88.いたずらドレスアップ
「かーわーいーいー!」
大げさな声をあげるナクアは今、アズの小さな体を抱きかかえていた。
アズはその顔に何ら感情を浮かべず……いや。
「……チッ」
わずかに舌打ちした。
どうやらその扱いは気に食わないらしい。
「やめろです。うぜーです。放しやがれです」
「ごめーん! つい!」
彼女がその拘束を緩めるとアズはトテトテと駆けてきて僕の後ろに隠れた。
「……なんのつもりです。アズの体が目当てですかこのやろー」
アズは僕の体を盾にしつつ、ナクアに鋭い眼光を向けた。
「違うよぉ! お人形さんみたいでとっても可愛かったからぁ……!」
「てへ」と舌を出すナクアの様子を見て、アズは顔をしかめた。
――ええっと、ファーストコンタクトは失敗かな。
ナクアにロージナを案内している途中。
アズがいつものように稲と農作物ゴシップの話題で盛り上がっているのを見た途端、ナクアはいきなり駆け出して彼女を抱き上げたのだった。
そして熱い抱擁を受けた結果、アズの警戒心がこのように最大レベルまで引き上げられている。 僕は苦笑しつつ、二人を紹介する。
「あはは……。ナクアにはまだきちんと紹介してなかったね。この子はあずき洗いのアズ。恥ずかしがり屋でちょっと口が悪いけどいい子だよ」
「よろしくね! ア・ズ・ちゃん!」
にっこりと笑って手を振るナクアに対して、アズは不審者を見るような目つきで睨みつけた。
僕はアズにナクアを紹介する。
「それでこっちはナクア……絡新婦なんだ」
「絡新婦って……蜘蛛ですか」
アズの言葉にナクアはその右腕を頭上に掲げた。
「そうだよー。見て見て!」
そこから一筋の白い糸が噴出し、ポーズを決める。
「蜘蛛ですが、何か?」
そんな様子の彼女にアズは首を傾げた。
「……蜘蛛のくせにお尻から出すんじゃねーんですね」
「ちょっとナクアの清純にイメージに合いませんのでー。それにこの糸もこんな風にすれば……」
ナクアが胸の前で腕をクロスさせ、糸を操る。
するとその白いはアズの髪に結びつき、リボンとなった。
「……おお」
「じゃーん! スーパー可愛くドレスアーップ!」
アズは造りを確認するように、そのリボンをぎゅっぎゅっ、と引っ張る。
「……ふむ。なかなかやるですね」
「でしょー!?」
ナクアはアズに近付くと、その顔の高さに合わせて中腰になり首を傾げた。
「あなたのお洋服、ナクアとっても好みだなぁ。もちろんアズちゃん自体も可愛いんだけどぉ」
「……ほう。この良さがわかるとは」
アズは僕の後ろから前へ出て口元に笑みを浮かべた。
「さっきの狼藉は許してやるです、腹黒蜘蛛女」
「はらぐっ……!」
ナクアは一瞬その笑みを引きつらせるが、すぐに咳払いをして彼女へと向き直る。
「……ナクアはナクアだよ? アズちゃん」
笑顔を向けるナクアに、アズは少しだけ片眉をあげて答えた。
「……わかったです、ナクア。少し大人気なかったですね」
「ううん、ナクアが悪かったんだよ。……じゃあ仲直りの印。いぇーい!」
「……いぇーい」
ナクアが手を出すと、アズはそれに合わせてハイタッチをした。
どうやら仲良くなれたようで、僕は少し安心する。
アズは少し考えるようにそのアゴに手を当てた。
「……しかし最近の蜘蛛はこんなに綺麗に糸を紡ぐですか」
「んー? どうだろう? ナクア今までの絡新婦さんって知らないし」
どうやら絡新婦というものは一子相伝だったりするものではないらしい。
……そもそも妖怪がどういうものなのか、僕も正確に理解しているわけではないのだけれど。
アズはナクアの言葉に首を振る。
「ナクアの技術を褒めてるですよ。素晴らしい紡績テクニックです。美しい糸と、それを紡いで綺麗な布を作り出す技術。そんじょそこらの職人でも難しいことです」
「えっ? そ、そう? たしかに前はコス――お洋服を作ってたりもしてたけど……」
