第122話:老いた天才剣士は重要人物 ツァイホンの戦い(1)
まだまだ若い者には負けない、とは言わなくなった自分に思うところがない訳ではなくて。
かといって、息子に一本取られるようになった事実からも目をそらすことはできなくて。
・・・まあ、三本中、二本はおれが取るから、息子のムッドに負け続ける訳でもないんだが。オーバによると、ムッドの奴はおれよりレベルは上らしいのが嬉しいような悲しいような気持ちになる。
老いた、という現状を認められないほど、愚かなつもりもない。
大草原の天才剣士などと言われていた恥ずかしい昔のことをいつまでも心の拠り所のようにしているつもりはないのだが、そのことを知る者たちからはそんな過去があるからこそ、自分に向ける尊敬の眼差しが得られるのだということにも、気付いてはいる。
正直なところ、今、自分が強者だとはあまり感じない。
オーバをはじめとして、ジル、ウル、クマラ、アイラなど、アコンにおいては訓練の手合わせで勝てない相手が多過ぎる。
これまでずっと剣に生きてきて、これだけ勝てない相手がいて。
おれはオーバたちの役に立てているのか、という不安は感じている。
そんな不安を感じながら、オーバに頼まれた歩兵隊の総指揮。
思わず、ノイハでいいんじゃないか、とおれは言ってしまったのだが。
「・・・ノイハに指揮なんか無理だろう? こういうのはジッドに任せる」
そんなことをあっさり言うオーバの期待には応えたい。
「それと・・・」
そう言って続けたオーバからの密命。
驚くしかないその内容にオーバからの信頼の厚さを感じる。
それが単純に嬉しかった。
そういう思いで、おれは歩兵隊を引き連れて、歩いたり、舟に乗ったりしながら、はるばるスレイン王国までやってきた。
大草原の果て、天険の隘路を抜けた、噂の辺境都市アルフィからさらにその先。
テツの村という、小さな村。
大草原や大森林では見ない、外壁のある村。
そこに歩兵隊とともにやってきた。
そもそも、歩兵隊のほとんどは、辺境都市アルフィの者たち。つまりスレイン王国の兵士たち。
それをおれが率いるのは、その兵士たちが大森林で訓練を積んだからだ。
辺境都市の支配者である男爵から依頼されたオーバが、兵士たちの訓練を引き受けた。オーバが進めたのはかなり変わった訓練だったようだが、そのオーバの意図は何度も説明を受けた。
・・・オーバは、天才なんだろうな、と思う。
天才でなければ、何だろうか。
少なくとも、おれたちとはかけ離れた、とんでもない考えをもって行動している。
女神さまのご加護を一身に受けているのも当然だろう。
「ジッド殿」
呼ばれておれは顔を上げた。
トゥリムだ。
何年か前の戦いの後、オーバに仕えるといって大森林に移住したスレイン王国の優秀な剣士。
このトゥリムも、おれにとっては勝てない相手の一人。ただし、その中でも、かなりいい勝負ができる相手なのだが。今回、このトゥリムを守ることをオーバから密命として頼まれている。自分より強い奴を守るってのも不思議なもんだ。
オーバが言うには、おれはトゥリムに剣技では負けていないのだと。おれの剣術のスキルレベルの高さでトゥリムとはいい勝負ができているらしい。長年磨いてきたものがいかされていると。ただ、レベル差で最後は勝てていないという。スキルやレベルというのは、オーバがおれたちに教えてくれた、人の強さの秘密。
トゥリムもおれと一緒にこの歩兵隊を率いてくれている。
「こちらがイズタ殿だ」
トゥリムが一人の男を紹介してくれた。
この村の代表者で、オーバともつながりがあるという、鍛冶師イズタ。この村でオーバの指示に従って新しい武器をつくっている。
ここで武器をもらってから進軍してくるように、オーバからは命じられている。
「あー、イズタ、おれはジッド。オーバに頼まれて、ここで武器を受け取るように言われてる。よろしく頼む」
「はい、武器、ある。予備も、ある。すべて、預ける」
イズタはスレイン王国の言葉で話す。
トゥリムはスレイン王国の言葉も、おれたちの言葉もどちらも分かるから、通訳をしてほしいところだ。おれはスレイン王国の言葉だと、なんとなくしか、分からん。戦闘の指示は、短く、分かりやすくが基本だからそれほど問題にはならんのだが。
