第118話:辺境の聖女は重要人物 その衣には値がつかない(2)
「・・・落ち着いたっすかね?」
フィナスンが水を飲みながら、あたしの顔色を確認している。
・・・落ち着いたわけではない。
落ち着けるはずがない。
内乱の王国内で、王から敵視されているのに落ち着いていられるほど、私は長く生きてはいないのだから。
そもそも私は、王都に行ったこともなければ、王に会ったこともない。お父さまだって、王に会ったことなどないだろう。
会ったこともない王に、どうして疎まれなければならないのか。
理解できても、理解したくないことだと思う。
「今、はじめて、私の置かれた状況を認識しましたよ」
「そりゃよかった」
ちっともよくない、と思う。
フィナスンが言っていることが嘘であればいいのに、と。
私は、護衛の巫女騎士に視線を動かす。
「・・・先ほどのフィナスンの話は・・・つまり、王が、私を敵視している・・・かもしれない、という話は、本当なのでしょうか?」
「・・・キュウエンさま。先ほどの話は、かもしれない、などというものではなく、その通りかと思います」
「何か、根拠は・・・」
「それが証拠だというわけではありませんが、巫女長ハナさまが亡くなった後、王は近衛兵たちに最高神殿を攻め落とさせました。まあ、そのときには、神殿関係者はほとんど王都を脱出した後だったのですが、王が最高神殿を敵視していたことは間違いありません。そのことがすぐにキュウエンさまを敵視するということにつながるとも言い切れませんが、今の王にとって、神殿とは、攻め落とすことにためらいのない存在なのです」
・・・根拠じゃないとも、根拠になるとも言えない。
でも、少なくとも、私に対して王が好意を抱いていないということはよく分かる。
「ま、姫さん、そんなに心配する必要はないっす」
この状況で何を言うのでしょうか。
心配しかないと思う。
むしろ、フィナスンにはもっと真剣な表情で心配してほしいと思う。
「なぜですか?」
「神殿騎士も巫女騎士も、完全に姫さまの味方っす。それに、王さまだろうが、諸侯だろうが、神殿騎士や巫女騎士の守りを破って、姫さんを暗殺できるような者はいないっすよ。そもそも、自覚はないようですが、今の姫さんは、巫女騎士と互角か、それ以上に強いはずっす」
「は・・・? どういうことです?」
「オーバの兄貴がそう言ってたっすから、間違いないっす」
・・・オーバさまが?
そんなことがあるのだろうか?
私が、王国最強と名高いこの方たちよりも、強い・・・?
「信じられないのなら、明日っから、みなさんとの訓練に参加してみることっすね」
・・・オーバさまがそう言うのなら、そうなのかもしれないが。
今の話で、もっと心配になったと、フィナスンは分かってるのでしょうかね?
それは、私は、王都の間者たちから暗殺対象として狙われているかもしれない、ということになるのでは・・・?
嫌な思い出が頭をよぎる。
「王都の間者については、うちの者はもちろん、男爵も万全の態勢で排除してるっすよ。あれでも、相変わらず、娘がかわいいみたいっすからね」
お父さまが?
・・・いえ、私とちがって、お父さまは現状を誰よりもよく理解なさってたことでしょうし、それを踏まえて、私を守ってくださっていた、ということ・・・?
