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黒いスキー板

作者: 齊藤さや

 去年の俺はスキーを楽しむだけで、この身に起こることをまだ何も知らなかった……。





 街路樹の葉がすっかり落ちきり、退屈な飲食のフリーター生活から解き放たれる時期が来た。そう、冬が来たのだ。俺は店長と契約する際に、十二月から二月にかけては休暇をもらうという契約をとりつけていのだ。高校を出た直後に働き、今年で七年になるが、文句を言わず三か月も休暇をくれる店長には感謝しかない。逆に言えば、こんな親切な店長の下でなければ、くそ暇で給料も決してよくはない店で、仕事なんかしてられるか、というところである。

 何を隠そう、俺はスキーが大好きだ。……洒落ではなく、だ。北陸の雪国生まれの俺は、物心ついた頃から毎シーズン、家族と共にゲレンデへ向かっていた。検定だって一級までは取得したし、引っ越しさえなければ、高校の時だってやっていただろう。父親の転勤で、関西に引っ越すことを余儀なくされたのだ。余談だが、強豪校の卓球部に入ってしまったせいで、シーズンオフという概念が無く、冬でも大会が山ほどあったため、旅行に行っている暇など無かった。ま、ベンチ入りが良いところな腕だったけれど。

 そして、高校卒業と同時に独り暮らしを始め、三年ぶりにスキーを思う存分楽しんで以来、毎年同じ生活をしている。そんな金がどこにあるのかって? 勿論泊まり込みで、働きながらだ。三か月も金払って泊まっていられる訳が無い。


 フリーター三年目でようやくマイ板を手にし、ずっと共に滑ってきたが、こいつもエッジが効かなくなってきた。貯金も貯まってきたし、今シーズンで買い替えるかな。そんなことを考えながら、板のメンテを進める。エッジ――つまり板の端の金属の部分だが――が摩耗してくると、引っかかりを感じ、思うように滑れなくなったりするのだ。ウェアがダサいのだったら我慢できるが、折角なら気持ちよく滑りたい。今年は、日中はレンタルショップの店員のバイトをすることになっているので、表面に傷が入っただけの、状態のよさげなお古を貰えたりするかもしれない。可能性は低いが。


 毎年そうだが、今年も現地に着いて初日は、バイトや移動での疲れで滑る気が起きなかった。二日目の夕方、バイト終わりに大金をはたいてシーズン券を買い、慣らし程度に数本滑ることにした。

 毎年違うゲレンデで滑ることにしている。今年は、コースの種類は多いが、欠点としてナイターは一つのコースしかやっていない所を選んだ。十二月前からナイターまでガンガン滑る客は少ないようで、多分滑っているのは十人以下だろう。快適に滑れそうで、俺は微笑んだ。しかも動いているのがフード付きの二人乗り(ロマンス)リフトとはなかなか有難い。ナイターは昼間より当然寒いため、風雨が凌げるタイプは身体も冷えにくく、無駄な体力を消耗しなくて済む。

 軽く準備運動を済ませたのち、早速板をはきリフトまでスケーティングする。若干融けた雪が、いかにもナイターらしい。ガタガタと動くリフトに乗りながら、ゲレンデを観察する。斜度は無いが、幅が広く全体を通して緩やかなカーブになっている。それゆえ直滑降で突っ込んでくるような輩もいないだろう。あれは二年前だったか、その時は昼だったが子供に後ろから激突され、腰をねん挫したことがあった。おかげで一週間仕事を休む羽目になったからな。

 もう痕すらも無い腰をさすりながら思い出していると、終着点に近づいていた。板の先を上げて準備をする。たまに、リフトと地面の高さがありすぎて降りにくい所があるが、ちょうど良い高さだった。これなら寝ぼけていても降り損ねることはなさそうだ。よくリフトに乗りながら寝るもんだから。


 視界に俺以外いないゲレンデ。頂上では無いので、見晴らしは良くない。せいぜい隣の山が見えるだけ。こんなところで止まっているのも時間の無駄だ、まずはスピードを落として慣らしがてら滑る。板が擦り減っているのが感触でわかってしまう。そこは目を瞑れば調子は良い。一本滑りおりるまでに二人組に抜かされたが、聞こえた会話によれば日帰りらしい。ならば話しかけるのも無駄だな。

 話しは逸れるが、何日も顔を合わせるようになれば、自然と挨拶くらいする仲にはなる。去年も酒を飲み交わした人はいたが、名前すら訊いてないな。


 こんな調子で淡々と三本滑り、今日は止めることにした。天候など特に悪くは無いが、明日は早番だからだ。平日の朝は客が滅多に来ないから、おそらく板のメンテをやることになろう。体力は残しておかなければ。



