はじまりの森
「コウヘイ大丈夫。コウヘイ」
あの少女の声が聞こえる。
「あ?あー」
俺は朦朧とする意識の中、返事を返した。
「よかった!コウヘイ。死んじゃったのかと心配したんだからね」
目をあけると、俺の顔の前で、ベソをかいている赤髪の少女が居る。
『顔が近い』
ぼんやり、感じる。
俺の頭はその少女の膝の上にのっているようだった。
ふと、足元に注意を向けると、
……たくさんの木が霞んで見える。
『ここは森の中なのか?』
「もう一回、治癒魔法掛けるね」
そう言って少女は、涙を手の甲でぬぐい、俺の胸に掌をかざし呪文を唱える。
桜色の光が俺の胸元へと流れてくる。暖かい春の日差しのように心地よい。
「俺どうしたんだ?」
細い声しか出ない。
「あそこから落ちたの」
そう言って少女は、俺の頭上を指差した。頭上には断崖絶壁の岩肌があった。
「よくあんなとこから落ちて俺助かったな」
意識が混濁しながらも、つくづく感心した。
「ごめんね。私が今晩うさぎ料理がいいって駄々(だだ)こねたから、断崖に追い詰めたうさぎを捕まえようと無理させちゃって、ごめんね」
今にも、また泣き出しそうだ。
「で、きみだれ?」
その少女は泣き出した。
「ラナだよ。ラナ。覚えてないの?」
あ、思い出した。一緒に冒険してたんだった。先日のオークの城攻めのときも一緒に戦った。一緒に城壁を壊して喜んだ!
……あれ、俺は城の壁を壊したのか?
かすれる意識のなか、丘の上から壊される城壁を見ている俺の姿が走馬灯のように浮かんでくる。
「そうだ、城はどうなったんだ?」
俺の脳裏には、
ゴーレムが投げる岩、崩壊する城壁、ハシゴを登る狂気じみたオークの顔。オークがとうとう歩廊に侵入する。
鮮明な光景が蘇っていた。
「城壁は壊されたけど、城兵が必死に戦って、ゴーレムとオークからお城を守って……、それより、今日はここで野宿しましょう。私、夕食探してくる」
お城の心配より、今は体が大事よ。と俺のことを心配しながら、食材を探しに森の中に入っていた。
一人になった俺は、周りを改めて見渡す。
「本当にあそこから落ちたのか?よくそれで生きていたなぁ」
崖は恐ろしく高い。
多分、ラナの治癒魔法のおかげだ。改めて、ラナに感謝する。
どこかが痛むわけではない、けれど頭がぼんやりする。気を抜くとこのまま眠ってしまいそうになる。多分、相当の深手だったのだろうと想像がついた。
しばらくして、ラナが戻ってきた。
川魚と木の実がとれたよ。と、収穫物と笑顔を見せ、
手際よく、魔法で火を起こし、俺が持っていた短剣で川魚をさばき、木の実の皮をむいて、テキパキと夕食を作った。
料理は不味かったのか美味かったのか覚えてない。なんだか自分の体では無いように違和感がある。たぶん、体がまだ本調子ではないのだろう。
ただ、食事が終わり、辺りが暗くなると、たき火の前で、ラナと二人肩を寄せ合いながら寝ることにした。先に寝入ってしまったラナの重みと肩に伝わる温もり、そしてたき火の暖かさが生きているという実感を感じさせた。
「コウヘイおはよう」
目を覚ました俺に笑顔を向ける。
ラナは木の実の皮をむいていた。俺が寝ている間に森で取ってきたのだろう。
「おはよう」
寝ぼけた顔で目をこすっていると、
「今日中にお城に入るわよ。今日一日歩きづめになるから朝ごはんしっかり食べないと」
と、大きな葉を皿にして、焼き魚と木の実を盛り合わせた朝食を俺に手渡した。
塩味がうまい。
昨日とは、打って変わったように体がシャキッとする。
朝食後、どれくらい歩いただろうか。
日が真上にあるから、五時間ってとこだろうか?。目新しく感じる周りの景色にも単調で見飽きた頃だった。
「伏せて」
ラナは素早くしゃがみ込み、篭もらせた小声で、俺を静止させた。
何事かと、ラナが見つめる方向に目をやると、一匹のゴブリンがいる。ゴブリンはこっちに気づいていない様子で、草木に向かって短剣を振っている。
『剣の練習?』なのか?