イズタの向こうから、何人もの男が武器を運んでくる。その武器は、どうも、おれが知っている武器とは、似ているようでまったくの別物のようにも思える・・・。
「・・・トゥリム?」
「ああ、ジッド殿、言いたいことは分かるのだが・・・」
「そうか?」
「私も、同じ気持ちだ」
運ばれてきた武器、を見て。
おれとトゥリムはそろって首を傾げた。
「これが、武器だと・・・?」
それは、想像もしていなかった物だった。
それから、トゥリムの通訳で一生懸命使い方の説明をするイズタの言葉を理解しようとおれは努めた。
テツの村を離れ、さらには海沿いのカスタという町も通り、スレイン王国を進軍していく。
いくつかの町を経由して、アイラの騎馬隊と合流。
先にスレイン王国に入っていたアイラの騎馬隊は、ひたすら訓練に打ち込んでいた。
速度調節と、隊列の維持、そして、速駆けでの隊形移動など、オーバが歩兵たちで徹底して行ってきた訓練を騎馬隊にも厳しく行っている。
何年か前の戦いの時よりも、馬の数が三倍以上になっている。足並みをそろえるのは簡単ではないのだが、アイラの指揮は見事なものだと思う。
半数くらいは大草原からの徴兵なので、まともな訓練はナルカン氏族のところで集結してから始めたはずなのだが、かなり練度が高い。
ちらりと馬上からこっちを見たアイラに、おれは手を振る。
休憩を告げたアイラが、こっちまで馬を寄せてきた。
「遅かったわね、ジッド」
「・・・馬と比べるのはおかしい」
「あはは、そうだったわね。でも、そう考えると、早いのかしらね?」
「オーバが、舟を用意してたからな。スレイン川の大草原側は、一気に移動できた」
「そう。あたしも今度、舟ってのには乗ってみたいわ」
「この戦いが終わったら、帰りに乗ってみるといい。馬より速いし、風が気持ちよかった」
「へえ」
「それで、そろそろ攻め込むのか?」
「うーん、まだみたい。でも、そっちはツァイホンっていう町に入るようにってオーバから指示があったわよ」
「町に入るってことは・・・」
「守る戦いってことよ」
「ツァイホンってのは、どのあたりなんだ?」
「この、辺境伯領の一番北にある町みたいね」
「辺境伯領はスレイン王国の一番南の領地なんだろう? つまり、最前線か」
「そういうこと。ジッドはオーバに信用されてるわ」
「そうか?」
アイラがにこりと笑う。
「あたしたちは、出番は最後の方みたいなのよね。騎馬隊は守る戦いにはいらないって」
「・・・確かに」
馬を走らせて相手を踏み潰していく戦い方は、町を守るためには必要がない。町を守り切って、相手が逃げてからなら、出番もあるってものだろう。騎馬隊は速いしな。人間が走っても、馬からは逃げ切れん。オーバならできそうだが。
「町を守る戦いでも、ぶつかり合う戦いでも、どちらでも圧倒する。そうやって、はっきりと差を見せつけたいみたいね」
「それならオーバが暴れたらいいだろうに」
「・・・それだと意味がないのよ、きっと。でも、戦う前に勝敗は決めておくもの、なんだって。だから、この先の戦いは、オーバにとってはもう勝つことが決まってるのよ」
「準備万端ってことか」
「そうね・・・」
言葉を切ったアイラの視線がすうっと上へ移動していく。
おれも釣られて、上を見る。
「ところで、それが、新しい武器なの?」
「そうみたいだな。使い方は一応、確認してあるんだが」
「町を守るのにはいらない気がするわ」
「・・・町を守るのには使わんが」
「あら、そうなの?」
「そっちは、別の物を預かってる」
「・・・そう。まあ、オーバの考えを最後まで見抜くのは無理よね」
「まともな考えをしてたら、こんなとこで戦おうなんて思わんだろう。ただ、オーバがそうやってスレイン王国とのつながりをつくったことが、間違いなくアコンをあそこまで発展させたんだがな」
「いっぱい人が来たもんねえ。ジッドは、人が増えたアコンが嫌いなの?」
「嫌いってことはない。ただ、知らない奴がいるってのも、慣れないってだけさ」
「・・・前は、アコンじゃ、知ってる人ばっかりだったわね」