 二週間が過ぎた。俺のメンテの仕方が店のそれと合わず、居残りさせられたこともあったが、まあ順調に滑っているので良しとする。今日も返却時間ギリギリに来る客の波を捌いたところで、ナイターを滑りにいく。人もそこそこ増え、参考にしたいほど上手い滑りをする人もちらほら現れた。

 特に気になったのは、ストックを持たず、上下黒のウェアに身を包んだ奴。板まで黒い所を見ると、よっぽどの黒好きか、ペンキでもこぼしたか、のどちらかだろう。まるで、ゲレンデという半紙に筆を走らせているが如く、綺麗な一本線のシュプールを残して滑っていた。しかも、その筆運びに迷いは無く、どこか力強くもある。今日もいると面白いのだが。


 二本目を滑り終え、リフトに乗ろうとしたところで、例の黒い男性を見かけた。最近出たばかりであろう、ピンクの可愛らしいウェアを着た女性と、談笑しながら乗り込むところだった。そうだよな、あんなカッコイイ滑りを見せられちゃモテるだろう。さぞ顔も良いんだろうな。好きで独りで滑ってはいるものの、俺だって女の子と一緒に滑った方が楽しいやい。フードが降ろされるのを眺めながら、ため息が出た。天はなぜ二物も与えるのか。

 リフトを降りたら、さっきの男性が、一緒に乗っていた女性を介抱していた。寒くて具合でも悪くなったのか、かすかに震えているみたいだ。滑っている途中で、スノーモービルが走ってきたから、あの女性はきっと滑り降りることすら出来なかったんだろう。

 体調管理もできやしない女はごめんだ。面倒くさい。男性も、付き合う女を選ぶ目は持ってないようだ。



 数日後、滑っていると喉が渇いたので、板を外して自販機に飲物を買いに行こうと思った。そこで板置き場に立てかけようとすると、板全体のみならず、ビンディング(足を乗せる所だ)まで真っ黒いボードが立てかけてあるのに目が行った。先日の男性が使っていたものだろう。次買うのは黒系のボードもスタイリッシュに見えてよいかもしれない。持ち主が周囲にいないのを良いことに、ちょっと見させてもらった。間近で見ると、ブランドのロゴすら付いていないが、テールの部分は微かに赤いドットが入っていた。大きな傷もみられなく、かといって買ったばかりのように小綺麗なわけでもない。塗装し直したわけでも無さそうだ。

 いや、この辺にしておこう。こんなにジロジロ見てたんじゃ、完全に不審者だ。



 クリスマス周辺は、下手なカップルがいちゃつきながら滑っていて、滑りにくいったらありゃしない。ナイターなんか滑ってないで、さっさとホテルにでも帰りゃいいのに。ぶつくさと呟きながらリフト乗り場で順番を待っていると、例の男性――勝手に『クロ』と呼んでいた――が目の前にいるのに気づいた。彼もシーズン券でも買っているようで、よく見かける。見るたびに違う女性と共にいるが、滑っている時は一緒でないようなので、リフトに相乗りしているだけなんだろう。今もまた、グループで来てる女性の一人と何か親しげに話していた。スキー場も、クリスマスソングなんかかけちゃって、なんだよ。

 リフトに乗ってからもぼうっとしていたら、クロが首元にキスをするのがフード越しに見えた。しかも、いつまでたってもキスをやめる気配が無い。結局、降り場の3つ手前のポールまでずっとキスしていた。数分前に出会っただけなんだぜ、信じられねえよ。

 ただ、イライラするのはその後だった。降りる直前でリフトが止まったのだ。リフトが止まるのは、たいがい乗り損ねたとかなのだが、明らかに原因は前の女性だった。男に引っ張られてようやく降りられた、というように見える。先に乗っていたグループの女子達も心配そうに見守っていた。思い起こしてみれば、クロが女性の介抱をしているところを見かけるは、これが一度目でも二度目でもないな。

 クロが女性を、グループの女子達に引き渡し、颯爽といった様子で滑り去っていくのを唖然としながら見ていて、ふと違和感を覚えた。


 彼のボードの赤いドット柄、ビンディング近くまで付いていたっけ、と。



 年が明けると晴れが続き、雪のコンディションも今一な日が続いていた。正月休みで地元に帰ってきた客も多いようで、意外と三が日が過ぎると忙しくなる。田舎じゃ他にすることも無いもんな。

