99.朽ちた王冠
僕の目の前に木人たちがその存在を維持することは許されなかった。
なぜなら木人が姿を見せた瞬間、それはバラバラに切り裂かれるからだ。
先行するのは天狗サナト。
彼女の前に立ちふさがる間もなく、木人形たちはその姿を四散させていく。
「……不気味ですね」
薄暗い樹の迷宮の中、僕の隣を歩くアズはそう漏らした。
「たしかに暗いね……」
ところどころ樹皮が剥がれ光が射していた上層とは違いって、いま僕たちがいる地下に続く通路はうっすらと生えるヒカリゴケが足元を照らすのみだった。
しかしそんな僕の言葉に、アズは首を横に振る。
「違うです、主。ここは……何も聞こえねーです」
「……聞こえない? 音が……?」
コツ、コツと僕ら三人の足音が響く。
聞き返す僕に、アズは眉をひそめて応えた。
「音というか……木の声です。ここは樹の真っ只中、無数の人型の木が襲ってくる……にも関わらず、一切の植物の声が聞こえてこねーです」
「木の声……」
アズは植物と会話できる。
しかしそれにも関わらず木の声が聞こえないとは、いったい――?
僕は首を傾げるが、その疑問に答えてくれる者はいない。
そんなことを考えながら歩く僕の前で、サナトが足を止めた。
「……若くん、注意してね」
サナトの肩越しに、奥を覗き込む。
その先には大きな空洞が広がっていた。
木の根をくり抜いてできたようなその広い空間の中央には、まるで玉座のような木でできた大きなイス。
その木からは部屋全体に向かって幾本もの根のような太い木の管が伸びている。
そしてそのイスには、腰掛ける人影が見えた。
「誰かが、いる……?」
思わずつぶやく僕に、アズが声をかける
「……主、上を見るです」
アズはイスに座る何者かの真上を見上げた。
彼女の声に従い僕も顔を上げると、そこには天井から伸びた幾本もの木の根が集まっていた。
その中央には、木に拘束されている少女。
「――メリヤ!」
僕の声よりも速く、サナトが跳び上がった。
翼をはためかせながら瞬時にその剣を振るう。
一瞬でメリヤを拘束していた木の根が切り払われ、その体をサナトが優しくキャッチする。
「……心音、呼吸ともに問題なさそうです」
僕の隣でアズが耳に手を当てながら、そう呟いた。
メリヤを抱えたサナトはゆっくりと着地して、彼女を床に横たわらせる。
僕は二人のもとへと駆け寄った。
「メリヤ……」
「……う……。お……」
彼女はゆっくりと目を開く。
僕の顔を確認すると、訴えかけるように言葉を続けた。
「おなかすいたぁ……」
ぎゅるるる、彼女のお腹が鳴る。
僕はその緊張感のなさに、思わず苦笑した。
「……帰ったら美味しいごはんを食べさせてあげるからね」
僕はそう言って彼女を抱きかかえる。
――んっ。重い。
いや、普通の女の子よりは軽いのだけど、自慢じゃないが僕はそんなに筋力がない。
……最近部屋にこもっての仕事が多かったしなぁ。
誰にともなく心の中でそんな言い訳をしていると、その部屋の中央から低い声が響いた。
「――ああ」
僕たちは部屋の中央に視線を集める。
「ついに、ついに来たか」
その声に呼応するように、周囲のヒカリゴケがぼんやりと光りだした。
徐々にそこにいる者の輪郭が見えてくる。
「来てくれたのか……」
そこに座っていたのは位の高い聖職者のような格好をした一人の骸だった。
最初はスケルトンのように見えた。
骸骨姿に、何本もの木の根が絡みついている。
しかしよく見れば、それらの木々はその体の表面を薄く覆っており、肌のような物を作り脈動していた。
頭、背中、足から無数の根が生え、イスに繋がり蠢いている。
そして乾燥死体のようなその体の、膝の上には――。
「……王冠……?」
昔、本の中で見た記述を思い出す。
――ワイト。
死霊魔術を極めた魔術師が、その身をアンデッドに堕としたもの。
目の前の彼はその姿によく似ていた。
僕の言葉に、彼は答える。
「左様。余の名はスジェイ。スジェイ・シー・ゴジャ。かつて国を統べる者であった」
彼は何かを思い出すように、言葉を続ける。
「ああ奇跡か必然か、そんなことはどちらでもよい。何はともあれ、よくぞ来てくれた。勇者よ、この世の救世主よ。さあ――」
まるで祈るように、彼は嘆願した。
「――私を殺してくれ」
彼の言葉に、僕は思わず息を呑む。
「あ、あなたは……いったい……?」
僕の問いかけに、彼は小さく頷いた。
「既にその問いは何ら意味もなさないことだろう。私は私であり、それでいてこの凶悪な生物に支配されている。空の彼方より飛来した、取るに足らない原始生物に」
彼は絞り出すように言葉を続けた。
空……? 原始……?
