第115話:辺境の聖女は重要人物 この山師は目を合わせない(1)
およそ、ふた月ぶり、だろうか。
久しぶりに、オーバさまにお会いできる。
昨日、陽が沈みかけた頃、辺境都市に入られたオーバさまは、お父さまと面談され、そのまま辺境都市の政庁であるお父さまの屋敷にお泊りになった。
お父さまからは、神殿まで使いが来て、私も屋敷に戻るようにと連絡があったが、屋敷を出て神殿に仕える者として、明らかに泊まりになるという時間帯に、私はお父さまの元へ行くことに抵抗を感じた。オーバさまに早くお会いしたいという気持ちはもちろん強かったのだが・・・。
つまらない意地を張っていたのかもしれない。
男爵家の一人娘である私が屋敷を出て、神殿での生活を続けている現状は、お父さまにとって、本当は望ましくないはず。
私がお父さまに反発し、政庁である屋敷にめったに顔を出さないのは、あの、辺境伯との攻城戦の最中に、お父さまが神殿のオーバさまを攻めたことが原因だ。お父さまの失策は明らかで、そのせいで辺境都市アルフィは一度、辺境伯によって陥落した。
オーバさまはそのせいではないとおっしゃるけれど・・・。
陥落する前にアルフィを脱して大草原へと移動し、アルフィから追撃してきた辺境伯の軍勢を打ち破り、辺境伯を捕らえたのはオーバさまだ。そうして、オーバさまは全ての状況をひっくり返し、辺境都市アルフィを取り戻した。お父さまの今があるのは、全てオーバさまのおかげ。
愛しいオーバさま。
オーバさまは、全てをお許しになってらっしゃるけれど、私はお父さまを許せない。
そんな気持ちが、神殿から屋敷へと足を向けないことにつながっている。
お父さまとしては、私が婿を迎えて、男爵家の跡取りをはっきりさせたい。その婿がオーバさまであるとすれば、お父さまはよりいっそう、喜ぶはず。私も、オーバさま以外の方など、考えたくもない。
でも、オーバさまは辺境都市アルフィに定住する気はない。そもそも、アルフィごときにおさまる方ではない。辺境伯でさえ、何一つ敵わないお方なのだ。
あの戦を終えてしばらく過ぎたが、私も何度か、オーバさまのお情けをいただいている。
オーバさまと寝所を共にするのは、本当に幸せなこと。
今月は、月のものがなく、おそらく・・・という状態だ。
婿として、オーバさまをアルフィに迎えることはできなくとも、私が男の子を産めば、スィフトゥ男爵の孫として、お父さまが跡継ぎにはしたいと言ってくるだろう。男爵の娘が正式に結婚もせず、婿も取らずに、ということも言われるのだろうが、そんなことはもう、私にはどうでもいい。
オーバさまだけ。
オーバさまだけ、いればいい。
でも・・・。
私は、私とオーバさまの子を産んだとして、その子をお父さまに差し出すことができるのだろうか、と思ってしまう。
辺境都市の男爵家など、別の者に代わっても、いいのではないか、と。
屋敷を飛び出した身だからこそ、そんなことを思ってしまうのか。
まあ、今のお父さまが、辺境都市から西側、大草原から向こうを掌握しているオーバさまに対して、不埒な真似をするはずもないとは思うけれど。
・・・そんなつまらないことを考えるよりも。
もうすぐオーバさまにお会いできる。
そのことだけを本当は考えていたい。
「キュウエンさま、護衛の者がそろったんで、そろそろよろしいですかね?」
フィナスン組の古株が、部屋には入らず、外から声をかけてきた。
私はすっと立ち上がる。
「今、行きます」
そのまま、さっと部屋を出る。
フィナスン組の古株と目が合う。
「・・・ま、ほんとのとこは、あっしらよりお強い、キュウエンさまに護衛ってのも、おかしな話なんですがね」
「・・・気遣いは、とても嬉しいのですよ」
「なんというか、お守りするってより、代わりに刺されたり、切られたりする役だと思ってください」
「そういうことにならないよう、気をつけたいと思います」
私は笑顔で答える。
古株さんがそういうことを言いたいのは、かつて、私が刺されて死にかけたことがあるからだ。
しかも、この神殿のすぐ近くで。
今も、その犯人は捕まっていない。
犯人が誰かも分からない。
瀕死の状態から、私はオーバさまに、そして女神さまに救われたのだ。
あれから、もうすぐ、一年になる。
「おんや、姫さん、遅かったっすね」
護衛を残して政庁に入ると、そう、話しかけてきた男がいた。フィナスン組の親分である、フィナスン、その人だ。
「こちらに来ていたのですね、フィナスン」
「ええ、まあ。兄貴がいるっすから」
「オーバさまはどちらに?」
「西の離れっすけど・・・」
フィナスンの口調が、少し、気になった。
何か、あるのだろうか?
