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八 「とんでもない勘違いだ」


 空中を飛行する感覚が、こんなにも恐ろしいものだとは思ってもいなかった。人間は鳥ではない。生身のみでは、訓練をしていない怠惰な体には拷問でさえあった。

 地上から飛び立ち、徐々に加速を続けることが困難であった。ジェット機並みに加速すれば、目も開けていられないし、呼吸さえ困難だ。腕を動かすことでさえ不可能になった。空気抵抗がこれ程までに負担になるものであるとは、意外な結末だった。

 しかし、ゆっくりと飛翔し高度を上げて、天空からの神戸の夜景を楽しんでいると、全人類の頂点に立ったような気分になれた。人間の能力を超える力の所持は、まさしく神だ。神の超能力が、ただの人間をどのように変えるのかは、これからのことである。

 佐伯教授は、高度一千メートルの上空にいる。強風が西から吹き荒れている。体の周りに障壁を作り、体温の保持も万全に備えた。丸い水平線の彼方まで続く星々の閃きに、何時間も見惚れていた。


 数日前に、湊川神社の宝物殿での調査の結果、佐伯教授は驚くべきことを発見した。荒川宗楽の言っていた通りの伝承が、記載されていたのだった。

 『倭祷神器』わとうじんぎ

 それが黒結晶の古代名称だった。神器は四つ存在する。

 『火の刃』ひのやいば

 『水の洞』みずのうろ

 『風の扇』かぜのおうぎ

 『土の璽』つちのしるし

 神器の使用には、紋章を印すのみであった。ただそれだけで、古代の力を具現できるのだ。しかも、この宝物殿の古文書に紋章に関する記述が存在していた。

 湊川神社の漆黒の剣は、『火の刃』であった。

 佐伯は剣を手に取り、訝しい面持ちでいた。現代人が古代魔力とも思えるものを信じられるはずがない。

 古文書の記述通りに幾何学模様の紋章を宙に書き上げた。

「うぐっ」

 その途端に予想もせず、宙に書いた紋章が浮かび上がった。黒い墨汁の筆がかすれたような線が延びる。グネグネととぐろを巻き、蛇のように蠢きながら、黒斑模様の紋章を形成していった。

「うおぉぉ」

 変化はそれだけではない。剣が葡萄色に輝く。本物の『倭祷神器』の証である。ただの黒い石ではないのだ。古代の王が所有していた人類の宝である。

 神器が一つで、町を手に入れる。二つで都市を、三つで国を、四つで無限を手に入れる。古文書がそう伝えていたのだった。

 葡萄色に輝く『火の刃』を、佐伯は大発見に全身を震わせながら、天にかざした。

「町を手に入れる力が、ここに蘇った」

 佐伯は、必死に『火の刃』を振り回した。

「扉を吹き飛ばせ」

 願えば力が具現化される筈だった。神器は輝きを失せぬままでいる。紋章も黒斑模様で形成されている。

「扉を吹き飛ばせ」

 虚しく佐伯の声が、響くだけだった。

「やはり封印なのか」

 それらしい文言が古文書には記されていたが、解除呪文については不明だった。

「これほどの物を発見していながら、ここで終わりなのか」

 佐伯は考古学の権威なのだ。呪文の類は知り尽くしている。手当たり次第に、それらを試していった。


 天空から戻った佐伯は、神戸ポートタワーの上にいた。そこから眺める夜景の先に、赤く点滅する幾つもの光を見た。消防車の灯りだ。

「火事か」

 佐伯は『火の刃』を持つ右手を差し出した。炎よ、消えよと念ずると、火事は瞬く間に消えうせた。

「これではまるで正義のヒーローだな」

 クククッと笑う佐伯だった。

 湊川神社に行くと、紋章を指で縦に断ち割った。そうすると、黒斑模様は溶けるように消え去っていく。これで、『火の刃』の輝きも無くなり、元の漆黒の剣に戻るのだった。

 佐伯は、この力の使い方に迷っていた。飛ぶだけの力ではない。その気になれば、町を破壊することも、創造することも出来た。現に六甲山中に、佐伯は瞬時にして豪邸を出現させている。意のままに望みを具現化できるのだ。

「先生」

 佐伯が暗い拝殿前に立っていると、声を掛けてきた女がいた。

「どうしたんですか、先生。お疲れ様です」

 荒山宗楽が久しぶりに神社に戻ってきたところだった。母親と弟のことが何一つ解決できていない。毛嫌いしている父親との話し合いで、宗楽が今以上に打ちのめされてしまわないとは限らないのだ。

 母が四条畷にいると打ち明けられた時も、弟がいると告げられた時も、父は聞いた相手の感情など一方的に無視して言ってきた。だから、今回もそうなることは目に見えていたのだった。

