86.むしむしクエスチョン
「……で、なんでわたしの家の前でやるのよ」
僕が契約の本を持って訪れたのは、アイスクリーム屋さんに改装されたユキの個人宅だった。
その雪女という性質を利用した氷室のために、彼女には専用の家に住んでもらっている。しかしそれだけでなく、その家では同時にアイスクリームを売る店舗にもしているらしい。
とはいえ普通の民家にアイスと思われるマークの看板が掲げられているだけなので、きちんと商売しているというわけではないようだけれども。
噂ではこれ目当てに遠方からやってくる旅人もいるのだとか。
僕はそんな店舗となった小さな彼女の家を訪ね、妖怪召喚に立ち会ってもらうことを依頼したのだった。
「いやあ、近かったから……」
「はぁ? そんな理由?」
「……というか、みんないったいどこで何をしているやら。僕は妖怪たちみんなの動きを把握しているわけじゃないからね」
確実にわかるのは、ハナが屋敷にいることだけだ。とはいえ、ハナは戦闘力が高いというわけではない。もし召喚する妖怪が暴れだした場合、それを止める力があるとは言えないだろう。
他の妖怪たちは各々が好き勝手町の中で暮らしているので、今誰がどこで何をしているのかを僕は正確に把握していない。イセあたりは魚のために港町に遊びに行ってたとしてもおかしくないだろう。
「それなら喚び出せばいいじゃない。主くん、その本で呼びつけられるんでしょ」
ユキが言っているのは契約の本を使った妖怪たちの召喚のことだろう。たしかに、本を通せばすぐに妖怪を喚び寄せられる。
「……ううん、まあそうなんだけどね……」
僕は本の表紙に眼を向けた。
「ただ無理やり呼びつけるようで、あんまり使いたくはないんだ。ユキだって、寝てるときに起こされたら嫌だろう?」
妖怪たちにもそれぞれの事情があるだろうし、村の農作業の手伝いなんかをしているときだってある。なのでちょっとやそっとの事情で呼びつけるのは、さけたいところではあった。
「……わたしは今こうやって、主くんに呼びつけられているんですけど」
ユキがその瞳をつりあげる。
「あはは、いや、その……暇かなぁ~って」
「はぁ!? 主くん、それってちょっと失礼じゃない? ……まあいいけどさぁ」
不機嫌そうにしつつも、ユキは僕の召喚に立ち会ってくれるようだった。
……つまりは、彼女は暇なんだと思う。
「何かあったときは頼むよ」
「……もう、しょうがないわね。わかったわよ」
彼女は溜息をついた。
僕に戦闘能力は無い。召喚と共に襲いかかられでもしたら対処することはできないだろう。
ユキが肉弾戦をしているところは見たことがないが、その冷気を操る技はさまざまなものを凍りつかせる。頼りになる戦力だ。
「ありがとう、ユキ」
「はいはい。感謝してよねー」
僕は笑いながら、契約の本のページを開く。
目を閉じて、頭の中に異界に繋がる門をイメージした。
「……彼の地より出でよ――」
僕の言葉と共に本に書かれた文字に魔力の光が宿り、魔力の風圧が本から漏れ出る。
頭の中と本のページがリンクしていき、言うべき言葉を口が紡ぐ。
「――絡新婦!」
その瞬間、前方の何もない空間に黒い穴が広がった。