「フィナスン?」
「ああっと、その・・・なんと言うべきなのか」
「なんなの? はっきり言ってもいいですよ?」
「あー・・・、オーバの兄貴は、今回、お一人ではないっす」
「あら、クレアも来ているのね?」
「あー・・・、それがっすね、なんというか・・・クレアの姉御ではない、というか」
「?」
クレアではない?
オーバさまが辺境都市にやってきて、辺境伯との戦に臨んでいたとき、共に行動していたのが赤髪赤瞳の美女、クレアだ。その頃、クレアはオーバさまの妻として行動していたし、今ではオーバさまと結ばれている。そんなクレアは私にもとても優しくしてくれた。
クレアではない、誰かと一緒にオーバさまがいらっしゃった?
オーバさまに多くの妻がいることは、大草原での戦いの後、知ってはいるのだが?
「誰か、オーバさまの・・・?」
「・・・そうっす。大森林のお后さまの一人が一緒っす」
「ライムさま・・・はちがうはずね。大草原の方だったもの。じゃあ、アイラさま?」
「いんや、姫さんはまだ会ったことのないお后さまっす。おいらも今回、初めてでして」
「どなた?」
「クマラさまっす」
「クマラさま?」
「・・・声が小さい方なので、気をつけてほしいっす」
「それを伝えるために、入り口の近くで私を待っていてくれたの?」
「・・・ま、そのへんは、忘れてほしいっす」
そう言うと、フィナスンはその場を離れ、門衛に軽く手を上げて、門を出ていった。
・・・きっと、心の準備をさせてくれたのだろう。
いくら、オーバさまが、たくさんの妻を娶っていると分かっていても。
私自身がよく知らない相手だと、不安になるだろうと考えて。
ふぅー、と私は長めの息を吐く。
確かに、初めて会う方というのは、緊張する。
でも、オーバさまが選んだ方。
アイラさまも、ライムさまも、もちろんクレアも、みな親切にしてくれた。
きっと、クマラさまも、優しい方にちがいない。
私は西の離れへと足を向けた。
西の離れの入口には、一人、衛士が立っていた。
本当は、重要な来客の宿舎に衛士が一人、ということはない。
こういうところに、まだ、あの戦いの爪痕が見える。
少しずつ、この辺境都市アルフィも復興してきているが、失われた人の数は簡単には増えない。
その衛士は私に気づくと、少しだけ頭を下げて、離れの中へ入った。
私が来たことを伝えにいったのだろう。
とくん、とくん。
心臓が、少しだけ、早く、音を鳴らす。
離れへと近づく足が、やたらとゆっくり動く気がする。
離れの入口から、人が出てきた。
あ・・・。
私を見て、にっこりと笑う、愛しいお方。
「オーバさま」
「キュウエン。元気にしていたかな?」
その笑顔も。
優しい声も。
全てを自分のものにしたいと。
心の奥底では願う。
こうやって会えばなおさら・・・。
私は、そのまま、オーバさまの胸に体を預けた。
オーバさまの後ろから、衛士が出てきた足音が聞こえたが、どうせ見えない位置だ。
オーバさまが私の背中に腕を回す。
「お会いしたかった・・・」
知らず、涙が出る。
「久しぶりだね。神殿は、大丈夫か?」
「はい・・・相変わらず、アルフィの人たちが、治療のために通ってきます。フィナスンのところの者たちもよく協力してくれますし、砦で一緒に戦った未亡人の中には、神殿の手伝いをしてくれる者もおりますから」
涙が出たことは、気づかせないように。ゆっくりと話す。
「うん。あいつらも神聖魔法が使えるし、手伝ってくれる女性もいるなら良かった」
「オーバさま、今回はどのくらい、こちらに?」
「うん? ああ、今回は、カスタまで行くんだ。明日には、アルフィを発つよ」
「カスタまで? では、お帰りはもう一度?」
「そうだね。でも、長居はしない予定なんだ」
「そうでしたか」
もう一度泣きそうになるが、ぐっとこらえる。
オーバさまに優しく抱きしめられたまま、その顔をそっと見上げる。
「・・・フィナスンが、お后さまの、クマラさまをお連れだと・・・」
「ん、ああ、中にいる。このあと紹介するよ。今は、いろいろと話してるみたいで」
オーバさまが私の背中に回していた腕を戻し、私の手を取った。
そのまま、離れの中へ連れて行かれる。
中は、外の明るさから考えると、薄暗い。目が慣れるまでは。
「・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
何か、会話が聞こえてくるような、こないような。
そういえば、フィナスンが・・・。
声が小さい、とか?