「荒山君か。こんな遅くまで出掛けていたのかね」

「しばらく家を空けていたんです。先生こそ、遅くまで古文書の調査ですか」

「あぁ。それは、もう終わったよ。素晴らしい発見だ。荒山君に、まず報告するべきだと待っていたのだ」

「やはり邪馬台国の宝だったのですか?」

「その答えは無意味だよ。もっと素晴らしい発見をしたのだ」

 佐伯は紋章を宙に描いた。

「百聞は一見にしかずだ」

 『火の刃』が再び葡萄色に輝く。

「先生、これは何?」

「古代の力だよ」

 佐伯は宗楽と共に飛翔した。

「きゃぁぁぁぁーーーーー」

 あっという間に夜の上空に、二人は飛び上がると、六甲山中の豪邸に向かった。

 「倭祷神器というのだ。この剣が、『火の刃』だ」

 佐伯は調査結果を、宗楽に話した。四つの神器があり、紋章によって使えるようになるが、それぞれが封印されている。しかし、解除呪文を自らが探し出したことを自慢げに言った。考古学に精通していたからこそ、それが出来たのだと誇り顔で語った。

 当然だろう。江戸期やそれ以前に古文書を残した人物でさえ、封印を解除できなかったのである。そうでなければ、神器がそのまま忘れ去られている筈がない。

 豪邸の中でお茶を出されて、宗楽はホッとしていた。突然空を飛ぶなんて、考えられないことだったのである。高所恐怖症でなくても、宙に浮かぶことは恐怖でしかあり得ない。

「荒山君は、ここの家をどう思うかね」

「先生の別荘ですか。立派ですね」

「ククククッ。とんでもない勘違いだ。別荘だって?」

 佐伯は漆黒の剣を突き上げた。

「まさか?」

「そうだ。願うだけで、この家が出現したのだよ。この『火の刃』だけで、これほどまでのことが出来る。神器が一つで、町を手に入れる。二つで都市を、三つで国を、四つで無限を手に入れる。古文書がそう伝えているのだ」

 宗楽は仰天した。だから佐伯は邪馬台国の宝という答えが無意味だと言ったのだ。そんなことなど消し去ってしまうまでの答えがあったのだ。

 もしも無限の力を使えたら、母に会えるかもしれない。宗楽は禁忌の力を望んでしまった。死んだ母に生き返って欲しい。優しい父親になってもらって、弟と共に四人揃って幸福な一家でやり直したい。そう願わずにはいられなかった。

「荒山君が以前言っていた四条畷神社の剣の鞘が、『水の洞』なのかもしれないな」

「先生、それは私の間違いです。剣の鞘ではありません。神楽鈴の柄です」

「神楽鈴!」

 佐伯は突然にやりとして、左手を握り締めた。その手に神楽鈴を握っているように見えた。

「そうか、それだ。古文書と大きさが合わなかったのだ。だが、神楽鈴ならば、丁度いいではないか」

 宗楽も自らの判断が正しいと言われて、嬉しくなった。

「第三の『風の扇』は、掌ほどの大きさの平たい板なのだ。江戸期の古文書に唐門に飾られたとあっただけだ」

「唐門ですか」

 宗楽は唐門を想像した。京都には、いくつかの唐門があることを知っている。湊川神社と同じく別格官幣社の豊国神社にも唐門があった。

「探しましょうよ、先生。私は四条畷神社に行きます。先生は京都に飛んで行ってください。紋章で光るのなら、唐門から探し出すのなんて簡単じゃないですか」

 宗楽はもう自分を止められなくなった。弟の稔宗の辛い顔を思い返すと、宗楽は居たたまれなくて堪らない。息苦しくて、じっとしていられないのだ。

「先生。考えるのは後でしましょうよ。まずは行動でしょ」

 宗楽は佐伯に湊川神社に戻らせると、自らはバイクを駆った。東へ突き進み、生駒山地の一つ飯盛山を目指した。佐伯は京都へと、神器の入手に取り掛かった。

 真夜中の国道を爆走する宗楽の未来は、夜明けへと続いている。家族を顧みない父も、死んでしまった母も、孤独な家に住む弟も、皆が宗楽に期待している。幸せにしてくれと期待しているのだ。宗楽はその未来に向かって、さらに速度を上げて疾走していった。


