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第119話:辺境の聖女は重要人物 あの者たちではおさめられない(1)




 辺境都市アルフィでは、大変な糸不足が発生した。


 原因はオリキだ。


 これまで、およそ二か月はかかっていた織布が、だいたい二日で終わるようになったのだ。


 大草原から分けてもらっている細い羊毛の糸は、二か月に一度なので、当然だが、足りるはずがない。


 だから、織布にかかっていた時間のほとんどを、カーニスたちは糸づくりに費やした。


 その結果として、アルフィの羊毛で、糸づくりに挑戦していったのだが、これが、なかなか細くならない。まあ、イズタのオリキは、糸が太くても、たて糸の数を減らしても、問題なく使えたので、糸の太さは問題ではなく、羊毛の生産量そのものが問題になった。


 アルフィの羊は全部で100頭もいない。大草原で育てている数から考えると圧倒的に少ないのだ。それを羊毛だけでなく、必要なら肉としても利用しているのだから、イズタのオリキの性能に合わせて大量の糸がつくりだせるはずもない。


 羊毛がなくなると、麻糸での織布も始めた。


 そして、それもすぐに終わった。


 イズタのオリキは、とにかく、アルフィにとっては画期的なもの過ぎたのだ。


 フィナスンがカスタをはじめとする、辺境伯領の各地から羊毛や麻を集めてくれたのだが、それもあっという間に布に変わっていった。


 辺境伯領全体の糸の材料を集めても、イズタのオリキは、あっさりとそれを布に変えたのだった。


 私も口添えをしつつ、フィナスンが大草原の氏族たちや大森林のオーバさまと交渉したのだが、新たな羊毛を手に入れることはできなかった。


 大草原や大森林には、それぞれの都合があるのだから、それは仕方がない。


 出来上がった布は、大草原から仕入れた細い糸でできた最高級品から、普通の太さの羊毛の糸で織った品、普通の麻糸で織った普通の麻布など、さまざまだった。残念なことだが、もちろん、大森林の、何を材料にしたのか分からない素晴らしい布とは比べられないものでしかなかった。


 アルフィで作られたさまざまな布は、高級品から低級品まで、いろいろと辺境伯領をにぎわせるようになっていった。


 四か月ほど続いたこの騒動で、私は、イズタという男の価値を見直した。


 オーバさまや、フィナスンがイズタを重用する理由がようやく分かったとも言える。


 だから、イズタのテツの村づくりには、全面的に協力することに決めたのだった。








 アルフィの糸不足を軽減したのは、糸不足騒動の翌年、オーバさまと一緒にアルフィを訪れた一人の少女だった。


 少女の名はジル。


 大森林アコンの、女神の巫女。


 大森林では、オーバさまの不在時の総責任者として、巫女王と呼ばれているらしい。


 そのジルさまと私は並んで立ち、その視線の先にはオーバさまがいた。


「とうたま、ぴじゃ?」


 オーバさまに抱き上げられたティティンが、にこにこと笑って、机の上に置かれたピザを指さしている。


 オーバさまもティティンを優しくなでて、目を細めた。


「ありがとう、ティティン。あとで食べるよ」


「たべう?」


「そう」


「とうたま、ぴじゃ、たべうねー」


「ははは、ティティンはかわいいなあ」


 オーバさまに頭をなでられたティティンが気持ちよさそうに目を閉じる。


 私とオーバさまの間に生まれたこの子をとても大切に思っていてくださっていると感じられる光景に私は安心する。


「ティティンは、とてもかわいいですね、キュウエンさま」


「ありがとうございます。あの子も、父であるオーバさまに会えて、とても嬉しいみたいです。他のお子さま方は、お元気ですか?」


「みな、元気です。アコンで一番上のサクラは、元気過ぎて心配なほどです。今回の旅で、ライムさまのところのユウラとも会いましたが、いつもサクラを見ていたせいか、男の子なのに大人しい子だと思ってしまいましたもの」