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
確かに、女性の声ではないか、と思える声は、とても小さい気がする。
でも、もう一方の男性の声は、普通に聞こえる。
それなのに・・・。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
聞こえていても、何を話しているのか、さっぱり分からない。
この二人は、私の知らない言葉で会話している。
あれは・・・。
イズタ?
あの戦いで、辺境伯から寝返って、お父さまに仕えることになった男。
この一年で、辺境都市に近いふたつの銅の鉱脈を見つけた異才を持つ、今ではこのアルフィに欠かせない山師。
もう一人は、なんとも、可愛らしい女性。
この方が、クマラさま、か。
「クマラ、イズタ、ちょっといいかな?」
オーバさまが二人に声をかける。
オーバさまは、二人がよく分からない言葉で話していたことを気にもしていないようだ。
オーバさまには分かる言葉なんだろうか?
オーバさまの言葉で、クマラさまが、オーバさまに手を引かれた私を振り返って、ふわっと微笑んだ。
・・・ああ、なんと、愛らしいお方。
あれは、オーバさまに愛されている自信に満ちている微笑み。
たとえ、オーバさまと離れていたとしても、私のように、不安になったりしないのだろう。
そう感じさせられてしまったことが、少し、悔しい。
そして。
その、クマラさまの向かいにいた、山師イズタ。
クマラさまと同じように、私に視線を向けて・・・。
すぐに、目を、そらす。
この山師は、なぜか、私と目を合わせないのだ。
「初めまして、クマラさま。辺境都市アルフィの主、スィフトゥ男爵が娘、キュウエンと申します。今は男爵家を出て、神殿に仕えております」
私はクマラさまに話しかけて、ふと、思った。
クマラさまは、私の言葉が分からないはずだ、と。
以前、アイラさま、ライムさまなど、大森林や大草原のみなさんと話す機会はあったが、誰とも、片言しか、通じ合えなかった。よく分からなかったところは、オーバさまが訳してくださったのだ。
スレイン王国の言葉と、大草原の言葉、大森林の言葉は、それぞれ、似ているものもあるが、やはり違う。
オーバさまは、どこの言葉もお分かりになるようだったが・・・。
不安になって、オーバさまを見つめる。
オーバさまが少し、首をかしげた。
「・・・クマラ、と呼んでください。私も、キュウエン、と呼びますから」
とても。
とても小さな声で。
クマラさまはそう言った。
私にはっきりと分かる、スレイン王国の言葉で。
オーバさまに向けた視線をクマラさまに慌てて戻す。
「クマラさま、私どもの言葉が、分かるのですか?」
「クマラ、でかまいません。こちらの言葉も、オーバに教わって学びました。そうしないと、ひょっとすると、とても大切な話を聞き逃してしまうかもしれないから」
「・・・」
・・・すごい、お方だ。
フィナスンから聞いたが、大森林は、辺境都市アルフィからはかなり遠いところにあるらしい。
クマラさまが、オーバさまの后として大森林にいる限り、スレイン王国の言葉を話す機会はほとんどないはず。
それでも、スレイン王国の言葉を学び、話せるようになることに意義を見出し、実行する。
私は、大草原の言葉も、大森林の言葉も、学ぼうとすら、しなかったというのに。
「クレアとは、とても仲良くしていると聞きました。私とも、仲良くしてほしい。だから、クマラ、と呼んでくださいね」
「はい、クマラ。そうさせてください。今回は、短い滞在だと、オーバさまに聞きました。カスタから戻るときにも、お話できると嬉しいです」
「ええ、キュウエン。帰りにも、必ず」
笑顔が素敵な、可愛らしいお方。
言葉ひとつで分かる、とても優秀なお方。
おそらく、戦ったとしても、私より、強いのだろう。
こういう后が、オーバさまの側にいる。
大森林が豊かなところであると聞かされているが、それは、間違いのない、真実なのだろうと、クマラさまの在り方を見て、私は思った。
ふと、私は、もう一人の男、イズタを振り返る。
イズタが、さっと目をそらす。
・・・いったい、何なのでしょうね?
