94.復元スチームパワー
「……柔らかい……」
僕は手の平に収まるサイズのそれを揉みしだく。
みずみずしい手触りに、ぷるんと震えるような弾力。
透き通るようなその柔らかな塊の感触を両の手で味わうのは、どこか安心するような喜びがあって――。
「――主様?」
「うわぁ!?」
僕はベッドに寝転がっていた体を起こして、彼女の声に振り返った。
「ハ、ハナ!? どうかしたの!?」
「いえ、ノックはしたんですが……主様、お疲れ様でしたか……?」
「いやべつにそういうわけじゃないんだけど……」
僕は彼女から視線を逸らす。
ハナはそんな僕が手に持ったものを見て、眉をひそめた。
「それは……」
「こ、これは決して怪しいものじゃあなくって……メリヤからもらったプレゼントなんだ!」
そう言って僕はその黄色い塊をハナへと差し出す。
「なんか触ってると気持ちよくって……ハナも触ってみる?」
これが本当に気持ち良くて、仕事に疲れたときはこれをぷにぷにと触って癒やされていたのだった。
「は、はあ……。それでは少しだけ失礼して……」
僕の手の中にある薄黄色の半透明な塊へ、ハナはおそるおそる手を伸ばす。
「ほほうこれは……」
ぐにぐにと揉みだす。柔らかなその塊は、手の力に合わせてその形を変えた。
「これは……なかなか……」
ハナはそう言いながら、もう片方の手を自身の胸元に添えた。
そして両方の手を同じように動かし、相互の感触を確かめるように揉みだす。
「なるほど……?」
「ハ、ハナ……!?」
「はっ!? い、いえ何でもありません! それよりも主様、お客様がお見えですよ!」
「え、お客さん……?」
ハナはそう言うと、扉の方に視線を向ける。
そこには髪をポニーテールに結わえた、一人の女性がいた。
「……首長様……どうかご相談にのっていただきたく……」
そこにいたのは先日、新たな宿の立ち上げを任せた女性ラスティだ。
彼女は疲れ果てた様子で、その目の下にクマを浮かべている。
「ど、どうしたの……!?」
どうやら疲労がたまっているというのは見て取れるが、いったい……。
「人が……人が足りないのです……!」
彼女は僕の肩をつかんで叫ぶ。
「仕入れのルートや温泉宿の建造など……さまざまな要素は奥様から引き継ぐようにして順調に進んでいます。……しかし、どうしても従業員の確保が追いつかないのです……! やはりわたしには無理です!」
「わ、わかった、わかったから……! 落ち着いて!」
ガクガクと頭を揺さぶられながら、僕は彼女を制する。
「人は僕がなんとかするから! とにかく君は……そう!」
僕はさきほどまで握っていた柔らかな塊を彼女に差し出す。
「さあこれでも触って、君はいったん休もう! ベッド貸すから!」
僕はそう言ってベッドに彼女を座らせると、入れ替わるように立ち上がった。
彼女は目をパチクリとさせながらその塊を揉み始める。
「これは……樹脂ですか?」
「樹脂……? ああ、言われてみればそうかも。ドリアードからもらったんだ。果実かと思ったけど煮ても焼いても食べられないみたいで……」
ちょっといろいろ試してみたが、どうやらそれは食物ではなさそうだった。
彼女はそれを、まるでクッションのように抱え込む。
「……魔族の国ではこのような樹脂を用いてブーツなどが作られていました。その切れ端を使ってボールなどを作って遊んだものです」
「あはは。ボールか。これはあんまりボールの素材には向かなそうだけど……」
この塊は、切り込みを入れるとドロッと溶けるように崩れてしまう。
その後、乾燥するとすぐに凝固して周りと融着する不思議な性質を持っていた。
接着剤として使えるかもしれないが、ボールのように型を取るのは難しいだろう。
「……懐かしいような、少し寂しいような」
彼女は何かを思い出すように遠くを見つめた。
奴隷扱いされていたときのことを思い出しているのだろうか。
もしくは親のことでも思い出しているのかもしれない。
ムジャンの話では、彼女たち逃げ出してきた人間の親はみんな――。
僕は笑顔を作って、彼女に笑いかけた。
「……ちょっと待っててね。人手不足の件は必ずなんとかしてみせるから」
