98.侵入、大要塞ユグドラシル
「ドリアードは基本的に宿主となる樹木とは一対一の共生関係だ。どちらかが死ねば片方も力尽きるし、長く離れていては生きていくことはできない」
冒険者の宿、星降の精霊亭は一階の酒場。
周りの冒険者たちの喧騒がある中、イスカーチェさんは集まったみんなに対してそう言った。
「挿し木のように別の樹から栄養を奪うこともできるが、あくまでも一時的に延命できるに過ぎないし、寄生された側の樹の寿命を奪い取ることになるだろうな」
「メリヤの救出は迅速に……ってことか」
僕は彼女の言葉に頷く。
森の中央で冒険者やドリアードを捕らえている木人たちの対策会議だ。
話を聞いていたエリックが口をはさむ。
「……相手の見当はついてるのか?」
彼の言葉にイスカーチェさんは眉をひそめた。
「正確には言えないが――トレント、しかもとびきりの古代種……の可能性は高いと思われる」
「エルダートレント……」
トレント。
それは樹木が変成して動き出したモンスターの総称だ。
森に根を張った巨大な樹木……それが人々をさらっている森の主の正体ということだろう。
しかしイスカーチェさんは、言葉に続けて首を振った。
「――温厚とされるトレントだが、凶暴になってしまった可能性はある。……だが、それでも急過ぎる」
イスカーチェさんは眉をひそめながら言葉を続ける。
「そもそもトレントは数百年の樹齢を持つ樹が核となって誕生する。しかし人をさらうほど強力なトレント――数千年もの古い大樹が森の中にあるとは、噂ですら聞いたことがない」
イスカーチェさんは首を傾げた。
そんな樹は森の中に突然現れた――ということなのだろうか。
それを横で話を聞いていたメアリーが小さく手をあげる。
「あ、あの……お話を遮るようでごめんなさい……。でもたしかに森の中心には大きな塔のような樹が生えているのが、わたしには視えます」
百々目鬼であるメアリーは千里眼を持つ。
彼女が視えると言っているのだから、そこには事実存在するのだろう。
イスカーチェさんは考えるように口元に手を当てた。
「――だとすれば、何かのきっかけがあったのかもしれない。それが大樹となり、動き出した何かが」
彼女の言葉に、それまで黙って聞いていたドワーフのムジャンが眉をひそめた。
「……ドワーフの宝、か」
彼は腕を組んで言葉を続ける。
「噂には聞いたことがあるぜ。西のドワーフの国――ゴジャが滅ぼされる前の話だ」
ムジャンはその国が攻め入られたときの虜囚として、魔族に連れて行かれたと聞いている。
彼は記憶を手繰り寄せるように、少しずつ思い出すように話を続けた。
「ゴジャの王家は代々、ユグ……ユグなんとかっていう、一本の杖をその象徴として君臨してたんだよ」
「……ユグドラシル、だな。伝説の古代樹……生命の象徴として比喩に使われることが多い大樹の名前だ。それ自体は神話のものであって、実在した記録が残っているわけではないが……」
イスカーチェさんのツッコミにムジャンはバツが悪そうに笑った。
「そうそう、それだよ。だがまあ、実際のところはちょっと装飾が凝っただけの、ただの木の杖だったらしいんだわな。……だけど重要なのはその先端についていた宝石で。なんでも、不老不死の霊薬が封入されているって話だ。あくまでも噂だけどよ」
不老不死の霊薬。
実家の書斎で読んだ記憶がある。
「それってエリクシル……ってやつ?」
「おう、それだ。……なんだ、その、俺より他のやつらの方が詳しいかもしれねぇな」
そう言ってムジャンは頬をかいた。
――霊薬エリクシル。
錬金術によって作られる薬で、飲んだ者は不老不死になるという――これもまた伝説の薬だ。
もちろん製法は伝わっていないし、そもそも実在するのかどうかすら怪しい……おとぎ話によく出てくる遺物だ。
ムジャンは頭をかく。
「……そんでまあ、冒険者たちはそれを探してんだろう? 不老不死の霊薬に、とつぜん出てきた巨木――どうだ? 何か怪しくねぇか?」
ムジャンの言葉に僕は頷く。
たしかにドワーフの宝である薬の影響を受けた樹木が暴走した……と考えるとわかりやすくはあるか。
「だとしたら、その樹をどうにかしなきゃいけないね」
枯らすなり燃やすなり、止めるしかない。
「……とはいえ、いったいどうしたものかな。その木を火をかけようにも、先に救出しなきゃいけない人たちがいるし、燃え広がったら一大事だ」
森の正面から乗り込もうとしたところで、さきほどと同じく木の人形たちが大勢押し寄せることだろう。
あの多勢を相手にしていたのでは、日が暮れてしまう。
ミズチが眉をひそめて考える。
「……森の中ではこちらが不利であります。かといって森自体を焼き払ったりするわけにもいかない以上、さきほどのように空を飛んでいくのが最善手かと」
