7.あずきデトックス健康法
「ふへー」
借りてきたクワを投げ出し、大の字に地面に寝転がる。
もう動けない。
耕した面積は三メートル四方ほどのほんのわずかな領域。
明らかに運動不足がたたっている。
明日食べる物を確保しようと畑を耕そうとしてみたが、これは思ってたよりも重労働だ。
いやもちろん、僕が全く体力が無いせいだとは思うのだけど。
「主様」
寝転ぶ僕にハナが声をかける。
勢いをつけて上半身を起こすと、その手に皿を持っていた。
「差し入れです」
「おお? ありがとう。ちょっと待ってね」
手を洗おうと、立ち上がって庭の中央にある池へと近付く。
そこは以前と変わり、澄んだ水で満たされていた。
いなくなった水の精霊の代わりに、水神が住み込んでいる為だろう。
その周囲には緑も蘇ってきており、いくつかのハーブも自生している。
そのうちハーブ園を作ってみるのもいいかもしれない。
水に手をつける。
池の中央でパシャパシャと水音が聞こえた。
「良い天気でありますなー」
池の主に声をかけられる。
「もう少し日が陰ってくれた方が農作業はしやすいけどね」
そこにはミズチがのんびりと浮かぶように泳いでいた。
水神となった彼女が触れた水は、ある程度であれば綺麗に浄化されるらしい。
なのでここで手をあらうことは衛生上問題はないし、なんならそのままこの水を飲んだって大丈夫だ。
……精神的には少し思う所もあるのだが。
僕は手の水を切ると、ハナの元へと戻る。
ミズチが水の精霊を吸収して以来、この辺りは魔力濃度が上昇したらしく、ハナも少しの時間であれば外に出てもあまり魔力を消費しなくなったようだった。
「……これは……」
皿の上には細切れにされた薄いきつね色の何かがある。
まるでパイ生地のようなそれを摘んだ。
なかなか硬度が高そうだった。
口に入れて噛むと、バリッと音がして割れる。
バリ、ボリ。
炭水化物特有の甘みが口に広がる。
味付けはされていないが、その甘さは空腹の体に染み渡っていくようだった。
「うん、美味しいよ」
ガチガチのパンのようなものだった。
ちょっと火を通し過ぎかもしれない。
それでも空腹は最高のスパイス。
いくらでも食べられそうな気がする。
「水でこねた小麦粉をかまどで石焼にしてお煎餅を作ってみたんですが……お口に合ったならよかったです」
コムギコとはこの前、マリーさんに分けてもらった麦粉のことだろう。
村に水を取り戻したことでタダでいいとは言われたが、一応この辺の相場と同じぐらいは払っておいた。
王都に近い穀倉地帯ならもう少し安く手に入るのだが。
一番近い交易の盛んな街までは悪路が続いており、馬車でも半日以上かかってしまう。
交易網が整備されなければ物価が安くはなることはないだろう。
「うーん膨らし粉でもあればまた別なんだろうけど」
重曹があればふっくらするが、あれは錬金術師に作ってもらうか成分を多く含有する岩石を削り出すしかないので、なかなかに値が張る。
膨らませる為のパン種を作るには蒸した麦を放置したりする必要があるが、運の要素も絡むので安定はしない。
そういえば乳母が漬け込んだ果物がパン種の代わりに出来るとか言ってたなぁ。
「果樹園でも作れたらなぁ……。葡萄……無花果……梨……」
甘い香りを思い出して唾液が溢れる。
しかし種子をそのまま植えたとしても、果実を口にできるのは一体何年あとになることやら。
現実的には苗木や樹木をそのまま持ってくるしかないだろう。
見ればハナも同じく果物のことを考えているのか、口元をゆるめ遠くを見つめていた。
僕の視線に気付きハッと襟を正す。
「……ハナもこれ食べたら? 美味しいよ」
「え、えへへ。では失礼して」
皿から一摘み。
バリバリ。
