74.少し遅れた海辺のサービス
「えーっとこれは……テレポートのスクロールですね……」
その日、領主邸の倉庫では分析眼鏡をかけたメアリーが無数にあるスクロールを鑑定していた。
この眼鏡は先日、サグメが町の商人と交渉して無償で借りてきた物だ。
……どんな手段を使ったのかはわからない。
とにかくそうして借りてきた分析眼鏡を使うことで、こうして地下遺跡から発掘した物品の仕分けができるようになっていた。
分析眼鏡の分析内容は古代語で表示される。
妖怪たちの中では、唯一魔術の勉強をしているメアリーだけがそれを読むことができるのであった。
「拡大詠唱……範囲指定……? 使い方によっては余分に魔力を消費することで、いろいろと付属効果を付けることができるみたいですね……」
「へえ。じゃあ前みたく海の真ん中に放り出されるのは、本来はイレギュラーなことだったのかな」
僕の言葉にメアリーはこくりと頷く。
本来はテレポートのスクロールはそうやって使う物なのだろう。
僕は鑑定の終わった物品をより分けつつ部屋の中を片付けた。
普段使われていない客室の為、なかなかにホコリっぽい。
僕は分厚いカーテンを開けて、締め切られた窓を開いた。
部屋の中に光が差し込む。
「……あれ、これは」
そこに転がっていたのは水晶で出来た髑髏だった。
サナトが拾ってきたもので、その額の部分には赤い宝石が埋め込まれている。
僕はそれを拾って太陽に照らした。
「おお……?」
太陽の光がドクロに注ぎ込み、その眼窩に光が集まる。
存在しないはずのドクロの瞳は、怪しく光った。
「……御主人様?」
メアリーがそれに気付いたのは、いくつかの魔道具を鑑定し終わったときだった。
片付けが終わったのか、彼女の主人は外の太陽を眺めている。
その足元には水晶ドクロが転がっていた。
「……今日は天気がいいね」
彼は太陽の光を背に、首だけ動かして振り返る。
その顔には晴れやかな笑みが浮かんでいた。
「海に行きたいな……うん。海へ行こう」
☆
「なんだかおかしい……」
太陽の光が降り注ぐ中、麦わら帽子をかぶったメアリーは砂浜を水着姿で駆け回るセームの姿を眺めていた。
彼は今、サナトと砂浜を歩きつつ貝を拾っている。
「たしかに……。あんなのは……主様じゃない……!」
メアリーの隣でハナが眉をひそめつつ、砂浜ではしゃぎまわる彼らの姿を睨んでいた。
ハナその体を、緋色の水着に身を包んでいる。
「……主様はあんな爽やかな笑顔を浮かべて砂浜を駆け回る好青年なんかじゃなくって……!」
ハナは握りこぶしを作って叫んだ。
「もっと気弱そうな笑みを浮かべて、海に誘っても『暑いから外に出たくないなあ』なんて言って引きこもる、そんなダメダメな人なんです!」
「そ、そうかな……? 様子がおかしいのはたしかだけど、御主人様にも砂浜を駆け回る権利ぐらいはあってもいいじゃないかな……」
「いいえ! あんな健康的な人……主様じゃありませんよ……!」
ハナはそう言いながら視線を伏せる。
メアリーは彼女のセームへの散々な言い様に苦笑した。
――とはいえ。
メアリーは考え込む。
ハナの言う通り、普段のセームとは少し性格が違っている気はした。
「――ねえ」
「はうっ!」
突然セームにかけられた声に、ハナがびくりと反応する。
セームはハナとメアリーの方へゆっくりと近付いた。
ハナは警戒心を露わにしながらおそるおそる彼の方に視線を送る。
セームはその顔に笑みを浮かべて、ハナへと手を差し出した。
「そんなところで見てないで、一緒に泳がないかい? きっと楽しいよ」
「えっ、えっ……」
ハナは彼の積極性に、及び腰になりながら慌てた様子を見せる。
「せっかく素敵な水着を用意してくれたんだし、それにこんなにも天気がいいんだ。泳がないと勿体無い。それに君は笑顔の方が似合うよ」
彼はそう言って、半ば強引にハナの手を取った。
「――ハナさんっ!」
メアリーは異常なセームの様子に、慌てて止めようと手を伸ばす。
「……こんなの」
ハナは俯きながら言葉を漏らした。
「……こんなの、主様じゃありません。主様は軽く外見を褒めるのにも躊躇いつつ、照れながらようやく言うぐらいの根性無しなのに……こんなの絶対おかしい――!」
彼女の言葉に、セームは目を細める。
ハナは意を決したかのように、その顔を勢いよく上げた。
「――でも! 今日ぐらいは! 良いですよね!!」
その表情には満面の笑顔。
「ええー……?」
思わずメアリーは声を漏らすが、ハナはそれを気にせずセームと共に海辺へと駆けていく。
「さあ主様! 準備運動からですよー!」
「ああ! やっと海に来れたんだし、たくさん楽しもうね!」
サナトも交えて三人はキャッキャと遊び出す。
「何これー……。誰あれー……。ハナさーん……」
メアリーは一人浜辺に座り、その様子を眺めるのだった。
☆
ミズチも加わってセームたちは海の中に入り、太陽の日差しが差し込む中を満喫しているようだった。
メアリーは持ってきた分析眼鏡を起動する。
「……セーム・アルベスク。所有スキルは霊感」
その眼鏡には古代語で書かれた彼の特性が表示されていた。
「特におかしなところはないけれど……」
むむむ、とメアリーは考え込む。