「狩るわよ」
ラナが小声で言う。
ラナは真顔だ。
状況を理解できずにいる俺のことなどお構いなしに、
身を低く隠しながらゴブリンに近づき、ラナは詠唱を始めた。
すぐにゴブリンに異変が起きた。
ゴブリンの足は根が生えたように地面から離れない、見えない敵が目前にいるかのように短剣をビュンビュンと振り回す、徐々(じょじょ)に、その腕も動ごかなくなった。
「これでいいわ」
少しほっとした顔でラナは呟き、ゴブリンの前に姿を晒した。俺もあとに続いてゴブリンの前へと足を進めた。
俺達を見たゴブリンは憎悪をむき出しに睨みつけ、「グルゥーー」と唸り声を漏らす。
「トドメを刺して」
「え?」
ラナの一言に言葉を失った。
「トドメを刺してっていたの」
不機嫌そうにラナが同じセリフを口にする。
「でも、このゴブリンなにもしてないだろ?」
俺には状況が掴めない。
首から下は固まっていても、顔全体でもがいているのが分かる。
「ガー、グゥギーーィ」
なにを言っているのか分からないが、必死に今の状況から逃れようとしていることだけは分かる。
しかし、なぜ俺達が、このゴブリンを殺さないといけないのかが分からない。
「もういい、貸して」
ラナが大きな声を出したかと思うと、俺の腰から短剣を抜き出し、ゴブリンの心臓に一刺しした。なんの躊躇いもなかった。
「ガーーーー」
ラナの首に噛みつかんと言わんばかりの勢いで、口を大きく開き、憎悪の塊でラナを睨んでいたが、徐々(じょじょ)に力尽き、眠ったように動かなくなってしまう。
あれよあれよという間に、事は終わった。
呪縛の魔法を解いたのだろう。そのまま、地面へバタッとゴブリンは倒れた。
ラナは、倒れたゴブリンの懐から宝石を取り出し、自分の腰のポーチへと宝石をしまう。
「おい、そこまでしなくても……」
残忍な手口、手際よい手さばき、俺はラナを軽蔑したのかもしれない。
終始無言だったラナはガバッと振り返り、そして、ラナは涙を流した。
涙と同時に肩がガクガクと震えだした。
「魔物は殺さないと人間が殺されるの。 だから私達、お城に向かってるんでしょ?。魔物を殺すために」
「……」
「違うの?」
「……」
「私の村もゴブリンにやられたの、パパもママもゴブリンに殺されたの。たしかにこのゴブリンがやった訳じゃないけど、魔物をやっつけないと私達がやられるの」
俺は呆然とした。頭の中が真っ白で何も考えられなかった。そのあと、じわじわと後悔の念が湧き上がってくる。……が何もできない。
「もう、いいから、お城には私一人でいくから、いままでありがとう」
俺に短剣を返し、ラナは一人、先へ進む道を歩き出した。
「ゴメ……」俺の気持ちが口先まで出たが、『ゴメン』の一言で片付けて良い訳がないとラナを傷つけてしまったことを心から悔やんだ。
ラナの後ろを、距離をおいてトボトボと歩く。
真上にあった太陽が、西の山脈に隠れた頃。
「コウヘイ走って!」
唐突に、ラナが叫ぶ。
『「走って」と言われても逃げろっていうことなのか?』
ラナが手招きする。
『来いということか』
と理解し、俺はラナ目掛けて走った。
それを見たラナは、俺を置いて走りだす。
わけも分からず、俺はラナを追いかける。
丘の先に城が見えてきた。
やっと城に着いたことを喜んでる暇もなく、城門が今まさに閉められようとしているのが見えた。
俺は理解した。
「おーい、待ってくれ」
ラナに叫んだのではない。城兵に向かって叫んだのだ。
俺は、ラナを追い越して、兵の元へとがむしゃらに走った。
「おーい、待ってくれ。閉めないでくれ」
その声に気づいた城兵は、
「早くしろ、もう閉めるぞー」と叫び返す。
俺は息を切らして城兵の元へたどり着いた。
「もう、閉門時間が過ぎてんだ。早く入れ」と、急き立てる。
しかし、まだ、ラナが着いていない。足は俺よりはるかに遅いようだ。見ているとへばって歩き出す有様。
「入らないなら閉めるぞ」と怒鳴られながらも、
おれは必死に手を合わせ、頭を下げて、
「もう少し、もう少しだけ」と城兵に懇願した。
やっと着いたラナ。今にも座り込みそうだ。俺はラナの背中を押し、睨みつける城兵に頭を下げ、
「すみません。すみません」と言いながら城内に入った。
城内に入ると、大きな門は『ギギギー』と蝶番の軋む音と共に『バタン』と大きな音をたてて閉じられた。
「もう歩けない」
額から汗を流しヘトヘトの顔でラナは、地べたに座り込んだ。
気は強いが、見た目通りの、か弱い少女なんだとおれは、ラナの一面を見た気がした。
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2018-09-28 誤字訂正