「……うーん、醤油が欲しくなりますね」
「ショーユ?」
「はい。大豆……豆と塩を発酵させたもので……香りが良くてしょっぱいのです」
……塩かぁ。
東に向かって数日馬を走らせれば、荒野の先に海が見えるらしい。
この辺でもたまに岩塩が見つかるようだが、精霊が消失してからと言うもの、その報告もめっきり少なくなっていた。
もう少し食生活に彩りが欲しい気もする。
「あっ! ずるい! 自分も食べるのでありまーす!」
水から上がってミズチが駆けてくる。
そして音もなく姿を現したアズは既にそれを口に入れていた。
そんな僕達に声がかけられる。
「お、やってるやってる。賢者サマ。それに使い魔のみんなも」
声のした方をみると、そこには酒場の女将マリーがいた。
その手には木箱を持っている。
ミズチが水神になってからというもの、魔力濃度の上昇により彼らの姿が村人たちにも見えるようになっていた。
それでもミズチ以外は双方が強く意識しなければ見えないようで、アズはよく村人にぶつかっているらしい。
その度、「もしや精霊様!?」と祈られると愚痴っていた。
水虎の悪戯があずき洗いと勘違いされた……という以前の話とは逆に、今はアズがミズチに間違えられているらしい。
奇妙な因果だ。
村人から存在を認識される状態になった為、彼女たちは僕の使い魔ということで説明して納得してもらった。
水という恩恵を得た以上、彼らにとってそれは精霊だろうが使い魔だろうが何でも良いのだ。
「農作業はどうだい? 村に水が戻ったから、うちもまたやってみようとは思うんだけど……」
「まだ始めたばかりで全然です」
見ると耕した畝にアズがちょいちょいと小豆を埋めている。
そういえば、ベランダの小豆はもう芽が出ていたっけ。
さすがあずき洗い。
何の才能も持たない僕と違って、小豆を育てる才能があるのかもしれない。
「そっか。育つといいねぇ。そしたら随分とここの暮らしも楽になると思うんだけど」
マリーさんはそう言って、持ってきた木箱を下ろした。
「肥料を作るんだって?」
「はい、しばらく時間はかかりますけど今から仕込んで置こうかなって」
僕はその木箱の中の生ゴミを、用意しておいた地中のツボに入れる。
中には既に枯れ草なども入れているので、あとは置いておくだけ。
そのうち雨水を避ける屋根も作った方がいいかもしれない。
「そんなに働かなくてもいいのに。井戸を復活させてくれた村の恩人なんだからさ」
あれ以来、酒場で食事を取ろうとすると代金を突き返されてしまっていた。
好意に甘えさせてはもらっているが、ずっと頼りっぱなしというのも居心地が悪い。
貴族として過ごしていた頃はそれが当たり前だった。
才能が何もない僕がするより、他の人がやった方がいいと思っていた。
でも今は――。
「――いえ、いいんです。それにもっと美味しいものも食べたいですし」
僕の言葉にマリーさんは笑った。
そんな話をしていると、村の方から一人の男が走ってくる。
髭面の若きリーダー、エリックだ。
僕よりは少し年齢が上らしい。
「マリー、坊っちゃん。ちょっと来てくれないか」
二人で顔を見合わせる。
「毒ガスが発生したらしい」
☆
村の中央の井戸がある広場へいくと、そこに一人の男性がうずくまっていた。
周りには人だかりができている。
「廃坑の水を汲みにいったら、途中で気分が悪くなったらしい」
エリックの言葉に男性の表情を伺うと、その顔色は青褪めていた。
「もしこれが有害なガスだったら、それが山の下へと広がる可能性もある。だからみんなに伝えないといけねぇと思ってな」
たしかに寝ている間に村が全滅なんてことにならないシャレにならない。
「坑道でガスが出ることはたまにある。ただ今回は場所が場所で、急に湧いてきたもんだから坊っちゃんの意見も聞いておきたくてな」
