96.森林の襲撃者
本日単行本の発売となります!
是非よろしくお願いします!
振り下ろされた剣に引き裂かれた衝撃が、僕の体を襲う――ことはなかった。
「……あれ?」
覚悟を決めて目を閉じていた僕がおそるおそる片目を開くと、目の前には依然として剣を振り上げたままの冒険者風の格好をした男の姿があった。
その男は剣を振り下ろそうとする直前の状態で動きが止まっている。
「これは……」
僕が驚くのをよそに、目にも留まらぬ速さでミズチが男の元に駆け寄った。
そしてその鳩尾を突く。
「ぐぇぁっ!」
男はうめき声をあげ、数メートルの距離を殴り飛ばされた。
その背中を大きな木の幹へと叩きつけられる。
「――申し訳ないのであります、ご主人。対応が遅れてしまったのであります」
「い、いや大丈夫だよミズチ。ありがとう。――それにしても、これは」
男のいた場所に目を向けると、そこには剣が宙に浮かんでいた。
よく見れば、木々から伸びた白く細い糸が剣に絡みついている。
「――今日は天気がいいよねぇ。昨日の晩、雨が降ってたのにさぁ」
そう言いながら、ナクアが溜息をつく。
「でもメアリーちゃんが言うには、足跡が残ってる。……ってことは、その足跡は雨が降った後に残されたんだよね」
ナクアがふふ、と笑みを浮かべた。
「ならついさっきまで、ここには誰かがいたはず。まだ近くにいる可能性もあるんじゃないかなぁー……って思って仕掛けておいたの」
ナクアが手首を動かすと、頭上の木の枝がざわざわと揺れた。
……ナクアがさっき手を叩いてはしゃいでいたのは、もしや隠れている男を音でおびき寄せるためだったのか……?
いや、そんなことよりもまずは。
「――ミズチ! あの人を捕まえて!」
見れば男は起き上がり、こちらに背を向けていた。
「任せるのであります!」
言葉と同時にミズチは地を蹴り、瞬時に男を押し倒す。
「ひぇっ! やめろっ!」
怯えたような声をあげる男の腕を捻り上げ、その胸を地面に押し付けた。
ナクアが微笑を浮かべつつ、それに近付く。
「おっけーおっけー。はーい大人しくしててねー」
手首からしゅるしゅると糸を出し、より合わせる。
太いロープとなったそれを男の体に絡みつかせ、縛り上げた。
「完成ー!」
「……独特な縛り方だね」
何やら亀の甲羅のように見える縛り方だが、とりあえず男が動けなければどんな縛り方でも構わないだろう。
僕は縛り上げられ、怯えるような表情を浮かべる男に向かって問いかけた。
「見たところ冒険者みたいだけど……どうして僕らを襲ったんだい?」
その顔にはどこか見覚えがある。
おそらくはロージナに滞在していた冒険者だろう。
彼はその顔を引きつらせると、怯えるような声をあげた。
「あっ、あっ……俺は近付くな……! やめろぉ……!」
僕は男の様子にどうしたらいいかわからず、思わずミズチと顔を見合わせる。
「……きちんと手加減して殴ったのでありますよ。せいぜい骨にヒビが入っているぐらいで、頭も打ってないと思うのでありますが……」
困惑したようにミズチは答えた。
僕も首を傾げつつ、改めて男に質問を重ねる。
「何かあったのかい? 知ってることがあったら教えて欲しいんだけど……」
僕の言葉を受けて、彼はガタガタと震え出す。
「ああ――化物! 寄るな! 寄るなぁ!」
うーむ……? これは……。
「……幻覚でも見えてるのかな」
この前、ヨシュアに幻覚キノコを食べさせられたときの事を思い出す。
メアリーが男に近付いて、優しく肩を叩いた。
「……大丈夫ですか? わたしの言葉、わかりますか?」
「来るな、来るな……! 俺は美味くないぞ……!」
男の様子にメアリーはこちらを向いて首を横に振った。
どうにも会話は成立しなそうだ。
「この人を置いてくわけにもいかないし、サグメを召喚して彼の様子を見てもらおうかな……」
サグメは精神感応系の能力を持つ。