いきなりの話に、頭がついていかない。
しかし彼はそんな僕の様子など気にせず話を続けた。
「いつ口を利けなくなるかわからぬ。いつすべてを乗っ取られるかわからぬ。よってすべてを聞いて欲しい。そして速やかにこの事態を収めて欲しいのだ、勇者よ」
勇者……って。
僕はたまたま居合わせただけなのだけれども。
しかしその言葉通りあれば、彼が喋られなくなる前にその事情は確認しておきたい。
……いったい、何が起こっているのか。
彼は言葉を続ける。
「――遥か昔、神域の時代。人やドワーフがこの地に生まれるよりもずっと前に、空の向こうからそれはやってきた。そして大地に大きな穴を穿ち、この湖となった」
それはまるで神話――いや、神話そのものだ。
「しかし空気が合わなかった。故にそれは地に潜り、眠りへとついたのだ。――ああ、そしてその眠りを目覚めさせたのが余である」
その声色には、後悔の念が入り混じっているように思えた。
「賊の手引きにより国を魔族に攻め落とされ、余は地下道を通りこの森へと逃げ出した。しかし、傷を負った余は途中で息絶えてしまったのだ。――湖の中で」
死人は語る。自身の死の経緯を。
「……偶然が重なった。余が持っていた権杖ユグドラシルには、霊薬エリクシルが収められていた。長い時間の果てに水の中で杖は腐食し、それが湖へと漏れ出た」
不老不死の霊薬エリクシル。
噂通りの効果があるのだとしたら――。
「地の底で眠っていた邪悪なる者がそれによって目覚めた。ヤツはエリクシルを取り込み、木々を取り込み、そして余を取り込んだ。それがヤツの力だ。何であろうと取り込み、吸収する力――!」
彼は右腕を震わせながら、自身の胸元の布を引き裂いた。
「ここだ! ヤツが再生した我が心臓! これを潰してくれ!」
彼の左胸。
そこには拳大に盛り上がる、黒い肉塊があった。
「余を殺してくれ! これが世界の全てを喰らい尽くす前に!」
その声を受けて、肉塊の真ん中から横に亀裂が入る。
肉塊が、開いた。
そこには真紅の瞳のような物があり、ギョロリとこちら視線を向ける。
ゾクリ、と背筋に震えが走った。
「……それを……破壊すればいいんですか……?」
呆気にとられつつも問いかける僕に、ドワーフの王と名乗った骸は答える。
「そうだ。この核を破壊すればすべてが終わる。これは大地を喰らい尽くすこの世界の異物だ」
アズが言っていた『木の声が聞こえない』というのは、この大樹がこの化物に取り込まれていたせいなのかもしれない。
「これはこの世にあってよいものではない。放置すれば向こう十年もしないうちに、大陸すらも呑み込むことになるだろう」
そんな化物はたしかに放っておけない。
僕はドワーフ王の言葉に頷いて、サナトに命じる。
「……サナト、その核を――」
「――そうはいかんな」
その声は、王の後ろから聞こえた。
「しかし大儀であった。代わりに引導は渡してやろう」
何者かの声とともに、王の首が飛んだ。
僕の方へと飛んでくるそれを、サナトが剣で弾く。
同時に、王の体やイスが一瞬でバラバラに崩された。
そして彼はそこから心臓部を拾い、その手に掲げる。
「あなた、は――!」
僕は思わず、声をあげてしまった。
「どうしてここに……!」
彼は僕の問いに、笑みを浮かべる。
「王がさきほど言った通り、元々ゴジャには森に繋がる王族用の地下道があった。少し掘り進めばここに繋がる。……もちろん、今日の出来事について言うのであれば、酒場での陽動の話も聞いていたがな」
その手の中に心臓を抱えたまま、彼は一歩こちらへと近付く。
ヒカリゴケの光が、彼の顔を照らした。