ますます自分が情けない気持ちになる。
「・・・私は、これから、どうすればいいのです? 布づくりや糸づくりをしている場合ではないような気がします」
「逆ですって、姫さん。今のまんま、布づくりや糸づくりをしてりゃあいいんすよ。辺境伯領は、この内戦に対して防衛のみ。他領に攻め入ることなく、大草原、大森林との交易に力を入れる。王国内で戦好きが血を流してる間に、みんなで美味しい物を食べて、笑ってりゃあいいんす」
「・・・それで、いいのでしょうか?」
「そうっす。まあ、後は、このことを知ったからには、ただ守られていた今までとちがって、これからは、もっとみなさんから情報を仕入れて、王国全体の動きに目を向けることっすかね」
「・・・フィナスンや、みなさんは、私には何も知らせず、私を守っていてくれたのですね」
「ま、それがオーバの兄貴の頼みっすから」
フィナスンはにかっと笑った。
そうか。
私は、遠く離れていても、オーバさまに守られていたのか。
複雑な思いを抱きながらも、私の胸は少しだけ温かくなったのだった。
それから、私は、巫女騎士たちの訓練に参加したり、神殿のみなさんが各地から仕入れてきた情報を聞き取ったりと、これまでとはちがう、王国全体に意識を傾けるように、私自身の考えを変えた。
今までの自分の甘さ、愚かさと向き合うのは、なかなか恥ずかしいことだった。ただ、オーバさまの言う通り、私は巫女騎士たちと互角か、それ以上に戦える、ということは実感できた。自分のことは、意外と自分が知らないものだと気づいた。
各地を回って戻ってくる、神殿騎士や神官たちともいろいろ話して、多くのことを私は知った。
内乱当初、辺境伯領に攻め込んだ諸侯は、実は王に唆されていたこと。
今、内乱は、最初に辺境伯領に攻め込んだ諸侯の町を中心に混戦となっていること(辺境伯領に攻め込んで撃退されてしまったために、兵力を欠いてしまったことが要因。王に唆されて、その結果として自分の領地が攻められてしまうなんて、自業自得だと思う)。
王国全体では、北方のカイエン候、東部のシャンザ公、の二人がじわじわと支配圏を広げていること。
王の勢力圏は、王都とその周辺のわずかな地域しかないこと。
実は、王から、私が王都へと呼び出されていたが、それを無視して、相手にしていないこと(これには本当に驚いた。しかも、無視し続けたにもかかわらず、何のお咎めもないというのでなおさら驚いた)。
何もせずに、辺境伯領で大人しくしていれば、王もうかつに手出しができないこと(王には独自の軍勢がたくさんいるわけではなく、せいぜい諸侯を唆すくらいしかできないらしい)。
今では、王国全土から避難民が辺境伯領を目指していること(そうなるように、いろいろな噂を辺境伯領からの間者が各地で広めているという話を聞いて、しかも、それがオーバさまからの指示だと知って、そのことにも驚いた)。
「・・・フィナスン殿の言葉をお借りするなら、『戦わないのが勝つ道だ』とのことです」
「フィナスン・・・」
フィナスンは、オーバさまに学んで神聖魔法まで使える、優秀な人物だ。
なんだかんだ、神殿騎士や巫女騎士も、フィナスンやフィナスン組には一目を置いている。
神殿関係者の方が、神聖魔法を使えないのだから、それも当然なのかもしれない。巫女長ハナさまでさえ、神聖魔法は使えなかったという。ただし、ハナさまには、神聖魔法以上に神聖さを感じさせる『預言の力』があったというから驚きだ。
「ありがとうございました。また、いろいろと聞かせてください」
「はい・・・あ、それと」
神殿騎士の部隊長を務めるその男性は、一度、席を立ちあがってから、私を振り返った。「王都では、辺境都市アルフィの衣類が評判になっているようですね」
「? どういうことでしょうか?」
「辺境都市には、とても美しい服がある、と噂になっているそうです。どうやら、キュウエンさまを遠目に見た者が、その服のことを、広めたらしくて」
「遠目に見ただけで、そんな噂になるのですか」
「おそらく、スィフトゥ男爵が辺境伯に贈られたアルフィの新しい布と、それで作った辺境伯の服を見た者が伝えた話が、どこかで混同されたのだと思います」
「お父さま・・・辺境伯にあの布を献上していたのですね」
「キュウエンさまの服と、辺境伯の服は、別物なのですよね?」