 そう言ってにっこり笑うジルさまはとても美しい。


 子どもの頃に、姉妹でオーバさまに命を救われ、娘として大切に育てられたという。女神さまからの寵愛も受けているらしい。


 オーバさまの娘として・・・。


 ジルさまのオーバさまを見る目は、父を見る目ではないと、私は思ったのだが・・・。


 少なくとも、私がお父さまを見るのとはかなり違うものだと思う。


 うん。


 このカンは当たっているはず。


「・・・ジルさまは、オーバさまのことを、お好きなのですか?」


「・・・分かってしまいますか?」


「分かってしまいますね」


「キュウエンさまは、私のことは、反対ですか? それとも協力して下さいますか?」


「・・・一人の女として、反対したい気持ちがない訳ではないのですが、オーバさまの周りにたくさんの女性がいるのは今さら、です。大森林からは離れたところにいる私ですが、協力いたします」


「よかった。大草原でも、ライムさまに協力していただけることになりましたし、アルフィでもキュウエンさまを味方にできました。私も、キュウエンさまに協力しますね」


 そう言ってジルさまは微笑んだ。


 とりあえず、アルフィ滞在中のオーバさまの寝所は私のところで、とジルさまは言った。「私は、まだ成人前なので、オーバが相手にしてくれないでしょうから」


 思わず、頬が熱くなってしまった。


 久しぶりに、オーバさまと・・・。


 ごくり、と小さく、喉が鳴る。


「ティティンは、私と一緒に寝てもいいですか?」


「え、いいのです?」


「はい。小さな子と寝るのは、昔を思い出して、好きなのです」


 ジルさまには妹のウルさまがいる。


 そのこと、だろうか。


 私が会ったことのあるウルさまは、小さな子どもなのに、とても強いという、驚きの存在だったのだが・・・。


「キュウエンさま、お父上が・・・」


 護衛の巫女騎士が、お父さまが明日、神殿を訪れるということを知らせてくれた。


 お父さまの目的は、オーバさまとの交渉。


 どうか、うまくいきますように。




 翌日。


 神殿の礼拝堂で、オーバさまとお父さまは顔を合わせた。


「では、まだ、兵は動かさない、と?」


 お父さまがオーバさまをまっすぐに見据えた。


 オーバさまは、まったく動揺することなく、お父さまの視線を受け止めていた。


「東のシャンザ公は、ここまで四つの町を落として、今は王都に手を伸ばそうとしている。北のカイエン候も、すでに支配している町は七つ。このまま勢力を拡大されては、いずれ、この辺境伯領も飲み込まれてしまうかもしれぬというのに?」


「なんで、そんなにあせってる? スィフトゥ男爵? どっちが攻めてきたとしても、辺境伯領の守りは万全。問題ないはずだけれど?」


 オーバさまは平然と答える。


 私はオーバさまの少し後ろに控えて話を聞いていた。


 口をはさむ気はない。


 神殿騎士や巫女騎士たちも、まだ動かなくてもいいと考えている。私も同じ。


 確かに、有力なあの二人の諸侯は、力を伸ばしている。


 でも、その内実は、そうでもない。


 きっと、オーバさまは、そのこともすでに掴んでいる。


「どっちが、ではなく、両方が攻めてくる可能性もある。王家が間に立って、だ。今の王は、はっきり言えば、辺境伯領を敵視している」


「・・・はっきり言えば、キュウエンを、だろ? 今の王の神殿嫌いは有名だからな」


「王家に逆らうなど、辺境伯領がどうなってしまうことか」


「どうにもならないさ。王家にはどうする力もないし」


「王の力とは、王自身の力だけではない。諸侯を動かす力こそ、怖れるべきだろう?」


「辺境伯領はこの内戦において中立あるのみ。いずれ、王家を支えて、王国を復興させればいい。今はまだ動くときじゃない」


「しかし・・・」


「そもそも、北も、東も、いくつもの町を手に入れてるみたいだけれど、そこの住民は逃亡して南へどんどんやってきている。もっと言えば、新しい町を征服しても、住民が少ないから、次の町を攻めなきゃいけない。だから、支配する町の数が増えてる。それだけさ。北のカイエン候はまだましかもしれないけれど、東のシャンザ公の方は、面を押さえずに、町から町へと線をつないで王都を目指してるしな。あれじゃ、いつまで維持できるか。攻め落とすのは得意でも、落とした町を治めることができない愚か者、支配地域を栄えさせることができない愚か者、だろ? 相手にする必要もないかな」


