91.鍛冶屋のプライド
「あれ、サナト。その箱は……」
ロージナ東の山岳のふもと。
ドワーフのムジャンの工房の前で、僕は風呂敷に大きな箱を包んでふよふよと飛んでいるサナトと出会った。
彼女は僕に気付くと、その顔に笑みを浮かべる。
「あらー。若くん、奇遇ねー」
彼女はふらつくように飛びながら、ゆっくりとこちらへと近づいてくる。
「それは……お弁当?」
彼女が持った重箱は、以前ハナが多段のお弁当を作っていたときに使っていたものだ。
僕の問いにサナトは頷く。
「そうなのー。酒場のお手伝いだよー」
「なるほど。マリーとエリック、料理のデリバリーサービスも始めたのか……」
工房の職人たちは肉体労働なのもあってか、よく食べる。
朝昼夜がっつり食べ、それだけでなくその間にも飯を食い酒を飲むのは当然といった様子で食べまくる。
彼らはそうして食べた分、きっちりと働くのだ。
なのでいちいち酒場まで移動してられないと思い、お弁当の配達を頼んだのかもしれない。
そういえば工房の近くには温泉も湧いている。ここに温泉宿を作れば、温泉への観光客が見込めるだけでなく、工房の職人たちが飲食をするのにも利用できるわけか……。
頭の中でそんな商売の算段をしていると、工房の中から何か揉めるような声がするのが聞こえた。ムジャンの声だ。
僕はサナトと顔を合わせつつ、中を覗き込む。するとそこでは、見慣れぬ一人の白髪のドワーフがムジャンと言い争いをしていた。
「そこらにたくさんあるっつてんだろうが! 好きなの持ってけって言ってんだよ爺さん!」
「カッカッカッ! 一山いくらの品などに興味ないわ。お主の渾身の一振りが欲しいんじゃ」
「だーかーらー! どれも量産品とはいえ最高の品質だし、うちの工房はそういうのはやってねぇんだって!」
……どうやらムジャンが一方的に怒鳴っているらしい。
周りの職人たちはそれを取り囲むようにして、おろおろするばかりだ。
この工房ではムジャンが親方なので、彼らが間に入ることもできないようだった。
見かねて僕が声をかけ、その間に割って入る。
「どうしたの、ムジャン。こちらの方は?」
僕の言葉に、ムジャンと話していたドワーフはそのしわくちゃの顔に笑みを作った。
「これはこれは。わしはしがない行きずりの旅人……まあ、今風に言えば冒険者という奴じゃな。名をジアンと申す」
ジアンと名乗ったドワーフは、両手を合わせて頭を下げた。
以前ムジャンがしているのを見ていたことがあるが、それはドワーフの礼儀作法らしい。
「え、ええと。僕はセームです。ロージナの長をしています」
彼に習いつつ僕は軽く頭を下げる。
「なるほど。では貴殿にお願いした方がよいかな?」
ジアンはカカ、と笑う。
ムジャンはそれを見て、忌々しげに口を開いた。
「どうしたもこうしたもねぇよ。この爺さん、剣が欲しいと言いやがる。だから好きなもん持っていってくれ、ってこっちはさっきからそう言ってんだ」
ムジャンの言葉に、彼は頷いた。
「左様。しかし、わしが求めているのは魂の込められた一振りの剣。お主の腕を見込んでの頼みじゃ」
「魂だかなんだかしらねぇが、うちの品は全部きっちりと規格を設けて検査してんだ! 鍛冶屋としてのプライドは間違いなく込められてるぜ」
「果たしてそうかな?」
「ああん?」
老人はムジャンの瞳を覗き込む。
「わしはな、見たんじゃよ。お主の銘の入った剣を。出来栄えとしては中の下といったところかもしれん。しかしあれは、間違いなくお主の魂が宿っておった」
「……それは」
ムジャンはチラリ、と僕の方へと目を向けた。
ええっと……?
「それは、最初に打った試作品か」
ムジャンはそう言って目を細める。
……最初に打った試作品。
それは、どこかで……。
考える僕をよそに、ムジャンは言葉を続ける。
「あれは……あれは、たしかに自信作ではあった。だが設計も仕上げも、納得のいく出来じゃあない。……だからあれは売らなかった」
非売品……ああ! そうだ!