「先ほど、我が父、スィフトゥ男爵に仕えるこの山師イズタと、ずいぶん熱心に言葉を交わしていたようですが、どのようなお話を?」
「・・・ああ、すみません、キュウエン。イズタと話していたのは、辺境都市のことではないのです。こちらの秘密を探ろうとしていた訳ではなくて・・・。イズタの知っている、農業についての話を教えてもらっていたの」
「農業の・・・?」
「ええ。銅の話ではないの」
「クマラは、アコンの農業の中心なんだ」
オーバさまが私にそっとささやいた。
・・・しまった。
クマラさまを疑ってしまったかのようになってしまった。
そんなつもりではなかったのだけれど、イズタが私と目を合わせないものだから、つい、気になってしまって・・・。
「クマラ、それよりも、さ・・・」
オーバさまが、私とクマラさまの間に入る。
「ああ、あれ、ね・・・」
クマラさまが少し離れたところにあった袋に手を伸ばし、その中から、何かを取り出した。
その手には、布があった。
・・・信じられない。
なんという、白さ。
輝くような、白さ。
・・・いえ、初めて目にした訳では、ないはず。
確か、あの砦で会ったとき、アイラさま、ライムさまをはじめ、みなさんが着ていた服は、どれもこれに近い光沢を感じた。ただし、返り血も多かったので、今、見ているような白さを感じなかったけれど。
「これを、キュウエンに。服が二着は作れるはず。アコンの村で作っている布なの。丈夫なのよ」
いや、丈夫な布かどうかよりも、その美しさの方が気になるのです・・・。
「よろしいのですか?」
「はい。ここに来るまでに、大草原ではライムにも渡しましたし。オーバの妻には、みな、着飾ってもらいたいもの」
・・・クマラさま。
綺麗な布だって、ちゃんと分かってて、言ってましたか・・・。
「今、アコンでは一番いい布なの。たて糸は五百よ」
「ごっ・・・そんなに? 何年かかることか?」
たて糸の数だけ、よこ糸をぐりぐりと互い違いに通していって、布を織るのだ。それが五百となれば、いったいどれだけ手間がかかることか。
「うふふ、すごいでしょう? オーバと一緒に作った織り機で、ね」
「オリキ、ですか?」
「・・・あ、内緒だった」
知りたいっっ!
何、それっっ?
クマラさまから手渡された布は、白くて、薄くて、それでいて、力を入れても破れそうにない。手触りも、すらっと、気持ちがいい。
羊毛・・・?
そんなはずはない。こんなに細い糸で織られた羊毛の布なんて、見たことがない。
そもそも、羊毛から作る糸は太くなってしまうので、そのまま髪のように編んで、服に仕立てていく方が多い。一度布地にすることもあるが、どちらかといえばその方が珍しい。たて糸など三十もあればよい。そして、その布はこんなに薄くなりはしない。分厚いものだ。
「羊毛でも、麻でもない、布ですね?」
「羊毛でも、麻でもない布です。でも、大森林なら、実は、羊毛も、ここまでじゃなくても、細い糸にできるの」
「ええっ?」
「こんなに白くはならないけれど」
「あ、そうなんだ」
「やっと、普通に話してくれた」
「あ・・・」
「これから、よろしくね、キュウエン」
「・・・はい、クマラ」
私は、クマラに対して、壁作るのを止めた。
とても、敵いそうにない、芯の強さがクマラにはあるようだった。
大森林のひとたちからすれば、私など、ただの新参者でしかないのだろう。
クマラの表情から感じる余裕に、私は完敗だった。
その日は、お父さまと、オーバさま、クマラ、私の四人で朝食を食べてから、オーバさまとクマラの出立を見送った。クマラがこっそり教えてくれたが、大森林では一日一食で、夕食しか食べないらしい。
大森林の王とその后の旅だというのに、護衛は一人もいない。カスタへ向かうフィナスン組の隊商と一緒に歩いているが、あれは別に護衛ではない。
私の常識からすれば、信じられないような話だが、思えば、オーバさまはずっとクレアと二人で行動していたし、オーバさまは私の知る限り、誰よりも強い。
東門で、二人が小さくなるまで見送り、私は護衛のフィナスン組とともに神殿へ戻った。
神殿で、お手伝いの未亡人数人と、クマラから贈られた布をどんな風に仕立てるべきか、じっくり話し合った。二着分は作れるとはいえ、失敗したくはない。
みんな、とんでもなく美しい布に、大騒ぎだった。
「・・・それで、クマラさまは・・・」
・・・と、口にしたのはフィナスン。
なぜか、今、神殿にいる。
オーバさまについて行かないとは、珍しい。
「何か、フィナスン?」
「いえ、クマラさまは、羊毛の糸を細くできると・・・?」
「どこで聞いていたの?」
「いえ、イズタからの情報っすけどね」
・・・あの山師か。
フィナスンともつながってる?
