63.島国由来の知恵袋
この度、書籍化が決定いたしました。
それに伴いタイトルを変更しております。
詳しくは活動報告(http://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/1750051/)をご確認ください。
「よっ、と……」
海が見える広場に、簡素な椅子と机を並べる。
ハナの調理教室の準備だ。
夜にはミラによる魔法教室となる予定。
魔法教室はまず概念と理論を覚えることが必要ということで、なかなかに難しいようだ。
僕も触りだけ聞いてみたが、さっぱり理解できなかった。
彼女いわく、「柔軟な発想が必要なので子どものうちに叩き込むのが一番効率的」だとか。
とりあえずはハナによる魚の保存の方法を周知すれば、もう少し資源が活かせて港町の財政も好転するかもしれない。
形は違えどロージナと同じ、教育による水平展開だ。
この調子でもっと村での経験を活かすことができたらいいんだけど。
僕はそんなことを考えながら準備を終わらせてミラの屋敷へ戻る。
とはいえ、あまりこの町でゆっくりしているわけにもいかない。
村の仕事は山のように溜まっている事だろう。
「……何とか町の経営を軌道に乗せないと」
僕がそんな呟きをしながら屋敷の庭先を歩いていると、何かを削るような音がすることに気付く。
まるで剣を研ぐようなその音に僕が視線を向けると、そこではナイフを持ったヨシュアが木片のような物を削っていた。
「あれ、ヨシュア? 何してるの? 木工細工……?」
木くずのようなものを地面に撒く彼は、僕の声に気付いて笑う。
「ふははは! これは我が主。否、これは木ではない。良いだろう、説明してしよう」
彼はその腕ほどの大きさの赤黒い物体を、頭上に掲げた。
「これは鰹節である。かの座敷わらしが丹精込めて作った荒節を黴び付けして本節としているのだ」
「カツオブシ……? アラブシ……?」
何やら聞いたことのない単語が出てきた。
どうやらハナが作ったらしいが。
僕の言葉にヨシュアは頷く。
「そう。これはカツオの肉を燻製した物だ。そしてこの表面に瘴気を纏わりつかせ、活性化させる」
ヨシュアの眼窩に緑色の光が灯った。
すると彼が手に持つカツオブシがぼんやりと魔力を帯びて光り、その表面が色褪せていく。
「こうして表面にカビを繁殖させることで、中の水分と脂質を除去する。これにより酸味を抑え、長期保存できるようになるのだ」
ヨシュアはそう言いながら手に持ったナイフで表面を削っていった。
「ふはは……! これぐらい良い頃だろうな。どれ、一つ味わってみるとするか」
彼はそう言うと、カツオブシを持って屋敷の中へと入る。
居間に散らかるガラクタの中から鉋を取り出して台所に持っていくと、そこではハナが昼食の準備をしていた。
「あら、主様。それにヨシュアさん。それは……」
ヨシュアはグッとカツオブシを彼女の前に突き出す。
「我が主へ鰹節を馳走してやろうと思ってな」
ハナはその言葉を受け、手を叩いて頷いた。
「なるほど。それは素敵なお考えかと……」
彼女はそう言ってキッチンへ向かうと、鍋に昆布のだし汁を入れて温めだす。
それは朝食に使った余りだろう。
ヨシュアはその横で鉋を少し洗ってからカツオブシを削り出した。
「ふはははは……! 気付くか我が主よ……! 本節の香りが広がっていることに……!」
あ、本当だ。何やら芳ばしい匂いが漂ってくる。
見れば鉋の下に置かれた皿には、木くずのような薄いカツオブシの欠片が散らばっていた。
「それではこちらに少しくださいな」
ハナがフライパンをヨシュアに差し出すと、彼は削ったカツオブシを投入する。
ハナはそれを火にかけつつ、調味料を入れていった。
「砂糖、醤油、お酒……」
火にかけられたカツオブシが更に芳ばしい匂いを放つ。
「そして次にごはんを準備しまして」
朝食の残りの冷たいごはんを器によそって、そこに昆布出汁を注ぎ込む。
