ログイン
今日は待ちに待った《グリフロード》の予約日。
仕事を終え、一度自宅のアパートに戻り、終電で秋葉原に来た。
年中無休・二十四時間営業で《グリフロード》は稼働しているのだが、休日の昼間は絶望的に予約が取れない。どうしても深夜の時間帯になってしまう。それでも二ヶ月以上待たなければならない。
ここ《グリフロード》ビルは、名目上、インターネットカフェとして営業をしている。なんでも風営法の関係らしい。
二階の広いフロアには、ドリンクバー、インターネットスペース、マンガ本棚があり、退屈することなく予約時間までここで過ごせる。
平日の深夜一時三十分。
一階ロビーの受付で指示された十階フロアに登り、エレベータから降りる。
エレベータホール正面に、サービスステーションがあり、ここで《クリフロード》との通信に必要なヘッドギアが装着される。
俺はいくつかの設問に答え、ヘッドギアが正しく装着できていることを確認され、健康状態を問診され、腕には心拍計が取り付けられた。
準備が整うと、指示通り休憩室に向かい、時を待つ。
二時まであと五分。
女性スタッフの誘導に従い、小部屋に入り《グリフロード》のリクライニングシートに腰を掛ける。
女性スタッフは、俺が正しい姿勢で腰掛けたことを確認して、小部屋から出て行く。照明が段々と弱くなり、室内が薄暗くなる。
三帖くらいのこの部屋には俺一人しか居ない。
室内には、BGMと一緒に注意事項の音声案内が流れてくる。
目を閉じて、自然な姿勢でリラックスして下さいと指示がある。二時になると、《グリフロード》がこの部屋に接続され、利用者は眠気に襲われ、徐々に眠りにつくが、けして危険なことはない、医療やカウンセリングでも使われている手順なので安心して下さいと説明が流れる。
今日で三回目になるから、音声案内の内容も理解しているし、前回のような緊張もしていない。
しかし、二ヶ月以上もタイムラグがあるのに感情移入できるのだろうか?
《グリフ王国》の世界にどうやって入るのだろう。と心配になる。
前回は、崖から落ちて意識を失っていたところから始まった。
前々回の攻城戦シナリオでは、寝起きから始まった。
今回は?
《グリフ王国》の世界からログアウトしたのは二ヶ月以上前。
幾度となく思い返した状況をまた思い返す。……二匹のゴブリンを倒して、そのあと、転がったゴブリンに短剣を突き立てたところでログアウトした。
カッコいい戦闘シーンだった。四人の連係が取れていた。
ログインすれば、あの直後に戻るはずだ。
セシルとハイタッチしよう。アンナを褒めよう。ラナには何と言おうか?
待ち焦がれていたとはいっても、細かいところはもう忘れている。
そういえば、あのとき、俺どういうポーズだったっけ?
そんなことを考えていると、段々と、意識が遠くなる。
カッコいい戦闘シーンからの続きなのだが、タイミングが悪く白けるのではないだろうか?