以前、僕がガスラクに分けてもらったお肉を持ってきたとき。
その御礼にと彼からもらった剣のことだろう。
僕が使うには少々重かったから、冒険者の……ええっと……誰だっけ……名前が思い出せないが、とにかく馴染みの冒険者にプレゼントしたんだった。
……ということは、このお爺さんはその剣を見てわざわざここを訪ねてきたということだろうか。 ムジャンの言葉に、老人はカカ、と笑う。
「わしはお主の腕に惚れ込んだのじゃ。この老いぼれのために、また打ってはくれんかのう? 何、金ならある。こう見えてちぃとは名の知れた身であるからな」
口の端をつりあげる老人の言葉にムジャンは目を閉じる。
「……いいや、ダメだ。誰の頼みであろうと、それはできない」
ムジャンの言葉に、老人は眉をひそめた。
「……なかなかに頑固じゃな。まあわしも人のことを言えたもんではないがのう」
彼はおどけるようにそう言うと、笑いながら首を振った。
「……今日はこの辺にしておこうかの。しばらく滞在する予定じゃし、どうやら飯の時間のようじゃ。邪魔をしても悪い」
彼はそう言うと、入り口で声をかけるか迷っていたサナトの方を見た。
そしてその眼を細める。
「ほうこれは素晴らしい――」
その眼光は鋭くサナトの持つ剣を見つめたような気がした。
「――ふくよかな胸じゃなぁ。眼福、眼福……」
……どうやら僕の見間違いらしい。
老人は笑いながらそう言うと、サナトの横を通り過ぎて工房を出ていく。
うむ。まあサナトのおっぱいはいいものだからね……。うん……。
「……もう、若くんも! こんなところでそんな目で見ちゃダメよー。みなさん、お弁当ですよー」
サナトは照れるように笑いつつ、持ってきたお弁当を広げて配膳していった。
どうやらそこまでもサービスの一部のようだ。
「……それにしても」
僕は未だ険しい顔をしたまま口を閉ざすムジャンに向かって話しかける。
「どうして断るんだい? 受注生産だなんて、職人冥利に尽きるじゃないか」
ムジャンは僕の言葉を受け、周囲の様子を確認する。
周りの職人たちは紅一点のサナトに鼻の下を伸ばしながら食事の準備を始めていた。既に彼らの声は明るく、雑談を始めている。
彼らに聞かれないようにか、やや声をひそめてムジャンは口を開いた。
「――俺には、あの爺さんに応えるだけの技量がねぇんだよ」
ムジャンはどっしりとイスの上に腰を下ろす。僕もその場にあったイスを引いて腰掛けた。
「あの好々爺といった様子からは想像もつかんかもしれんが、剣聖ジアンと言えばA級の冒険者だ。剣の腕で右に並ぶものはいない――とかつては言われた。もっとも、今ではその寄る年波に勝てないらしいけどよ」
ドワーフは人間よりも寿命が長いと聞く。さらにその老人ともなれば、いったい何歳になるのだろうか……。
「一方の俺はしがない地方の工房の親方さ。――いや、そもそも本来なら親方とすら名乗れるレベルじゃあない」
「……そんなことはないと思うけど」
僕の言葉に、彼は首を横に振る。
「俺に付き従ってくれてる職人のみんなには悪いがな。――俺は元々、ただのおちこぼれなんだよ」
ムジャンは何かを思い出すように、視線を上に向けた。
「ここから帰らずの森を越えた先。西の彼方に、俺たちの国――ゴジャはあった。そこで俺は育ち、親方たちのもとで修行を積んだが……」
彼は一つ溜息をつく。
「俺は何をしてもダメだった。鍛冶、彫金、建築、果ては採掘まで。才能が無い、ってやつだな。だから俺は理屈で学んだ――が、所詮それは誰かの猿真似だ。どれも中途半端で、天才と呼ばれる奴らの足元にも及ばなかった」
彼の告白は意外だった。
僕からしてみたら、ムジャンは十分ドワーフの職人だったのに。
「そのうち魔族に攻められ国は滅び、俺は魔族の奴隷となった。……不本意ながらもいろいろやってたことが幸いして、上手く生き延びられたけどな」
彼は自嘲するように笑った。
「……だから、俺はあんな人に剣を打っていい技量は持ってねぇんだよ。せいぜいが画一的なものを作れるってだけだ。そしてそれも、ただの模倣――」
彼は並べ立てかけられた剣に視線を向ける。
「――偽物さ」
ムジャンはそう言って、悲しげな顔をした。
彼にとっては、故郷で見た師匠たちの作るものこそが素晴らしく、自分のものは劣っていると思えるのだろう。