米が浸るぐらいまで注いだら、フライパンで熱したカツオブシを入れた。
「あとはお好みで刻んだネギやすり下ろした生姜を添えたら――」
パラパラと薬味を入れ、湯気が香るその器を僕へと差し出す。
「――出汁漬けおかかごはんです!」
「わー」
ぱちぱちと手を叩く。
台所を食欲をそそる香りが包んだ。
ハナ特製のおしんこを添えて、簡単な昼食となる。
僕はスプーンで一口それをすくって、口に含んだ。
「おお……? カツオの香り以外にも……かすかな酸味と塩味……! 濃厚だなぁ……!」
同じく隣ではヨシュアもそれを口にする。
ズズ、と汁をすする音が聞こえたが、いったい彼は骨の頭でどうやってすすっているのだろうか……。
「……昆布出汁と鰹の香りがまことに心地良い。これぞ海の味わいよ」
どこかまろやかな出汁の風味と、カツオブシの芳ばしい香りが口の中に広がる。
そんな匂いにつられてか、勢い良く乱入して来た者が一人。
「にゃほー! この匂い、間違いないにゃ! 鰹節を独占しようとは悪逆無道、非道の極みにゃあ!」
屋敷の外から叫び声を上げながら駆けつけたイセに、ハナは笑いながらごはんをよそう。
「少々お待ち下さい。今作りますので」
「にゃあー! ネギ抜きでお願いするにゃあ!」
そうして僕たちは、少し早めのお昼を食べた。
☆
「んー……!」
僕は伸びをしつつ港へと向かう。
食後の腹ごなしがてら、少し船着き場を見ておこうかと思ったからだ。
僕に何か知識があるわけではないが、実際に見て何かわかることがあるかもしれない。
それに――。
「ふにゃにゃー。おさかなおさかなー」
漁港を見学したいとイセが着いてきていた。
彼女はどうも以前は島国にいたらしいし、きっと暮らしの知識か何かがきっと……あるに……ある……あるかも……?
「あっ! 蝶々だにゃー! にゃあー!」
彼女はそれに飛びかかり、道を外れて遠くへと走っていく。
……うーん、ないかもにゃあ……?
まあ、彼女の本能が何かを嗅ぎ分けるかもしれないしな。
僕は気を取り直して空を見上げる。
潮風が気持ち良い。
「……おーい、こっちだぞーイセー。置いていくぞー」
彼女がはぐれないよう注意しつつ、僕たちは港へとのんびり歩く。
晴れ渡る青空が広がっている。
……本当はのんびり滞在している場合でもない気はするのだけれど。
そうこうしているうちに僕たちは港へと辿り着いた。
そこには漁船や交易船とみられる大小様々な船が停泊している。
ちょうど漁から帰ってきたのか、そのうちの一つは魚の入った樽や木箱を次々と下ろしていた。
イセは忙しなく働く屈強な漁師たちの姿にも物怖じせず、彼らに近付いていく。
「にゃふ! にゃあにゃあ、これはどうするのかにゃあ?」
彼らが足元へと投げ捨てている手のひらよりも小さな魚たちを見て、彼女は尋ねた。
「こいつら雑魚は売れないから捨てちまうのさ」
イセの人懐こい様子に、声をかけられた漁船の男は笑って答えた。
彼女はそれを見て悲しそうな表情を浮かべる。
「ふにゃあ。勿体無いにゃあ。捨てるならもらっていこうかにゃ?」
「おう、持ってけ持ってけ。唐揚げにしたりするなら食えるとは思うぞ」
「にゃっふうー! ありがとにゃあ。ついでにこっちも……」
彼女は礼を言うと大量の魚や捨てられるエラや頭の部分なんかを全部抱えてもらってくる。
そんな彼女の様子を見て僕は尋ねた。
「……それ食べるのかい?」
僕の問いに彼女は首を横に振る。
「ぬし様の為、わちきが一肌脱いであげようと思ってにゃあ」
彼女はそう言って、僕に向けてウィンクした。
☆
イセは屋敷から大きな鍋といくつかの古道具を浜辺に持ち出すと、もらってきた廃棄物と水を入れて火にかけた。
イセの火を操る力でそれが煮沸された後、次に彼女は先端が丸まった長い棍棒を取り出す。
「何やらミズっちたちが発掘してきた呪具みたいだけども……まあたぶん大丈夫にゃあ」
彼女はそう言うと、その棍棒で砕くように中の魚を押し潰す。