どこか懐かしむようにアイラがつぶやく。「人口は百人を目指すってオーバが言ってたのに、いつの間にかその十倍くらいになったもの。いろいろ変わっちゃったわ」
「アコンの木は今じゃ王宮なんて呼ばれてるからな。ほとんどの人はアコンの群生地の周りにできた家に住んでるし・・・」
「水道橋とか、水路とか、馬を乗り換える駅とか、オーバの発想には驚くわ。もう、ダリの泉の村に住んでた昔が夢のことみたいだもの」
「・・・おれが知ってた大草原も、今じゃ、だいぶ変った。ああいう変化が悪いとは思わんのだが、年寄りには慣れんもんだ」
「年寄りじゃないわ」
「アコンでは最年長なんだが・・・」
「そうは見えないってことよ」
ぱしん、とアイラに肩を叩かれた。
そこから感じた気遣いに、おれは小さく息を吐いた。
カスタの町で補給した米を五分の一、アイラの騎馬隊に残して、おれたち歩兵隊は辺境伯領最北の町ツァイホンを目指す。
このあたりの地理はトゥリムが詳しい。
だから道に迷うようなことはない。
オーバがどこの誰を敵として考えているのかはよく分からないが、騎馬隊の存在はまだ隠しておきたいのだということは分かった。
前の戦いでも、そのことは効果的だった。
騎馬隊なら兵力差を埋めることができる。スレイン王国に馬がいない今なら。
アイラが率いる百と少しの騎馬隊が、この国を蹂躙することになるのだろうと思う。
おれは、トゥリムが通訳したイズタの説明を思い出しながら、訓練と進軍を繰り返していくつかの町を通過し、オーバに指示されたツァイホンの町へと入った。
戦いはもうすぐそこまで迫っていた。
トゥリムと並んでおれはツァイホンの町の外壁を見上げた。
「・・・これまでに見てきた町の外壁とは、ずいぶん違うな?」
「以前は、この三分の一くらいの高さだったと思います。こんなに高い外壁に囲まれた町は、王国のどこにもないはずです」
「十五メートル、ってとこか?」
「それくらいはありそうですね。おそらくオーバ殿がこうなるように仕向けたのでしょうが」
「これ、ここまでにするのに何日くらいかるんだ?」
「二、三年はかかるのでは? ああ、オーバ殿はそんなに前からこの町で戦うことを予定していたんでしょうね」
「あいつはとんでもないな、本当に。でもさ、こんな外壁を見たら、戦わずに逃げるか、ここを無視して次の町を目指すんじゃないか?」
「・・・そうですね。でも、オーバ殿のことです。何か手を打っていることでしょう」
「トゥリムも、オーバを信頼してんだな」
「・・・自分が仕える主ですから」
トゥリムの副官となっている神殿騎士のカリフが、門が開いたと伝えてきた。
おれとトゥリムは歩兵隊を動かし、門をくぐった。
ツァイホンの町に入ると、男が一人、出迎えてくれた。
なんだか偉そうな奴だな、と思って見ていたら、トゥリムがこの町を支配する男爵だと小さな声で教えてくれた。
ユゥリン男爵という人らしい。
この町にはアコンよりも多くの人が住んでいるという。そうなら、この男が偉そうなのも仕方がないのだろう。
「オーバ殿、聞いた。よろしく、頼む」
おれとユゥリン男爵はまっすぐに見つめ合ってあいさつを交わした。
トゥリムが通訳してくれる方が正確に話せるのだが、一応、なんとなく、分かると言えば分かる。
「オーバ殿、武器、届く、聞いた。どこに?」
「ああ、オーバに頼まれた武器なら、すぐに運ばせる」
おれはそう言うと、トゥリムを見た。
トゥリムは歩兵の分隊長を見て指示を出した。
その指示で百人以上の歩兵がネアコンイモのロープで束ねられた大量の矢をどんどん運んで積み重ねていく。
「これが・・・」
「テツの矢、だとさ」
テツの村で作った矢だから、そう呼ぶのだろうと思う。銅の矢と比べると矢じりが黒く見える。それでいて、イズタの言葉を信じるのなら、銅の胸当てを貫く硬さと鋭さがあるらしい。
「銅、貫く、本当、か?」
「・・・トゥリム、説明を頼む」
こういう話を言葉が通じないおれが中途半端にするのはまずい。
トゥリムはうなずき、ユゥリン男爵に説明を始めた。そもそもイズタの説明をおれに通訳してくれたのはトゥリムだ。その内容はよーく分かっているはず。
