69.魔力不足の召喚エラー
「ああー疲れたぁ……」
バタン、と倒れるようにリビングのソファーへと寝そべる。
他人の家だというのに、我ながら面の皮が厚いもんだ。
「おかえりなさいませ主様」
パタパタと足音を立てつつ、キッチンからハナがやってくる。
「お疲れですね。今日はどんな場所へ?」
「港町の比較的裕福な方々のところに……」
僕は今日、港町の商人の家を訪ね回っていた。
領主の死が知れ渡った場合、町に混乱が起こるのは想定通りだ。
その為「これから生活が楽になりますよ」とサグメと共にアルベスク家の良い噂を流していたのだが、それが効くのは一般庶民だけである。
「……商売人ってやつは、お上の意向に敏感なんだよな」
商売をしている人たちなんかにしてれば、統治者が変わることは事業計画に直接影響が出る。
極端な話、財産を没収されて商売ができなくなるようなことだってありえるからだ。
「なるほど、さすが主様。隅々までのご配慮、お疲れ様です」
ハナは笑ってソファーに座り、僕の後頭部を撫でた。
「よく頑張りましたね。大変だったでしょう?」
ああ、心が安らぐ……。
「……いや、それなりに話が通じる人ばかりでよかったよ。大変ではあったけど」
統治者の変更による不安を抱かせないよう、これまでの生活を保障することをチラつかせながら、それでいて更なる利権を提示してみた。
利権といっても、山道を繋ぐ馬車鉄道への出資話だ。投資してもらう代わりに鉄道利用への優先使用権を提供する。
まあいくらロージナの鉱山で実績があるとはいえ鉄道事業自体が失敗するリスクはあるので、乗ってきた人もそんなに多くはなかったのだけど。
「兎にも角にも、目的が達成できてよかった……」
資金の調達は何とか間に合いそうだった。
これであとは問題が起こらなければ、スムーズに走る馬車鉄道が通って町を繋ぐはずだ。
「そうなんですか。難しいことはわかりませんが、頑張りましたね主様。えらいえらい」
ハナは僕の頭を更に撫でる。
このまま幼児退行してしまいたい……。
そもそも最近僕は働き過ぎなのだ。
断固休みたい。
「僕ハナの膝の上で暮らす……」
「あらあら。甘えん坊さんですね、主様は」
自堕落に暮らしたい。
鉄道を故郷の街にも通せば……その利益でのんびり暮らせないものか……。
……ああ、でもそれには更に資本金が……いやここは父上に泣きついて……。
そうして人をダメにする妖怪に身を任せつつソファーの上で寝そべっていると、リビングに入る足音が一つ聞こえてきた。
「……うわ、気色悪っ……」
吐き捨てるように呟いたのは、屋敷の主のミラだ。
僕は慌てて上半身を起こしてハナから離れ、姿勢を正す。
「……見なかったことに」
「人の家で何やってるんですかあなた。それでもいい年した大人ですか?」
くっ……! いったいどこから見られていたんだ……!
一辺たりとも反論できない……!
「……いやでも、これは君の代わりにやってたんだよ」
「ハナさんに抱きつくように甘えることをですか? わたしの? 代わりに?」
「いえ、ごめんなさい……。そっちじゃないんです、すみません……許して……」
僕たちのやりとりの横で、ハナは苦笑している。
は、旗色が悪い……。
僕は一つ咳払いをした。
「……町の様子を見るのもまた、領主の仕事だからね」
僕は取り繕うようにそう言った。
領主の中にはあまり重視しない人もいるけれど、僕としてはきちんと対面して会話した方がわかることはたくさんあると思っている。
少なくともうちの父上は厳しいように見えて、民草の生活を結構気にしていた。
緑葡萄の育ち具合は順調かとか……黄金麦の収穫量は多いかとか……。
僕の記憶の父上は、そんなことをいつも気にして農家に……。
……あれ? これもしかして、酒造りの出来を気にしてただけか?
