90.ナクアのコトワリ
来週10日発売の本書について、活動報告でキャラクターイラストの紹介を行っています。
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お時間ある方は是非ご確認ください!
「へー。これなら結構簡単に覚えられそう! これはたぶん……お菓子の作り方ね!」
屋敷の居間では絡新婦のナクアがハナと食卓を囲んでいる。
食卓に上がっているのは、何枚かの紙だ。
そこではハナが文字の読み書きをナクアに教えていた。
「わたしも屋敷の中で独学で学んだだけなので、知識に偏りはあるんですけども……」
「そう? 教え方とっても上手だよ! ハーナちゃん!」
ナクアは笑みを浮かべたままハナにその顔を近付ける。
「うっ」
対するハナは背中を引いて彼女から遠ざかった。
「……どうしたの? ハナちゃん。ナクアのこと、嫌い?」
不安げな表情でハナを見つめるナクアに、彼女は首を振る。
「い、いえ決してそんなことは……。ただわたし、その、ええと……」
「あ、肩に蜘蛛ついてるよ」
「ひやぁあ!」
悲鳴をあげるハナに、ナクアはケラケラと笑った。
「冗談だよぉー。大丈夫、この家の中には虫一匹いないから!」
「うう、ひどいですナクアさん……」
どうやらハナはこの前の蜘蛛の大群がトラウマになっているらしい。
ナクアは蜘蛛の妖怪だから、ハナには若干の苦手意識があるのかもしれない。
「……ハナちゃんは可愛いなぁ」
ナクアは笑う。
しかしその眼は、どこか獲物を狙う捕食者のように鋭く見えた。
「そ、そんなことは……」
「ふふ……食べちゃいたいぐらい」
彼女はその視線にどこか妖艶な雰囲気を乗せてハナに微笑みかける。
僕はそれを見兼ね、彼女たちへと声をかけた。
「……ナクア、あんまりハナのことはイジメないであげて」
僕は皿に載せた花咲芋の餡子ドーナツをテーブルへ並べながらそう言った。
それはお芋を混ぜ込んだ生地のドーナツに、アンコを詰め込み油であげたものだ。砂糖をまぶしており、麦と油も相まってガッツリとした栄養価を持つ一品。
星降りの精霊亭で売り出す試作品の一つだ。
これ一つ食べれば、一日ぐらいは活動できるのではないかという脂と糖分の塊である。
ナクアは喜んでそれを口に運び、その顔に満面の笑みを浮かべた。
「うーん! 美味しっ! ハナちゃんもご主人くんもお料理が上手で、余は満足じゃー」
「あはは、ありがとう」
ナクアはなかなか食欲が旺盛なようで、出されたものは何でも食べてくれる。
今もぺろりとドーナツを平らげて、名残惜しそうに指についた砂糖を舐め取っていた。
「……でもでも、この町で一番偉くて、家柄も良くて、お料理も上手で……何気にご主人くん、優良物件だよねぇ」
「優良物件って……。僕は不動産じゃないよ」
むしろ不動というよりは、ふらふらしている方かもしれない。
僕の言葉にクスクスとナクアは笑った。
「ナクア、ご主人くんのこと狙っちゃおうかなぁ? ねえ、ナクアのことどう思う?」
「ど、どうって……!」
ナクアは自身のお腹に腕を回して、胸を強調するポーズを取る。
つい眼がそちらへ向いてしまった。
僕は慌てて眼を逸らして、思わずハナの顔を見る。
すると彼女は口をキュッと食いしばっていた。
僕の視線に気付くと、ハナは口を開く。
「……わ、わたしのことは、お気になさらず! ただの置物とでも思っていただければ……!」
「べ、べつに僕はそういうわけじゃなくて、ええと……」
何か悪いことをしている気になって、思わず言い訳してしまう。
そんな僕たちを見て、ナクアは声をあげた。
「あ、ハナちゃんのことは気にしなくていいの? じゃあご主人くん、ナクアといちゃいちゃしよっか?」
ナクアはそう言いながら僕に抱きついてきた。
僕の腕をその胸元の双丘で挟み、柔らかな感触がヒジの表裏に伝わる。
「ナ、ナクア!? いちゃいちゃって……!」
「えー? ご主人くんどうしたい? チューする? それとも……」
彼女が顔を近付けてきた。
甘い匂いがする。
――マ、マズイって! いろいろな意味でこれは……!
