87.スパイダーネット
「おー! おっきいの見つけたー!」
結局僕はどうしたらいいかわからず、ヒントを求めて野生の蜘蛛を探してみることにした。
ユキと別れてナクアと二人、屋敷へと戻る。
二人で玄関まわりを調べていると、一つの蜘蛛の巣と、人差し指ほどの大きさのその巣の主を見つけたのだった。
「……それで? どうしたらいいの?」
彼女は僕に向かって振り返る。
その足元に貼られた巣には、黄色と黒のストライプ模様の蜘蛛がじっと佇んでいた。
「ええっと……それが申し訳ないんだけれど、僕にもわからないんだ」
彼女は首を傾げる。
「たとえばさっきのユキ。彼女は雪女だ。……雪女ってわかるかな?」
「わかるわかる! 吹雪とかビューって感じのやつでしょ! ……へぇーそうなんだー! だからあんなにクールなんだね。かっこいぃ~」
……まあ普段の彼女は結構だらしないというか、のんびりしている気もするけれど……。
それはさておき。
「彼女が冷気を操るときは、呪文を唱えていたりもする。他には必殺技の名前を叫んでるような子もいるけど……」
頭の中にミズチやヨシュアを思い浮かべる。
妖怪たちの呪文体系について、僕はよくわかっていない。ただそれぞれの妖怪によって力の使い方は全然違うということは認識している。
僕の言葉に、ナクアは眉をひそめた。
「えー、なにそれ。呪文だなんてなんていうか……漫画とかゲームみたい。中二病かよ」
「ちゅうに……?」
「あっ、いやいや! なんでもない! こっちの話」
彼女は足元に巣を張る蜘蛛に近付き、その場にしゃがみ込む。
「でも呪文って言ってもなぁ……。『蜘蛛ー。おーい蜘蛛ー。こっちおーいで』……なーんて言っても、来てくれるわけないか」
彼女は指を蜘蛛に向けて、そんな風に語りかける。
以前メアリーが魔術を覚えようとしたときのように、そうそう簡単にいくものでもないのだろう。
「……うーん。サナトなんかは今のキミみたいに語りかける感じだったから、間違いではないと思うんだけど……」
頭の中に妖怪たちの姿を順々に思い浮かべる。
「”こうすればできるに違いない”と信じる心が重要……なんだとは思う」
「”信じる”ねー」
彼女はどこか悲しそうに、蜘蛛を見つめた。
「……ナクアとは、一番遠い言葉かな」
ぽつり、と。
聞こえるかどうかギリギリの声量で、彼女はそう呟いた。
どこか憂いを帯びたその横顔を見るに、僕なんかと違って彼女はなかなか波乱の人生を送ってきたのかもしれない。
どう声をかけたものかな、と迷っていると彼女はこちらへ振り返った。
「でもさー。ありえなくない? 魔法って人が空を飛んだり、炎を出したり、遠くのものを動かしたりするんでしょ? そんなの普通に考えて、起こりっこないじゃん」
「それはそうなんだけど、それをどうにかするのが魔法っていうか……」
……いや、ちょっと違うか。
この前、港町の領主邸でミラがメアリーにしていた魔術の講義を思い出す。
「”それを当たり前だと信じるのが魔法”……なんだよ」
「当たり前……?」
僕の言葉に、彼女は片眉をひそめる。
「僕も詳しく知らないけど、魔術っていうのはみんなの意識が生み出す力らしいんだ」
「ふうん……?」
「妖怪はたぶん、その存在自体が魔術のようで、みんなの意識の影響を受けやすいんだ。だから僕が信じて、キミ自身がそれを確信すれば、キミは蜘蛛としての力を使えるようになる……と思うんだけど」
これまでの経験と、ミラの話を重ねた上での仮説だ。
それが正しいかどうかはわからないけれども。
「うーん、当たり前、当たり前……」
彼女は頭を抱えて考える。
どうにか手助けしてあげたい。
僕は発想を変えることにする
「そうだなあ……。じゃあキミは、どんなことをしたら蜘蛛が動いてくれると思う?」
「……動く?」
首を傾げる彼女に、僕は頷く。