彼女に任せれば彼の混乱を治せる可能性があると思うが――。
「――ご主人くん、そんな暇はないみたい」
「え?」
ナクアが僕のもとに駆け寄った。
「周囲に張った糸が破られた。ここは――囲まれてるよ」
ナクアの言葉を受けて、ミズチが僕へと駆け寄った。
メアリーも合わせて僕たちは四人は背中合わせになるようにして、周囲に視線を向ける。
縛られ足元に転がされた男が、恐怖を顔に張り付かせたまま叫び声をあげた。
「――違う! 俺は裏切り者じゃないんだ! やめろ! 殺さないでくれ!」
男の声が響く中、ガサリと茂みが音を立てた。
「あれは――」
茂みの中から姿を現したのは、粗雑に作られた人形のようなものだった。
まるで木の枝をより合わせて作られたかのように、捻れた木々が組み合わさり人の形を形成している。
四肢、胴体、頭と簡素な作りの茶色い木偶人形が、茂みの隙間から一体、また一体と姿を現す。
その姿を見て、ナクアが首を傾げた。
「……まさかだけど、あれがドリアードちゃんってわけじゃないよね?」
「大丈夫、メリヤはもっと人間らしいよ。……あれは木人形かな?」
ゴーレムだとしたら近くに術者がいるのかもしれないが――。
僕たちの周りを囲むように、どんどんと木偶たちが増えていく。
その数が十を越えたところで、ミズチが溜息を漏らした。
「――さて、ここは自分に任せろ……と言いたいところではありますが、さすがにこの数と状況では難しいのでありますなぁ」
見える範囲で十以上。
もしかすると木陰にはもっと隠れているのかもしれない。
「一点突破しようにもこの森の中。障害物が多すぎて駆け抜けることも難しく、死角も広いのであります。地下の水源も森の木々に根を張られている状態では呼び出せない……となると」
その人形たちは、ゆっくりと僕たちを囲む円を小さくするようにして距離を詰めてくる。
僕は慌ててバックパックから契約の本を取り出して考えた。
「イセやカシャの炎だと延焼すれば煙に巻かれる……。サナトも運べるのは一人が精々……」
考えているうちに一体の木人が駆け寄ってくる。
ミズチが前に出て、その腹部にあたる部分を蹴り飛ばした。
「――迷っている時間はないのであります! 時間を稼ぐので、ご主人一人だけでも退避を!」
「でも……!」
迷っている僕の横で、突然ナクアが右手を上げた。
「――あいつら全員を相手にすることは難しいけど、とりあえず逃げればいいんでしょ?」
彼女の上げた右腕から、何本もの細い糸が射出された。
その糸は寄り集まり、一本のロープになる。
そしてナクアはそのロープを、近くにそびえ立った大木の先端へと絡めた。
「……まあナクアは箸より重いものなんて持てないから、木登りなんて出来ないんだけどぉ。ミズチちゃん、あとよろしく~」
「――合点承知であります! 自分に捕まるのであります!」
その声とともにナクアが糸を出し、僕とメアリーがミズチに縛り付けられる。
ミズチはその状態でさらに足元に転がる男とナクアを肩に担ぐと、蜘蛛のロープを握りしめた。
「――どりゃあああー!」
ミズチはまるで4人分の僕たちの重さを感じていないかのように軽々と走り出すと、ロープを手繰り寄せて木の幹に足をかけた。
重力を感じさせず、ロープを握りしめながら木の幹を駆け抜ける。
三階建ての家ぐらいの高さを駆け抜けた後、ミズチは太い枝の上にナクアと男を下ろした。
「退避完了! ……これでとりあえずの危険はなくなったのでありますが」
「……見逃してくれそうにはないみたいねー」
ナクアが糸を解いて、僕とメアリーも枝へと降り立った。
下を見下ろせば、木の根元には数体の木偶人形が群がっている。
それはまるで僕らを追い立てようと、木を揺さぶろうとしているように見えた。
「このままじゃあジリ貧だ……」
時間は稼げたものの、同時に追い詰められたとも言える。
「……メアリー。駄目元で聞くんだけれど、テレポートのスクロールとか持ってたりしないよね」
