黒い部屋
『暗い部屋?』
ぼやけた頭が、そんなことを認識した。
いつもより早く目覚めた夜明け前の朝?
もう一眠りしたい。
そんな居心地が、すべての煩わしさを忘れさせていた。
『黒い壁紙?』
壁が見えない。しかし、手の感触が壁を感じる。
……ここが何処なのか分からない。
「お兄ちゃん、起きた?」
聞き覚えのない可愛い声。
その声に驚き、俺は目を見開き、声がした方向を見据える。
そこには、幻想的に照らされた赤髪の少女が居た。
俺のことなど気にも留めていない様子のその少女は、無邪気に鼻歌交じりで、大きな箱の中を覗き込んでいる。上半身を箱の上に乗せ、前かがみで、足をバタバタさせながら。
大きな箱の上面からは光が漏れ、無邪気に覗きこむ少女の顔を幻想的に照らす。
「ねえ、これ見て、……今から戦いが起きるよ」
この部屋には蛍光灯も窓も無い、この部屋の光源は、その大きな箱の上面だけである。
「……?」
俺は無言のまま立ち上がり、箱に近づく。
俺の胸くらいの高さで、幅は、俺の背丈よりも長い箱。
少女の向かい側から、その箱の上面を覗き込んだ。
上面は、テーブルの天板のように平らで、ガラス板に覆われていた。
『埋め込み型のディスプレイなのか?』
その天板には映像が映っている。もとい、映像ではない立体的な光景がそこにある。本当に箱の中に模型で作ったパノラマがあるように映っている。なぜ模型でないことが分かるかというと、実際に中の人や物がリアルに動いているのだ。
『3Dディスプレイ?』
初めて見る家電に目が奪われる。
ちょうど、神様視点ゲームのように、高い崖の上から地表を見る風景が箱の中に広がり、城壁上部にいる城兵、そして、城壁外にいるオークが拳くらいの大きさで無数に存在している。
少女は上半身を箱の上に乗せ、足をバタバタさせながら、ご機嫌に話す。
「いま、魔物軍が陣形を整えたところ」
顔見知りに接するような少女の態度。
『この少女?誰だろう?』
この少女のことも気になる……。
オークが弓と石オノを持ち、何列にもなって城壁と対峙している。
「「「オーーー」」」
オークの群から無数の雄叫びが響き、オークが矢を撃ち出した。百、二百と、ものすごい数の矢の雨を城壁めがけて放つ。
続いて、ハシゴ(足場板)を肩に担いだオークの群は、矢の雨に紛れて、城壁目掛けて走りだす。城壁上部にハシゴを掛け登り始めると、今度は城内から応戦の矢が、ハシゴを登るオークへと降り注ぎ始めた。
ハシゴの軋む音、オークの罵声、城兵の罵声、弓の音、騒然とした音が、この暗い部屋に響いてくる。
箱の中では、矢がリアルにオークの皮膚に刺さる。しかし、一本や二本ではオークはビクともしない。木製の盾で身を隠し、一歩一歩登っていく。
とうとう、城壁上部まで近づくと、複数の城兵が側面からオークの横腹に槍を突き立ててくる。さすがのオークも力尽き、崩れるように膝を折り、バランスを崩してハシゴから落ちていく。しかしオークの群は怯まない。その後ろにいたオークが城内に入ろうと落ちた同胞をものともせず、発狂したかのように怒号を発し突き進む。
ゴリ押しの戦法だ。
城兵より体格がよく、屈強そうには見えるが、身動きの取れないハシゴの上で何人もの城兵を相手にするのはオークにとって分が悪すぎる。
オークは次々と数を減らし、三割程度のオークが無残に城壁下に重なりあって倒れた頃、一匹、また、一匹とオークは退散しはじめ、とうとう城を攻めようとするオークがいなくなるまでそう時間は掛からなかった。
オークの捨て身の戦法に一時はヒヤリとしたが、城を守り切ったことにホッとした。
「あーぁ、負けちゃったね」
え!?
「オークを応援してたの?」
不審そうに少女をみる俺の顔色に気づいたのか、少女は驚いた顔をした。
「え?お兄ちゃん!人間応援してたの?……私達、魔物軍側だよ」
「え?俺、魔物側なの」
「そうだよ。もぉー、お兄ちゃんしっかりしてよ」
俺は、少女の顔を見たまま、しばらく固まった。
じっと目を見合わせる今の状況に気まずさを感じ、次の言葉を探した。
「えーーと、なんで、城、攻めるの」
「決まってるでしょ。そういうゲームだからだよ」
何も疑わず満面の笑みを浮かべる少女。曇りのない少女の瞳に俺の思考は、また固まった。
少女は、バタつかせていた足を床につけ、今度は、その大きな箱の下にもぐる。
少女の行動が気にはなるが、それ以上に箱の中が気になった。今も、箱の中の人間は動き、壁上で城兵の手当をしている。軽傷者にはその場で包帯を巻き、重傷者は担架で町中へと運んでいく。矢傷に苦しむ城兵のうめき声がここまで聞こえてきそうで、実に生々しい。
「お兄ちゃん。これ」
少女が足元からおもちゃ箱を持ち出した。その中には、多くの人形が入っている。
「これ、さっきのオーク?」
「そう。これテーブルの上に置いてみて」
少女から手渡されたオークフィギアを言われるがまま、天板に置くと、みるみるそのフィギアが画面の中に沈み込んでいく。
箱の中に入ったオークは、高い丘から飛び降りたかのように着地し、左右をキョロキョロと見渡したあと、見えない場所へ走っていた。
「お兄ちゃん。追って!」
『追って!』って言われても。どうしていいか分からない。
状況が掴めず、呆然としている俺を見て、少女は、
「もおー、こう指でテーブル押さえて、オークが走った方向と反対方向に指を動かすのぉ!」
少々怒り気味に指で天板を押さえ、指を動かす。
「タッチパネルなのか?」
俺は半信半疑、指を天板につけてみた。
指で天板を押さえると、指の先に位置する地面が淡く光る。
「指動かしてみて」
ガラス状の天板に指をつけたまま手を右に動かすと、ジオラマもそれに合わせて移動する。
ガラスに触れた指先だけの感触しかないのだが、指に合わせて動くジオラマを見ていると、ガラス越しに別の世界を覗き込んでいるのでは?と錯覚する。この箱の中は別世界なのでは?と疑ってしまう。
俺は、飛ぶ鳥のようにジオラマ風景をスライドさせていった。
景色は軽快に流れ、
十数回スライドさせると、オークの陣営をみつけることができた。