そしてそこから射出されるように、幾重もの白い網が穴の周囲に張られていく。
それは放射状に張り巡らされた、蜘蛛の巣だ。
網が張り重ねられていき、その穴は完全に蜘蛛の巣に覆われた。するとすぐにその網は、萎れるようにして地面に溶け落ちる。
その一塊の蜘蛛の巣が消えたとき、そこには一人の女性が立っていた。
「……あれ?」
鈴を転がしたような声が響く。
空を見上げていたその女性は、首を傾げこちらに視線を向けた。
年の頃は18、19ぐらいだろうか。黒髪に金色のリボン。結わえられた二束の髪は、耳の後ろから胸の上へと長く垂れ下がっている。
その服装は一見して質素なドレスのようだったが、あからさまに胸を押し上げる形のデザインは男性の眼を惹くことだろう。
袖やロングスカートはところどころ半透明の生地でできていて、そのプロポーションが強調されている。
彼女はこちらに一歩近寄ると、その顔に笑みを浮かべた。
「じゃーん! はじめましてー! キミが『ご主人様』、なの!?」
「え!? あっ、うん……そう、だと思う。……君が絡新婦なの?」
その明るく高い声に、少し緊張がほぐれる。
僕の質問に、彼女は上目遣いでこちらの眼を覗き込みながら答えた。
「うーん、ナクアわかんない! ジョローグモ? たしかにそう言われたこともある……かも?」
彼女はとぼけたように首を傾げる。
とはいえ召喚したページを考えると、彼女が絡新婦――蜘蛛の妖怪――であることは確かだと思うんだけれど。
「えーと、ナクアっていうのが君の名前? 僕はセーム。よろしくね」
「セームくん、ね! ナクアはナクアだよ。キミは善い人そうね!」
彼女は笑顔を僕に向けた。
……どこか彼女の様子にわざとらしさを感じて、横目でユキの様子を窺う。
すると彼女も同じような印象を持っているらしく、ナクアと名乗る女性のことをその冷たい瞳で鋭く見つめていた。
そんな僕たちの様子を知ってか知らずか、ナクアは首を傾げながら口を開く。
「それでー、ナクアはここで何をさせられるのかなぁ? 契約? っての結ぶんでしょー?」
「……ああ、そうだね。僕の言うことを聞いてもらう代わりに僕が君の願いを叶えてあげる……と言っても見ての通り僕はただの村人――今は町人かな? ……だから、できることなんてあまりないのだけれど」
「ふうん?」
彼女はじろじろと僕の姿を品定めするように見つめる。
「……その契約って、結ばないこともできるのかな?」
彼女は今までよりもやや声のトーンを低くしてそう言った。
基本的に、契約を結ぶかどうかは自由だ。
僕も契約というのがどういうものか詳しく知るわけではないが、妖怪たちから聞くに魔術的な拘束力は多少なりともあるらしかった。
だからこそ、強制されたくないという妖怪側の意向も理解できる。
「……君がこの町に、危害を加えないのが条件だけどね」
それは最低限、守って欲しいことだ。
それさえ守ってくれれば、多少言うことを聞いてくれなくてもべつにいい。
現に今も、好き勝手やっている妖怪は多数いる。
……彼女の様子を見るに、少なくとも暴れまわったりするタイプには見えないし。
何やら僕の言葉に考え込む彼女に向かって、横からユキが口をはさんだ。
「あなた、”なりたて”ね」
……なりたて?