「・・・この服は、大森林から贈られた本当に特別な布で仕立てたものなのです」
「そうだとしても、王都の者にはそんなことは分からないでしょうからな。辺境都市の服だと思われているようなので、そのまま、その噂を広めて、さらに辺境伯領へと人が流れるように仕向けています」
「その噂のせいで、王から、この服と同じものを要求されても、用意できないのですが?」
「要求されても、相手にしなければよろしいのでは? 王には、辺境伯領の我々を従わせるだけの力はどこにもありませんよ?」
「王の言葉を無視しているというだけで、私には心苦しいのです」
「キュウエンさまらしい。どんな宝とでも交換することはできない、貴重な布でできた服なのだとでも言い返せばよいのです」
「そんな・・・」
「フィナスン殿のように言わせてもらえるのなら、そうですな、『この服に値がつけられるものなら、つけてみせろ』とでも言いましょうか」
「・・・あなたたちも、そういう冗談を言うのですね」
「これはこれは・・・フィナスン殿に我々もずいぶん馴染んだということで、どうかお許しを」
彼の柔らかな微笑みに、私も笑顔を返すしかなかった。
神殿騎士や巫女騎士がこのアルフィに馴染んできているのだと感じられたのは良かった。
それにしても、そんな小さな噂まで利用するなんて、本当にこの人たちは、たくましい。
新しい布は、もうすぐ完成する。
また、お父さまに差し上げて、どこかへの贈り物として利用していただくのがよいのかもしれない。
そんなことを私は考えたのだった。
フィナスン組の隊商は、だいたい、ふた月かけて、大森林とアルフィを往復している。カスタとの交易には使わないという条件で、オーバさまがフィナスンにだけ馬を五頭、貸し出してくれた。その馬と、荷車をつなぐ道具は、イズタがオーバさまと相談して作った。フィナスン組の隊商は、積み荷の量にもよるが、だいたい荷車三台から五台で、馬とともに大森林を目指す。
その時に、ちょうど一枚分の、細い羊毛の糸を、大草原のナルカン氏族から届けてもらえる。結局、ふた月に一度材料が届き、そこからふた月かけて布を織ることになる。ちょうどよいと言えば、それもそうなのかもしれない。
カーニスは、神殿にやってくる他の未亡人に声をかけて、アルフィの羊毛でなんとか細い糸を作り出そうとしていた。細くしようとすると、糸が途中で切れてしまう、という失敗を繰り返して、悪戦苦闘しているようだ。
何か、糸の強度を高める工夫が必要なのだと思うが、そのための方法は思いつかない。
大草原の産物だからと、オーバさまはアルフィには教えてくださらなかった。
実物があるのだから、できないわけではないのだ。
それに、クマラが言っていた、『オリキ』というものも、気になる。
一度、大森林に行ってみたい気もするが、私はカスタにさえ、行ったことがない。
もし、そこまで行けば、教えてもらえるのだろうか?
それとも、そこへ行っても、教えてもらえないのだろうか?
今なら、少しだけ、分かる。
オーバさまは、大森林の王。
だから、大森林の利となるように、動いている。
私が甘えて、ねだったとしても、大森林の利を失うようなことは、しないのだろうと、思う。
大森林ではなく、大草原にいるライムさまは、いったい、どんな思いを抱えているのだろうか。私と同じように、さみしい思いをしているのだろうか。
ただ、オーバさまに、お会いしたい。本当に、それだけを考えていられたのなら、どれほど良かったことか。
この神殿と、アルフィと、カスタや辺境伯領と、そしてスレイン王国と。
私を取り巻く、いろいろなもやもやが、振り払うこともできずに、私を捕まえる。
どうせ、そこから、逃げられはしないのだ。
もうすぐ完成するという三枚目の新しい布を見に、作業小屋へ私は足を運んだ。
カーニスが、私より少し年下の若い娘に、布の織り方を丁寧に教えながら、やらせていた。
この娘も、あの戦いの時には、私たちと一緒に大草原へと逃げた者だ。この子は、あの戦いで父を亡くした。
お父さまに渡した二枚目の布は、お父さまの服に仕立てられた。お父さまの服がとても良い物になったのはいいのだが、その服が私の服よりも格下・・・ということは、どうしても避けられなかった。私とお父さまの関係のために、クマラからせっかくいただいた布で仕立てた私の服を使わないという選択はしたくない。