私とは・・・目も合わせないのに・・・?
いえ、よく考えてみれば、フィナスンは銅貨の製造の元締め。
銅の鉱脈を見つけるあの山師とつながっていない訳がないのだ。
「本当っすか?」
「そう言っていましたよ」
「言ったっすか?」
「だから・・・」
「姫さん、それ、ここで、どうにかできないっすかね・・・?」
「フィナスン・・・?」
「羊毛なら、アルフィでも、手に入るっす。オーバの兄貴の服は何度も目にしました。あそこまでではなくても、細くなった糸で、今以上の布が織れるのなら、それがアルフィの新しい産物としてやれるんじゃないっすかね?」
「どうやって、細くするのかは、分かりませんよ?」
「クマラさまか、まあ、オーバの兄貴に、姫さんから頼んで教えてもらうってのは、どうっすか?」
「・・・大森林としても、重要な産物ではないかと思いますが?」
「姫さん。あっちには、それ以上の糸と布がもうあるっす。うちの者が大森林まで交易に出向いても、大草原じゃあの布の服は見かけないらしいっすよ? でも、大森林では、ほとんどの者があの真っ白な布か、それに近いものでできた服を着てるらしいっす。羊毛を細くするのは、大森林ではそれほど重要ではないはず」
そう、なのだろうか?
なんだか、フィナスンにうまく言いくるめられているような気がする。
「姫さん!」
「・・・フィナスン、落ち着きなさい」
「・・・アルフィは今、分かれ道っす」
「どういうこと?」
「カスタは、大森林から遠く、海に近いことで、干し魚や塩をはじめとして、オーバの兄貴が求める産物がたくさんあるっす。ところがアルフィは・・・」
「そういう産物がないのね。たくさんとれるのは麦くらいだものね。まあ、ここは、そもそも、守るための砦のようなものだもの」
「中間地点っすから、そのままでもうまく利益はあるけど、でも、それだけでは・・・」
「オーバさまに、価値を感じてもらえない、ということ?」
「・・・そうっす。それどころか、この先、大草原とスレイン王国が敵対したら、オーバの兄貴にとって、ここはただの障害物っすね」
「お父さまは、もうオーバさまと争うつもりはないでしょう」
「辺境伯領以外のスレイン王国では、大草原の恐ろしさなんて、誰も知らないっすから・・・」
・・・確かに、そうなのだろう。
そもそも、アルフィの城壁がそれほど高くないのは、大草原と戦ってもこの程度の城壁で防ぐことができると考えていたからに他ならない。
大草原の・・・いえ、大森林の方々がとんでもなく強いことは、私がこの目で見た真実。
何も知らない王都の者たちがおかしな動きをしたら、とんでもないことになる可能性は十分にある。
「アルフィでひとつの産物が作られるようになれば、いろいろと、都合がいいっすよ?」
「・・・分かりました」
フィナスンの考えがどうであれ、私は、オーバさまとクマラの帰路で、羊毛から細い糸を作る技術について教えてもらえるように説得することを決めた。
ところが、予定していた期日を過ぎても、オーバさまとクマラは、アルフィに戻ってこなかった。