「そう。蜘蛛がキミの思い通りに動いてくれる状況。どんな状況なら、キミの意のままに蜘蛛は行動する?」
彼女は口元に手を当てて、空を見上げた。
「蜘蛛はシロアリの天敵で……。だから、蜘蛛は……シロアリを食べるために動く……とか」
彼女はぼんやりと視線を上に向けつつ、言葉を続ける。
「お腹が空いて……そしてそこに餌があれば……動く。……いや」
ふと。
彼女の髪の毛に混じり合うように、金色の魔力が宿っているのが見えた。
「餌の位置を知ってれば動く……かな?」
彼女はぼぅっと空の雲を見つめたまま、言葉を重ねる。
「じゃあ、蜘蛛が知るのはどうやって……? 声……? いや、違う……。もっと原始的な……蜘蛛の巣に引っかかった獲物が揺れる振動とか……そう、それを伝えるのは――」
彼女は、答えに辿り着く。
「――糸」
瞬間。
彼女の手や頭から、幾本もの白い糸がぶわりと放射状に広がり飛び出した。
「……うわっ、なにこれ!?」
彼女は慌てて、立ち上がる。
何が起こったのかわかっていないらしい。
これはおそらく――。
「――蜘蛛の糸、じゃないかな。……これを出すのは初めて?」
まるで一瞬で毛が伸びたかのように、髪や腕から糸が伸びている。
「は、初めて。……っていうか、ナクア、本当に妖怪なんだ……うわーすご……」
彼女は手から垂れ下がる白い糸をぶらぶらと振った。
「……いや、でもちょっと、困る! 女の子として困る! 色んな所から出たりするのはやだ!」
彼女は手を振りながら、慌てるようにしてそんなことを言い出す。
「蜘蛛の糸ってたしか本当はお尻から……いやいやだめだめだめ! そんなの絶対ダメ! もっとスタイリッシュな感じじゃなきゃ無ー理ー!」
彼女の言葉とともに、その糸は髪の毛が抜け落ちるように地面へと落ちていく。
「そう、たとえばこうやってさ。アメコミのヒーローみたく……!」
そう言って彼女は両手を開いて前に突き出した。
その勢いに乗るように、彼女の手首の辺りから糸が飛び出す。
「わっわっ、出た! 止まらない……!」
二本の腕からそれぞれ出た糸は、まるで意思を持っているかのように屋敷の壁に沿って飛んでいった。
その糸は途中でまた幾本もの糸へバラけて、数十の糸となり屋敷全体を覆い、そして周囲へと飛び散っていく。
まるで噴水のように、糸は際限なく広がっていった。
「……これでいいのかな……?」
ナクアの瞳に金色の魔力が宿る。
「こうして、振動を伝えれば……。ナクアの糸で周りの蜘蛛たちに――」
彼女は手首を上に向けて、そこから糸を放射し続けた。
「――”この家には、たくさんのご馳走があるぞ”」
まるで何かに語りかけるように、彼女はそう言った。
彼女の手首から出た糸は時間とともに徐々に細くなっていき、やがて透明になるように消えていく。
そうして糸が途絶えて数秒間、彼女は屋敷を見つめた。
「――来た」
彼女がぽつりと呟く。
――それを見て最初、空の太陽が雲に隠れたのかと錯覚した。
地面に暗い影が射したからだ。
しかしすぐに、それが僕の見間違いだったと気付く。
どんどん地面に広がっていく黒い影。
そう、それは影ではなくて――。
「蜘蛛……!?」
数百数千の蜘蛛が、カサカサと周辺から集まってくる。
「ひぇっ……!」
思わず声を漏らしてしまう。
地面を覆うほどの黒い大群が、屋敷の周りへと集合する。
「あっち、あっち」
ナクアが人差し指で、屋敷の玄関を指差した。
まるでそれに指揮されるように、蜘蛛の大群は屋敷の中へと入っていく。
――そしてすぐに、その悲鳴が屋敷の中から聞こえてきた。
「ひゃあああーー!!」
ハナの絶叫だ。
……虫が苦手なハナがあれを見たら、そりゃそうなるよね……。
突然の蜘蛛の大群の襲来。
そんな光景、誰が見たって怖いし、悲鳴の一つや二つあげてしまう。