いやいや、まさか……いやでもよく足を運んでたのは醸造倉を持つ酒造職人の……いやいやいやいや、まさかまさか。
僕はブンブンと頭を振って、脳内の綺麗な父上像を守ろうと考えを打ち払う。
け、決して酒好きなだけの親父ではない……はず……たぶん……きっと……そうであってほしい……。
そんな僕の様子を見て、ミラはその赤い瞳をこちらに向けた。
「……でもわたしそういうの、全然わかりませんし。長い間ひきこもっていたので……」
彼女は目を伏せる。
……思えば引き継ぎもなく大した教育もされずに、若くして父親を亡くした彼女にそんなことを言うのも酷な話ではあったかもしれない。
僕はなんと声をかけていいかわからず、言い淀んだ。
慰めるのも、励ますのも、何か違うような気がする。
しかしそんな僕の様子を気にもせず彼女は顔を上げた。
「……だけど、わたしは学んだんです」
その顔には昔とは違う、余裕のある笑み。
「わたし一人ではできないことがいっぱいあります。……間違った方向に進むこともある」
彼女は過去の出来事を思い出すように、天井を見上げた。
「だから、わたしがしなくちゃいけないことは――」
彼女は自信を持って頷く。
そう、彼女に必要なのは――。
「――できないことは、やらない!」
「……そうそうみんなと力を――えっ?」
彼女の言葉に僕は思わず聞き返した。
「だからわたしは変わらずひきこもって、魔術の研究に身を捧げようと思うんです! そうしてゆくゆくは二代目魔法少女としてこの町を守る守護神に――!」
「いやいや、おかしい。過程も結論もおかしい。明らかに迷走してるよ!」
領主の仕事は正々堂々と悪と戦う仕事じゃない……はず……。
彼女は僕の言葉に首を傾げた。
「……では正しい領主像とはいったい……?」
「……それは難しい話だけど」
僕が聞きたいかもしれない。
果たして上に立つとはどういうことなんだろうか。
そんな僕たちの話を聞いていたハナはクスクスと笑った。
「……ご安心ください。お二人とも、十分立派ですから」
ハナは優しい笑みを僕たちに向ける。
「主様はずっと人々の為に尽力し、そしてその身を粉にして働いてきました。みんなが主様の人柄に惹かれています」
彼女の真っ直ぐな言葉に僕は少し照れてしまう。
「それにミラさんも、形はどうあれ町の為を思って行動し、子どもたちとも仲良くなっています」
今も領主邸は基本的に開放され、町の子どもたちは訪ねて来ている。
彼らはミラのことを慕っているようだった。
「だから大丈夫。二人とも、結果は後から付いてきますよ」
「ハナ……」
ハナの心強い言葉に、僕は勇気が湧くのを感じた。
彼女が支えてくれるなら、僕はこれからも頑張れる気がする……。
「……ハナさん……!」
ミラも彼女の言葉に感銘を受けたのか、涙を浮かべつつそのままハナの腰元へと抱きつく。
「あらあら。甘えん坊さんですね」
ハナはいつも僕にするように、彼女の頭を撫でた。
彼女はうっとりと瞳を潤ませる。
「……わたしハナさんの膝の上で暮らす……」
「待って! それはちょっと僕が困る!」
そんな風に三人で戯れながら、港町の夜は更けていくのであった。
☆
「……ここで妖怪召喚を?」
「はい」
ハナが夕飯の準備に取り掛かり、キッチンへと向かった後。
ミラは僕に向かってそんなことを提案した。
ちなみに本日、ハナはパスタに挑戦してみるらしい。
麦粉と卵を混ぜた麺はこの町では頻繁に食べられている。
どうやら作るのは魚介のパスタのようで、アサリを炒めた時の良い香りがキッチンから漂ってきた。
……お腹空いたな。
「これ、お返ししますね」