そもそも、私自身、素敵な服を着たいのだ。
三枚目の布も、完成すれば、お父さまに渡すつもりだ。
どうやらお父さまは、三枚目はそのままとっておいて、四枚目が完成してから、辺境伯領の残りの二人の男爵に、同時に贈るつもりらしい。どちらかに先に贈るのは難しいので、そうするべきだと思う。
この布は、贈り物として、大きな効果が出ているようだ。
それが、王都で誤解された噂のせいだというのが、気になるところでは、ある。
「カーニスさん、これ、指と目がとても疲れます」
「セイレア。あきらめな。そういうものなんだよ」
「ちくちくと、たて糸とたて糸の間を通していくのはものすごく気力を消耗しますし・・・」
「だからあきらめなって・・・ああ、一本とばしたよ、戻しな!」
「ああ、もう・・・」
なんだか、この布づくりは、本当に大変そうだ。
職人を育てたいが、この困難さを乗り越えるだけの、何かがいるのかもしれない。
それとも・・・。
「そういえば、大森林のクマラが、何か、言っていた気が・・・」
「なんです、姫さま?」
「なんだったかしら。たしか、オリ、キ、とか?」
「オリッキ? なんです、それは?」
「大森林の布は、たて糸が五百で・・・」
「はあっ? あ、いえ、すみません。ちょっとびっくりして・・・たて糸が五百、ですか? 何年かかるんです、それ?」
「びっくりするわよね。それで、私もその話に驚いたのだけれど、そこで、確か、クマラがオリキ、と言ったような・・・」
かたん、と作業小屋の入口から音がした。
話をしていた私とカーニス、それに若い娘のセイレアが入口を振り返る。
そこには、フィナスンと、イズタがいた。
相変わらず、イズタは私と目を合わさず、どこか空間を見つめている。
「フィナスン? イズタも? ここまで来るなんて、珍しいこともあるものですね」
「姫さんに相談したいことがあるっすよ」
「相談?」
「あっちで、話せますかね?」
フィナスンが、くいっと神殿の方を指す。
私は小さくうなずいた。
神殿の執務室で、机をはさんで、私と、フィナスン、イズタが向き合って座った。フィナスンとはきっちり目が合うのに、イズタの視線は・・・もう、あきらめたのだが。
護衛の巫女騎士が二人、私の後ろと、フィナスンたちの後ろに控えていた。
「それで、相談、ですか?」
私はフィナスンを見てから、一度イズタに視線を移し、それからもう一度、フィナスンを見て、そう言った。
「ま、難しい話ではないっすけど、難しいことなんすよ」
「・・・相変わらず、フィナスンは好き勝手なことを言いますね。それでは意味が分かりませんよ」
「ほれ、イズタ。言い出したのは、イズタだろ」
フィナスンが肘でイズタをつついた。
イズタの顔が動いて、私と目を合わせ・・・るかと思うと、反対方向に目をそらした。
まったく・・・。
「あの、キュウエンさま。実は・・・」
目は合わさないけれど、話はするらしい。
・・・もちろん、そんなことに腹を立てずに、話は聞きますとも、はい。
「鉄の量産のために、アルフィとカスタをつなぐ街道沿いに、新しい村をひとつ、作りたいのです」
「新しい村、ですか?」
なるほど。
分かりやすい要望だ。難しい話ではない。
でも・・・。
「アルフィとカスタをつなぐ街道には、赤犬や青目狼など、人を襲う獣がよく出ると聞きます。カスタと行き来する隊商も、多くの護衛と動くはずです。そこに村をつくるのは、難しいのでは?」
「そうです。ですが、鉄の量産を進めるには、材料が採れる川沿いに作業場があった方がいいのです。今よりも効率を高めるには、そうしないとできません」
「テツの材料は、スレイン川の川底の砂でしたね。気持ちは分かりますが、どうなのでしょう?」
私はフィナスンを見る。
私には思いつかないが、フィナスンには、そこに村をつくるための方策が思いついているのだろう。そうでなければ、イズタと一緒に、ここまでは来ないはず。
「フィナスン、何か、手はありますか?」
「まず、神殿騎士や巫女騎士を貸してほしいっすね」
「・・・獣退治をさせる、ということですね?」
「神殿騎士や巫女騎士は、一人でもあの辺を行き来してるっす。あの程度の獣なら、問題ないっすよ、そりゃ」