ミズチの言葉に、ナクアが肩をすくめた。
「でも気球で近付いたら、さっき見た木の触手に絡め取られるんじゃない? 逃げるならまだしも、さすがに気球でゆっくり近付いたら撃墜されそー」
メアリーが頷いて言葉を続ける。
「テレポートスクロールも誤差がありますし、障害物の多い森の中では樹木と融合してしまうかもしれません」
僕は樹と合体してしまう姿を想像し、考えを巡らせた。
「どうにかして一瞬で乗り込む必要があるね。……僕が到達できればあとはみんなを召喚することができるんだけれども」
契約の本による召喚は、妖怪一人ずつではあるが一瞬に転移させることができる。
……こう考えてみると、召喚って奇襲とかに向いているなぁ。
どうにか僕だけでも目的の大樹に近付く方法があれば――。
そんな風に考える僕の思考を遮り、バンッ! と宿の扉が打ち付けられる音が響いた。
僕たち含めたその場にいた全員が、入り口に視線を向ける。
「話はすべて聞かせていただきました――マスター、本機におまかせください」
そこにあったのは、玄関が狭くて入ることができない荷車形態のカシャの姿だった。
☆
「たしかに、僕は一瞬で乗り込む必要があると言った」
「はい。完璧な作戦です、マスター」
僕の言葉にカシャは答える。
「ミスター・エリック率いる冒険者たちとダイタローやイセによる、陽動作戦も既に始まっています」
話を聞いたエリックは、既に町中の冒険者を雇って、弔い合戦と称して森へと侵攻を始めていた。
もちろんそれは陽動作戦なので、深追いはしない。イセの炎とダイタローの巨体、そして三十名を越える冒険者たちによって木人をおびき寄せるのだ。
相手を引きつけ、その隙に本拠地へと侵入する……という筋書きだった。
もっと良い方法はあるかもしれないが、捕まっているメリヤや冒険者たちがいつまでも生かされている保障はない。
何よりも速さが大事だった。
「そうだね。でも……でもさ」
僕は荷車形態のカシャの中、ナクアの作ったふわふわのワタに挟まれていた。
まるで梱包された陶器にでもなったような気分である。
「……本当にこれ、安全なんだよね? 危険はないんだよね?」
「ノープロブレム、マスター。事故の報告は一件も確認されていません。つまり百パーセント安全です」
「それって事故った人はみんな死んでるとかそういう――」
「それではカウントを開始します、乗組員はお近くの突起物にお捕まり下さい。十、省略、二」
「カウントダウン早くない!? なんで省略したの!?」
「舌を噛みますよ――ファイア!」
「ひっ――!?」
カシャの言葉と共に僕の体に強力な重圧がかかる。
僕はカシャの中に押し込まれて外が見えないが、今僕とカシャは空を飛んでいるはずだ。
――ロケットブースターモード。
以前、一度使ったことがあるその機能で、僕は空を飛んでいた。
超高速の圧力は僕の頭を揺さぶり、体を強烈にカシャの内壁へと押し付ける。
浮遊感が体を駆け巡り、とにかく早く終わって欲しいという思いが僕の頭の中を支配した。
それはほんの一瞬の空の旅。
しかし、僕にはまるで何ヶ月にもおよぶ船旅のようにも思える。
――そして唐突に、激しい衝撃音と合わせてまたも激しい重圧が僕を襲った。
「――到着です、マスター」
「……了解……うぇえ……」
ぐわんぐわんと頭の中が揺れている。
しかしここは敵地の真っ只中のはず。
のんびりとしている暇はない。
僕は吐き気を必死でこらえながら、契約の本を開いた。
☆
その侵入者は大木の中腹に突き刺さっていた。
そびえ立つ大樹の外皮を勢いよく突き破ったその車体は、空洞となっている幹の内側へと出入り口を向けている。
その内側は、まるでそれを迎えるためのエントランスホールのように平らな床が広がっていた。
広い空間の端には、上下へと続く緩やかな坂が存在している。
しばらくすると、衝突の振動が大樹全体へと行き渡ったためか大木の上層と下層から、何体もの木偶人形がそこに集まって来る。
すぐに十数体の傀儡たちがその異物を取り囲んだ。
目も口もないはずの彼らはまっすぐに、侵入者のもとへと近付く。
しかしそれらが接近したそのとき、大樹に突き刺さった鉄の箱の内側から声が響いた。
「――疾き風の精霊、天狗」
次の瞬間、その車体に近付いていた一番近くの木人が、その体を両断され崩れ落ちる。
だが木人たちはそれに構わず、一体、また一体とその車両に近付いていく。
「――荒ぶる清流の水神、水虎」
声とともに何体もの木人が、一度に弾き飛ばされた。
「――静かなる氷雪の精霊、雪女」
なおも近付こうとする人形たちだが、その体の水分が瞬時に凝固してその場に固定される。
「――厄災と腐敗の神霊、疫病神」
動きを止めた木人たちは粉々に分解され、灰のように崩れていった。
「――浄化と豊穣の女神、あずき洗い」
