68.メランコリック・アズ
「ふっふっふ……」
部屋の中に笑い声が響いた。
それは一人の少女の声。
「マスターもハナもいなくなった今……この屋敷はアズが支配したようなもんです!」
彼女は右腕を天に掲げ、ポーズを取る。
手に持ったマラカスがシャン、と音を立てた。
「だから普段なら怒られるような、こんなことだって可能……!」
屋敷の主が港町へと旅立った為、留守を任された彼女は自由を満喫すべくリビングの食卓の上へと立っていた。
普段そんなことをすれば、やんわりとハナに注意されることだろう。
しかしアズを止めるであろう彼女は、今は港町へ向かう車の中にいる。
「そう、つまりアズは世界を獲ったと言っても過言では――!」
「アズちゃん、お行儀が悪いよ」
彼女の様子を見咎めたのは部屋に入ってきたユキだった。
アズの声を聞いて様子を見に来たらしい。
「――はいです」
アズはぴょい、と飛び跳ねて床へと降りる。
「よろしい」
素直に従うアズを見て、ユキは満足げに頷いた。
「……それにしてもどうしたの? そんなに息巻いて」
直前の様子とうってかわって急激に表情を曇らせたアズの顔を見て、ユキは心配そうな視線を向けた。
一方のアズは神妙な面持ちのまま口を開く。
「……マスターとの別れ際にアズが命じられたのは、屋敷の管理です。つまりアズは全幅の信頼を寄せてもらっているです」
「え? あ、うん……。そう……かな……?」
ユキは彼女の言葉に困惑した表情を浮かべる。
「そうです! 確かにマスターは”後はよろしくね”と言ったです!」
アズの言葉に気圧されつつ、ユキは苦笑した。
「そ、そっかぁ……。いや、まあうん、そうね……。良い子にしてようね、アズちゃん……」
なだめるようなユキの言葉に、アズは首を横に振る。
「いいえ、良い子ではダメです! 多少悪い子でも、アズはもっとみんなの役に立つです! 村の問題は、全部アズが解決してやるです!」
彼女はマラカスを握りしめる手に更に力を込めてぷるぷると震わせた。
「名付けて! チョイ悪アズのお手伝い大作戦!」
シャン、とマラカスを鳴らした後、すたすたとアズは玄関へと向かって歩きだす。
「ア、アズちゃん!」
その背中に声をかけるユキに、アズは少しだけ振り返ってチラリと目線を向けた。
「……止めるなです。この村はアズに任せるです」
彼女はそう言い残して、屋敷を後にする。
リビングに残されたユキは独りその場でつぶやいた。
「……今の、名付ける必要あった……?」
☆
「――むむ!? 困ったような助けを求める声! このアズの地獄耳は誤魔化せねーですよ!」
彼女がそう叫びつつ駆けつけたのは、村の北にある畑。
大規模に拡張された農地には今や数々の作物が育てられていた。
全速力で走るアズは声をあげつつその場に到着する。
「農作物は大地の恵み! 農耕・大地・その他諸々の神様見習いとなったアズに任せておけば――」
「ありがとうねぇダイタロー」
「――ぐぅぅー!」
アズは悔しそうな声をあげながら、勢いを殺さずヘッドスライディングをした。
村人に礼を言われながら照れているダイタローの横を通り過ぎて、アズは畑の茂みの中へと消えていく。
「ア、アズさん……?」
ダイタローが心配そうに彼女に声をかけると、アズはその茂みの中で立ち上がった。
「おのれダイタロー……。アズに先んじて問題解決とは、いったいどんな魔法を使いやがったですか」
葉っぱをかきわけて出てきたアズに、ダイタローは苦笑する。
「お茶の葉っぱを摘んだだけですけど……。でもまだまだ力加減は苦手で……」
ダイタローの横には葉っぱが詰められたカゴがいくつか並んでいた。
村の中年の女性がそれを見て笑う。
「とんでもないよ。ダイタローが手伝ってくれたおかげで随分早く終わったんだ」
その言葉を聞いてアズはがっくりと肩を落とす。
「むむ……! 悔しいですがこの勝負はアズの負けです……!」
「勝負?」
ダイタローが首を傾げる。
「はいです。……アズは農作業という得意分野でダイタローに負けてしまった……」
「ただ単に僕の方が畑の近くにいただけかと思うんですけど……」
「そう! 得意だ不得意だと考えることなくまずは手伝うその姿勢! アズにはそれが足りなかったです!」
ダイタローの言葉を無視するかのように、アズはマラカスを頭上に掲げる。
「しかしアズは学ぶ妖怪です。どんな問題にだって挑戦してやるです! カムヒア、ダイタロー!」
アズはちょいちょい、と彼を手招きをした。
「え? な、なんでしょう……?」
すごすごと近付くダイタローの前で、アズは地面を指差す。
「しゃがむです」
「あ、はい」