「確かに移住者は増えているが・・・支配地を広げている諸侯を愚かなどと・・・」


「領民が宝だという認識すらない、そんな愚かな支配者はほっとけばどのみち滅ぶ。おれたちが動くのは、そうだなあ、来年くらいかな。はっきり、動くと分かる場面がくる。それは、もう、分かりやすい場面が、な」


 オーバさまが考えている、辺境伯領が動く場面については、昨夜、寝所で教えてもらった。


 思わず、本当にそんなことが起こるのですか、と聞いてしまったが・・・。


 オーバさまがそう言うのなら、そのときに備えるしかない。


 私にとっては、心苦しい場面でもある。


「シャンザ公だろうが、カイエン候だろうが、どっちにしたって、この国を治められないさ」


 そのオーバさまの言葉には、国王にいたっては語る価値すらない、とでも言うような、そんな意味がこめられているように感じた。


 王にも、この国は治められていない。


 その通りだろうと思う。


 礼拝堂の奥の部屋から、ティティンの楽しそうな声が聞こえる。


 ジルさまが一緒に遊んでくださっている。


 私は、少しだけ、オーバさまとお父さまに近づいた。


「お父さま、軍事ばかりお話になっては困ります。もっと大事な話がありますのに」


 私がそう言うと、オーバさまは、後ろに立っていた私を振り返った。


「キュウエン?」


「・・・ごめんなさい。つい、口をはさんでしまいました」


「いや、かまわないよ、別に。男爵? 何かあるのかな?」


「・・・軍事も大切なのだが、まあ、ここまでとしよう。では、糸のことなんだが・・・」


 お父さまが、アルフィの糸事情について、オーバさまに訴え始めた。


 私にとっては、軍事よりも何倍も大切な話だ。


 戦いなど、本当は思い出したくもないのだから。




「そう言われても、大草原から、羊毛や糸はまだ回せないなあ・・・」


 お父さまの糸に関する要望は、オーバさまから断られた。


 ・・・残念だが、オーバさまは、大森林が最優先で、その次に大草原、それからアルフィやカスタ、ついでに他の辺境伯領、という考えだ。


「・・・カスタは米の生産で生まれ変わったかのように活況だ。しかし、アルフィまで来た者は、そこからさらに大草原を目指していくのだ」


「そんなに欲張らなくても、銅貨づくりは独占できてるはずだよな? ずいぶん辺境伯領では当たり前になってきてるみたいだけれど? 銅貨さえあれば、辺境伯領からなら、たいていなんでも手に入るだろうに」


「銅貨は確かに役に立ってはいるが・・・」


「銅貨を増やしたいなら、イズタに銅が採れそうなところを探させればいいだろ?」


「そのイズタは、新しい村を作って、銅ではなく、テツとやらを作り続けておるわ」


「ああ、それ、おれが頼んだんだ。悪い、そういや、そうだったか」


「それに、イズタが銅の鉱脈を見つけても、そこを掘る者がおらん」


「ん? 人手はあるよな?」


「そうではない。イズタが見つけてくれた二か所の鉱脈は、どちらも森の中。あの森に入れる者は、それこそフィナスン組の者でもないと無理だ。森の中は危険過ぎるからな。神殿騎士や巫女騎士ならば大丈夫だろうが、彼らは鉱山を掘るようなまねはせぬ。新しい鉱脈が見つかったとしても、そこに人手を送れるとは思えぬよ」


