四面・松明の炎
「この《ビジュアル》は《真空の壁》を作ることが出来ます」
ピピにそっくりな《ビジュアル》を俺達に紹介する。
透明の壁の向こうでは、続々(ぞくぞく)押し寄せるゴブリンに後ろから押され将棋倒しの下敷きになったように壁に張り付いたゴブリンが醜い顔を晒している。
そんなゴブリンを踏み台にして、壁の上に這い上がるゴブリンもいるが、入れる隙間は無いようだ。
見えない壁を長い爪で掻きむしったり、石オノで叩いたりしている。しかし、《真空の壁》が壊れる様子はない。
「物理攻撃だけではなく、炎や雷、毒の霧や衝撃波なども全て防いでくれます」
「最強じゃないか」
「それが、そうでもないのです」
「たとえば?」
「……すぐにわかりますよ」
余裕を見せて説明していたアントレアが口を濁す。隠すアントレアに違和感を覚える。
「バカね。相手の弱点なんかは聞かないってのが常識でしょ」
そんな常識知るもんか!
俺がラナを睨むと、なに?と言わんばかりにラナも睨み返す。
「魔物との争いのみに目が奪われてしまいますが、時として人間同士が殺し合うということもありますから。 穏やかに見えて派閥争いは常にあります。友だった者が、敵になったとしても世の常と受け入れるしかありません。ですから一般的には聞かないってなってますね」
俺とラナを仲裁するかのように説明口調で話し、そして、寂しそうな表情を浮かべる。
アントレアに向けていた目線を周りの風景に移す。
ひっきりなしに透明の壁を攻撃していたゴブリンらだったが、今は、不思議そうに透明の壁を小突いている。
周りのゴブリンらから離れたところに美しい女性と、一段と体格の良いゴブリンが居るのに気づいた。
俺の目線の先に気づいたアントレアが注告する。
「あまりサキュバスの方は見ないでください。光は通しますから《魅惑の魔法》に魅了されます」
「あのサキュバス、アンナちゃんを攫ったサキュバスだわ」
「サキュバスは執念深いですから、おそらく復讐でしょう。それにしてもよくこれだけのゴブリンを集めたものです。ちょっとした軍隊ではないですか」
俺に吹き矢を飛ばしたあの魔物なのか?
確かめるようにサキュバスを凝視する。
「見ないでください。操られてしまいますよ」
ぼんやりしていた。体を揺すりながら声を掛けるアントレアに気づき、目線を逸らす。
ゴブリンの群は、透明の壁を壊せないと理解したみたいだが、しかし、ゴブリンらは立ち去ろうとしない。
取り囲まれてから一時間は経っただろう。
「しかし困りましたね。引き下がってくれそうにはありませんね」
「これ、いつまで続けるつもりなんだ」
「明後日の夕方までに私が町に着かなければ捜索が行われるはずです。ですから最悪でも三、四日辛抱すれば、仲間が発見してくれます」
「三、四日もこのままなのか?」
「私もゴブリンが途中で諦めてくれることを願いますが、こればかりは先が見えないですね」
日が暮れても、ゴブリンは《真空の壁》を幾重にも囲んだままだ。
内側で火を起こせば、煙が充満する。
ゴブリンが手に持つ松明の光を頼りに、硬い燻製肉をそのまま食べる。
「食事と睡眠はいかなるときも大事です。弱気にならず今できることをしましょう。なに、最悪でも四日間の辛抱です」
遠くまで続く敵の松明を眺めていると落ち込んでしまうが、アントレアのプラス思考に勇気づけられる。
しかし、数枚の燻製肉を食べ終わると、また、ひたすら待つだけの時間が流れる。
ゆらゆら揺れる敵の松明を見ていると、なんとも心細くなる。
俺達は動こうとも、話そうともしない。
《真空の壁》は音を通さない。
微かな物音と、馬の鼻息が聞こえる。
無言のときが流れる。
「ところで、コウヘイさんは、なぜ冒険者になったのですか?」
唐突なアントレアの問いかけに、今更のように過去の記憶を探った。
脳裏に過去の記憶と映像が再生させるように蘇ってくる。
俺とラナは、仕事をしていた、幼馴染とか親戚とかでは無く、同じ職場で働く同僚だ。