ナクアはそう言って、少しだけ頬を赤く染めた。
「……えへへ。ちょっと嬉しい、かな。あんまりその、褒められたことないから」
「……そうなんだ。ナクア、なんだか褒められることが多そうなイメージだけど」
僕の言葉に彼女は首を横に振る。
「ナクアを褒めてくれる人なんて、みんな容姿のことか、もしくはお世辞ばっかりで……。ああ、ナクアの美貌が眩しすぎて、内面をきちんと見てくれる人なんていないの……!」
彼女の言葉に僕が反応に困り苦笑していると、その横でアズが頷く。
「そりゃそうですよ。本心を見せない奴には誰も心を開かねーもんです」
アズの言葉にナクアは困ったような表情を浮かべて笑った。
「……アズちゃん、なかなか鋭いお言葉。……いったい何歳なの?」
「レディに年を聞くのは、無作法ですよ。……まあ見た目通りじゃない、とは言っておくです」
アズはそう言って笑うと、彼女の手を引いた。
「……えっ、えっ。なにっ?」
「さあ、その技術を生かすために遊びに行くですよ」
「へっ? いきなり……!? っていうか遊びにって……」
「こっちじゃあ遊びは作らないとダメです。ナクアを放っておくとよからぬ遊びを考え付きそうなので、アズが先輩として指導してやるです」
ナクアは彼女の言葉に目を丸くした、笑った。
「……あはは。じゃあよろしくね。先輩」
「任せておけ、です。あっと驚かせてやるです」
アズはそう言って、ナクアを引いて駆け出した。
それはまるで姉妹のように見えなくもない。
……同じ妖怪のアズに案内してもらった方がナクアも楽かもしれないな。
それにナクアにはその節々からなにか怪しさを感じていたけれど、アズが面倒を見てくれるなら悪いことにはならないだろう。
僕は二人の姿を見送って、屋敷へと戻るのだった。
――今日は仕事も一息ついたし、昼寝でもしてのんびりしよう。
☆
「アーーーズッ! どこだアズ! それにナクアー! 出てこーい!」
僕は一時間ぐらい昼寝した後に、ベッドで目を覚ました。
背伸びをして立ち上がった僕は、その違和感に気付く。
気がつけば、僕は服を着替えさせられていた。
足元がスースーする。
慌ててさっきまで着ていた服を探すが、部屋の中には着替えられる服が何もなくなっていた。
今着ているのは、女性物と見られるフリルの着いた服だ。
それらは脱ごうとしても、複雑に布同士が接着し合って取ることができない。
というか簡単に脱げるような構造にもなっていない。
ハサミかナイフで切り裂くか何かしないといけないだろう。
こんなことが出来るのは、蜘蛛の巣を使って布を作れるナクアぐらいなものだ。
「アズ! ナクアー!」
服を返してくれっ!
っていうか、よく見たらこれ、下着まで女性物になってない!?
もしかして僕が寝ている隙に……!
――いやいや、あまり考えないでおこう。
いま重要なのは、アズとナクアを探すことだ。
寝起きでまだはっきりしていない頭で考える。
こんな状態で起こり得る最悪の可能性は――。
「……主様、どうかしましたかー?」
「ひぃっ!」
僕は廊下の先から聞こえてきたハナの声に驚き、近くの扉の影へと隠れた。
「――主様?」
パタパタとハナの足音が近付いてくる。
「だ、大丈夫! なんでもない! なんでもないから!」
僕は叫びながら、近くの部屋に入って扉を閉じた。
なんてバッドタイミング!
そんな僕へと扉越しに、ハナの声がかけられる。
「どうしたんですか、主様? 何か問題でも――」
「何もないよ! ハナ! どっか行って! お願い!!」
こんな姿を見られたら、ただでさえ普段から心もとない僕の威厳というものが無くなってしまう!
……いや、元からそんなものは無いのかもしれないけれども。
「そう……ですか……。わたしでは……お役に立てないのですね……」
その声からは、ハナがとても残念そうに気落ちしている様子が聞いてとれた。
違う! 違うんだ……!