「そういうことか。難しいな、なかなか。しかし、森の開発か・・・そうすると、ある程度切り拓いていくか・・・」


「だから、糸の方をなんとかしてもらえぬか?」


「そうは言ってもなあ・・・」


 そこへ、ティティンを抱いたジルさまが戻ってきて、口を開いた。


「スィフトゥ男爵、そのお話ですが、私が協力いたします。いいでしょう? オーバ? クマラにはカスタの開発を許したのですから」


「ジル・・・」


 オーバさまが、ジルさまを見つめた。


 ジルさまに抱かれたティティンは、すぅすぅと穏やかな息を漏らしながら眠っている。


 私も、お父さまも、そのとき、ジルさまが言っていることがよく分かっていなかった。


 それは、女神への祈りと奇跡のはじまりだったのだ。












 音もなく飛び跳ね、音もなく着地する。


 いや。


 かすかな衣擦れの音だけは、聞こえる。


 大地に沈み込むかのように低い姿勢になったかと思うと、身体を大きく伸ばして空へと腕を広げる。


 その動きに合わせて、美しい衣が揺れる。


 女神さまが降臨なさったときに、着ていたあの美しい服にそっくりな・・・。


 くるり、と左足だけで身体を回転させ、そのまま右足だけで、くるり、と、その反対へと回転する。


 回転に合わせて、衣の裾がふわり、ふわり、とふくらんではしぼむ。


 私がクマラに贈られた布で仕立てた服よりも、さらに美しい、女神さまの衣装。


 大森林の巫女服。


 巫女服を着て踊るジルさまは、ほんのりと祈りの光に包まれて、輝いている。


 神楽舞、というものらしい。


 お父さまも、巫女騎士たちも、神殿騎士たちも、神官たちも、巫女たちも、息をするのを忘れたかのように、ジルさまの踊りに見入っていた。


 ジルさまは、女神さまに祈りを捧げながら踊ることで、女神さまの奇跡を授かるという。


 昨日、ジルさまから与えられて口にしたティティンが、目をまんまるに開いて驚き、その甘さに喜びの声をあげた、黒糖。その黒糖という甘味は、ジルさまがこの神楽舞によって、女神さまから奇跡として授かったものらしい。