ユキの言葉にナクアは無言でジロリとその顔を見つめた。その顔に先程のような笑顔は浮かんでいない。
ユキはナクアの視線を受け流すと、肩をすくめた。
「……まあなんにせよ、こっちじゃ行くアテもないでしょ」
ふぅ、とユキは溜息をつく。
「わたしたちは主くんから遠く離れては生きられないし、この町でなら衣食住は保障される。だからこの町で面白おかしく過ごす方法を考えるのをオススメするわ」
「ふぅん」
「……まあ、遊ぶ所もなんにもないけどね。……だからこそ、工夫次第では何でもできるんだけれども」
ユキはその顔に笑みを浮かべながら、言葉を続ける。
「あなたが殺人鬼でもない限り、わたしたちも彼も特段干渉はしない。主くんはこう見えて軽薄ってわけでもないし、理不尽な命令をされることもないから、その辺は安心していいかも」
「ああーそうなんだー。ご主人様の言うことは絶対……とかそういうのかと思っちゃった」
ナクアはユキの言葉にぺろりと舌を出した。
その様子を見てユキは苦虫を噛み潰したような顔をする。
……そんな露骨に毛嫌いしなくても。
そんなユキの様子に構わず、ナクアは片目を閉じてウィンクした。
「教えてくれてありがとう! せーんぱい!」
「……まあなんて呼んだっていいけどさ」
ユキは何かを言いかけて、諦めるように溜息をつく。
僕は苦笑しつつ、ナクアに向かって話を続けた。
「好きに暮らしてもらって構わないし、屋敷も部屋は空いているからそこに住んでくれれば大丈夫。契約だって強制するものでもないよ」
僕の言葉にナクアは喜ぶように笑った。
「ありがとう、ご主人くん! あなたはとっても優しいのね! ナクア善い人、好きだよ!」
「あ、ありがとう……」
上目遣いで笑顔を向けてくれる彼女に少しだけ気圧される。
彼女と話していると、どうにも調子が狂ってしまう気がする。
「……でも僕がキミを召喚したのは、キミにお願いしたいことがあったからなんだけどね」
「……お願い?」
ナクアは首を傾げる。
「ナクアに何をさせたいの?」
彼女の言葉に促され、僕はようやく要件を切り出した。
「……うん、キミにシロアリを退治して欲しくって」
僕の言葉にぽかん、と彼女は口を開く。
「シロアリ? シロアリって……あのシロアリ?」
どうやら彼女も、シロアリのことは知っているらしい。
ナクアは困ったような表情を浮かべた。
「ナクア、駆除業者さんとかじゃないんだけど……」
彼女の言葉に僕は思わず苦笑した。
「あはは。蜘蛛ってシロアリの天敵らしいからさ。だから絡新婦の君を喚び出したんだ」
絡新婦。
名前の通り、蜘蛛の妖怪だ。
大きな蜘蛛で、炎や子蜘蛛を操ったり人を食べるとも言われている。
「……そんなこと言われてもー」
彼女は口を尖らせてうつむく。
どうやら困らせてしまったらしい。
僕は安心させるように、笑顔を作って彼女に向けた。
「大丈夫。絡新婦なら蜘蛛を操れるかも……いや、絡新婦という存在は蜘蛛を操ることができるんだ。それがキミの存在定義だから」
僕は彼女の存在を定義する。
彼女は、蜘蛛を操ることができる存在だと信じる。
それによって、妖怪である彼女は実際にその力を宿すはずだ。
「……へぇー。本当? ……そんなこと、ナクア考えた事もなかったなー」
彼女は今まで、蜘蛛を操ったりしたことはなかったのだろう。
……いや、でもきっとそれは、他の妖怪のときだってそうだったと思う。
やればできるはず。
それが妖怪だ。
ナクアは僕の言葉を噛みしめるように何度か頷く。
「……でも、それ面白いね。まるで魔法みたい」
彼女は一瞬笑みを浮かべた後、その顔から表情を消して視線を落とした。
「そんなことがナクアにできるかはわかんないけど……ううん、でもそうだよね。ありえないことなんて言いだしたら、妖怪だって、そしてこの世界だってありえない。そんなありえない事の中心に、ナクアは存在しているんだね」
彼女は独り言のようにそう呟く。
さきほどまでのテンションの高い彼女より、こちらの方が彼女の素のように見える。
……なんだってあんなに猫をかぶっているんだろうか?
僕の考えをよそに、彼女はにっこりと笑った。
「……えっへー。いいよいいよ。ナクアが協力してあげる。蜘蛛って意外とカワイーしね。昔飼ってたんだ」
……いや、可愛いとは……その……あんまり……思わないけど。
彼女の言葉には答えず黙っていると、彼女は元気よく頷いた。
「それじゃあ、早速やってみよっかなー」
彼女はまっすぐにこちらを見つめる。
「……それで?」
ナクアは首を傾げた。
「どうやったらできるの?」
「それはもちろん――」
不思議そうな表情を浮かべる彼女の言葉に、僕は頬を掻きながら答えた。
「――これから考えるんだけども……」
そんな僕の言葉に、彼女は呆れたような表情を浮かべるのだった。