「魔族と停戦するなどと言い出した王を追い詰めてから二十余年……長かった、実に長かった。いやはや、まさかこのような事になっているとは、わしにも与り知らぬことであった」
そこにいたのは――ドワーフの老いた剣聖、ジアン。
彼はしわくちゃになったその顔に歪んだ笑みを浮かべて、彼は笑い声をあげた。
「――カカ! ついに手にしたり、権杖ユグドラシルの核!」
その手につかまれた醜い眼球がジアンを見つめ、そして肉の触手を彼の腕へと伸ばす。
「ジアンさん!」
僕の呼びかけに構わず、彼はその肉塊を自身の胸に押し当てた。
「永遠の命、そして若さ――剣聖の名に恥じぬ肉体を取り戻せるなら、この魂すらも悪魔に売り渡そう! さあわしを喰らうがいい、ユグドラシル!」
ズブリ、と肉塊が彼の体へと沈み込む。
無数の触手が胸から生えて、彼の四肢へと伸びていた。
「――サナト!」
僕が言う前に、彼女は既に地を蹴っていた。
即座に彼女の剣先がジアンへと向かう。
金属音が地下の空洞の中で響いた。
「――カカ。善い。実に体が軽い」
ジアンは笑う。
剣を抜きサナトと切り結ぶその顔からは、みるみるうちにシワが消えていった。
四肢の筋肉が盛り上がり、青年のドワーフのような体付きへと変わっていく。
「そうれ!」
ジアンが剣を強く振るうと、サナトは後ろへと弾き飛ばされた。
サナトが僕のすぐ近くにしゃがみつつ着地すると、すぐにその剣を正面に構えなおす。
「……あは。若くん、あの人には絶対に近付いちゃダメよー。……お姉ちゃん、ちょっと守りきれないから」
サナトはいつもの笑みを少しだけひきつらせて、そう言った。
「――カカカ! 善き哉、善き哉。核とは仲良くやれそうじゃのう」
鋭い目つきを向けるジアンの背中から、幾本もの木の根が伸びる。
「……魔術などの適正は微塵も無いわしではあったが、このような力というのも、悪くない」
太い背中の根が四本伸び、高速でこちらへ迫ってくる。
狙いは……僕か!
「――チッ」
舌打ちしつつサナトが前に出て、迫る触手のうち三本を切り捨てる。
その後ろでアズが声をあげた。
「……出番ですよおめーら!」
アズはその手の中から一本の小豆の苗を生やす。
それは互いに寄り添うように集まり、太い幹となって触手を打ち払った。
ジアンは片眉をあげ、髭をなでつけた。
「……ふむ。付け焼き刃の妖術はいかんな。――しかし、ようやくお主と戦えるようになったのだ」
彼は背中から伸びた触手を床に突き刺す。
「サナト殿……お手合わせ願おうか。その剣との切合い……嗚呼、夢にまで見たぞ」
彼の言葉とともに、天井、壁、床から無数の木の根が生え出た。
その数は百を越えるだろう。
「……うーん、これ、剣技なのかなぁ……?」
苦笑する彼女に、ジアンはカカ、と笑った。
「なに、お主の剣も妖かしの力あってこそとお見受けする。ならば多少の妖異、問題なかろう」
ジアンの言葉にサナトは笑みを浮かべ答える。
「――京八流は天狗の兵法。たしかに、天狗の力を使わなくてはその力を十全に発揮することはできない。……まあ人の身でありながら、知恵と工夫でなんとかした天才もいなくはないのだけど」
「――カカ! 面白い。妖術と剣技の併せ技とな。これは楽しめそうだ」
ジアンはその剣をサナトに向けて構える。
「いざ持てる力すべてを尽くして、正々堂々戦おうではないか」
「さて、どうしよっかな……。お姉ちゃん、守らなきゃいけないものがいっぱいあるから……」
「カカ……ならば」
空間に敷き詰められた木の根たちが、僕の方を向いた。
「そちらから始末するとしよう!」
「――若くんっ!」
無数の触手が、僕へと迫った。