僕の言葉に、彼女はようやく笑みを浮かべてくれたのだった。
☆
「……なーんて安請け合いはしてしまったものの、特にあてがあるわけでもなく。それでこうしてここに来たんだ」
僕はエリックを探して鉄鉱山へとやってきていた。
なにせ彼は元からロージナをまとめていたわけだし、町中に顔が利く。
今でも僕より彼の方が町の長としては相応しいんじゃないかと思ったりもする。
そんなエリックは、坑道の入り口の詰所にいた。
何やらジェニーと話をしていたところを、僕が訪ねた形となっている。
「協力はするけどよ。でもすぐにはどうしようもねぇよ」
エリックは僕の要請に、腕を組んでそう答えた。
「どこもかしこも人手不足だし、勝手に他所の土地から人を連れてくるわけにはいかねぇんだ。そこらへん領主様は寛容だが、他の地主の貴族もそうだとは限らねぇ」
「だ、だよねぇ。冒険者だってもとは流れ者だし、身元が怪しい人をすぐには雇うわけにはいかないか。……そもそも、冒険者の人たちってみんなそういうのが好きでやってるのがほとんどだしね……」
もしくはやむにやむれぬ事情があるか、だ。
もちろん行くところがなくて仕方なく冒険者をやっている人もいるが、そういう人はロージナに来たら割とすぐに定住してしまう。
自慢じゃないが、この町は旅人の定着率が高いのだ。
エリックは僕の言葉に頷く。
「だから今すぐに人が欲しいって言うなら……仕事を減らすしかねぇな」
エリックは眉をひそめた。
そうは言うものの、仕事を止めれば流通が止まる。
流通が止まれば信用を失う。
信用を失えば次の仕事が無くなる。
もちろん行き過ぎてしまえばそれは労働者の負担になるけれども、それでもせっかく築いたロージナという信頼を失うのはさけたいところだ。
「……もっと効率よく仕事するしかない、か……」
頭を抱える僕の横で、それまで話を聞いていたジェニーが相槌を打つ。
「そうなんですよ。ボクも鉱山の仕事を効率よく行うために、エリックさんとここに来たんですけど……」
そうそう簡単にできたら苦労はないのだ。
「……何かいいアイデアでもあればな」
僕は大きく息を吐いて、その岩肌が剥き出しになった部屋の中を見回す。
ボロボロのイスが並ぶ中、目の前の机の上には人形が座っていた。
それはジェニーが作った魔導人形だ。サイと呼ばれるゴーレムの人格が宿っている。
ゴーレム……そうだ。
「サイの元の体……あのゴーレムを再現するようなことはできないのかな」
僕の言葉にジェニーは頷いた。
「……実は僕がいま挑戦しているのがそれなんです」
ジェニーは机の上に紙を広げた。サイがトコトコと歩いてよけてくれる。
「あの魔導ゴーレムを再現するのは、今のボクの技術では無理です。でも発掘した古代文明の技術資料の中から、動力となる物を再現できるかもしれない」
そこに描かれていたのは大掛かりな装置の設計図だった。
「水を暖めて水蒸気にして、大きくした水の容積で何倍もの動力を作る装置です」
そう言ってジェニーは描かれた図面を指差すが、僕にはよくわからない。
助けを求めるようにエリックに視線を向けると、エリックは肩をすくめ視線を逸らした。
「坑道は掘っていくと水が出てくるんだ。それはこの地域に水が戻った証拠でもあるんだが……。ミズチちゃんにも相談したけどよ、定期的に水を汲み出す以外に方法は無いみてえなんだわ。地脈がどうのこうの言ってたが、よくわからん」
エリックは経緯の説明をしだす。
「ミズチちゃんは水を操ることができるから、たまに水をかき出すのを協力してもらってるよ。でも常に溢れてくるから水は汲み出し続けなきゃいけないし、ミズチちゃんに常時鉱山の中に居座ってもらうわけにもいかない。一番の単純労働だから馬に引かせてなんとかやってはいるが、それでも人手がかかる」
エリックの言葉にジェニーが頷いた。
「だからその労力をなんとかできないか――と考えたのがこの装置なんです。水を温めるだけで、坑道の水を汲み出せるはずなんですよ! ……理論上は」
「……実際には?」
僕の言葉にジェニーはがっくりと肩を落とした。