意識が揺らめいていく。
-----
ダーーーン
大きな轟音とともに、土埃で視界が奪われる。
ジンジンと耳鳴りがし、頭がクラクラとする。
立っていられない自分に気づいた。
俺は、片膝を地面につけた。そして、肩から倒れ、地面に仰向けに転がる。
胸に何かが触れた感じがするが、かすかにしか目が見えない。耳もジンジンして何も聞こえない。
次第に、何か叫ぶ声が聞こえ出した。
「コ……イ、ダイ、ブ……、私の声聞こえる?コウヘイ、コウヘイ」
『俺は?』
そう考えた時、走馬灯のように、さっき転けたゴブリンと、そのゴブリンにトドメを刺したときの映像が思い浮かぶ。
そうだ、俺は、森の奥でゴブリンと戦っているんだ。俺は理解した。が、何か違和感がある。今の状況が理解できないし、意識がすごく薄れている。気を抜けばこのまま眠ってしまいそうだ。
ラナとアンナがいる。そして、セシルが俺の視界に姿を見せた。
「まだ、ゴブリンが居たみたいです」
『ゴブリンがまだ居た?』
脳裏に、アンナの稲妻魔法で怯んだゴブリンを俺が切りつけ、セシルが別のゴブリンにトドメをさし、俺が残るゴブリンにトドメをさす映像が浮かび上がり、『この辺のゴブリンも大したこと無いなぁ』と感じた気持ちが、頭の中で再生される。
『そうだ、さっきの五匹以外に、まだゴブリンが隠れていたんだ』
俺は気づき、残りのゴブリンを見つけようとしたが、体が動かない。
そんな俺の体の胸に、ラナが手のひらを当てている。その手は桜色に光っている。
「でもおかしいわね。あれ魔法じゃないわ、そもそもゴブリンは魔法が使えないはずよ」
いつになくラナが真剣な顔をしている。
「多分、あれは爆薬ではないでしょうか?」
「ゴブリンって爆弾使うの?」
「いいえ、私も聞いたことがありません」
強張った表情で互いを見るラナとセシル。
そして、心配そうに俺をじっと見るアンナの目。
「どお、コウヘイ?」
そう聞かれて、俺は右手を動かしてみた。まだ短剣を握っていたことにいま気づいた。
俺は起き上がり、左手で頭を触り、肩、胸、腰と触ったが、痛い所はない。
俺は、膝を立て、立ち上がろうとして少しよろけた。
「だ、大丈夫?」
ラナが慌てて、手を添える。
「ああ、大丈夫」
俺は、周りを見渡して……、
森の中。
脳裏には、いつもの狩場から、丘を一つ越え、また一つ丘を越え、その次の丘の頂上に行き、その帰り道の記憶が蘇る。そして、その都度都度で、俺が強気な発言をした言葉が頭の中で再生される。
こんな森だったか?と違和感を感じると、意識が急に遠のく。
まだ体が回復していないせいか、深く考えると意識が朦朧とする。
「私のこと分かる?」
ラナが聞く。
「ラナ」
「私のこと分かりますか?」
セシルが聞く。
「セシル……、いや、セシルさん」
俺は、セシルを呼び捨てにするほど親しくないことを思い出し、とっさに言い直してしまった。
安心したのかセシルは微笑んでいる。
「爆弾を投げてきたゴブリンを逃がしてしまいました。もしかすると仲間を呼んで戻ってくるかもしれませんから、この場は早く離れた方がいいです」
セシルの助言で、俺達はこの場を離れる。
しばらくはラナに肩を借りて歩いていたが、「もう大丈夫だ」と言って、俺は一人で歩き出す。
「俺はどれくらい倒れていたんだ?」
「んー、横になっていたのはニ、三分ね?」
不測の事態にセシルは不安そうな顔をしながら、
「でも、おかしいですね。この辺りのゴブリンが爆弾を持っているという話し、聞いたことがないのですが」
「そうね。今度、町の紹介所に話してみましょ」
ラナも予想外だったのだろう。いつになく真剣な表情をしている。
いつもより深い森の中で俺は負傷してしまった。そんな俺を気遣いながら、ゴブリンに合わないように慎重に帰路を選んだ。
ゴブリンに遭遇することなく安全な場所に辿り着いた時には、太陽は西の山に随分近づいていたが、日没前に木こり小屋まで戻って来られた。ラナとセシルの顔に、やっと和らいだ表情があらわれる。
木こり小屋を見た俺は、
脳裏に、この小屋に引っ越した日の出来事が走馬灯のように浮かび上がる。
『そうか、昨日、この木こり小屋に引っ越してきたんだ』
「もう、町の銭湯へ行く時間がありませんね」
セシルは、残念そうにいう。
「そうね。今日は川で水浴びね」
「……そうですね」
閉門時刻までにはまだ時間があるが、町の中でのんびりできる余裕まではない。