素直にしゃがむダイタローに、肩車するようにアズがまたがった。
「さあ発進ですダイタロー! 勝者は敗者に従うです!」
「え……。逆なんじゃ……? そもそもいったいどこに……?」
「それはもちろん! 村の平和を守るためです! しゅっぱーつ!」
そうしてアズはダイタローに乗って、目的もなく村の中へ繰り出したのだった。
☆
「この村、平和過ぎるです」
一通り村をめぐり屋敷へと戻ってきたところで、アズは退屈に唇を尖らせた。
「もっとこう、はぐれドラゴンとかが迷い込みでもしねーですかね」
「あはは、それシャレになってないです……」
ダイタローの後頭部に体重を預けながら、アズは不満を口にする。
ぐるりと村を回ったものの、特に彼女の興味を惹く物もなく二人は屋敷へと帰ってきたのであった。
「でもー、アズはー、もっと活躍したいでーす」
ぶー、とタコのように口をすぼめてアズは呟く。
「……そもそもなんでそんなに頑張ってるんですか? いつもどおりのアズさんでも十分だと思いますけど……」
ダイタローの疑問にアズは目を細めた。
「それは――」
彼女は少し考えるように言い淀む。
しかしすぐに何かに気付いて顔を上げると、ダイタローの上から飛び降りた。
「ムッ!? 屋敷の中から怪しげな声がするです!」
「ええ……?」
「さあ、ダイタローも小さくなって入ってくるです!」
アズがそう言いながら中へと駆けていき、ダイタローもそれに続く。
「お、お邪魔しまぁす……」
彼は他人の家に入るように声をかけつつ、主人の家の中へと入った。
「ぼ、僕、少し閉所恐怖症で……」
「シッ! 静かにしやがれです!」
今や彼女よりも小さくなったダイタローに声をかけつつ、アズは扉の影からキッチンの中を覗いた。
そこにいたのは……。
「くっくっく……ふぁーはっはっは! ついに……ついにこの素材が手に入ったか……!」
竜の頭蓋骨に黒いスーツを着たヨシュアの姿。
彼はぐつぐつと煮立つ鍋の前で高笑いを上げていた。
「すげーです……! これまで見たどんな奴よりも怪しいです……!」
「う、うん……。平常運転ですね……」
アズは魔力を展開して、ヨシュアに声が聞こえないよう周囲の音を操る。
そんな覗き込む二人に気づかず、ヨシュアは独り言を続けた。
「これで我が眷属を増殖させることができよう……! つまりは、この世界の征服を開始する準備が整ったということ……!」
ヨシュアの言葉にアズは目を輝かせる。
「これはやべーです! 謀反です! 世界の危機です!」
「そ、そうですか……? いつも通りな気が……」
「そんな気はアズもひしひしと感じているですが、それでもわずかな可能性に賭けたい、そうアズの心が叫び声を上げているです」
彼女はそう言って、目を閉じた。
「……世界征服に乗り出す支配下の妖怪、平和を願うマスターとの決別……!」
アズは目を見開く。
「これは燃える展開ですよ!」
「……何やってんの?」
「ほわっ!?」
そんな一人盛り上がるアズの熱を冷ますように後ろからかけられた声に、彼女は後ろを振り向く。
そこには呆れた顔をしたユキが立っていた。
「……世界の危機予定です!」
アズの言葉にユキがキッチンの方へと目を向ける。
「……あれが?」
高笑いをするヨシュアの姿を見て、ユキは笑った。
ユキは半笑いを浮かべながらつかつかとキッチンへと入っていき、ヨシュアに話しかける。
彼はアズとダイタローの隠れる扉の方を一瞥して、一つ頷いた。
「ああっ! バレてしまったです!」
「何作ってるんでしょうねー」
ヨシュアは鍋を火から下ろすと、その中から一塊の布を取り出す。
そうして布を取り除いた鍋を持ってアズたちの方へと向かった。
「くくく……。気になるなら見せてやろう……。我が叡智の結晶を……!」
「お、おお……!? 進化の秘法……!?」
アズは恐る恐るその鍋の中を覗いた。
しかしその期待はすぐに霧散する。
「……何も入ってねーです」
その鍋の中には黄色みがかったお湯が張ってあった。
「いいや、既にここに在る」
ヨシュアはキッチンの中へと戻り、その鍋をユキに差し出した。
するとユキは口元に指を当てながら小さく呪文をつぶやき、青白い魔力で鍋を包む。
「くくく。こうして一度凍らせた後で、もう一度水分を蒸発させながら解凍をする」
そう言ってヨシュアは鍋を火にかけた。
アズはキッチンに入り、鍋の近くでその成り行きを見守る。
「……これを繰り返し水分や臭みを抜く……!」
ヨシュアはそう言いながら鍋をかき混ぜる。
そうして再度火から下ろすと、またしてもその鍋をユキに差し出した。
「次は少し抑えめに頼むぞ」
ヨシュアの言葉に頷いて、ユキがまたしても呪文を唱える。