 那珂夜月が目覚めたのは、まだ早朝だった。いつもなら、通学時間ぎりぎりまで惰眠を貪る筈の時刻だ。

「夜月は神社に来ない方が良い。いつも通り学校へ行きなさい」

 父の那珂宮司が四条畷神社から家に戻ると、それだけを夜月に言い残して、また神社へと行ってしまった。

 夜月は寝ぼけ眼で、訳が分からないまま母親を見詰めている。そう言えば先程から、外が騒がしい。神社の方からパトカーのサイレンが聞こえていた。

「何かあったの、お母さん?」

 大きな欠伸をして、左手を上げて伸びあがると背骨がポキリと鳴った。

「神社に泥棒が入ったんだよ。でも、夜月は心配しなくていいからね」

「エッ」

 眠気など一気に吹っ飛んでしまう。頬を叩かれたような痛覚がした。

「何か盗まれたの?」

「今、調べてるんだけど、あちこちの扉の鍵が壊されていて、楠公さんの神楽鈴が無いって」

「ウソ! あの黒柄は、神社の宝物でしょ」

「そうよ。だから大騒ぎなのよ」

「アタシ、見に行ってもいい?」

「駄目よ。夜月が行っても、警察の邪魔になるだけだから」

 夜月は家の中から神社の方へ目をやった。心配で堪らない。あの神楽鈴は、夜月が十歳で巫女になった時から、独占使用となっていたものだ。神社の家系の巫女が代々引き継ぐものであった。

「でも、アタシが本殿で紋章を描けば、神楽鈴は戻ってくるかもしれない」

 毎年の新年祭神事に、本殿で秘密裏の特別な巫女舞いをしていた。神社とは別に伝えられている紋章を描き、神楽鈴によって神託が下るのである。これは那珂家だけが信仰する神がある。神社とは切り離されたものだった。

「そんなことに御神力を使うものではありません」

 厳しい口調で母が言う。大切な神具の管理を怠った責任を果たさないままで、神に頼るのは許されないことだ。

「そんなことよりも、急がないと遅刻するわよ」

 もうすぐ七時半だ。あと一時間しかない。こんな日に遅刻をしては、親に迷惑を掛けてしまう。警察への対応だけで手一杯だろう。さらに夜月への負担はあってはならないのだ。

 四条畷南中学校の生徒たちの話題は、四条畷神社のことで持ち切りだった。夜月が登校するなり、生徒たちは勿論だが、教諭たちが心配げに集まって来た。

しかし、当の夜月自身が事件の詳細を知らないでいることに、皆は落胆していた。本気で心配などする者はいない。それどころか愉快な話題にしたかったのである。

「ミツキ」

 藤波愛真だけが、本当に心配していた。顔色が青白いのは、不安で堪らないからだ。夜月に何かあれば、愛真も同様になってしまうと思っているからだ。

「大丈夫だよ。アタシは家にいたから、心配いらないよ。神社だって、誰もいない時だったから、怪我をした人もいなかったよ」

 夜月がそう言った途端、愛真は抱き付いてきた。夜月には愛真の心配していることが分かる。泥棒による損害よりも、安否が気掛かりだった。皆が無事でいることで安心した。

「大丈夫、大丈夫」

 クシャクシャと愛真の頭を撫でながら、夜月は嬉しくなった。

「ミツキ。これを持っていて」

 愛真は髪飾りを外した。祖母から受け継いだ漆黒の珠だ。

「お守りだから、ミツキに持っていて欲しいの」

「それはダメだよ。だって、それはエマの大切なものでしょう」

「今だけ。犯人が捕まるまで。でないと、ミツキが心配なの」

 愛真の瞳が濡れている。そこまで心配されて、自分のお守りまで持たせようと訴えられては断り切れない。愛真の大事な宝物であることを知っているが、大切に預かることにした。

「ありがとう。これがあれば、いつもエマと一緒にいるみたいだね」

「えへへ」

 愛真の顔色に赤みが戻った。不安を払拭して、いつも愛真になっていた。

 午後の授業も何事もなく終わろうとしていた。夜月は早朝からの出来事で、精神的な疲れから眠い目を擦っていた。欠伸こそしないが、ぼんやりとしていた。

 ドドンッ

 校舎の床が突き上げられ、座っている椅子が浮き上がったような気がした。

「地震!」

 クラスメイト達が一斉に騒ぎだした。

 ドドンッ

 ドドンッ

 地面が揺れているというより、突き上げられている。縦揺れのP波だ。通常の地震は、この初期微動の縦揺れに続けて横揺れの本震S波が来る。だが、縦揺れは微動ではなく、激震だった。そうなれば、次に来る横揺れの大きさは想像を絶するものになる筈だった。

 教室中の誰もが息を呑んで待った。夜月も両手で頭を押さえている。

 ドドンッ

 ドドンッ

 また地面が突き上げられた。天井から蛍光灯が落ちて、生徒たちに直撃した。

 ドドンッ

 ドドンッ

 いつまでも続く地震は、世界を驚愕させることの始まりだった。夜月と愛真が、これに巻き込まれていく。この二人に未来が託されるのだった。



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