「……まあ、そう心配するもんでもないさ」
「ふえっ!?」
突如横からかけられた声に、メアリーは振り返る。
「……サグメさん。いつからそこに……」
そこにはボーダー柄の水着に身を包んだ、サグメが横になっていた。
目を閉じてのんびりと日光浴をしている。
「たった今。みんな楽しそうだし、たまにはこんなのもいいんじゃないかと思うよ」
サグメの楽観的な言葉に、メアリーは首を傾げた。
「いえ、でも……あれは……。まるで別人というか、何というか」
メアリーの疑問にサグメは笑う。
「別人だよ」
「え、ええ……?」
「見てごらんよ。あれ」
彼女が起き上がって海の方角を指し示す。
セームはハナに泳ぎを教えているようだった。
「ハナさん、恋する乙女の顔をしてますね……」
「いや、そっちじゃなくて」
サグメはツッコミを入れるように手を振った。
「……ボクたちの主はね。泳げないんだ」
「あ……。そういえば……」
メアリーは以前の出来事を思い出す。
彼は海の上に投げ出された時、そのまますぐに溺れていた。
「じゃ、じゃあ早くみんなを止めないと……!」
「……すぐに彼をどうこうするわけではなさそうだし、『こちらが気付いていること』は知られない方がいい」
サグメはまた寝転がる。
「乗っ取られているとしたら、彼自身を人質に取られるのが一番厄介だしね」
「うう……。そうは言っても、大丈夫でしょうか……」
メアリーの心配そうな言葉に、サグメは落ち着かせるように優しく言葉をかけた。
「きっと大丈夫だよ。だって彼は――」
サグメは首だけ起こして薄く目を開ける。
視線の先のセームたちは、みんな笑顔で遊んでいた。
「――嘘をついてないからね」
☆
夕日が沈む海を眺めつつ、彼はその膝にハナの頭を乗せていた。
疲れ果てたのか、ハナはすうすうと寝息を立てて眠っている。
「やあ、気は済んだかい?」
彼に声をかけながら、砂の上にサグメが座る。
彼女の姿を振り返り、彼は笑った。
「……ああ。少し混乱していたが、迷惑をかけてしまったかな」
彼の言葉にサグメは苦笑する。
「どうかな。たしかに不気味ではあったけど」
「……それはすまない。どうやらデータ転送は失敗したらしい。君はどこのセクションの人間だい?」
彼の言葉にサグメは肩をすくめた。
「さあてね。君が思っているよりも、時代は変わっているのかもしれないよ」
サグメの言葉に、彼は目を細める。
「……そうか。そういうこともあるのかもしれないな」
彼はまた夕日を眺めた。
「どこまで話が通じるかはわからないが……私は死霊みたいなもんさ」
彼は小さくため息をつく。
「感情をメインに一部の意識データの再現に成功したようだが、まさか家族と海に行く約束を守れなかった想いだけが反映されてしまうとはね」
彼の言葉に、サグメは微笑む。
「なかなかロマンチックじゃないか。君の一番大切な物は、家族だったってことだろう?」
ハハ、と彼は苦笑して、目を細めた。
「どうだか。妻や娘には普段から心配かけてばかりだったしね。たまたまかもしれない」
そう言って彼は誰かと面影を重ねているかのように、ハナの頭を撫でた。
「……さて。困ったことに『彼』の意識が目覚めないな。表層人格が目覚めれば私の意識は消えると思うんだが……デバッグが不十分だったかな」
彼は眉間にしわをよせ、困ったような表情を浮かべる。
サグメは笑いながら立ち上がった。
「運が良かったね」
サグメは彼の額に手を当てる。
「ボクはそういうのが専門なんだ」
彼女の言葉に、彼は穏やかな笑みを浮かべた。
「ありがとう。恩に着るよ」
☆
「ぐあああーー!」
僕は全身の体の痛みに悲鳴をあげる。
「もう、いつまでやっているんですか」
リビングのソファーでうめき声をあげる僕に、ミラは呆れたように言った。
「だって、だってぇ……! 全身の筋肉痛と……あと日焼けがぁ……!」
「わたしは真昼の海なんて行けませんしー。いい気味です」
「いやいや! だから僕、その記憶ないんだって……!」
僕が気がついた時は既に朝になっていた。
発掘品が溢れる部屋の整理をしていたはずが、いつの間にか気を失っていたらしい。
しかもみんなに聞くところによると、気を失っていた僕は海に遊びに行っていたんだとか……!
「理不尽だ……! 僕は遊んでないのに……!」
昨日の僕はハナと泳いだり、サナトと貝殻を集めたりしていたらしい。
ずるいぞ、僕ー!
「あはは。普段から運動してないからそうなるんだよ」
サグメはそう言って、テーブルの上に何かを置いた。
「うう……! 今度はアズとかもみんな誘って海に行くぞ……!」
そう言いながら僕は背伸びをする。
体中に痛みが駆け抜ける中テーブルの上に視線を向けると、そこには赤い宝石があった。
「……これは?」
何か記憶に引っかかる物がある気がするが……。
「君を乗っ取っていた正体。大昔の記憶の保管装置さ。……少し弄っておいたんで、もう悪さはしないはずだよ」
そう言って、サグメはその宝石に小さな貝殻を乗せた。
まるでヤドカリみたいだ。
彼女はそれに満足したのか少し笑って、その場を後にする。
……サグメのセンスは、よくわからないなぁ。
僕は首を傾げつつも、どこか懐かしい気がするその赤い宝石を見て、なぜだか海の景色を思い浮かべるのだった。