 昨夜の寝所で、オーバさまからそんな話を聞いた。


 昨日、ジルさまがお父さまに協力を申し出て、翌日の今朝、かなり早い時間から、こうしてジルさまは踊っている。


 黒糖は、ほんのわずかしか分けてもらえない、糸以上に貴重な、大森林からの産物だ。


 ・・・フィナスンはこっそり手に入れているらしい。オーバさまが教えてくれたから間違いない。


 今度、少し分けるように言ってみるとしよう。


 やがて、ジルさまを包む光は、輝きを増して・・・。


 ジルさまから、光の柱が天を突くように立ち上っていく。


 これが、大森林の巫女王の神技。


 私も辺境の聖女などと呼ばれているが、とても真似はできない。できるはずがない。


 周囲の沈黙に包まれたまま、ジルさまの動きは止まった。


 誰も、言葉を発しない。言葉を発することができない。


 目を開いたジルさまは、お父さまを見た。


「スィフトゥ男爵、それにキュウエンさま。町の外へ向かいます。戦える者を連れて、ついてきてください」


 ジルさまにそう言われて、私はオーバさまを見た。


 オーバさまがうなずく。


 そうして、私たちはジルさまを先頭に神殿を出て歩き出した。








 戦える者を、と言われたので、神殿騎士と巫女騎士を合わせて七名、フィナスン組の若手を五名、護衛として森の中を進む。


 私も、お父さまも、もちろん戦えるのだが・・・。


 実は、護衛は必要なかったのではないか、と思う。


 アルフィの近くの森の中に住む大猪は、フィナスン組が五人がかりでなんとか一頭を倒す、という強い獣、のはず。


 それが、先頭を歩くジルさま、お一人であっさりと絶命・・・。


 最初の一頭を倒す姿を見たときは、衝撃を受けた。


 私たちに気づいた大猪が、まっすぐに突進してくる。


 その速さ、その体躯。


 ぶつかったら、無事ではいられない。


「危ないっっ!」


 フィナスン組の若手が叫ぶ。


 それなのに、何事もないように歩みを止めないジルさまは、歩きながらさっと銅剣を抜く。


 オーバさまも、気にした様子もない。


 私たちは立ち止まって身構えていたのに。


 ジルさまが大猪とぶつかる、と思われた次の瞬間、ジルさまはすっと大猪の突進を横にかわした。


 そのままの勢いで大猪が私たちの方へ・・・と思っていたら、少しずつその速度は落ちて、私たちにたどり着く前にばたりと横に倒れた。


 よく見ると、大猪の片方の目に、銅剣が柄の手前まで深々と突き刺さっていた。


 倒れた大猪を囲むように半円の形になっていた私たちの前に、いつの間にか戻ってきていたジルさまが表情を変えることなく、刺さっていた銅剣を引き抜いて、さっと血を払うと、腰の鞘に納めた。


「血抜きの処理を頼むよ」


 オーバさまがそう言って、ロープをフィナスン組の若手たちに渡すと、戸惑いながらも若手たちは協力して、大猪を木に吊るした。


 作業が終わるまでは休憩だったが、その間ずっと護衛の神殿騎士や巫女騎士が、小声でジルさまの早業について興奮気味に話していた。


 かわしただけにしか見えなかった一瞬の突き。


 これ、戦える者を連れてきた意味はあるのだろうか?


 少なくとも、オーバさまとジルさまには、護衛は全く必要ないと思えた。


「・・・これが、大森林の巫女王、か。まさか、これを見せつけるために森へ来たのか?」


 お父さまのつぶやきに私は振り返る。


 お父さまも私の目を見つめる。


「大森林や大草原に手を出す気はなくなりましたか、お父さま?」


「・・・はじめからそんなつもりなどない。心配するな。離れていて、隣り合っていなくて、心から良かったと思っただけだ」


「それだけ、ですか?」


「それだけ、とは?」


「・・・いつか来る、戦いの場で、大森林の方々が私たちの味方になってくださるかどうかは、お父さま次第なのでは?」


「それは、そなた次第だろうに・・・」


 苦笑したお父さまの目は、不思議と優しいものに見えた。


 私は何も答えず、お父さまから視線をそらした。


 それから、大猪をさらに二頭、立派な角の大きな山羊を一頭、本当に、何事もなかったかのように、ジルさまはあっさり倒して進む。


 倒すたびに、血抜きの処理のため、休憩となるが、それがちょうどよかったのかもしれない。


 ジルさまが山羊を倒した後、オーバさまがくすりと笑って、お父さまに「この角はやるよ」と話しかけていた。


 お父さまが何と答えたのかは分からなかったが、以前、そんなやりとりがあったことを思い出した。


 お父さまは、私をオーバさまに娶らせようとして、この角と私の交換を申し出たのだが、娘をたかが角なんかと交換するな、とオーバさまに叱られていた。


 娶らせるための口実だったのだが、まじめに反論され、叱られていたのが、今となっては微笑ましい話だが、あのときの私は、角との交換を断られたことを残念に思ったのだ。


 山羊を倒したとき、フィナスン組の若手たちが何か騒いでいた。彼らには彼らの、大森林の人々の力に対する畏怖があるのだろう。


 ふいに、ジルさまが足を止めた。


 一団が一斉に止まる。


「ジル?」


 オーバさまがジルさまの肩に触れる。


 あまりにも自然なその触れ方に、私はさびしさを感じる。


「オーバ、あれ」


 ジルさまが腕を伸ばして、指さす方をみなが振り向く。


 そこには、白い花・・・のような何かをつけた植物が、見渡す限りの範囲で群生していた。


 それは不思議な光景だった。


 ふわふわで白い、花のような、花ではない、何か。


「・・・綿花」


 オーバさまが小さくつぶやいた言葉が、私の耳には届いた。


 メンカ、とは?


