。


 敵兵を捕らえているような無駄な時間は騎馬隊にはないのだ。


 陣の外に出た逃走兵は、言いようのない恐怖の中にたたき落とされた。


 陣を飛び出して逃げようとしていた敵兵が、陣へと戻ろうとして反対方向へ動き出した。


 そして、陣の木柵をはさんで、味方同士であるはずの敵兵がぶつかりあう。


 陣の外へ逃げようとする者と陣の中へ戻ろうとする者。


 陣の方向へと戻るのが遅れた者は、次々とアイラの騎馬隊によって踏み潰されていく。


 おれは後ろを確認するのをやめて、速度を上げた。


 逃走兵の先頭集団はすでに十人以下というわずかな数にまで減ってその場に留まっており、二手に分かれたノイハの騎馬隊によって包囲されている。


 追いついたおれはノイハの横に馬を並べてそのまま馬上からわずかな数になった敵兵を見た。一人、いくつもの美しい装飾品を身に付けた男がいた。明らかに、この場では身分がちがうと分かる。


「ノイハ、さすがだな」


「んー、まあ、こんなもんだろ? こんくらいなら、いつでもまーかせろって」


 ノイハはおれの方を向かずに、三本の矢をつがえて弓を引き絞った姿勢のままで答えた。


「あれが、カイエン候って奴?」


「おそらく、そうだろうな」


「足、潰しとくか?」


「この国のきまりだと、諸侯は傷つけてはダメなんだとさ」


「でもさー、この数の差で、取り囲まれても武器を捨てねーし、面倒なんだよー」


 ノイハの騎馬隊はおよそ五十騎。


 残っている敵兵はカイエン候も含めて七人。正直、相手にならないだろう。それでも六人の兵士がカイエン候を守るように円陣を組んでいる。


「ま、諸侯がダメっつーんならさ・・・」


 そう言ったノイハがびゅうと矢を放つ。ノイハのスキル「三本之矢」は一度に三本の矢を射ることが可能な驚きのスキルだ。しかも、ノイハの場合、その命中率と急所狙いが圧倒的に優れている。


 三人の敵兵が小さなうめき声とともに膝をつく。


 残りの三人は慌てて立ち位置を変え、カイエン候の三方を守るように立つ。


「・・・他の奴はいーんだろ?」


 本当に、弓矢に関しては天才だ、ノイハは。


 これも、オーバの言うレベルの高さがステータスに影響しているからなのだろうか?


 千メートル以上向こうに見える敵陣の近くでは、アイラの騎馬隊がすでに速度を落として整列し、突撃をやめている。


 敵陣から逃げだそうと出てくる敵兵も見えない。


 目の前で逃げていた仲間が次々と踏み潰されて倒れていった。彼らは逃げたくても逃げられないのだ。おそらく、武器を捨てて投降しているのだろう。


 もうスィフトゥ男爵の軍勢からは、降伏を呼びかけるかけ声は聞こえてこない。


 ノイハが背中の矢筒から三本の矢を引き抜いて、弓の弦にかける。三本同時にかけるのにその動作は流れるように行われた。


 カイエン候を守る敵兵が身構える。


 そのとき、騎馬隊の包囲の輪が割れて、一頭の馬が包囲の中に飛び込んだ。


「おっ、トゥリムかー」


 のんびりとしたノイハの声に、おれは場違いだな、と心で思った。心で、だ。こんなことを口には出さない。もう大人を通り過ぎて年寄りだからな。


 トゥリムなら、スレイン王国の人とも、まともに会話が通じる。スレイン王国語が話せるから。


 おれたちだと、そこが難しい。


 カイエン候とその兵士たちは、新たに登場した馬上の男を見上げた。


「降伏、命、ある、武器、捨てる」


 相変わらず、スレイン王国の言葉は、おれには一部分しか分からん。


 カイエン候が何か言うと、トゥリムもそれに答え、そのやりとりのあとカイエン候の指示で兵士たちは武器を捨てた。カイエン候は銅剣を腰に差したままだが、これは取り上げられないきまりらしい。スレイン王国の諸侯を守る謎のきまりだ。


 こうして、カイエン候の軍勢は騎馬隊に蹂躙されて崩壊し、生き残りは捕虜となって男爵たちに回収された。


 カイエン候を捕らえるという目標も、ノイハの活躍によって余裕で達成できた。


 もうおれたちがスレイン王国を支配した方がいいんじゃないかと思ってしまうほど、今なら簡単に勝てる状況が用意されている。


 カイエン候たちの歩みに合わせて、すでに落とした敵陣へとゆっくり戻るおれたちのところに、速駆けの騎馬が二頭、迫ってきた。


 ん、誰だ、と目をこらす。


「・・・アイラとカリフ?」


「なんでまた、カリフが?」


 おれとノイハが目を合わせる。


 カリフは三つ目の守備陣を任されていた副官なのだ。守備陣の守りとともに、負傷して後退した兵士たちの治療にあたっていたはず。


 アイラならともかく、こんなところに神殿騎士のカリフが慌ててやってくるのはおかしい。


 そして、そのおかしさは、カリフの報告で、さらにおかしなことになった。











「クレア殿が、消えたのです・・・」











 カリフが言っていることの意味がおれには何ひとつ理解できなかった。










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