「だからといって、新しくつくる村にずっと住まわせるわけにはいきませんよ?」
「村づくりは、それなりに時間はかかるっすね。まずは、砦づくり。フィナスン組を総出で、二日か、三日あれば、できる。それから、イズタの作業場もつくる。あとは、時間をかけて、木柵を少しずつ土塀に作り変えていくっす。砦と作業場が完成するまでは十人、完成してからは、五人ずつ、交代でなんとか、神殿騎士や巫女騎士を派遣してもらえないっすか? 土塀で周囲をぐるっと囲んだら、もう大丈夫なんすけど」
「テツは、この先のアルフィを左右するもの、でしたね。お父さまには相談済みなのでしょう? 許可は得てますか?」
「それはもちろん」
「なら、私もできることは手伝います」
「さすが、姫さん。それと・・・」
「・・・まだ、あるんですか?」
「この、新しい村は、畑を耕しません。だから、麦を支援してもらいたいっす」
「畑を耕さないですって?」
「イズタをはじめ、この村に住む者には、作業に集中させて、テツづくりに打ち込むっす」
「そこまで・・・します、か」
「姫さんには、オーバの兄貴から、いろいろと食べ物が届いてるはずっすよね? しかも、各地の神殿からも、いろいろと届いてるはずっす。それを運ばせてるおいらが言うんだから間違いないっす。姫さんが、麦をイズタに分けたとしても、神殿が食べ物に困るってこたぁ、ないでしょうし?」
「イズタだけでなく、新しい村でイズタを手伝う者、すべて、でしょう?」
「もちろん、おいらも麦の支援は協力するっす。カスタのナフティにも手伝わせるし、ね」
「・・・ナフティが? オーバさまが、動いていますか?」
「この考えは、イズタが出したものっす。テツの量産は、オーバの兄貴の目標っすけどね」
「・・・少し、考えさせてください。気になることがあるので」
「なんです?」
「・・・テツがそれほど重要なら、アルフィから作業場を出さない方がよいのではないかと思って」
「それも、もちろん考えたっす。それでも、量産するための方法が優先だと、おいらたちは・・・」
「私は今、二人から話を聞かされたばかりです。神殿のみなさんともよく相談して、返事はします。フィナスン、イズタ、それでいいですか?」
私はフィナスンの言葉を遮って、そう言った。
フィナスンが少し、目を見開いた。
「・・・姫さん、立派になったっすね」
「お父さまやフィナスンに甘えてばかりでは、成長できませんから」
そう、私も、今までの私ではいけない。
よく考えて、決断していくのだ。
この、新しい村は、テツの村。
それはつまり、武器づくりの村、ということになる。
フィナスンが言うような、二、三日で作り上げる砦のような規模で、本当によいのか。
もっと検討しなければならないのではないか、と。
私は、フィナスンとイズタを退室させて、神殿騎士と巫女騎士の部隊長を集めるように護衛の巫女騎士に頼んだ。
その三日後、今度は、イズタが一人で神殿までやってきた。
何か、大きな荷物を持って。
取り次いだ神官たちが、そんなイズタを手伝って、その大きな荷物を受け取っていた。
「イズタ? この前の件なら、まだ返事は待ってください」
「・・・いえ、キュウエンさま。今日は、ちがいます」
私の前で、イズタはひざまずいて、頭を下げる。
どうせ、顔を上げろと言っても、目は合わせないのだろうと思う。
「何か?」
「この前、あの、隣の作業小屋で・・・」
「作業小屋?」
「はい。キュウエンさまが、話しているのが聞こえてしまって、その、あの作業小屋では、布を織っていたのではないですか?」
「ええ、あの作業小屋は、アルフィの新しい産物として大草原から仕入れた細い羊毛の糸で、布を織っているのです」
「あのとき、確か、織機、とおっしゃたのでは?」
「オリキ! イズタ、あなた、まさか、大森林にあるというオリキを知っているのですか?」
「いえ、大森林にどのような織機があるのかは知りませんが、とりあえず作ってみたので、試していただけないでしょうか?」
「ちょうど、カーニスたちが、昨日から新しい布を織り始めたばかりです。作業小屋へ行ってみましょう」
私はひざまずいてうつむいたままのイズタの横を抜けて、作業小屋へと向かった。
作業小屋では、カーニスとセイレアが、黙々と布を織っていた。