「……強度が足りないんです。設計をいろいろ組み替えてやっているんですが、実際に作るとどうしても水蒸気の圧力に耐えられるものができなくて……」
図面を見つめるジェニーの言葉を聞いて、僕は首を傾げた。
「強度を上げる……っていうならオリハルコンは? この前、ムジャンが作ることに成功してたけど……」
僕の言葉に彼は首を横に振った。
「オリハルコンは強度が高い分、加工が難しいですから……。どうしても隙間ができてしまうんですよね。水蒸気を閉じ込める圧力が重要なので」
ジェニーは溜息をつく。
「……隙間を埋められるようなものがあればいいんですけどね。加工しやすくて熱や水分に強くて、それでいて強く固定できるような素材が……」
「凄腕の錬金術師でもない限りはそんな都合の良い素材はそうそう――」
僕はそこまで言いかけて、口をつむぐ。
どこかでそんな素材を……見たような……。
僕はジェニーの目を見ながら、ゆっくりと尋ねた。
「……加工しやすくて?」
「はい。隙間に埋め込めるような柔らかさが必要です」
――触っていると落ち着くほどの柔らかさ。
「……熱や水分に強くて?」
「そうです。水が蒸気になる以上の高い温度にさらされても、変質しない素材である必要があります。水に溶けてしまうのもダメです」
――煮ても焼いても食えなくて。
「……固定できる?」
「はい。周囲にしっかりくっついて、動かなくなるものがいいですね。粘土みたく乾いて固まったりする感じで」
――乾燥すると、周りに融着する。
「……ジェニー」
「はい?」
ジェニーは僕の声に、その可愛らしい顔を傾ける。
「僕、その素材知ってるかもしれない……」
机に敷かれた図面の上で、サイは興味深そうにそこに描かれた図形を覗き込んでいた。
☆
「わぁあああ!! やった! 本当に動いた! 動いたぁ! 信じられない!」
「えっ!? 信じられないって……本当に大丈夫なのこれ……」
ジェニーの言葉に僕は思わずそんなことを言ってしまった。
数日後。
僕とジェニー、それにラスティは鉱山の入り口に来ていた。
そこにはまるで巨大な天秤と井戸を組み合わせたような装置が、煙を吐き出しつつひっきり無しに動いている。
以前からジェニーが実験機として使っていた水の汲み出し装置に、オリハルコンで作ったシリンダーを換装し、その隙間をドリアードの樹脂による気密接着材で埋めた装置……だそうだ。
例によって、僕に詳しいことはわからない。
おおきい!
うごく!
すごい!
……という子供のような感想しか僕には出てこなかった。
ちなみにその装置は今はカシャによる魔力の炎で動いているが、石炭などの燃料でも動くとのことだ。
「……いやあ、それにしても壮大だね。本当に凄いよ、ジェニー」
大人二人分ほどの背丈のそれは地下坑道の貯水空間につながっており、そこから水を汲み上げては排水路へと流していく。
見上げる僕の言葉に、ジェニーは首を横に振った。
「いいえ、これは先人の知恵を真似ただけです。凄いのはサイちゃんを作った昔の人たちです」
ジェニーはその顔に笑みを浮かべる。
「それに……ありがとうございます、長様。ドリアードの樹脂がなければ、装置が完成しませんでした。長様のおかげです」
「いやいや、それも僕の手柄じゃあないよ。たまたま持ってただけだし……」
僕はメリヤから受け取った樹脂をジェニーに提供した。
もしこの装置を量産するなら、もっと必要になるんだろうけど、でもメリヤは今は療養中だ。
まずは無事に、ロージナへ移植しないと。
そんなことを頭の中で考えていると、横でそれを聞いていたラスティもまた口を開いた。
「首長様。わたしからもお礼を」
「え?」
「鉱員の手が空いたおかげで、人手に余裕ができたんです。各所と人員の入れ替えを行った結果、従業員として働いてくれる人たちをしばらく確保できました。……おそらく、問題なく温泉宿を開店できます」
彼女はその顔に、朗らかな笑みを浮かべる。
その目元にもうクマはなかった。
「ありがとうございます、首長様」
「あはは……。偶然だよ、偶然」
僕たちは大きな音を立てる装置を眺める。
古代遺産から発掘した技術は、着実に僕たちの生活を良くしてくれていくのだった。