思わず僕が硬直していると、ハナは勢いよくその場に立ち上がった。
「……あ、あの! ……わたし、夕飯の買い出しに行ってきます!」
ハナは僕と視線を合わさないようにしつつそう言うと、部屋を出ていく。
「ハナ!? ちょっと待って!」
僕の言葉に取り合わず、彼女はそのまま外へと出ていった。
僕は絡みつくようにくっつくナクアに、声をあげる。
「……ナ、ナクア! 手を離して!」
「いいよー」
彼女は笑いながらあっさりと僕の腕を開放してくれた。
……少しだけその柔らかな感触が名残惜しくも……いやいや、そんなことよりも。
「……ナクア、こんなことされても困るよ」
僕の言葉に、彼女は眼を丸くした。
「えー? わざと困らせてるのに、わからない? ご主人くんのこと裏切るのはやめよっかなーって思って親切にしてあげてたんだけど、見込み違いだったかな?」
「裏切る……って」
僕の言葉にナクアは目を細めて笑った。
「だってだって、こんな辺鄙な場所で面白いことなんて何もないじゃん? だからいろいろとちょっかいかけてあげようかなーって思ってたんだよね。……あ、今はやめたから安心していーよ」
この子、出会った時からなにか怪しげだとは思って警戒してたけど、そんなことを考えていたのか……。
――そういえばハナと出会ったとき、『絡新婦は性悪です』なんて言ってたっけ。
どうもハナとナクアは面識が無さそうだったけど、絡新婦という種族の本質は変わらずハナの言うとおりなのかもしれない。
僕がそんなことを思い返していると、ナクアは子供のように屈託のない笑みを浮かべた。
「ご主人くん、のほほんとしてるように見えて案外手強そうだからね。周りの人を見てればわかるけど、信頼されてるって感じするもん。……ムカつく」
「……そりゃどうも」
どうやら彼女は裏がある……いや、裏そのものといった子みたいだ。
……逆に言えば、僕に手の内を見せてくれたってことは敵意は無いのかな?
そんな僕の考えを見透かしたように、彼女は笑う。
「あ、油断してたら容赦なく攻めてあげるからね? ――ああ、忠告してあげるなんて、ナクアってなんて正直で優しい子なのかしら!」
「ハハハ。ソウダネ」
……この子、召喚したのは間違いだったのかもしれない。
僕が乾いた笑みを浮かべていると、彼女はその顔から笑みを消してこちらをまっすぐに見つめた。
「……でもね。親切にしてあげたつもりっていうのは本当」
彼女は真面目な顔をしてそう言った。
その声色は嘘をついているようには見えない。
「ご主人くんさぁ、あんまりふらふらしてるとハナちゃんに愛想つかされちゃうよ」
「うっ」
彼女の言葉が突き刺さり、僕は思わず胸を押さえる。
「まあナクアが言うのもおかしな話だけどね。ナクアも昔、他人の恋愛感情で遊んでたらポカミスして刺されちゃったし……」
「……いったい何したの?」
「ちょっとだけ遊び過ぎたの! あ、でも遊びっていっても男遊びって意味じゃないからね。ナクアはこう見えて清純派だから」
……どろどろ真っ黒の清純派だなー……。
僕の思いをよそに彼女は言葉を続ける。
「ハナちゃんのことがっちり捕まえておかないと、気がついたらご主人くんに愛想を尽かしてるかもよ」
「そ、それは困る……」
溜息をつく僕に、彼女はクスリと笑った。
「そもそもご主人くん、はぐらかしてばっかりだけど……ハナちゃんをお嫁にもらうのに躊躇う理由があるの?」
ぐっ……!
さっきからナクアは僕の痛いところを突いてくる。
僕は観念して、大きく息を吐いた。
「……僕は一応、貴族だからね。長男じゃないから家を継ぐ必要はないけれど、かといって自由にぽんぽん婚姻関係が結べるわけではないよ」
もちろんそれは家にもよるんだろうけれど。
父は以前「いい人はいないのか」なんて言ってはいたけれど、どこまで本心なのか。
うちのように小さな家は繋がりが大事だ。
長兄以外の息子や娘というのは親戚を増やす為に使われるのが常である。
あれでいてうちの兄貴だってたぶん考えて行動を――いや、あれはただ単に何も考えてないだけか。
考える僕をよそに、ナクアは首を傾げる。
「ふーん。ハナちゃんより家の体面の方が大事ってこと?」
「……そういうわけじゃない。でも身分差以外にも、ハナの気持ちだってあるし……」
ハナは人との付き合いにはどこか一歩引いているように見えた。
ハナは幸せを得ることに、そしてそれを失うことに対して恐れているのだと思う。
……どうせおおっぴらに式を挙げるというわけにもいかないのだから、それなら今と同じ主従関係のままでも――。
「――じゃあハナちゃん、ナクアがもらっちゃおうかな? ハナちゃんカワイイし、お料理も上手だし。たくさん甘やかしてナクアに依存させてあげたいなぁ」
どこか妖艶な笑みを浮かべるナクアに、僕は言い淀んだ。
「それは――」