「し、心配ないから! そ、そうだ! ハナはアズとナクアを探してきてくれないかな!」
「へ……? アズちゃんとナクアさんを?」
「頼む! ハナにしか頼めないことなんだ! 至急! 急いで!」
「は、はい! わかりました!」
僕の声に従って、ハナがドアから遠ざかる音が聞こえた。
僕は思わず安堵の溜息を漏らす。
「よ、良かった……これで」
――一段落つける。
そう思った僕が部屋の中に視線を移すと。
「……キミ、あの、何が、その格好は」
そこには、汚物を見るような目でこちらを見つめるサグメの姿があった。
「……わーお」
思わずそんな声をあげてしまう。
サグメはベッドに腰掛けながらわずかに震える指先をこちらに向けている。
まるで彼女は森の中で熊に出会った小リスのような顔で僕を見つめた後、深い溜息をついた。
「……キミさ……。……いや、どこからつっこんだものか……」
絞り出すように声を出したサグメに、僕は居たたまれなくなって部屋を飛び出した。
「お、お邪魔しましたーっ!」
くそう、くそう。あとでサグメには言い訳をしないと!
そう思いながら駆け出す僕に、正面からの衝撃。
前を見ていなかったため、誰かとぶつかってしまったらしい。
「あ、主様。ミズチちゃんがさっき、アズちゃんとナクアさんをこっちで見たって――」
「ああああハナァァ!」
僕の叫び声が廊下に響く。
彼女の目線がゆっくりと僕の体を見つめて上から下へと動き、その表情が固まる。
「――言っ……て……」
そうしてハナの行動はフリーズした。
一番見られたくない人に、見られてしまった……。
僕は泣きそうになりながら首を横に振る。
「……違うんだ、ハナ。落ち着いて」
ハナは表情を凍りつかせ、目を丸くしてこちらを見つめた。
僕は釈明を続ける。
「違う、違うんだ。これはアズとナクアのイタズラで、この服、蜘蛛の巣で出来てるのかくっついてて脱げないの……信じて……! 本当……! こんな格好したくてしているわけじゃなくて……!」
女の子の前で泣きそうになりながら、可愛らしい服を身に着けている成人男性。
それが今の僕である。
どこに出しても恥ずかしい変態……!
――誰か、誰か助けてくれー!
心の中でそんな叫び声をあげる僕に、ハナはその手を取って引っ張った。
「――こちらへ」
「……え?」
僕は涙目のまま、彼女に手を引かれてその後をついて行く。
「……おそらく蜘蛛の糸の粘性は水溶性の粘液によるものだと思うので、お湯で洗い流してみましょう」
ハナのそんな冷静な言葉に、僕は救われたような気持ちになった。
――こんな姿の僕でも、軽蔑しないでいてくれるなんて……! そうだ。僕は最初からハナを信じて説明していればよかったんだ!
感動と共に反省している僕に、ハナは笑いかけてくれる。
「じゃあお湯を沸かしますから、ちょっと待っててね。セームちゃん」
「うん、頼むよハナ……って――セームちゃん?」
僕の言葉に、ハナは満面の笑みを浮かべた。
「はい! セームちゃん、その格好とっても似合ってますよ! すごく可愛いです!」
ハナは目を輝かせてこちらを見る。
……えっと?
「おうちにいる時はその格好も有りだと思います!」
「全然無しだと思うよ!? 突然何を言いだすの!?」
「そうでしょうか……? すごく可愛いのに……。あ、お化粧とかもしてみます!? きっと楽しいですよ!」
「しないよ!?」
「えー……」
僕の言葉にハナは不満そうな声をあげた。
なぜかハナはノリノリのようだ。
……ま、まずい。ハナの変な扉を開いてしまったのかもしれない……。
――それもこれもアズとナクアのせいだ! 後で覚えてろよ、二人ともー!
僕はお湯が湧くまでハナに女の子扱いをされ続けながら、心の中でアズとナクアへの怨嗟の声をあげ続けるのであった。