スレイン王国の言葉でトゥリムと男爵が次々と意見を交わす。
ツァイホンの守備兵たちが、棒を立ててそこに銅の胸あてを吊るした。
「テツの矢、確かめる、大切」
ユゥリン男爵がそう言って、トゥリムが連れてきた歩兵隊の中から弓兵を呼ぶ。
実際に銅の胸あてを貫けるのか、確認したいのだろう。確認もせず、実戦で使って役に立たないということにでもなれば、そのことだけで敗北につながりかねない。これは別にオーバを信じているかいないかとか、そういうことではなく、この町の支配者として当然、行うべきことだろう。
・・・ノイハがいてくれたら、確実に射抜いてくれただろうに。まあ、ノイハの場合、銅の矢じりでも射抜いてしまいそうだから確認にならんのかもしれんのだが。
弓兵が矢を放つ。
カン、と高い音とともに、テツの矢は銅の胸あてを貫き、その向こうにいた兵士が慌ててその矢を避けた。胸あてを貫いてもそこそこの速さを保っていたことがユゥリン男爵を驚かせたらしい。
そのまま、二度、三度、とテツの矢が放たれ、銅の胸あてに穴があいていく。
いつの間にか、何人ものツァイホンの守備兵たちが注目していた。
「相手、よろい、弱い。この矢、最初、使う」
「オーバ殿、三日目、使う、指示。最初、別」
・・・いまいち分からんのだが、オーバがイズタに伝えていたのは、三日目以降のテツの矢の使用だったはず。ユゥリン男爵はそれを初日から使いたいと言っているようだ。トゥリムが粘り強く説明を続けている。
オーバの指示に従った方がうまくいくってのは、おれたちなら迷わない。
さすがのオーバも、スレイン王国では思い通りとはいかないのかもしれん。
けっこう激しく男爵と言い合ったトゥリムが、ふぅ、と息を吐いた。
「・・・どうなった、トゥリム?」
「なんとか、納得してもらえましたが、これなら勝てる、という風に思ったようで・・・。オーバ殿の指示に従った方が楽に勝てるのに」
「オーバの指示は、怖ろしい内容だったよな」
「ああ、そうかもしれません。投石や落石に、丸太落とし。古い方の矢を放ち、糞尿をまいたり、油をまいて火をつけたりと、やれることをやり切って、三日目にテツの矢で攻め手を崩壊させて後退させるという指示を聞いてます。以前のアルフィでの戦いの時も思ったのですが、オーバ殿の守城戦に関する考えは怖ろしい。それも、三日目に敗走させて、テツの矢の存在に気づかせずにそのまま回収する気なのだから」
「・・・初日にテツの矢で崩壊させられんものかね」
「初日だと、まだ相手もあきらめないかもしれません。ですが三日目なら、その可能性は高いとオーバ殿は考えたんだろうと思いますね。おそらく相手は、食糧が足りてないはずだから」
「食糧が?」
「さっきの外での話で考えたのですが、この町を素通りさせない策として、オーバ殿は敵の食糧を奪ったり、隠したりしているのではないかと」
「なるほど。やりそうだな。まあ、そういう意味では楽勝なんだろう・・・」
食糧不足で攻めてくるなんて、スレイン王国では戦いの基本がなっていないと思うんだが。
・・・そういや、大草原でも戦いを起こす時はたいてい食糧不足がきっかけだったか。足りないから奪おうという考えだ。アコンでオーバとともに暮らして、おれもいろいろ学んだから、今はそういう考えになってるんだろうな。
「・・・ユゥリン男爵によると、ツァイホンには食糧を大量に運び込んだという噂をオーバ殿は敵に流してるらしいです。相変わらず、オーバ殿のやり方はすごい。実際に食糧があるかないかに関係なく、その噂ひとつで相手にツァイホンを無視させないつもりなのだから。どこまでも先に手を打ってる。敵でなく味方で本当に助かります」
「この町の外壁が、ここまでの町よりもずいぶん高いのも?」
「・・・それも男爵はオーバ殿の指示だったと言ってましたね。この高さにするのに二、三年前から動いたはず。いったい、どこまで見通してるのやら」
「オーバがいる限り、勝ち戦は動かんな」
おれがそう言うと、トゥリムは黙ってうなずいた。
そう。
オーバがいれば、負けるはずがない。
大森林や大草原でずっと戦ってきたおれたちにとって、そこに揺らぎはなかった。