「ひぇぇ……ごめんなさい、持っていません……。次からはお風呂に入るときも持ち歩くようにしますぅ……」
「ごめん! 僕が悪かった! まったく気にしないで!」
そういえばお風呂に入ってるところを喚び出したんだった……。
……ていうか、お風呂に入ってないときでも普通テレポートのスクロールなんて持ち歩いているはずがない。
僕が持ち歩いていないように、それが当然だ。
ミズチが森の木々を見つめながら、口を開く。
「うーむ……。……蜘蛛の糸を張り巡らせてその上を歩いていくとかはどうでありましょう」
その言葉にナクアが眉をひそめた。
「無理よ。糸の強度的には問題ないけど、樹の強度と高さがネック。樹木はしなるし、弱い木が相手だと五人分の体重なんて支えられなくて途中で折れちゃう。都市の摩天楼みたく高くて強度がある建物の間なら、振り子の力で乗り移ったりできそうなんだけどねー」
「……やっぱりサナト殿を喚び出して、ご主人を安全なところに――」
僕の身を案じるミズチの言葉を遮るように、ドスン、という振動が僕たちの立つ樹を襲った。
下を見れば、既に二十を越える木偶人形の山が木の根元に群がっている。
それは積み重なり、まるで今僕たちが立っているこの樹を登ろうとしているかのようだ。
「……枯れ木も山の賑わい――いや、この場合は塵も積もれば、と言うべきでありましょうか。何はともあれ、時間はないようであります。ここは自分に任せて、ご主人は先に脱出を」
「――わかった」
しかし僕が一人で助かり、安全なところまで離脱してからミズチたちを森の外に召喚しなおしたとしても、拘束した冒険者の男を助けることはできない。
メリヤや行方不明となった他の冒険者たちの手がかりがなくなってしまうかも――。
僕が迷いながらも契約の本を開くと、メアリーが「あっ」と口を開けた。
「空を、飛ぶ……」
メアリーは首だけ動かして、ナクアに視線を向けた。
「ナクアさん。……空、飛べませんか?」
「……はぁ?」
呆れた声をあげるナクアに、メアリーは言葉を続ける。
「蜘蛛って、飛べるらしいんですよ。以前、エルフのイスカーチェさんに聞いたことがあるんですが……。たんぽぽの綿毛のような蜘蛛の糸の塊を作って、それに乗って空を飛ぶって」
イスカーチェさんは生物や植物に詳しい。
彼女が言うのなら、それは本当のことなのだろうが――。
「いや、普通に考えて無理でしょ。そんなメリーポピンズみたいなこと」
「で、ですよねぇ……」
ナクアはそう切り捨てた。
風に飛ばされるような小さな幼蜘蛛ならまだしも、人が空を飛ぶことなんて――。
「――いや、待てよ」
僕はメアリーとナクアのやりとりを聞いて、ふとその方法に思いあたった。
「ナクアは蜘蛛で、蜘蛛は飛べる――妖怪は、その認識で空を飛べるはず……」
僕の言葉にナクアは首を振った。
「……いやいやいやいや、ナクアがいくら可愛いからって、そんなメルヘンな思考はさすがに持ってないよ。小さな子供じゃないんだから、人が空を飛ぶなんてことは無理だって――」
「……大丈夫」
僕は言い切る。
たしかにいくらなんでも、蜘蛛の巣を固めて風に乗ろうとしたってそれは無理だ。
そんなもので人は空を飛べない。
――だけど。
「人は空を飛べるんだよ、ナクア」
蜘蛛は空を飛ぶが、蜘蛛の巣で人は飛べない。
なら――。
「蜘蛛の巣が人を飛ばせる理由があれば、絡新婦である君は妖怪として空をとぶことができるんだ」
ナクアは僕の言葉が理解できないのか、訝しげな顔をする。
「――作るんだ。この包囲網の脱出路を」
僕はそう言って、契約の本を開いた。
ついに書籍版が発売となりました。
ここまで続けられたのも、すべて応援して頂いた皆様のおかげです。
改めてお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。