「だって。ご主人くんハナちゃんのことなんて、従ってくれる妖怪の一人としか考えてないんでしょ? 結局は自分が一番で、拒絶されて傷つくのが怖いんだ」
「――違う」
ナクアの言葉に僕は首を振る。
「違うよ。僕はハナを……幸せにしたい」
「口で言うだけなら、誰でもできるもんね?」
彼女の言葉に、僕はその瞳をまっすぐに見つめた。
「いいや……絶対に幸せにする。ハナは僕の――」
僕の――。
「――一番、大切な人だから」
僕の言葉にナクアは笑った。
「……いいね。ご主人くん、その言葉すごく素敵。……煽った甲斐があるなー」
ナクアの言葉に僕は頬をかく。
発言を誘導されたようで、少し気恥ずかしかった。
「……誰の目からみても問題のない、誰からも祝福される環境を彼女に用意する」
直接ハナに言うほどの勇気はないけれど。
僕はナクアの目をまっすぐに見て言い切る。
「ハナは、僕が世界一幸せにしてみせるよ」
僕の言葉を聞いて、ナクアは口の端をつりあげて笑った。
「……ダメだなぁご主人くん。『油断しちゃダメ』って言ったのに」
「……へ?」
聞き返す僕に、ナクアはクスクスと笑った。
「蜘蛛の巣はね。こうして張るの。気付いたときには既に手遅れ。雁字搦めに縛られて。身動きはもう、取れなくなる」
そう言われて僕はようやく、ナクアの後ろに立ち尽くしたその影に気付く。
彼女は曖昧な笑みを浮かべ、口を開いた。
「――あの、お財布……忘れて……だから、盗み聞きするつもりなんて、なかったんですけど……」
耳まで真っ赤にしたハナが、そう言った。
「ハ、ハナ……!? いや、今のは……! ……嘘でもないから、べつに、聞かれても、いいんだけど……!」
顔が熱くなるのを感じる。
だって今のはもうだって……まるでプロポーズ、みたいな……。
ナクアは手の平で自身の顔をあおぐ。
「あー、熱い熱いー。『世界一幸せにする』……だってー!? ナクアも言われてみたいなぁ! ねぇねぇ、ハナちゃん今どんな気持ち? ねぇねぇ~」
からかうように煽るナクアに、耐えられなくなったのかハナはテーブルの上に置かれた財布を慌てて手に取り、部屋を出て行く。
「え、ええええ、ええっと! とりあえずお買い物に行ってキマス! お話についてはまた、その……帰ってきてからでー!」
ハナはそういうと走り出し、屋敷を飛び出ていった。
僕も頭が熱くなっていて、考えがまとまらない。
ナクアは堪えきれないように吹き出して笑った。
「ぷくく……。初々しいなぁー、純真だなぁー、ピュアだよピュアー。大丈夫だよ安心して、ナクアは特別女の子に興味あるってわけじゃないしぃ」
バカにするような表情を浮かべるナクアに、僕は溜息をついて苦笑する。
「……いったいどういうつもりなのさ」
照れ隠しにも近い僕の疑問に、彼女はその顔から笑みを消してまっすぐとこちらを見つめた。
「契約」
「……へ?」
想像してなかったその言葉に、僕は思わず聞き返した。
契約。
それは妖怪が僕のいうことを聞いてくれるため、彼女たちの願いを叶えること。
その契約を結ぶと、少なからず魔術的な束縛効果があるらしい。
「契約したいんでしょ? そりゃそうだよね。ナクアみたいな扱いづらい子、制御できた方がいいに決まってる……ナクアがご主人くんの立場ならそう思うよ」
僕はその質問に答えない。
それを肯定と受け取ったのか、彼女は言葉を続けた。
「幸せを見せて欲しいの」
「……幸せ?」
僕の言葉に彼女が頷く。
「長い間、幸せを手にしていなかった人はね。心から切望して幸せを手にしたとしても、その幸せを喜べないの。……失うのが、怖くなるんだ」
彼女は目を伏せた。
「おかしいよね。欲しくて欲しくてやっと手に入れたものなのに、自分が幸せになることが信じられない。どうせすぐまた失うと思って、幸せの先に待ち構える不幸を見てしまう」
彼女は顔を上げて、僕の瞳をまっすぐに見つめる。
「だからご主人くんがさっき言ったこと、きちんと実行して。そしてナクアに、幸せな二人の姿を見せてよ」
彼女は大きく息を吸うと、その顔に朗らかな笑みを浮かべた。
「種族だとか身分差だとか、ハナちゃんの気持ちだとか……そういういろんなものを乗り越えた先に――真実の幸福が存在するっていうことを証明して、ナクアに信じさせて欲しいんだ」
彼女の真意は、僕にはわからない。
でもどこかその笑みには、寂しさが隠れている気がした。
「……わかった。約束するよ」
だから、僕は彼女の言葉に応える。
「誓って、実現する。僕がハナに、世界一の幸せをプレゼントしてみせるよ」
僕は大きく息を吐いた。
「……キミにはイヤってほど、僕らの惚気話を聞かせてやるからね。……覚悟しといてくれ」
ナクアは僕の言葉に頷いて、その顔に笑みを浮かべる。
その表情は穏やかで、今までの彼女の雰囲気とは少し違っていた。
「……もう既に十分、惚気けられてる気もするけど。楽しみにしとくねー!」
彼女はそう言いながら、晴れやかに微笑むのだった。