エリックの言葉に考えを巡らせる。
その場所は以前、アズの力で湧き水を発生させた場所だった。
原因を作った僕が調査に行って、村のみんなを安心させた方がいいだろう。
とはいえ僕は専門家ではないし、坑道についてなら彼らの方がずっと詳しい。
下手なことを言うわけにはいかないが――。
シャン、と音が聞こえた。
「アズ」
僕の声を聞いて、アズは姿を現す。
そうだ。
わからないなら他の人の意見を聞くべきだ。
アズは人じゃないけれど。
「この件、何かわかる?」
「さっぱりです」
両手のマラカスを頭上にあげる。
お手上げらしい。
うう、そうだよなぁ。
あずき洗いは坑道の妖怪でもガスの妖怪でもないもんな……。
――待てよ。
たしかにあずき洗いはあずきの妖怪だ。
でもそれと同時に――。
「……なあ、アズ」
どう尋ねるべきだろう。
出来るか? ではダメだ。
彼女は出来る。
そう信じて、認識する。
「君の存在定義を確認したい」
「らじゃです」
彼女は右腕をあげてマラカスを自身の額に当てる。
「――彼の体内を洗浄してほしい」
単純に”洗う”というのは違うが、彼女にそんなことができるだろうか。
「おっけーです」
シャン。
僕の不安をよそに、彼女は即答した。
彼女は舞う。
マラカスを振り、三秒間。
「ぶらぼー」
彼女がポーズを決めると、地面にうずくまっていた男性の周りが淡く光る。
次第にその険しい表情が和いでいき、ゆっくりと目を開けた。
エリックが声をかける。
「大丈夫か?」
「あ、ああ。すっかり楽になった。――すげーな、賢者様ってのは……解毒魔法も使えるのか。ありがてえ」
「い、いえいえ……僕は何も」
賢者呼びが定着してしまっているようだ。
少しむず痒いが、それで信用されるなら放っておいたほうがいいのだろう。
周りの村人から口々に感謝の言葉を浴びせられる中、アズを連れて足早にその場を去った。
☆
以前の湧き水の坑道へ行くと、若干の異臭がした。
あまり長居してはマズいかもしれない。
「アズ、頼む」
「いえっさーです」
彼女が姿を現す。
彼女はクンクンと鼻をならすと、眉をひそめた。
「あの脳味噌の代わりにきゅうりが詰まっている河童が地脈を好き勝手したせいで、変なのが湧いてきたです」
ミズチの水精霊騒ぎのせいで地殻変動が起こったということか。
「とりあえずなんかやばそーな雰囲気は洗い落とすです」
シャンシャン。
マラカスを振り、彼女は舞い踊る。
ほんのりとした淡い光が周囲を包む。
シャン。
十秒ほど舞った後、彼女はぴしっとポーズを決めた。
「おーれっ」
覇気の無い声と共に、坑道を一陣の風が通り抜ける。
どうやらガスは無くなったらしい。
「奥のやつはそのままです」
奥?
彼女の視線の先にそれはあった。
地面にテラテラと光る液体が広がっている。
それは差し込む光を乱反射して、サイケデリックな七色模様を描いていた。
まるで毒の沼地のような、その不気味な液体に近付き触れてみる。
ぬめりとした感触が指に広がった。
「……油、か? これ……」
かなりの量の油がしみ出ているようだった。
異臭の原因はこれか。
「食用にはできないだろうけど、燃料に使えそうだ」
これだけあれば、気軽に火を使うことができるようになるかもしれない。
「でもあぶねーですよ?」
アズが首を傾げてこちらを見つめる。
「そうだね……。ここは湿気が高いから大丈夫だとは思うけど、念のため入り口に扉と鍵をつけてもらって村のみんなで管理しよう」
火気にさえ注意すれば、これは便利な資源となるはずだ。
僕は村にその話を持ち帰る。
きっと明日は、より良い生活ができるようになるだろう。
僕たちは一歩一歩前に進んでいた。