 そんな訳で連日の大盛況を乗り切って、一休みしてから一時間だけ滑りに向かうと、リフトに乗るのが丁度、(くだん)の黒好きなナンパの前になった。また違う女性を側に侍らせている。おしとやかで口数の少なそうな顔をしているな、なんて後ろの安全を確認するフリをして見ていた。乗ってからも景色をみる素振りをみせながら、チラチラと窺っていたが、そんな時ビープ音と共にリフトが一時停止した。乗り場などここから見える筈も無いが、後ろを振り向くとフード越しでもよく分かる、とんでもないものを見てしまった。

 クロは、わざわざ女性のウェアのチャックを胸まで下ろして、身体をがっしりと抱きながら、首元にお熱いキスをしていたのだ。

 しかしリフトは、止まると反動でよく揺れる。それでようやく、止まっていることに気付いたのか、クロは顔を上げて辺りを見渡した。


 そして俺は、目が合った。半開きの口から真っ赤な歯が覗く、黒い男性と。彼は俺を見とめると、片方の唇を持ち上げて笑ったかのように思えた。俺は怖くなって、フードが無かったならば、落ちていたかもしれないような勢いで向き直った。リフトは間もなく動き出したが、もう二度と振り返る気も起きなかった。追いかけられるのではと思い、最短ルートでかっ飛ばして滑り降りた。俺より速く滑る奴は居なく、降り切ってからようやく斜面の方を向くと、クロと思しき黒い点が山の上の方にあった。ただの思い過ごしか、そうは考えたが、とてももう一本滑る気にはならず、早々に宿に引き返した。


 それからだった。さして広くないゲレンデという場所にいるせいで、他の常連客をほぼ毎日と言っていい頻度で見かける。そんな人達と会話を交わしたなかで、あいつは女性以外には見向きもしないナンパ野郎だ、と笑いあっていたクロが、俺が視界に入ると必ず、会釈をしてくるようになったのは。気味が悪かったが、近寄って来たり、会話しに来るなんてことは無かったから、あの日の事も含め、思い込みだと考えることにした。



 なんだかんだで、最終日がやって来た。明日もレンタルの仕事はあるが、明々後日からフリーターに戻らなければならないため、仕事が終わり次第荷物をまとめ、帰ることになっていた。リフト終了の時間まで目一杯雪を楽しみ、板を脱いでいた時だった。目の前を、板を担いだクロが通り、俺を見とめると会釈をし、そのまま過ぎていく。そう思っていたが、今日は違った。会釈をすると、俺の方に向かって歩いてきた。そして板を降ろして地面に刺した。


「お宅、今日で今シーズンは最後なんでしたっけ?」

「え? あ、はい、そうっすけど」

「ボクもこれから帰るところなんです。良かった、間に合って」


 クロはニコニコしながらそう宣ったが、俺には何が”良かった”なのか、むしろ、俺にとっては悪い事が起こる予感しかしなかった。ところが、次に彼はこう言ったのだ。


「それで、この板なんですが、いつも欲しそうに見てましたよね?」

「あぁ……すみませんね」

「でしたら差し上げます」

「へ?」

「ボクですね、来年から海外に行かなければなりませんので、滑れないのです。でしたら、欲しい人に使ってもらう方が()()()()()()し、いいじゃありませんか」


 そして、「お金は……」なんて呟く、理解の追い付かない俺の手に、その深紅(・・)の板を差し出した。俺の方に傾いてきたので、反射的にそれを受け取って数秒、そもそも身長も俺の方が小さいし、などと考えていたが、明らかに異質な点にようやく気が付いた。


「あなたの板は黒かったですよね?」


 そう声に出して言った時には、どんな早足で歩いたのか、彼の背中は随分と小さいものになっていた。















 翌年の冬、俺は例に漏れず、スキー場に来ていた。今日はなんてったって、新しい板での初滑り。どこで買ったかは忘れてしまったが、ようやく引っかかる感覚ともおさらばなんだ、楽しみでない訳が無い。

 ブラックの板を平行に置く。ビンディングにつま先をひっかけ、踵に軽く体重をかければ、バネの音と共に、足に板の重みが加わる。逆の足にも装着すれば、俺に力がみなぎってくる。さて、リフトを降りて滑り出すまでに、この渇きをどうにかしなければ、板の調子が悪いまま試走をする羽目になる。じろりと山を見上げてみると、ポンポンの付いたニット帽を被った女子が目についた。混雑した人の流れに上手く溶け込み、不自然で無いように隣に滑り込む。


「ご一緒してもいいですか?」

「えぇ、まあ」


 乗り場は目の前、断るには遅いだろう。はやるを抑え込み、俺は二人でリフトに乗り込んだ。


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