俺は、キーボード(なんの変哲もないように見える木で出来た板)をカタカタと叩く。指が触れた場所が水滴を垂らしたように波打つ。波は段々と濃く鮮明になり、雲のような実態が現れる。ラナはそれを小瓶に詰めフタをする。机の横には、水とも雲とも区別がつかない物が詰まった小瓶がたくさんある。全部、俺が作り、ラナが封をした。魔法の材料なのは知っているが何に使われるのは知らない、それで生計が立てれるだけの収入があるから作る。それだけの仕事だった。
そんな俺達が住む町に、ある日、ゴブリンが出没した。小さな田舎町だったため冒険者などいない、町人は自警団を作り警戒に当たったが、俄仕込みでは大して役にたたない。そのゴブリンを仕留めるまでに一ヶ月ほどの時間を要し、その間に八人の町人がゴブリンに殺された。その中にラナの両親も居た。
俺は、頭に蘇った記憶を、アントレアに話した。
その話をラナもシンミリ聞いている、つらい過去だろう。
「「「……」」」
沈黙を嫌うかのようにラナが問う。
「アントレアはどうして冒険者になったの?」
「
家庭の事情でお恥ずかしいのですが、私は、兄たちと仲が良くありません。
兄たちは私のことを野心家と罵り、私は兄たちを臆病者だと考えています。
以前に少しお話ししたと思いますが、《魔物の洞窟》は当家の領地にあります。そして、今は採掘量は少ないですが、恐らく大量の銀や金の鉱物が眠っているはずです。
噂と言うのはすぐに広まるものです。鉱物の存在を知った公爵たちは《魔物の洞窟》への派兵に反対しています。公には認めませんが、一度《魔物の洞窟》を魔物に奪わせてから奪還することで所有権を自分達のものにしたいがためにです。
もともと少量の石炭しか採れないと考えていた鉱山ですから当家にとっては無かったも同じ。対立をさけるため兄たちは、公爵達の企てを黙認するつもりだったようですが、みすみす権利を放棄するのは私には理解できません。
今、私は、叔父や親類縁者から資金を集め、《魔物の洞窟》にいる魔物と戦っています。
父は私を応援してくれているはずですが家督同士の争いになることを恐れ何もしません。
しかし、兄たちは私の行動が目障りのようで……。
」
憤りを見せたかのようなアントレアだったが、さみしげな顔で口を噤む、そして一言。
「ですのでこの《ビジュアル》はとても役立っています」
『兄たちに命を狙われているのだろうか?』
アントレアの顔色に、そんな苦悩があるのではないかと勘ぐってしまう。
あまり深入りしないほうがいいのかもしれない。話題を変える。
「この《ビジュアル》の名前は?」
「《ビジュアル》はあくまで《精霊の力》ですから、力を使っていけば、いずれ力が底を尽き消滅します。名前を付けてしまうと愛着が湧きますから、いざっと言うときに判断が鈍らないように名前は付けていません。 敵の松明に囲まれて、センチメンタルになったのかもしれません。私らしくないことを話してしまいました。この話は他言無用にお願いします」
湿っぽい話だったが、ゴブリンの松明を無言で眺めているよりは気休めになった。結構な時間話していた、空が薄っすら明るくなってきている。
それでも、まだ、半日しか経ってない、この状態をあと三日半続けるのか?気が遠くなりそうだ。
気のせいかなんだか息苦しい、いや気のせいではない。
「なんだか息苦しくないか?」
「そうですね、もうそろそろ限界のようです。 これがこの《ビジュアル》の最大の弱点です。そう、空気を遮断してしまうのです」
敵の攻撃を防ぐが、こちらからも攻撃が出来ず、移動する事もできない。ただの時間稼ぎでしかない。そして、一定時間ごとに新鮮な空気を入れ替えるため、《真空の壁》を張り替えないといけないことを俺に説明してくれた。
「ですから、この秘密だけは、絶対兄たちに知られてはまずいのです」
アントレアの目は真剣だ、殺気すら感じさせる。
鋭い目線を俺からはずし、立ち上がったアントレア。
「気づかれないようにそっと開閉しますが、《真空の壁》を張り替えるには少々時間がかかります、もしゴブリンが入ってきたらお願いします」
ちょうどその時、サキュバスの隣に居た背の高いゴブリンが雄叫びをあげる。
「ガーーーー」
《透明の壁》を取り囲むゴブリンらが驚き、道を開ける。
「どうやら、ホブゴブリンもシビレを切らしたみたいですね」
「ホブゴブリン?」
「はい。あの背の高いゴブリンはホブゴブリンです、ゴブリン界では英雄的な存在です」