彼女は契約の本をテーブルの上においた。
昨日から貸していたものだ。
「以前のスクロールの件があったので危険な書物がないか調べる一貫で、この本も調べたんです」
海上にテレポートしてしまった古代のスクロール。
あんな物がないか発掘品を調べるついでに僕の契約の本を研究してくれたらしい。
「ですが……正直言ってよくわかりません」
ミラは契約の本のページをめくる。
その本の最後の方は白紙のページが続いていた。
「分類は魔術書というよりも異界の魔物目録。目立った術式もないですし、どういった魔力式で召喚がされるのか皆目検討もつきません」
魔術については詳しくないが、彼女が言うのだからよほど特殊なものなのだろう。
「……僕も暗記するぐらいには読み込んでいるつもりだけど、仕組みは全然わかってないよ」
彼女は本の最初のページを開く。
そこには僕の名前が書かれていた。
一番最初にハナに促されて書いたサインだ。
「……まあ詳細はハナさんにも聞いてみようとは思いますけど」
彼女はその赤い瞳を真っ直ぐとこちらに向けた。
「まずは直接この目で見てみたいんです」
彼女の真紅の瞳に魔力が宿る。
何かの魔術なのだろう。
「う、うーん……そうは言ってもな」
僕は腕を組む。
「……召喚した妖怪が素直に言うことを聞いてくれるかはわからないんだ」
以前、ハナやユキに言われた召喚するリスクの話だ。
イセのときのように、召喚した途端に襲いかかられるようなこともあるだろう。
「なるほど……。わたしも流し読んだだけなのでそこはよくわかりませんが……」
彼女はパラパラと本のページをめくる。
「安全そうな相手ならどうでしょう? 例えば……これなら動物が基となっているようですし、そんなにおかしなことにはならないのでは」
彼女は一つのページを開いて指をさした。
そこには比較的可愛らしい獣の絵が描かれている。
「なるほどたしかに……。それなら力の範囲は想像しやすいかも」
イセはその野生からか召喚と共に襲いかかっては来たものの、逆に言えば彼女と似たような存在ならそれぐらいの力が目安になるかもしれない。
サナトやミズチも屋敷には帰ってきているし、ミラだって一流の魔術師だ。
彼女たちを呼んでおけば、何かあっても十分対処できることだろう。
――それに。
「……何かあってからじゃ遅いこともあるしね」
ピンチになってしまった後では手の施しようがない。
「……魔法少女になるつもりはないけど」
僕が人々を守る英雄になる必要はない。
それでも妖怪を召喚しておくことで取れる手段が増えるというなら、事前にその数を拡充しておくのは備えになるはずだ。
「――やってみよう」
僕は頷いて、そのページに書かれた名前を読み上げた。
「……妖狐、か」
それは狐の妖怪。
火を扱い、人を化かす。イセと同じような動物をモチーフとした妖怪で……。
「……あれ?」
呼び出す前に改めてそのページを読み返していると、ふと自身の違和感に気付いた。
指先が勝手に震えている。
「……お、おお?」
不随意に動くその指に僕は困惑の声をあげる。
同時に、指先からじんわりと力が抜けるような感覚。
「どうしま――」
ミラがそれに気付いて声をあげようとした瞬間。
バチィ、と激しい魔力の火花が指先に走った。
「痛っ――!」
叫び声をあげそうになる程の痛みが腕に走ると同時に、体がビクンと跳ねた。
……この感覚はまるで、魔力が抜けていくような――。
「――主様っ!」
ハナの声を耳に感じながら、僕の意識はゆっくりと消えていった。
☆
僕が目を覚ますと、そこはハナの腕の中だった。
うわ、なんだこの幸せな状況は……。
まさか天国……?