そうして圧搾すると、鍋の中に溢れた煮汁の上部に透明な油が浮き出てきた。
「ふにゃあ。これが魚油にゃあ」
彼女は柄杓でそれをすくい、壺に取り出す。
「すぐに古くなっちゃうから食べるにはちょーっと向かないんだけどにゃあ。行灯の油なんかはこれで十分にゃあ」
彼女はそれを一すくいして、周囲に撒く。
それは砂浜に落ちるよりも先に、空中で燃え上がった。
「にゃはっ! 猫又の鬼火にゃっ! ……まあ、ちょっと魚臭いのが玉に瑕だけどにゃあ……」
イセの言う通り、少し生臭い匂いが周囲に漂っている。
「……でも、燃料にできるなら確かに有用だよ」
僕は鍋の中を覗き込んで言った。
港町の周囲では炭にできる木も少ないことだし、不要な物を使って燃料費を節約できるなら町にとってプラスになるはずだ。
イセは僕の言葉に満足げな笑みを浮かべつつ、更に鍋の炎を強くした。
「にゃふん。油が取れたらあとはこっちを乾燥させて……」
イセが両手の爪を鳴らして火花を散らすと、激しい炎が鍋の周りに巻き起こって水分を蒸発させていく。
「――そしたら魚粕の出来上がりにゃ」
鍋の中にはこんがりとした魚の成れの果てが堆積している。
圧搾され砕かれ乾燥されたあとのそれは、まるで粉のようにポロポロと崩れた。
「これは肥料や飼料に使うといいにゃ。食べられる魚だけ使えば、このまま調味料なんかにも使えるにゃあ」
そう言って彼女は鍋の中に手を入れて魚粉を一舐めした。
眉を寄せて複雑そうな表情を浮かべる。
あんまり美味しくなかったようだ。
「……ま、まあこんな風に、魚は捨てる所がないにゃあ」
そう言うと彼女はこちらにちらりと視線を送った。
「というわけでわちきが教えられるのはこんなところだけども……参考になったかにゃあ?」
「……うん。きっと役に立つよ」
この方法を周知すれば、きっと資源を余すことなく有効活用できるはずだ。
幸いこの町はスラムに人が集まるぐらい労働力が余っている。
僕の言葉に、イセは笑みを浮かべる。
「……ぬし様、何やらさっきお屋敷の庭で思い悩んでいたからにゃあ。町の経営がどーのこーの」
ああっと……さっきの独り言を聞かれていたらしい。
イセは僕のことを心配してくれていたのか。
「――ありがとう、イセ」
「ふにゃぁ! ……それじゃあ、ご褒美が欲しいにゃあ」
彼女は僕に寄りかかると、目を閉じて顔を上にあげた。
……え?
こ、このポーズは……まさか……キス……!?
――いやいや! 騙されないぞ! 僕はイセの魅了になんか……!
「喉元を撫でて欲しいにゃ」
「えっ!? あっ!? うん!? い、いいよ……!」
僕は慌てふためきながらも、そっと彼女の首筋に手を伸ばした。
さわさわとくすぐるように撫でると、彼女はゴロゴロと喉を鳴らす。
……べ、別に僕は残念だなんて、全然……!
僕が心の中で言い訳をする中、イセは声を漏らした。
「……んっ……! はっ、ん……!」
まるで声を我慢できないのが恥ずかしいかのように頬を赤く染めながら、こちらを見つめる。
あわわわわ……! 何か悪いことをしている気分……!
僕はそれを早めに切り上げて体を離すと、咳払いをした。
彼女は少し息を荒げながら、僕の様子を見て笑う。
「……にゃふ。ありがとうにゃあ……。気持ちよかったにゃ。ぬし様にはちょっと刺激が強かったかにゃあ……?」
「な、なに言ってるんだよ、ハハハ。これぐらいいつでもしてあげるよ」
取り繕うように言う僕に、彼女はその妖艶な笑みを浮かべた。
「本当かにゃ? ……じゃあ、またよろしくお願いしようかにゃあー」
彼女はそう言って背伸びをする。
その身体のラインが強調されるのを眺めつつ、僕はごくりと唾を呑み込んだ。
……はっ! いやいや。
平常心、平常心……。
手足の動きを確認するように砂浜を転げ回るイセの隣で、僕は心を落ち着かせるようにその場に座る。
傾き始めた太陽が、僕たちの影を砂の上に伸ばしていった。