四つの人影の中心に一番背丈の小さな少女が立ち、耳を澄ませるようにして周囲を探る。
「主、出てきて大丈夫です」
その声とともに、車体の前方の扉がプシュ、と音を立てて開いた。
中から金色の髪をした青年が姿を見せる。
「……ミズチとヨシュアは上層へ行き、囚われた冒険者たちの救出。ユキとカシャはこの場を維持して退路の確保。アズとサナトは僕と一緒に、地下を目指してメリヤを助けに行こう」
その言葉に返事はない。
ここからの行動は事前にすり合わせが済んでいるからだ。
彼は頷くと、小さく声を張った。
「よし……作戦開始!」
☆
螺旋階段のように続く坂を、二人の妖怪が上へ上へと登っていた。
その大樹はところどころ表皮が剥がれ、射し込む光が二人の足元を照らしている。
そんな中、先頭を登るミズチの前に、次々と木人たちが立ちふさがった。
彼女は視界にそれが入る度、瞬時に飛びかかっていく。
「――次っ!」
上段の回し蹴りにより頭から木人を粉砕し、飛び跳ねるように次々上へと登っていく。
「クク、まるで猿よな」
カツカツと早歩きでその後についていくヨシュアに、振り向きもせずミズチは応えた。
「河を泳げば河童となり、山を歩けば山童となる。それが怪異というものでありましょう。さすれば猿と呼ばれるもまた、それは正しき妖怪の在り方なのかもしれないのでありますな」
ミズチの言い回しに、ヨシュアは笑う。
「フハハハ。ここは森ではあるが山ではなく、湖ではあるが河でもない。果たして、今のお前は何者なのだろうな」
足元に転がった木人の残骸を疫病神の力で分解しつつ、ヨシュアはそうミズチに尋ねる。
一方のミズチは遅い来る木人の群れを投げ飛ばし引き千切り、破壊の限りを尽くしながら笑った。
「それはもちろん、ご主人に尽くす水精ミズチでありますよ。自分にはそれで十分。その他の瑣末な肩書など、光栄でこそあれ必要なものではないのであります」
「フハハハ! 主君に仕えることのみを善しとするか! 実に従順であり無欲! 我とは対極の存在であるな!」
笑うヨシュアをよそに、ミズチは次々と木人を砕いては坂を登っていく。
「……なに、自分はもともと川底に住むただの化生。この地においては水の精だ水神だと崇め奉られたものの、その本質は変わらないのであります。――ゆえに」
彼女は拳をまっすぐ突き出し、目の前の木人の腹に大きな穴を開けた。
「――魔物から神霊へと昇華したこの身は、ただただ主の拳となるだけの姿こそが相応しいものでありましょう」
その言葉にヨシュアは大声で笑った。
「……フハハハハ! 善い! 我が主の下僕に相応しき傑物よ!」
笑いながら歩くヨシュアの前で、ミズチは唐突に足を止めた。
「――なるほど。森の外で陽動を行っているにも関わらず、次々と木偶人形が湧いて出て来るのはこういう理由でありましたか」
やや開けた踊り場へと出る。
未だ頂上は見えないが、その場所の内壁からは幾本もの新しい芽や、細い枝が生え出ていた。
そしてそれは二人の目の前で植物とは思えない速度で成長すると、それぞれ寄り集まって一塊となる。
ある程度の大きさになったその新芽は、途中から自らを千切って人のような形を形成した。
「……つまりここから無限の木偶人形が供給され続けているというわけでありますなー」
「ふむ、これは困ったな」
ヨシュアが溜息をつく。
「無視して先へ進めぬということもないが……これを下に通せば、ユキとカシャのもとへ彼奴らが下って行くだろう。我と同じく我が主の優秀な下僕たる二人の力量を信じないではないが――」
ヨシュアは両手を掲げて、魔力を宿した。
緑の光が手から発せられる。
「――敵を後方に逃したとあれば、少々我が面目が立たぬな」
周囲の淀んだ空気に蔓延するように、緑の粒子が広がっていく。
それに触れた木人の表面には、たちまち菌糸の糸が絡みつき、その木肌の色を奪った。
木人たちに対して瘴気を纏わりつかせるヨシュアに、ミズチは呆れたような顔を浮かべる
「……素直にユキ殿とカシャ殿が心配だと言えばいいのでありますのに。ヨシュア殿はやたらめったら古臭い言い回しをするのでありますなぁ。こっちも合わせるのにも苦労するのでありますよ」
「――ええい! つべこべ言わず先へ行かぬか河童! 虜囚どもを救い出す大任を譲ってやろうというのだ!」
「はいはい……。――じゃあ、ここは任せたのでありますよ! ヨシュア殿!」
ミズチはそう言って床を蹴り、さらなる上層を目指して駆け上がっていく。
ヨシュアはフン、と鼻を鳴らしつつその背中を見送った。
「さて――」
彼の目の前では今も次々と新たな木人たちが誕生し始めていた。
ヨシュアはそれらを見下すような視線を彼らへと向ける。
「――開幕の時間だ」
空洞の眼窩の奥で、魔力の瞳が妖しく光った。