「……主様? お気付きになられましたか……?」
ハナの言葉を受けて、僕は目を閉じる。
このまま幸せな眠りについていたい……。
「……主様!? 主様! 大丈夫ですか!?」
彼女の必死な様子に僕は慌てて目を開けた。
そこはさきほどのリビングのソファーの上。
どうやら少しの間だけ、気を失っていたようだ。
「ああ、良かった――」
ハナがぎゅっと僕を抱きしめる。
「ええと……これは……」
僕の言葉に、対面のソファーから声がかけられた。
「……どうやら魔力を過剰に吸い上げられたようですね」
声の方を見れば、ソファーに座ったミラが契約の本をじっくりと眺めている。
彼女は視線をこちらに向け、真剣な面持ちで言葉を続けた。
「今までにこんなことは?」
ミラの問いに、僕は力なく首を振った。
「……召喚したときに魔力を吸われたのは初めてかも」
僕の言葉にミラは考え込む。
「……魔力の流れを見るに、本は契約者と接続先を繋ぐ役割だけを持つ物のようですね……。おそらくですが異界との境界門を構築する術式はあちら側にあるのかも……」
彼女はそう言って本を閉じて、ハナの方を見つめた。
「となれば強大な力を持つ存在を召喚しようとすれば、それだけ魔力の対価が必要ということかもしれません」
えーとそれはつまりどういうことだ……?
僕がぼんやりとした頭で考えを巡らせていると、ハナがより強く僕のことを抱きしめた。
彼女の髪の香りがふんわりと僕の鼻をくすぐる。
「……主様。無理しないでください。あなたのことは、わたしたちが必ずやお守りいたしますから」
「……あ、あはは。心配かけてごめん。まさか名前を呼んだだけでこんなことになるとは」
ハナに謝る。
その体温は暖かい。
「……妖怪は千差万別。大きな力を持つ者もいれば、ささやかな力しか持たない存在もいます。そしてその在り方も異なり、中にはあなたを喰らおうとする者もいるかもしれません――」
彼女と触れ合う肌から、少しだけ魔力が流れ込んでいるような気がした。
ドレインタッチの応用だろうか。
「――ですのでお気をつけください。何も焦ることはありません。主様はそのままでも十分、我々の主として責務を全うしているのですから……」
「――うん。ありがとう、ハナ」
僕は彼女を抱き返す。
相変わらずハナは少し心配性な気もするけど。
そうして彼女を抱き締めていると、唐突に僕の背中は柔らかな感触を感じた。
「……そうそう、大きな子も小さな子もいろいろだからねー」
「サ、サナト!?」
後ろから密着されながら耳元に息を吹きかけられ、ゾクリとのけぞってしまう。
「ご主人が魔力切れで倒れたと聞いたのでありますが、元気そうでありますなぁ」
「にゃふー。猫の手はいつでもどこでもなんにでもお貸しするにゃ? 御遠慮にゃくー」
ミズチとイセがからかうように周りにまとわりつく。
……どうやらハナだけでなく、彼女たちにも心配をかけてしまったらしい。
ハナはそんな妖怪たちの様子を見て、まるで一人遠慮するかのように僕の腕を放して立ち上がった。
「――それじゃあみんなでごはんにしましょうか。主様もきちんと食べて体力をつけないと」
彼女の言葉に、抱きついていたサナトも空気を読んでか押し付けていた体を離す。
「……よーし、じゃあお姉ちゃんも手伝っちゃうよー! ほら、若くんも!」
彼女に手を引かれて僕は立ち上がる。
……ハナの言うとおり、焦ることはないか。
無理に妖怪を喚び出さずとも、僕はこれまでと同じく……。
「そうだぬし様! 何か召喚するならせっかく海があるんだし、海坊主とか船幽霊とかはどうかにゃあ! きっとお魚いっぱい取ってくれるにゃ!」
「……今度ね、今度」
イセの言葉を受け流して僕はキッチンへと向かう。
……まあ妖怪たちも同郷の仲間が増えた方が嬉しくはあるだろうし、これに懲りずまた呼び出してみよう。
これまで通り、焦らずのんびり。
僕はハナの手伝いをしながら、ぼんやりとそんなことを考えるのだった。