 お父さまが近づいて、白いふわふわを取る。


 何度か握ったり、引っ張ったりして、確認している。


 私はオーバさまの隣に立ち、そっと、その手を握って問いかける。


「オーバさま? これは、何でしょう? ご存じなのですか?」


「・・・おそらく、これは綿花。たぶん、糸の材料になるものだね」


 振り返ったオーバさまが微笑んだ。「どうやって糸にするかは、試行錯誤が必要だけれど」


 糸の、材料。


 それが、アルフィからほど近い森の中に。


「キュウエンさま、お役に立てたでしょうか?」


 ジルさまが、私に向き合って首を傾げる。


 お役に立てたどころか・・・。


「・・・これで、アルフィは救われるのかもしれません。ありがとうございます、ジルさま」


 私はオーバさまの手を握ったまま、まっすぐにジルさまを見つめて微笑んだ。


 ただし、誰が、どうやって、この危険な森の奥までこれを採りに来るのか、という問題は残されたままだった。


 オーバさまの指示で、全てを摘まないようにしながらも、白いふわふわはそのほとんどを採集した。


 オーバさまは白いふわふわだけではなく、根を残すようにそのまわりの土ごと、この植物を五株、採集してかばんに納めた。


 私も白いふわふわに触れてみた。確かに、糸にできそうな気がする。羊毛よりも柔らかくて、手触りはすっとすべるような感じだ。油がないからだろうか。


 どうすれば、簡単に糸にできるかはオーバさまもよく分からないようだった。


「アルフィでも育てられるでしょうか?」


「うーん。気候は、この森から近いアルフィでなら問題ないだろうけれど、土がどうかな? まあ、それも、実験の繰り返しだよ。フィナスンところの連中に、土ごと何株か、持ち帰らせるといい。とにかく、いろいろと試してみないとね。なかなか難しいと聞いたことはあるけれど」


「そうですか・・・分かりました。お願いできますか?」


 私が振り返ると、フィナスン組の若者は、へい、姫さん、任せてくださいな、と土を掘り始めた。


「オーバ殿」


 お父さまがオーバさまのところに歩いてきた。「帰りは、ジル殿と共に後ろからついてきてもらえるだろうか? アルフィの者でここまでの往復ができるか、試したいのだが」


「分かった、そうするよ。でも、危ないと思ったら、手を出すけれど?」


「・・・そうならんように努めよう。キュウエン、神殿騎士や巫女騎士の力を借りてもよいか?」


「はい、かまいません、お父さま」


「そうか、助かる」


 お父さまが笑った。


 なんだか、お父さまの笑った顔を見たのは、久しぶりのような気がした。


 帰りは森を出るまでに三頭の大きな猪を倒したが、フィナスン組と神殿騎士たちが力を合わせて戦っても、猪を倒すまでにジルさまの何倍もの時間がかかった。


 神殿騎士たちは、ジルさまの圧倒的な強さ、自分たちとの力の差を思い知ったのだった。




 白いふわふわはカーニスたちがなんとか糸にしてくれたが、思ったほど細い糸にはならなかった。ただ、手触りが羊毛の糸よりも優しい感じがした。糸づくりの中心となったカーニスが言うには、この糸は羊毛の糸よりも水をよく吸うらしい。すぐに布にするのだとカーニスはセイレアを連れてオリキのところへ向かった。明日には布になっていることだろう。


 フィナスン組が持ち帰った株は、アルフィで植えてみたがすぐに枯れた。すぐにもう一度取りに行かせるとフィナスンは言ったが、枯れた原因も分からないのに次の株を持ちこんでも意味がないと私は断った。森の奥の群生地を荒らしては、それこそ白いふわふわが手に入らなくなってしまう。


 今はまだ、あの群生地を守りながら、アルフィであの白いふわふわのメンカを育てられるように、実験を繰り返していくしかない。


 そういう意味では、手強い獣がたくさんいるため、なかなかあの森の奥まで行くことができないというのも、今はちょうどよい。


 まだ私たちには、この宝を収める力が足りないのだから。








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