でも……でも、そんなことはないと思う。
「……街に売り出しているロージナの鉄製品は、とても評判がいいんだよ」
僕の言葉に彼は笑う。
「そりゃあそうさ。素人が扱いやすいように、そして兵士たちが取り回ししやすいように、均一な物を作ってる。それは誰もが使える売り物で、消耗品なんだ。でもあの爺さんの求めてるものは違うんだよ」
ジアン氏の求める剣、それは――。
「――”魂の込められた剣”」
そう彼は言っていた。
僕の言葉に、ムジャンは頷く。
「そうだ。残念ながら魂を込めた剣の作り方なんて俺は教わっていない。――いや、教わっていたとしても作れるはずがないんだ。……俺は、偽物だからな」
ムジャンは目を伏せた。
その思いは……少しだけわかる。
長い間、何もできないと思っていた無力感。
自身の才能の無さ。
――でも、やっぱりそれは違うよ。ムジャン。
彼はこの村に来て様々な物を作ってきた。
そして今だって、高品質の武具や日用品を作り続けている。
それは立派な彼の実力なんだ。
それに、ジアン氏も彼の作った剣に感動してここに来たと言っていた。
彼に足りないのは実力じゃない。
――だから。
「……偽物だって、いいじゃないか」
僕の言葉に彼は片眉を寄せた。
――ムジャンに足りないのは、自信だ。
技術力はあるはずだ。
正確な物を作り、そしてそれを突き詰める力が、彼にはある。
それにたとえ独創的な究極の一品が彼に作れなかったとしても――。
「――完璧な偽物を作ればいいんだ」
ムジャンは僕の言葉に目を見開いた。
「……これ、イスカーチェさんから預かってきたんだ。ムジャンにって」
僕は数枚の紙を懐から取り出して渡す。
それは港町の古代遺跡から発掘した、いくつかの情報だ。
「ここに幻想鋼の製造法が記されている」
「オリハルコンって……あのオリハルコンか?」
幻想鋼。
それは伝説上の品とされる、合金の名前だ。
冒険者や鍛冶に関わるものなら、一度は聞いたことのある名前だろう。
ただしその実在は怪しまれていて、今回発掘した情報もただの空想や偽情報の類かもしれない。
「……この情報が本物かどうかはわからない。……でもムジャン。もしもこの資料からオリハルコンの偽物を完璧に作れたなら……」
「……作れたなら?」
ムジャンはゴクリと唾を飲み込む。
「……それは偽物だとしても、本物と同じ価値があるんじゃないかな」
僕の言葉に、彼は口を閉じる。
「ムジャン。これは、正確に模倣することができるキミにしかできないことだよ」
「正確に……模倣」
……まあ、ただ再現しろっていうのを言い換えてるだけなんだけども。
そんな僕たちの会話を聞いていたのか、横からサナトが明るい声で口を挟む。
「ふふふー。考え過ぎだよー、ムジャンちゃん」
ムジャンは彼女の言葉に顔をしかめる。
「ムジャンちゃんて……。いやまあ、なんと呼ぼうが構わんが……」
しかしそんな彼の様子にも取り合わず、サナトは笑顔を彼へと向けた。
「何事も絶学無為の境地に至るには、まずは模倣と訓練が必要なの。お姉ちゃんも剣を指南するときはよく教えるんだけど……まずは型にはまって正確に再現できるようになってからでないと、それを打ち破ることはできないと思うよー」
「……型に……はまる」
ムジャンは工房に転がる鋳型を眺めて、自身の髭を撫でた。
「そう……そうかもしれねぇな。俺には誰にも負けない、正確な腕があるんだ。ならあとは、動くだけか……」
彼は大きく頷く。
「ありがとう。……少しだけわかった気がするぜ。俺が模倣の天才だっていうなら、お前は人を煽る天才だぜ」
「あはは。悪そうなコンビだ」
どうやら彼は何か吹っ切れたらしい。
その顔にはどこか、清々しさを感じた。
「……俺はあの爺さんの剣を、打ってみようと思う。だがその文献を調べるのは、さすがに俺には難しい。少し手伝ってくれねぇか」
「うん、僕でよければ手伝うよ」
ムジャンには恩もある。
それに打算的なことを言うのであれば、有名な冒険者が使ってくれることはロージナの剣というブランドの宣伝になることだろう。
さらに古代の鋼が作れたりしたら、ロージナの特産品がまた一つ増えることにもなる。
「……一緒に作ろう。伝説のオリハルコンを……!」
僕はそう言って、ムジャンの手をガッチリと握るのだった。