僕はハナを助けにいこうと玄関の扉へ駆け寄ると、入っていた蜘蛛のうちの何匹かが入り口から出ていった。
「ごはんはもうなくなっちゃったみたい」
……シロアリの駆除が終わったということだろうか。
ふと見てみると、さっき入っていった数百数千の蜘蛛が、今度は玄関からお行儀よく出てくる。
彼らは脇目も振らず家を出ると、そのまま四方八方へと散っていった。
僕はそれを、ただ呆然と眺める。
ナクアは僕の横でしばらくの間、帰っていく蜘蛛たちの背中を見送っていたが、その後力尽きたように地面とへたり込んだ。
「……はあ。なんだか疲れちゃった」
彼女は蜘蛛たちの消えていった方角を見つめながら、深く息を吐く。
「……すっごいお腹空いた。糸を出すのって、結構栄養使うのかも。……ダイエットになるかな?」
彼女は上目遣いで僕を見上げた。
僕は首を傾げつつ、笑う。
「……さあ、どうだろう。そもそもキミは太っているように見えないけど」
「ええー。ぷにぷにだよ、ぷにぷにー。ほらー。触ってみる?」
そう言って彼女は自身の腕を前に出す。
僕はそんな彼女の様子に苦笑した。
「……そんなことないって。今ぐらいがちょうど可愛いと思うよ」
「えー? 本当ー? やだー嬉しいー」
彼女はそう言うとにっこりと笑った。
僕は座り込む彼女に手を差し出す。
「……そうだ。お腹が減ったなら、ごはん食べるかい? 少し準備に時間はかかるかもしれないけど」
まずはハナのご機嫌を窺うところからだ。
彼女は僕の手をとって立ち上がると、弾むように笑った。
「食ーべるー。……あ、ナクアが蜘蛛だからってゲテモノはダメだよ。ご主人くん」
「あはは。たぶん大丈夫だと思う」
そう言って僕たちは、屋敷の中へと入るのだった。
☆
「あー、すっごくおいしー! ご主人くん、料理上手だねー! シェフ? シェフなの?」
「あはは、ありがとう。……ハナの作った料理の方が、妖怪のみんなの口に合うことは多いみたいだけどね。ショーユとかミソとかがキミたちには馴染みの味みたいだから」
ナクアはリビングのテーブルで僕の作った料理に舌鼓を打っていた。
僕が作ったのは桃色茄子をくり抜いて、器のようにして中にお米なんかを入れたパエリアだ。
お米に魚介、ヒポグリフの肉やタマネギを入れてワインで煮込んだ一品。
酸味と甘味、お肉と魚介の旨味をお米に凝縮している。
ナクアはスプーンをくわえつつ、満面の笑みを浮かべる。
「んっふー。こっちがどんなものかと思ったけど、ごはんは美味しいし空気も美味しいし、とっても素敵ね! あとはもうちょっと便利だったら文句なかったんだけど……」
「……ここらへんは田舎だからねぇ」
「いや、たぶんそういうことじゃあないんだけども。都会でもきっと……まあ、そんなこと言ってもしょうがないか」
彼女は人差し指を立てて、僕にウィンクする。
「それにキミも扱いや――善い人そうだしねー! これからもよろしくね、ご主人くん!」
「う、うん……よろしくね、ナクア」
なんだかさっきからチラチラと彼女の素が見え隠れしている気がするが、気にしないでおこう……。
そこまで悪い子ではなさそうだし。
苦笑する僕をよそに、彼女はソファーの方へと視線を移した。
「それより、その……大丈夫? その子」
「ああ、うん……気を失っているだけみたいだけど……」
そこにはハナが寝かされていた。
どうやら蜘蛛の大群を見て、気絶してしまったらしい。
ハナはソファーの上で、ぷるぷると震えるように寝言を喋る。
「ううぅ……ひぃっ……蜘蛛ぉ……虫……いやぁ……」
……どうもひどい夢を見ているらしい。
僕はうなされているハナの枕元に座った。
――起こした方がいいんだろうか。それとも気がつくまで寝かせてあげたほうがいいんだろうか……。
僕は迷いながらも彼女の手を優しく握り、頭を撫でるのだった。