青白い魔力が鍋を包んだ。
「――はい、おっけー」
ユキの言葉に、アズがその中を覗き込む。
「……これは」
そこには常温に冷まされ、プルンと震える固体があった。
「寒天です」
アズの言葉にヨシュアは頷く。
「まだ少し心太とも言える。しかしこれぐらいならば十分食せるであろう」
ヨシュアの言葉にユキが笑った。
「じゃあ食べてみよーう」
☆
「海藻を煮詰め、その成分を凝固させた物が心太である。それを冷凍乾燥させ、更に純化させたものが寒天だ」
ヨシュアはそう言いながら、器に盛り付けられたあんみつをスプーンですくった。
角切りにした寒天に、茹でた小豆と餡子、更にぶどうやイチゴを添えて、白蜜がかかっている。
「寒天は優れた食感の食材としてもさることながら細菌培養の土壌としても優秀なウンマーイ!」
説明の途中で我慢できなくなったのか、ヨシュアはそれを口に放り込み大げさに叫んだ。
「やはり寒天! ズバリ寒天! これこそが! 真実たる味わい!」
他の三人も椅子に座ってそれを味わう。
「餡子は万能です……。そう、これこそが小豆……フェスティバァル……!」
噛みしめるように味わうアズの横で、ヨシュアは叫んだ。
「とろける食感! 深い歯ごたえ! 舌の上で繰り広げられる寒天の舞踊決戦! これこそ至高の一品よ!」
「さすがに二人とも大げさじゃない……?」
そう言いながらユキはダイタローと静かに和のデザートを楽しむ。
その横で、スプーンを口に含んだアズが、小さなため息をついた。
「それにしても……」
彼女は伏し目がちに言葉を続ける。
「結局アズでは何も役に立てなかったです。マスターが帰ってくるまでに何かアピールできる成果を作らないと……」
そんな様子を見て、ユキは苦笑した。
「……突然やる気出してどうしたの? アズちゃんは普段から農作業とか手伝ってるしべつに頑張らなくても……」
ユキの言葉を遮るように、アズは首を横に振った。
「……ダメです。最近マスターはハナのことしか見てねーですから、このままではアズが忘れ去られる可能性もあるです……」
アズはそう言って眉をひそめた。
その様子にユキはバツが悪そうに頬をかく。
「あー……。そういうことか……」
ユキは言葉を選ぶようにゆっくりと話す。
「その……アズちゃんは……寂しかったのかな? 主くんに放っておかれて……。その、嫉妬みたいな……?」
少し頬を染めつつしどろもどろ尋ねるユキに、アズは視線を逸らした。
「……べっつにー。惚れた腫れたの話はあんまり興味ねーですけどー」
アズはそのアゴをテーブルの上に乗せる。
「マスターも数年もすればそのうち落ち着くと思うですしー。とはいえマスターの魔力の影響がある以上、あまりアズの存在が希薄になるのは見過ごせない話っていうかー」
口を尖らせてどこか投げやりぎみにつぶやくアズに、ユキは苦笑した。
「拗ねてる拗ねてる」
「ちげーですぅー!」
ユキの言葉にアズは歯をいーっと剥き出した。
「こう見えてアズは長いこと妖怪やってるですからー! 大人の女ですー」
「えー? そうなのー?」
茶化すように言うユキに、アズは唐突にその表情を消した。
「……実際、長いあいだ人間から離れていると、そういう感情は忘れてしまうですよ」
突然の真剣なアズの表情に、ユキは面食らったように言葉を失う。
「だからたまにこうして人の世に触れると、いろいろ刺激が強いです」
アズは思い出を振り返るように少しだけ目を閉じる。
「それはちょっと煩わしくもあり、一方で楽しくもあり。……女心は複雑です」
そんな彼女の言葉を聞いて、ヨシュアは「ククク」と笑った。
アズの様子にユキは気圧されたように声をかける。
「えーと……アズちゃん……いや、アズさん……?」
ユキの言葉にアズは笑って椅子から立ち上がる。
「……”アズ”でいいです。アズはそれ以上でもそれ以下でもねーですから」
彼女は窓越しに村の空を見つめた。
「――人の世界はいつでもどこでも、なかなか面白ーもんです」
何かを懐かしむように、目を細める。
「だからこそ、みんなの記憶には良い形で残りてーですね」
彼女はまるで祈るようにそう言うと、玄関へ向かって歩き出した。
「……さて、もうひと踏ん張り村の巡回に行ってくるです。ついでにサグメも見かけたら呼んできてやるです」
アズの言葉に呼応して、ダイタローも立ち上がる。
「……僕も行きます」
彼の言葉にアズは笑顔を向けた。
「……よーし、じゃあダイタロー発進です! さっさとしゃがみやがれです!」
ダイタローはアズを乗せて、外へと出る。
ユキとヨシュアが背中を見送る中、二人は夕日が照らす村へゆっくりと歩き出した。