私が中に入ると、カーニスが顔を上げた。
「姫さま?」
「カーニス、ちょっといいですか?」
「はあ」
カーニスとセイレアが手を止めた。
そこに、イズタと、イズタを手伝って荷物を運んでいる神官たちが入ってきた。
「・・・?」
「?」
カーニスとセイレアが首をかしげた。
「なんです? 姫さま? あの、でっかい髪櫛みたいなトゲトゲなのは?」
「イズタが、この前言っていた、オリキ? をつくったのです」
「オリキ、ですか? どうやって使うんです、これ?」
「イズタ、説明を」
「はい、キュウエンさま」
イズタは、神官たちにいろいろと頼みごとをしながら、オリキをぴんと張られたたて糸の下に置かせた。
そうして、カーニスたちを後ろに立たせて、説明を始める。
私も、カーニスたちと一緒に、イズタの後ろから、見守った。
「まず、たて糸ですが、一つ目の糸、これをこのトゲトゲの上にかけます」
そう言いながら、イズタは一本目のたて糸をトゲトゲにかけて、そこから下に垂らした。
「次に、二つ目の糸、これをトゲトゲの間に落とします」
「?」
セイレアがさらに首をかしげた。
「あとは、三つ目を次のトゲトゲの上に、四つ目を次のトゲトゲの間に、というように、交互に、上、下、上、下と、全てのたて糸をかけていきます」
ゆっくりと、だが、着実に、イズタは二百本のたて糸をトゲトゲにかけていく。
全てのたて糸をトゲトゲにかけたイズタは、神官から長い棒を受け取った。
「全てのたて糸をかけたら、今度は、トゲトゲの間に落とした方のたて糸をこの棒に結んで・・・」
また、時間をかけて、今度はたて糸の半分の、百本の糸を棒に結んでいく。
「結んだら、この棒をぐるぐる回して、たて糸を巻きつけておいて・・・」
ぐるぐると棒を回すイズタ。
「なんだか、ずいぶん時間がかかるねえ?」
「最終的には、時間がかからなくなりますから」
「はいぃ?」
カーニスがさらに首をかしげた。
「では、今度は、よこ糸を、この板の、長いほうに、こうやって巻きつけて・・・」
イズタは左手に持った板に、右手でよこ糸をぐるぐると巻きつけていく。短い方に巻きつける方が楽なような気もするが、意味があるのだろうか?
「それで、この板ごと、よこ糸をこの間に通して、しっかりと前に詰めるんです。あ、そっちの棒を上に持ち上げてください。そうそう、そこまででいいです。トゲトゲよりも上にはしないように。そうです。それで、今度はこっちから、板ごとよこ糸を通して、しっかりと前に詰めて・・・あ、その棒は下へ。そうそう、たて糸がトゲトゲの間に落ちるように、そうです」
イズタがたて糸の半分を結んだ棒を持たせた神官に指示を出しながら、よこ糸を巻きつけた板を左右に動かしては、前へ糸を詰めていく。
繰り返し、繰り返し、よこ糸を動かしては、たて糸を動かし、よこ糸を動かしては、たて糸を動かす。
いつの間にか、カーニスが、ぽかん、と口を開いていた。
この前、私が見たとき、半日以上かけて、カーニスが織った長さを、イズタは、それこそ、とても短い時間で織ってみせた。
「あのぅ・・・」
セイレアが、なんだか間抜けな声を出した。「さっきから、よこ糸をまっすぐ通してるんですけどぉ、これ、布にならずに、ばらばらになっちゃいますよねぇ? あたし、カーニスさんに、一本でも間を通し忘れたら、怒られるんですけどぉ?」
「ああ、これはですね、よこ糸をまっすぐ通しているように見えるんですが、交互になった半分のたて糸を上下させることで、一本一本のたて糸の間を通していくのと同じように、たて糸とよこ糸は交わっているんですよ」
イズタがセレイアに答える。
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待ってもらえるかい? 糸の重なりを確認させておくれ?」
イズタの説明を聞いて、さっきまでぽかんとしていたカーニスが動き出した。イズタが作業した部分のたて糸とよこ糸の交わりを真剣に見つめて、確認している。
遅れて、セイレアも、カーニスの反対側に立って、確認を始めた。
しばらくして、セイレアがぽつりと言った。
「ほんとだぁ、ちゃんと、このよこ糸ぉ、たて糸の間に通ってるよぅ・・・」
これが、アルフィの布づくりを大きく変えた、オリキが誕生した瞬間だった。