ツァイホンの町に入ってから、外壁の外側をさらに掘り進めたり、門を埋めたり、石や丸太を集めたりと、守城戦の準備を手伝った。
歩兵たちに指示を出しながら、少し休憩していると、そこに赤い髪の美女がやってきた。
「ジッド!」
「クレア! 久しぶりだな」
「元気そうね。そろそろアコンに帰りたがってるんじゃないかと思ったけれど」
「帰りたいとは思ってるが、ここでやるべきことも分かってる」
「そう」
「オーバはどこに? 一緒なんだろ?」
「ううん。ジッドとトゥリムに伝言を頼まれてここに来たの」
「オーバからか? オーバは何を?」
「カイエン候の別働隊を北へ追いやってる」
「・・・オーバは、兵士を一人も連れてないと思うんだが?」
「オーバ一人で北へ追いやってるのよ」
「どうやって?」
「相手の、カイエン候の別働隊を指揮してる人、前の戦いで知り合った人みたいね」
「知り合い?」
「そう。オーバを見て、目を見開いて固まってたわね」
「それ、怯えてたってことだろ? 相変わらずとんでもない奴だな、オーバは。それで、オーバからの伝言ってのは?」
「このツァイホンまで敵軍が寄せてくるのはあと三日か四日で、ここに集まるのは諸侯の寄せ集め。数はけっこう多いみたい。でも、それを撃退したらリィブン平原へ陣取れって言ってたわ」
「諸侯の寄せ集め、か。それと、リィブン平原?」
「そういう場所は詳しいトゥリムに確認して。私は今からアイラのとこに行くから」
「平原ってことは、歩兵の戦い方は・・・」
「イズタからの説明通りだって。まあ、まずはこのツァイホンをしっかり守ってよね」
「ああ、分かった。アイラのとこにも行くってことはその平原に騎馬隊も出てくるんだな?」
「んー・・・そこまで詳しくは分からない。でも、歩兵隊が訓練通り動けば何の問題もないみたいだけれど?」
「・・・ああ、テツの矢の威力は見せてもらったし、心配はしてない」
「矢だけじゃないでしょう?」
「そうだった」
「じゃ、あとはよろしくね」
そう言うと、背を向けたクレアはさっさと歩き出した。
赤い髪が左右に揺れながら遠ざかる。
アコンではオーバの次に強いクレア。
敵地にいるオーバからの伝言をたった一人で伝えて回るとんでもない猛者。
オーバはオーバで、敵地で一人、相手を北へと追いやってるらしい。いったいどうやったら、そんなマネができるのやら。
オーバやクレアが敵に回ったスレイン王国の連中が気の毒になってくる。
しかし、あと三日か四日、か。
相手は寄せ集めみたいだし、これもオーバの狙い通りなんだろうな。
勝つべくして勝つ。
この場にいないオーバが、これからの戦いのすべてを握っているかのようで。
ふと、その怖ろしさを感じておれは身震いしたのだった。
クレアが来た次の日、ツァイホンの町には本当に大量の食糧が運び込まれた。
運んできたのは辺境都市のフィナスン組だ。辺境都市アルフィのスィフトゥ男爵も一緒にやってきた。フィナスン組はアコンまで交易にやってくる連中もいるので、中には知った顔もいる。そのままフィナスン組もツァイホンの守備隊に加わる。
オーバが敵に流しているという食糧の噂がこれで真実になった。ツァイホンは軽く半年、兵士と町の人々が飢えることのないだけの食糧が届けられた。
辺境伯領以外の地域は、もう何年も戦乱の中にあり、まともに麦を収穫できていないという。飢えをしのぐために多くの民が辺境伯領へと逃げて移住している。もちろん、純粋な移住者だけでなく、敵の間者も入り込んでいるだろう。
だから、今回届いた大量の食糧は、目に見える形で運び込まれたのだと思う。
この食糧の受け入れを最後に、ツァイホンの町の四つの門はすべて埋められ、ツァイホンからの出入りは不可能となった。
そして、オーバからの伝言通り、クレアが来てから三日目に敵軍が姿を見せた。
装備の種類がいくつかに分かれた敵軍はツァイホンの町を素通りせず、その外壁をすべて囲むように包囲した。
ツァイホンの守備兵はおよそ二千。
ツァイホンを囲んだ敵兵はおよそ六千。
その日はまだ昼になる前から、ツァイホンでは三倍の敵兵との戦いが始まろうとしていた。